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第五章 ⑦

『先輩、衛星写真におっきい影! 何か上から来るよ‼』


 病室での一片たちとの会話を思い返す間もなく、要は無線越しに聞こえてくるパソ子の緊迫した声に反応し、空を仰いだ。


 影が落ちる。


 時刻は昼中であるというのに、まるで暗闇に閉ざされたかのように太陽の光が遮られ、辺り一帯が薄暗さに包まれた。


 上空を見上げた要は、その存在に瞠目する。


 まるで空を覆うように――あくまでこれは比喩だが、そう形容したくなるほどの巨大さをもって、その異形は空より現れた。


 計測するのも億劫なほどの巨体。全長は数十メートル以上。まるでビルにも匹敵しようかというその姿は、どこか海を泳ぐ哺乳類であるクジラを思わせる。だが、決定的に違うのは、その体表が乾いた血のようにどす黒く、無数のヒレのような部位で覆われているということ。頭部に当たる箇所には無数の複眼が覗いており、それがぎょろぎょろと動く様は、本能的な嫌悪感を抱かせる。


「お、おいおい、巨躯型、か……っ」


 虚虜の中でも巨体を誇る異形は多く存在する。その中でもとりわけ、人智を越えた巨体を誇る存在は、巨躯型と呼称される。その意は、極めて単純なその巨体さを表している。


 空を泳ぐ異形のクジラ――巨躯型虚虜(デーヴァ)が、何の前触れも無く、まるでそうあることが当然と言わんばかりの振る舞いでもって、望島うらじまの上空に出現した。


 クジラが咆哮を上げる。その一声がすでに一種の攻撃だ。一般的な人間が不快と感じる騒音のレベルを何倍にも増したようなその声量に、思わず要は耳を塞いだ。びりびりと脳が痺れ、苦悶に顔を歪める。


 圧倒的な声量に苦しんでいるのは、紫咲たちも同様であった。一片ひとひらは咄嗟の紫咲の起点で血の触手が耳を塞いだことで何とか身体的なダメージを回避できたようだが、他は例外なく、あまりの音圧に足を止めてしまっている。


 そのわずかな停滞の合間にも、氷の彫像と化した大量の虚虜が動き始めていた。音圧によって氷の表面にヒビが入り、それを起点として内部から虚虜が氷を砕かんと身じろぎし始めている。凍らせただけで存在核を砕いたわけではない以上、遅かれ早かれ予想された事態とはいえ、こうもあっさりと行動を再開されるのは予想外だ。


『せ、先輩ッ! ほ、ほかにも大きな影が、たくさん――ッ!』


 無線越しの悲鳴のようなパソ子の声を、要は聞いている余裕すらなかった。いや、ある意味で聞く必要も無かったと言える。


 彼の視界には、すでにパソ子が口にした事実が現実として表れていた。


 望島の上空に無数の影が落ちる。


 ある虚虜は、巨大な翼を持つ怪鳥のような姿をしていた。


 ある虚虜は、特撮映画にいるような異形な怪獣のような姿をしていた。


 ある虚虜は、ファンタジー小説から飛び出してきたかのような、四足歩行の異形の人間――いわゆる亜人と称されるような姿をしていた。


 上空に浮かぶクジラと合わせて、都合四体の巨躯の虚虜。


 それらが前触れなく、要たちを敵と認識したかのようにその周辺に降り立った。


 敵はそれだけではない。巨躯の虚虜たちの周辺には、まるでその先兵を担うかのように、無数の虚虜たちがたむろしている。


「パソ子、現状だけを簡潔に共有しておく。巨躯型の虚虜が四体、現れた」

『…………ッ! そ、それって、結構やばい?』

「まぁ、それなりには、な。可能な限り俺たちで対処するが、竜胆さんに他の戦力を回すように頼んでくれ。こいつらが本土に向かわないとも限らない。人命を気にするなら、こいつらは最優先で叩く必要がある」

『わ、分かった。先輩、死なないよね?』

「死にかけたらさっさと逃げる。まだ、死ねないんでな」


 要は、冷気を纏う白刀を握り直した。一筋縄で行くとは思てなかったが、まさか巨躯型の虚虜が同時に四体も出現するとは。人型虚虜アセナの統率力というのは、よほど強大なものであるらしい。


 音圧によって未だふらつく足に力を込め、要は最も近い巨躯型虚虜であるクジラに目を向けた。他の三体はまだ距離がある。明らかにこちらを認識しているようだが、直接的な被害を受けるまでにはある程度の余裕がありそうだ。そうであれば、まずは最も危険となる脅威を先行して排除する必要がある。


 クジラを睨みつけながら、横目で白滝の様子をうかがう。彼もまた、足の痺れからは解放されているようだが、一片がいる以上は迂闊に相剋を使うことは躊躇われるだろう。相剋状態でない同調者が巨躯型と渡り合うには、至極単純に火力が足りていない。


「必、俺たちであの四体を片付けるしかなさそうだ」

「ちょっと……骨が折れそうだね」


 心なしか、必の返事にも気力が削がれている印象を受ける。目の前に直面した危機について、必は冷静に危険であると判断しているようだ。


 要も同じ思いである。一体一体であれば倒せないことは無いだろうが、四体も集まれば別だ。それに異能もある。虚虜との戦闘においては、特殊な異能により戦闘力を著しく奪われる可能性も大いにあるのだ。数が増えれば増えるほど、勝機は少なくなる。それでも一刀のもとに切り伏せられる小型の虚虜であれば別と言えるが、あの巨体を一撃で片付けるのはさすがの要たちも難しかった。


「まずはあのクジラもどきからだ」

「叩き落とせば、地面の虚虜の群れごと一気に倒せるかも」

「ああ、そうだ、なッ!」


 返事と共に、要は大爆発を地面に向かって解き放った。氷漬けから解放されかけていた無数の虚虜を巻き添えにすると共に、その爆風の勢いで空へと駆け上がる。


 上空十数メートル――空に揺蕩う巨大な異形へと一気に距離を詰める。


 要の接近に気付いたのだろう。クジラがわずかに反応を見せる。だが、見た目どおり、その動きが鈍重で小回りが利いていない。側面から迫る要に対して態勢を変えようと動き始めているが、その時にはすでに要はクジラの体表に到達していた。


 クジラの体躯の側面を蹴りつけ、さらに上方へと要は駆け上がる。その手にはすでに光の粒子が手繰り寄せられており、それは間を置かず解放の時を見た。


 クジラの上方から、その身体に向かって圧巻の爆轟が解き放たれる。望島全体に響き渡るほどの爆音が轟き、音速を越えた燃焼が衝撃波を伴なって、クジラの背中に叩きつけられた。爆発はそれだけに留まらず、クジラの体表でさらに爆発は連鎖する。


 さしもの巨体も、中空に浮かぶことを維持できなかった。爆発と衝撃波の威力に押され、その巨躯が地面に落下した。


 周囲の建物や大量の虚虜を巻き込み、クジラが地面に激突する。轟音が鳴り響き、その衝撃は望島全体を大いに揺らしてみせた。


「とん、でもない奴らやな……」


 その圧巻の光景を前に、一片を庇っていた紫咲が思わずといった様子で感嘆の声を上げる。


 当然、遠く離れた要たちには聞こえていないその声は、爆音と地鳴りに呑まれてかき消えた。


「要、落ちただけ! 全然効いてないよ!」

「分かってるッ!」


 地面に落下したクジラは、しかしその身体のいかほども失っておらず、すでに無数のヒレを動かし、再度の飛翔の動きを見せている。圧巻の爆発でもってしてもわずかばかりの痛痒を与えた程度であり、その巨躯を思えば、ある種当然の結果と言えた。


 巨躯型虚虜との戦いは、単純な火力では押し切れないことが多い。そのあまりの巨体ゆえに、虚子の異能でさえも通じないことがほとんどだ。ゆえに戦い方は一つに絞られる。


「存在核を壊すぞ!」

「とりあえず、頭だね!」


 存在核の破壊――それが最も効果的と言える。特にあれだけの巨体を誇る虚虜であれば、存在核も相応の大きさになる。守る範囲が大きくなればなるほど、存在核の位置を見分けることは難しくない。巨躯型虚虜とはいえ、本能的に弱点を庇う習性は同じだ。


 要は左手を空に向かって掲げる。そこから光の粒子が立ち上り、上空で形成された雲の一群に吞み込まれた。光の粒子は雲の内部で異能の力を発揮し、それは瞬く間に大粒の雨を降らせてみせる。


 それは、要や必がレイロンで用いたダウンバーストでは無かった。戦闘前のブリーフィングのとおり、局地的に風災を巻き起こすあの力は、対象を選べない。万が一にも一片を巻き込むわけにはいかない以上、要が発生させたのはあくまでも雨粒のみだ。


 空より落ちる雨滴を一瞥し、要はさらに光の粒子を手繰り寄せる。それは周囲一帯に広がり、そこに雨粒が触れた瞬間、雨粒はその姿を変えた。大玉の雨滴は拳大の雹へと姿を変え、さらにそれは降り注ぐ雨粒たちと合一し、巨大な氷塊へと変貌を遂げる。


「落ちろ――」


 要の号令を受けたわけでは無いだろうが、巨大な氷塊がさらに早く、速度を上げて落下を開始した。その目指す先は地面に倒れたクジラの頭部近辺であり、上方より迫るその脅威に対し、クジラは反応を示す。


 重たい身体を引きずるようにして頭部を持ち上げ、クジラが咆哮を上げる。それがかの虚虜の異能なのだろう。咆哮はただの声では無く、音圧を伴った衝撃波として上空向かって吹き荒れた。


「ぐっ……!」


 耳をつんざく以上に自身に迫る圧力を察し、要は爆発の爆風を利用して攻撃範囲からの離脱を図る。間一髪、衝撃波の直撃を避けることは出来た。


 遅れて、氷が砕け散る。衝撃波を受けた氷塊はその威容を保つことが出来ず、ばらばらと砕けて雹となって降り注いだ。だが、一粒一粒のサイズが小さくなったために、クジラはこれには対処すらしない。身体を打つ雹などものもとせず、次の瞬間には空へと飛翔してみせた。


 再び、咆哮が叩きつけられる。


 先の指向性を持った咆哮とは異なり、今度のそれは全方位に無差別で放たれたものだった。それゆえか一撃の威力は小さく、吹き荒れる衝撃波も先に比べればまだましだ。


 身体を打つ衝撃を堪えながら、要は衝撃波の隙間を縫うようにして空を駆け、地上から数メートル程度浮かび上がったクジラの巨躯に躍りかかる。


 しかし、クジラも要の攻撃を受けるばかりでは無かった。巨大なヒレが激しく羽ばたき、巻き起こされた風圧に要の身体が押し返される。元々が空中を自在に飛び回る能力では無く、そもそもが体積に差がある。クジラのヒレが巻き起こす風圧は、極大な台風が直撃したかのような一撃となって要の身体を市街地の一角に吹き飛ばした。


 コンクリートに叩きつけられ、余った勢いで地面を転がる。なんとか立ち上がって周囲の様子を見れば、一体どれだけの距離を吹き飛ばされたのか。すでに最初に上陸した沿岸部の様子は見通せない。


「紫咲、神島さん、白滝さん、聞こえるか!」


 無線越しに要は怒鳴る。だが、返事は無い。耳を澄ませば、無線機からはノイズのようなザーザーとした音が繰り返し流れていた。


「くそったれ、壊れたか」


 何度か一片やパソ子たちに呼びかけてみるも、答える声は無い。無調の長物となった無線機のイヤホンを取り外し、苛立ちのままに放り捨てる。


 視界のはるか先では、先ほど要と交戦していたクジラが何度目かになる咆哮を上げていた。それだけでは無い。先ほど現れた巨躯の虚虜のうち、怪獣のような見た目の虚虜と亜人の見た目の虚虜が沿岸部に迫りつつある。そこには、未だ一片たちが立ち往生しているはずだ。


「―――――ッ!」


 その時、背筋を襲う悪寒に要は咄嗟に真横に飛んでいた。


 遅れて、要の元居た場所に巨大な嘴が突き刺さる。嘴はコンクリートの地面を深くえぐり、地面に亀裂を走らせていた。


「次から次へと……ッ」


 そこにいたのは、巨大な怪鳥の姿をした虚虜だ。体調はおよそ十メートルほど。クジラに比べればまだ小柄だが、鋭い嘴と鉄を思わせる硬度を放つ翼、鋭い鉤爪はクジラに比べて小回りが利き、臨機応変な立ち回りを要求される危険性を帯びている。


「要、小型の虚虜も集まってきてる!」


 必の声に、要は振り返る。背後から、大量の大型動物サイズの虚虜が怒涛の勢いで迫っていた。人を喰らうことに執心の虚虜とはいえ、その勢いは一種異様だ。これが人型の統率のもと、一つの意思をもって行動する怪物の群れなのだろう。


「必、ここなら結構、神島さんたちから離れたよな」

「え、うん。かなり吹き飛ばされたもんね」


 よし、と要は頷くと、左手で光の粒子を手繰る。その合間にも怪鳥が凄まじい勢いで空に舞い上がり、そのまま急降下して襲い掛かってきたが、要はそれら一切を無視した。


 光を手繰り、手繰り、手繰り寄せる。


 異能の光は圧縮されるように徐々に凝縮されていき、それは徐々にだが小さな黒点へと変わる。


 断熱圧縮――それを無限級数的に繰り返せばどうなるか。


 急激に圧縮されて、温度上昇を強制された原子同士がぶつかって混ざり合い、瞬間的な核融合を引き起こす。


 迫る巨躯の怪鳥と虚虜の群れに対し、要はその力を解き放った。


 同時に自身の周囲に極厚の氷壁を形成する。


 ほんの一瞬、要の視界には小さな太陽の煌めきが灯ったように見えた。ナノ秒以下の核融合は、解放の瞬間にプラズマによる光輝と空気が焦げるような異臭だけを残し、すぐに泡のように消える。


 要が常の戦闘で使っていた爆発とは全く異なる、見かけの火力だけなら大したことのないように見える一撃。実際、その光の煌めきを受けてなお、虚虜の動きは止まらなかった。


 猛烈な勢いで要に迫り、その氷壁を打ち崩さんと攻撃を加えようとして――不意に地面に倒れこむ。


 巨躯の怪鳥も含め、その場に軒並みいた大量の虚虜が糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ち、身じろぎ一つ起こさない。それどころか、次第にその身体が崩れ始めていた。


「やっぱり、その技だけはえげつないね、要」

「反核の団体に知られたら、まじで猛批判を受けそうだよな」


 しばらく時間を置き、要は氷壁を崩して外に出た。


 地面で倒れ、今にも存在が消滅しつつある虚虜の群れを眺め見る。その全てが一切の外傷無く、しかし内部の存在核を破壊され――正確には、内部の存在核をズタズタに傷つけられ、行動不能に陥っていた。


 先の一撃、要が放ったそれは、爆発の火力によるものでは無い。


 ナノ秒以下の極瞬間的な核融合によって発生した放射線こそを武器として使用し、超接近していた虚虜たちを一網打尽にしたのである。要が自身の周囲に展開した氷の壁は、虚虜の攻撃から身を守る防御では無く、放射能被ばくを軽減するための措置であった。


「でも、本当に大丈夫なのかな。かなり大変なことしてると思うけど」

「ほんの一瞬だけの核融合なら放射線の発生も大したことないって話だぞ。まぁ一応、他の奴がいないところでしか使わないし、大丈夫だろ」


 さすがに核融合を攻撃に転用することには要も思うところがあるのか、返す言葉は若干の歯切れの悪さがある。だが、結果として要たちのピンチを救ったのは事実であり、対虚虜であればこれ以上無いと言えるほどの有効的な攻撃として機能するのだ。


 但し、ダウンバースト以上にこの技は使用に制限がある。何せ通常、虚虜は人の多い場所に現れるのだ。警戒警報で避難指示が出るとはいえ、どこに人がいるかも分からない状況ではおいそれとは使えない。


 望島が無人島であり、さらに紫咲たちから離れたこの瞬間だからこそ、使えた技と言える。


「残り三体だ。行けるか?」


 相剋状態であるがゆえに何もない空間に問いかけるという奇妙な絵面だが、答えは要の背後からゆらりと生まれた冷気の形となって返る。


「戦闘を要がしてくれてるから、制御はばっちりだよ。けど、気を付けて。大技を使えば使うほど、要の心は摩耗していくから」

「今さらだろ。まだ大丈夫だ。レイロンの時と違って、たっぷり寝たからな」


 事実、感じるほどの肉体的、精神的な疲労は無い。病院での休息が思った以上に要の心身を回復させていたらしい。あるいは、病院で陽介から聞いた話に心が奮い立ったことも理由か。


 取り戻す――何に変えても。


 要にとっての全てはそれであり、それ以外はただの経過に過ぎない。この戦いすら、通過点の一つだ。こんなところでへばって倒れるわけにはいかない、と決意を改める。


「まずはあいつらと合流するぞ」

「巨躯型虚虜のところだね。でも、さすがに場所を移動してるんじゃないかな」


 爆発を利用して空へと舞い上がり、速度を上げて一気に移動する。クジラに吹き飛ばされた距離はかなりのものだが、空を移動すれば元の場所に戻ることにそれほどの時間は必要ない。クジラたちの巨体が目印になっているのも分かりやすい。


「そうなったら合流するのは難しくなりそうだな。無線がダメになったし……」

「一度、相剋を解いてわたしの無線を使う?」


 どういう原理か、相剋状態で同調した際、虚子が身に着けていた衣類や器材も含めて一つの力の粒子として同調者に取り込まれ、相剋を解除すればそれは元に戻る。必も無線機を付けていたため、相剋を解けば確かに連絡を取り合うことは難しくないだろう。


「いや、リスクが大きいな。今は相剋を解く余裕は無い」

「だね。さっきみたいにいきなり襲われる可能性もあるもんね」


 今は眼前の三体の巨躯型虚虜が最大の脅威だが、そればかりとは限らない。虚虜は突然現れる。それにアセナもいる。迂闊に相剋を解いたところを狙われてしまえば、ひとたまりも無い。何より要と必が分断させられることも危険だ。


 相剋の条件は、同調者と虚子が触れ合うこと。距離を離されれば、相剋も難しくなる。


「まぁ、いずれにせよ――あのでかぶつを片せば危険は減る」


 一片たちと合流するにしろしないにしろ、優先すべきは確実な脅威の排除。

 未だ健在の三体の巨躯型虚虜だ。


 要は視界に収めた三体のうち、まずは最も抗しやすいと判断した亜人の巨躯型虚虜のもとへ突撃した。理由は単純だ。


 クジラは咆哮による音波の攻撃とヒレの風圧で近づくことを防いでくる。


 怪獣はクジラに匹敵する巨体で一撃必殺を狙うことは難しい。


 そうなれば必然、二体に対して体格はまだ小さく――とはいえ怪鳥と同様に十メートル以上はあるが――人間に近い見た目をしていることから肉体構造が分かりやすく、御しやすい亜人が最速で討てると判断した。


「必、氷姿雪魄ひょうしせっぱくだ。行けるか?」

「任せて。レイロンでもばっちり使えたよ」


 信頼できる相棒に口元を緩めながら、要はさらに速度を上げて突撃した。


 流星のような勢いで亜人に特攻をかける。だが、亜人はその速度に反応して見せた。頭部を狙った白刀の一撃を上体をそらすことで避けて見せる。


 結果として、要の白刀は亜人の肩に突き刺さった。皮膚を突き破り、その肉に刃を立てる。亜人の体格からすれば、針で刺された程度の外傷だろうが、刃は肉体に触れていた。


「――氷姿雪魄」


 朗々とした必の声が響き渡り、白刀を中心に異能の光が亜人の全身を駆けずり回っていく。断熱膨張によって急速な冷却を起こした肉体表面は、氷点下を遥か下回る低温域に悲鳴を上げる間もなく、刹那の間に凍り付いた。


 亜人の動きが完全に止まる。全身を氷漬けにされ、肉体の内部すらもその冷気は行き届いている。いかに巨体と言えども、分子運動すらも凍結するほど力を注ぎこまれれば、成す術も無い。


「ほっ、上手くいったぁ」


 凍り付いた亜人の様子に、必が満足げに呟いた。どうやら言葉ほど制御に自信は無かったようだ。


「これでしばらくはこいつの動きは封じられ――」


 白刀を引き抜き、要が振り返った時、その視界は青白い業火に覆われた。


「こ、の――ッ」


 ほとんど反射で爆発を引き起こす。凄まじい爆風に空中に投げ出されながら、要はなんとか窮地を脱したことを理解した。


 空中で爆発を起こして態勢を整えながら、要は見る。


 先の一撃――青白い炎は、怪獣の見た目をした巨躯型の虚虜が放ったものだった。数百メートルは優に離れた遠方で、その巨大なアギトから炎を吐き出している姿がよく見える。まさしく怪獣そのものの姿と言える。


「ちっ、やられたな」

「ああ、溶けちゃった」


 狙ったわけでは無いのだろう。虚虜に知性が無い以上、おそらくはアセナの何らかの指示に基づき、その行動を決定していると予想出来る。その行動が要を狙った熱線であり、決して亜人の虚虜を助けるつもりなど無かったのだろうが、結果としてそれは亜人の虚虜を救出することに繋がっていた。


 圧巻の熱量に氷が解け、体皮すらも焼け焦がしながら、亜人が行動を再開する。肉の焦げる悪臭が周囲に立ち込め、身体表面の水分が蒸発して焼けただれているその状況で、亜人は自身の状況などまるで気にしていない。虚虜は、痛みを感じないからだ。


 亜人が要を捕まえんと手を伸ばす。まるで泥を塗り固めたような特異な皮膚が迫る様は、コンクリート壁が動いているかのような圧迫感があった。


 見た目以上に素早く剛腕を振るう亜人の攻撃を避けながら、要は一度距離を取った。先と同じように亜人に接近したところを怪獣の方に狙われてはたまらない。あの熱線の一撃は、受ければ相剋状態の同調者といえども一瞬にして消し炭なるほどの熱量を秘めている。


「必、どうみる?」


 戦場を俯瞰的に眺めながら、要は相棒に問いかける。


 現状、亜人と怪獣の視線は要に向いている。クジラは沿岸部近辺の上空を揺蕩っているが、これといった動きは見せていない。上空から視認できる範囲では、一片たちの姿は見られない。派手な動きは控え、隠れるようにして動いているのだろう。

 

 彼女らの目的の最優先は陽彩だ。次点でアセナ。最後に他の虚虜であり、何も大量の虚虜退治を目的にしているわけでは無い。消耗を抑える意味も含めて、戦闘は可能な限り避けた方がいい。


 そういう意味では、今の要は良い囮になっているとさえ言えるだろう。


「怪獣の方は、まぁ見た限りの熱線の力だよね。亜人は……異能の兆しは見えないから分からない。クジラは音波かな。現状、亜人と怪獣はどちらも要を標的にしてるけど、協力しているわけじゃない……さっきみたいに同士討ちが良い例だね」

「つまり?」

「あの怪獣に、亜人の方を焼いてもらえばいいんじゃないかな」

「同感だ」


 頷き、要は一気に怪獣の方へと飛んだ。そのまま注意を引くように怪獣の周辺に爆発を引き起こし、挑発するように攻撃を誘う。同時に、背後の亜人の位置を把握する。亜人もまた、飛び回る要に狙いを定めて接近していた。


 挑発を受けた怪獣の口腔で青白い光がこぼれだす。決して怒りを覚えたわけでは無いだろうが、こうも意図した通りに動くのを見ると、知性が無いというのも哀れなものだと思わざるを得ない。


 怪獣の口から熱線が放たれる。数千度に達しようかという熱量は空間を切り裂き、一直線に要と迫っていた。それをギリギリのところで要は回避する。凄まじい熱波に身体の側面が焼かれるような感覚を覚えたが、なんとか熱線の攻撃圏内から離脱できた。


 そのまま足を止めず、空を駆けまわる。熱線は、要を追いかける怪獣の首の動きに合わせて、縦横無尽に動き回る。


 そのたびに要の背後で迫る亜人は、熱線の一撃を受け、身体をぼろぼろと崩し始めていた。頑丈な体躯も、何度も数千度の熱を浴びれば崩壊する。虚虜自身が痛みを覚えず、回避よりも要に迫ることを目標にしている以上、その崩壊の速度はひとしおだ。


 度重なる火傷による肉を焼く悪臭が戦場全体を包み始める。


 そのあまりの異臭に要は眉をひそめた。狙ってやっていることとはいえ、かなりの不快さだ。


 しかし、要の作戦が完璧に上手くいったかといえば、そうでも無かった。


 肉体を焼かれながらも亜人の猛進は止まらず、ついに要を攻撃圏内に捉えたのだ。亜人と怪獣の距離が物理的に縮まり、二体の猛攻を掻い潜る羽目になる。


「あいつの売りはタフさか⁉」

「頑丈な異能なんて聞いたことないよ!」


 皮膚を、肉を、骨すら溶かされながらも動き続ける亜人に驚嘆しながら、要は飛び回って亜人の背中に回り込んだ。そのまま一気に降下し、重力も利用した白刀の一撃を右足に叩き込む。


 皮膚を切り、肉を削ぎ、骨を断つ。


 要の一撃は、亜人の右足を切り飛ばした。


 足を落とされ、亜人の身体が傾き始める。重力に引きずられるように、その身体は倒れ始めていた。


 要はそれを見定め、方向転換して一気に足元で爆発を引き起こすと、飛び上がるように亜人の首へと迫る。


 重力に引きずられた大質量と、爆発の勢いを利用して駆けあがる白刀の一撃が交錯する。焼けただれて耐久性を失いつつある亜人の首は、その一瞬の交錯で千切れて飛んだ。


 巨大な頭部が空へ舞い、あらぬ方向に吹っ飛んでいく。


 そこに要の放った光の粒子がまとわりついた。


 大爆発が巻き起こり、頭部を内側から破裂させる。爆発の威力は、その頭部に隠れていた存在核を見事に打ち抜いていた。


「あと、二体――」


 倒れゆく亜人の影から覗く怪獣とクジラの二体の巨躯型虚虜に狙いを定め、要は激化する戦場を駆けるために足に力を入れる。


 その瞬間、膝が崩れた。片手を地面につけ、思い出したように荒い息を吐く。


 頬を冷や汗が伝い、夏だというのに身体に寒気が走った。


「要?」


 動き出さない要を不思議に思った必の声が、どこか遠くから聞こえるように感じた。

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