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第五章 ⑧

 遠方で響き渡る爆発音――断続的に響くそれに耳をそばだてながら、一片ひとひらはそっと物陰から外の様子を窺う。


 望島うらじまに数ある製鉄所跡の一角に身を寄せた彼女は、不意に伸びてきた手によって物陰の奥に引き戻された。そこには、疲弊した様子の紫咲と、相も変わらず無表情で感情も思考も読めない白滝が腰を下ろして身体を休めている。


 紫咲の手によって引き戻された一片は、口を開きかけ、それは音にならずに萎んでしまった。


 ヘリを用いた上空から望島の上陸。潜入の第一段階であったそれは、問題なく成功した。ヘリの騒音が虚虜デーヴァを引き寄せるという事態はあったものの、そのこと自体は想像されていたことだ。実際、襲撃してきた虚虜に対し、立場上、指揮官を務めていた要たちは問題なく対処してみせ、無事に上陸することには成功した。


 問題は、その後だ。


 突如として現れた四体の巨躯型虚虜。前触れなく出現したその脅威を前に、一片たちは要たちと離ればなれになってしまった。巨躯型の虚虜の一体、クジラに攻撃を仕掛けた要たちは、その圧巻の巨体が巻き起こす風圧によってはるか先へと吹き飛ばされた。


 結果、要たちと離されてしまった一片たちは、巨躯型虚虜との戦闘を諦め、潜伏することに徹した。そう判断する要因となったのは、ひとえに一片がいたからである。


 一片を護衛する以上、紫咲は十全に能力を発揮することが出来ない。その紫咲が一片の護衛を務める以上は、白滝も同調者の基本的な戦闘形態である相剋を使えず、結果として多数の虚虜に追い立てられる羽目になった。


 白滝に一片を守らせることも考えた。だが、異能を扱えない白滝では四方八方が敵だらけのこの望島において、あらゆる攻撃に対処することは難しい。形状さえ変化させれば万能に扱える紫咲の異能こそ、こうした状況では存分に力を発揮するのだ。


 その紫咲はと言えば、目に見えて疲弊し切っていた。普段の彼女であれば、巨躯型であればまだしも、大型動物程度の体格しか持たない虚虜に襲われたところでここまで疲労することは無いだろう。


 だが、今は状況が悪い。上陸直後に巨躯型虚虜四体に襲われるという異常事態に加えて、一片を守るため、紫咲は常に周囲を警戒し続けている。その精神的な疲労は、ただ自身を守るだけの戦い方とは全く異なり、慣れないそれに彼女は息をつく暇も無く、結果的に常に無い消耗を強いられているようだ。


 一片は、自身の足をそっと撫でる。もしこの足が動いてくれれば、と思わないわけがない。六年前に失った傷跡が痛みを思い出したようにじくじくと疼く。足を失って久しい彼女だが、これほどまでにまともに歩くことを渇望したのはいつぶりだろうか。


 ただ守られるだけの己が腹立たしく、何より情けない。


 紫咲に無理を言ってこの望島に連れてきてもらい、自分こそがアセナをおびき寄せる餌だと豪語したにも関わらず、今の自分は足手まといにしかなっていない。半ば予想されたことだったが、その事実は絶望的な状況下であるがゆえに一片には堪えた。


 この炎が爆ぜ、焼け焦げた悪臭と不気味な足音が鳴り響く望島の状況がそうさせるのだろう。この人工島の風景は、かつての記憶を思い起こさせる。


「はい!」


 沈み込みそうになる気持ちを、頬を叩いて振り払う。いつまでもうじうじと、無駄に悩んで何になるというのだろう。疲弊し切った友人と父のような従者の姿に、罪悪感が締め付けられるくらいなら、今自分に出来ることを考えるべきだろう。


 一片がここまで二人を連れてきたのだ。陽彩を取り戻すため、過去の因縁を清算するため、無関係な二人を巻き込んだ。友人として、従者として、文句も言わずに当たり前のように付き従ってくれる二人に甘えたのだ。


 そんな身勝手な自分が、身勝手に後悔して、落ち込む資格があると思うのか。あるわけが無い。二人の心が後ろ向きになっている今この時こそ、前を向かせるのが自分の務めだと、一片は思い出す。


「なんや、一片。急にほっぺ叩いて」

「気合を入れました」

「ほーん……ええな。その調子で頼むわ。沈んだ顔はお前には似合わん」


 紫咲の言葉にもいつもの勢いが無い。一片を守ることに神経を擦り減らしているのだ。


「私、そんな顔していましたか? どうです、白滝?」


 紫咲と、それから物言わない白滝に問いかける。紫咲はともかく、白滝は一片の前だと無口だ。それが従者たる者と言わんばかりだが、一片が問いかければ答えを返してくれる。


「そうですね。少しだけ、お疲れのようでした」

「あら……どうやら情けないところを見せてしまったようですね」


 ふふ、と一片はわざとらしく声に出して笑う。心の内には今でも過去の失意が渦を巻き続けている。それは陽彩と出会い、アセナにさらわれてからずっとだ。


 何もできなかった。あの時同じ、死地に誘われた陽彩の手を握ることすら出来なかった。


 胸を押しつぶしそうな重圧。折れそうな心。


 しつこく胸中でくすぶり続けるそれを、一片は意志の力で跳ねのける。明るく笑い、安心して、と二人に表情で語る。


「紫咲、少しは休めましたか?」


 疲弊した三人は、製鉄所の物陰に身を寄せ、心身の回復を図っていた。


 沿岸部で巨躯型虚虜と邂逅し、要たちと引き離されてからずっと、大量の虚虜の襲撃を受けていたのだ。それを何とか退け、この場所に身を隠すことが出来た。死角の少ないこの場所でなら、紫咲も一息つける。


「なんや、うちの心配してたんか。安心せい。うちは元気や。暇すぎてねむなっとるくらいやわ」


 強がりを口にする紫咲。顔はどこか疲れを残しているが、あえてそのことに一片は言及しなかった。彼女もまた、内心の疲れを意志の力で跳ねのけようとしている。


 正直、状況は最悪だ。


 アセナと対抗し得る最大戦力である要とさだめから引き離されたことに加え、巨躯型の虚虜が望島を徘徊している。それだけでなく、大量の虚虜もそこら中に存在している。


 こんな状態でどうやってアセナを、陽彩を探すのか。自分たちの身を守るだけで精一杯だ。


「無線は……要さんたちには通じないみたいですね」


 耳に着けた無線機に指を当てながら、何度か一片たちは要たちに呼びかけていた。だが、返事は無い。苛烈極まる戦いの中で、彼らの無線機は壊れてしまったのかもしれない。


「あのパソ子っちゅーやつとはどうや?」


 言われ、一片は要たちの友人であり、後方支援を担当しているパソ子にまだ呼びかけていなかったことを思い出す。すっかり要のことばかりを頼りにしてしまっていたあたり、やはりどこか冷静さを欠いていたようだ。


「そうですね。呼びかけてみます。――パソ子さん?」


 今度は要では無く、パソ子に声をかけてみた。この無線はオープンチャンネルだ。通話は無線で繋がっている全方向に筒抜けであり、特に特定の人物にチャンネルを合わせる必要は無い。


 一片の声に、返事は無かった。しばし迷い、一片は何度かパソ子に呼びかける。


 しばらくして、慌てたようなパソ子の声が聞こえてきた。


『わわわ、呼ばれてた! ごめん、えっと、なに? だれ?』


 一体この緊急時に何をしていたんだ、と珍しく一片も不満を覚えたが、そんな感情は露ほども見せず、努めてパソ子に尋ねる。


「私です。一片です」

『あー、一片さん。なになに、どしたの?』


 どうした、では無いだろう。後方支援の立場であるはずだが、彼女は現状を把握できているのだろうか。こうして要たちと引き離された時こそ、彼女の腕の見せ所だろう。


「要さんたちとはぐれてしまいました。パソ子さんの方から、要さんたちの居場所が分かりませんか?」


 そもそもパソ子ってどんな愛称だ、と思いはしたが、そんな疑問も一片は呑み込んだ。要も必もそう呼んでいるし、彼女自身もそれを受け入れている。本名は不明で本人も名乗らない以上、それが彼女を表す呼称として普通なのだろう。


『あー……確かに先輩の通信が不通になってるね。ちょいまち。GPSの位置情報で探す』


 無線機越しにカタカタとキーボードを打ち鳴らす音が聞こえる。


 少し間をおいて、パソ子が答えを返した。


『見つけたよ。GPSは生きてる。こっちから一片さんたちも見えてるし、案内できるよ』


 その言葉に、ほっと一片は胸を撫で下ろした。要たちと合流できるのであれば、これほど心強いことは無い。紫咲たちの負担も軽減してあげられる。


「それではさっそく――」


 案内してください、と続けようとした一片の言葉は、パソ子の言葉に遮られた。


『あ、ちょい待ち。あれ……これ、って……』

「どうしました?」


 一片の疑問に答えず、パソ子のキーボードを叩く音が連続する。不気味な沈黙の中、訝しむような紫咲の視線を受けながら、一片はパソ子の返事を待った。


『あー、ねぇねぇ。陽彩って子は、何歳くらい?』

「え? 急になんです? 見た目で言えば、十五、六歳くらいですが……」

『ほー、じゃあこれは当たりかも。あのね、GPSと衛星写真で誰かを探すなんてさすがに無謀かなーって思って、竜胆さんに頼んで自律型のドローンを何体か、監視用にそっちに向かわせたの』

「は、はぁ。それがどうかしたんですか?」

『うん、どうかした。――見つけたよ、陽彩ちゃん』


 一片の手が震える。予想していなかった事態に、思わず叫びだしてしまいそうだった。


 不安だったのだ。アセナに連れ去られた陽彩がどうなったか。一片をおびき寄せる餌として使うつもりなら、まさか殺すことはしないだろうとは思っていたが、それはあくまでも願望であり、あの虚虜の異常性を知っていれば、そんな期待は何の意味を為さないことは明らかだった。


 どこで歯車が食い違い、陽彩がアセナの手にかかるか。


 無力なままに連れていかれたその時から、心は不安でいっぱいだった。


 だが、今、パソ子がその生存を知らせてくれる。飛び上がって喜びを表し、近くにいるならパソ子を抱きしめてあげたい気持ちだった。


「ど、どこに、どこにいますか⁉」

『えっとねー……一片さんの今いるところから南西に二キロくらいのところ、かな? でも陽彩ちゃんも移動してるから、すぐに合流は難しいかも』

「陽彩は無事なんですね!」

『まぁ、人とは思えない速度で走ってるからね。陽彩ちゃん、虚子から人間に戻ったんだっけ? ほんとかなぁ、身体能力が人間とは思えないよ』


 そんなことはどうでもいい。陽彩は生きている。それどころか、どうにかしてアセナの魔の手から脱し、この望島を移動している。その目的は分からないが、単純に考えれば、脱出だろう。


『どうする? 先輩と陽彩ちゃん、どっちに案内したらいい?』


 そんなことは決まっている。


 一片は、紫咲たちに意見を窺うように視線を向けた。彼女たちは、一片の視線を受けて、全てを任せるように頷いた。


 一片は決心し、パソ子に告げる。


「陽彩のもとへ、お願いします」

『分かった。待ってね、もうすぐ来るよ。――上を見て』


 パソ子に言われるがまま、一片は空を見上げた。遅れて小さなプロペラ音が響き渡り、小型のドローンが姿を現す。ドローンの下部に着けられたカメラがまるで視線のように動き、それが一片たちを捉えた。


『その子に案内させる。結構早いけどついてこれそう?』

「なめんな。うちらは虚子と同等者やぞ」

『ん? 関西弁? だれ?』


 急に聞こえてきた紫咲の声にピンとこないのか、パソ子は不思議そうだ。どうやら彼女は、自分が誰を支援しているのかも把握していないらしい。彼女にとっては要しか興味が無いのだろうか。


「自分な……ええわ。うちは紫咲や。ネカフェでも会ってるやろ。てか、病院でも顔合わせたやろ」

『あ、あ、あーっ‼ な、なに、あたし何もしてないよ! もう襲わないで!』

「襲うか、あほ。ええからさっさと案内しい。ぼけっとしてると陽彩に追いつけんやろ」

『は、はい!』


 すっかり怯えた様子のパソ子。どうやら彼女は、紫咲に何かをされたらしい。一片も紫咲たちが、陽彩の手がかりを追うためにパソ子を襲ったことは聞いていたが――白滝曰く、安全な方法を取ったとのことだが、それがパソ子にとってはトラウマになっているようだ。


 一片は、責めるように紫咲を見た。陽彩の手がかりを追ってほしいとは言っていたが、人を襲えと頼んだつもりはない。安全な方法を取ったなどと、嘘では無いだろうか。


 一片の視線に気づかぬふりをしたまま、紫咲は自身の首元に爪を立てた。赤い血が指を濡らすのを確認し、それを上空のドローンに向かって飛ばす。血は狙い違わずドローンに付着し、紫咲の力ですぐに乾いてこびりついた。


「これで見失っても追える」

「そういえば、周防くんにも血を付けていたな」


 思い出したように呟く白滝に、紫咲は首を横に振った。


「あかんわ。あんちゃん、着替えて風呂も入ったんやろな。もううちの血は付いてへん」

「そうか。まぁ、GPSで追えるなら不要か」

「せやな。それにあんちゃんは戦い方が派手やし、そんなもんなくても見つかるんとちゃうか」


 何度となく爆発音が木霊する。それが誰の力によるものなのか、明らかだ。


 派手な爆発と卓越した空中戦闘能力。要を探すこと自体は、案外難しくは無いのかもしれない。


「それよりも陽彩や。行くで、一片」

「はい、お願いします」


 紫咲が再び、自身の首元に爪を立てた。動脈を引き裂き、そこから溢れる大量の血液を触手のように操ると、一片の足に巻き付ける。


「あの、これは?」

「よくよく考えたら、うちがいつまでも運ぶ必要無いやろ。相剋の鎧の応用や。ちょっと血は多く使うことになるが、うちの血でお前の動きを補助したる。ちょっと立ってみ」


 促され、一片は困惑した様子のまま、足に力を込めた。もちろん、足は動かない。まともに力は入らず、立ち上がることもままならない――はずだった。


 まるで一片の意思に寄り添うように、紫咲の血液がその動きを補助してみせる。一片の足は動かないままだが、その意思に従い、紫咲の血液が一片の足の代わりとなった。力の入らない足を固定し、筋肉を巧みに動かし、立たせてみせる。


「あ、私、立って……」

「あんまり派手には動くんやないで。あくまで補助してるだけやし、うちの意識が外れたら動きも鈍る。けどまぁ、一緒に歩くくらいはいけ、る、やろ……一片?」


 立ち上がった一片を見つめる紫咲の言葉が尻すぼみになる。目の前の光景に、紫咲は戸惑ってしまった。


 一片の頬を、一筋の雫が流れていた。彼女自身も意識していなかったその事実に動揺し、頬を垂れる涙に触れてようやく、自分が涙を流していることを自覚する。


「あ、そ、の……ごめんなさい。また立てるなんて、思ってもいなかったですから……」


 服の袖で涙を拭い、一片は儚く笑う。それを見た紫咲は、固くこぶしを握り締め、少しだけ顔を伏せた。彼女は、怒っていた。


「アセナ……アセナやったか」

「紫咲?」

「お前の足を奪ったんは、あいつやったな。お前が普通にしてるから忘れてたわ。どうやらうちにも、あいつをぶっ飛ばさなあかん理由が出来てもうたわ。――なぁ、白滝」

「……ああ」


 どうやら一片の涙が、この不均等な友人と従者の心に火を点けてしまったらしい。二人はすっかり疲弊など感じさせないくらいの強い気持ちで己を奮い立たせていた。


『あ、あのー、そろそろその子動かしてもいい?』

「なんやまだ動かしてなかったんかい。はよせい、のろま」

『ひどい! ちょっと先輩っぽさを感じるよ……』


 哀愁漂うパソ子の声を最後に通信は切れる。


 上空で滞空していたドローンが動き始めた。思いのほかその動きは素早く、あっという間に視界の先へと移動してしまう。それを慌てることなく見送り、紫咲は一片に手を差し伸べた。


「ゆっくりでええ。変な感じやろうが、歩いてみ」

「はい……」


 胸中に溢れる思いを嚙みしめるようにして、一片は足に力を込めてみる。わずかばかりしか動かないそれだが、その思いを汲み取るかのようにして、紫咲の血液が一片の動きに合わせて彼女の足を動かした。一歩一歩、確かな足取りで大地を踏みしめる。感覚はあれど、重たく、痺れたように動かなかった足が、彼女に意に沿って動いている。


 六年ぶりの地を踏む感触。身体の重みが足に乗る感覚。


 またも涙が溢れそうで、それを何とか堪えて、一片はゆっくりと歩き始めた。



 ――待ってて。今行くから。



 言葉にならない想いを胸の中でだけそっと呟き、今、少女が自分の足で地獄の災禍を歩み始める。

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