第五章 ⑤
白で包まれた無機質な空間の中、心電図を示すモニタが時折、ピッと音を立てる。
与えらた病院の個室に、瞳を閉じて眠り続ける少女がいる。十代前後の小さな少女は、この病室で寝かされてから一度も目を覚ましていない。身体はその異常な回復力でもって全快しているはずだが、まだ目を覚ましてはいなかった。専門医の言によれば、崩壊しかけたことが身体へ大きな負担になっているのかもしれない、とか。
今は経過を見るしかない、というのが結論だった。
眠る少女の手を握りしめながら、来客用のパイプ椅子に腰を下ろした陽介はそっと穏やかに眠る少女、ひなみの様子を見守り続けている。
この病院を訪れて以来、彼はそんな風にして時間を過ごしていた。
同じく大怪我を負って運ばれた要や紫咲の様子も気になるが、彼にとっての宝物が眠り続けている中で、他の人間の病室を訪れようとは思えない。何より、彼らの中で一番の重症患者がひなみだったのだ。
病院を訪れてから、まるで縋るように彼女の手を握り続けている。そこからは、再度同調した時のように異能の粒子が巡ることは無い。心を喰らえばひなみが治るかもと期待を込めてそうしているが、意識の無い彼女が心を喰らうことは無かった。
「ひなみ……」
そっと少女の名前を呼ぶ。
早く目覚めてほしい。笑いかけてほしい。
そう思いはするが、焦ることは無かった。身体はすでに回復しているし、命に別条が無いとも医者が言ってくれている。目覚めないのは他に要因があるかもしれないと言われているが、時間の問題だとも聞いている。
今は回復に専念するべきなのだろう。
崩壊を起こしかけて長らく繭に引きこもり、崩れるその瞬間まで堪え続けていたのだ。長く眠ってしまったところで、誰も文句は言えまい。
「ったく、いつまで寝るつもりだよ。話したいこと、たくさんあるんだからな」
その寝顔を見ていると、愛おしさで溢れてくる。
二人で一緒に行動していた時、その愛らしい姿に何度癒されたか分からない。
その笑顔を見れなくなって、どれほどの喪失を覚えたか分からない。
だが、ようやく取り戻したのだ。彼の宝物は返ってきた。目覚めれば、また笑顔を向けてくれることだろう。
要に言われた言葉を思い出す。
心を尽くしても、それを捧げてもいいと思えるほどの大切な存在――。
さすがに特対官として活動している人間の言葉だ。的を射ている。
陽介にとってのひなみとは、まさしく自身の心全てを捧げてもいいと思えるほどの、大切な存在だった。何故、それに気づかなかったのだろうか。彼女が崩壊するその直前まで、そんな大事なことに目を向けられなかった。
(けど……これって……)
ふと、その思いを何というのだろうと思ってしまった。
自分すら捨ててでも大事だと思える存在。そんな存在を想うことを、人は何と呼ぶのか。
浮かんだその言葉に、陽介は小さく笑った。あり得ない、と切り捨てようとして、そんなことも無いかと思いなおす。
見た目は小さな少女。だが、それは虚子として多くを失っているからに過ぎない。
共に過ごし、勇気づけられ、守られた。
彼女を想うことは、決して簡単に否定できるような、そんなものでは無いはずだ。
「ひなみ……お前が目覚めたら、伝えてみるよ。今はまだ、ちょっと勇気出ないけど」
なんせ見た目だけなら小さな女の子だ。
はっきりとそれを口にすることは躊躇われるし、絵面的にも少し不味い気がする。
二人きりだ。二人きりの時だけ、それとなく伝えてみよう。
そんなことを考え思わずにやついていた陽介の思索を邪魔するように、個室の扉をノックする音が聞こえた。静寂の中でやけに大きく響いたその音に驚きつつ、陽介は遅れて返事をする。
「は、はい!」
陽介の返事を聞き、扉が外から開けられる。現れたのは、レイロンで行動を共にしていた双子の兄妹――要と必だ。
すっかり体力を取り戻した様子の要を見て、陽介は安堵する。病院に連れてきたときは意識不明で全身ぼろぼろの重体だったが、今は頬も血色が良く、健康そうだ。いつの間に着替えたのか、病院服では無く、カジュアルな私服を身に着けている。
「アニキ、元気になったんすね。良かった」
「同調者ってのはそんなもんだ。お前も身体が軽くて仕方ないんじゃないか?」
珍しい要の軽口に、陽介は無言で頷いた。言われたとおり、確かにひなみと再同調してからは身体の調子はすこぶる良い。かつてもひなみと同調していたがゆえに驚くことでも無かったが、長らく普通の人間の身体能力で過ごしていたことを思えば、その落差に困惑するほどだ。
「なんすか? まさか、心配して見に来てくれたんすか?」
要の調子に合わせるように陽介も軽口を返す。またもや珍しく、要は少しだけ笑って見せた。
「まぁ、それあるが……ちょっと話を聞きたくてな。いいか?」
「ええ、まぁもちろん。あ、そこに座ってください」
陽介に促され、要と必が来客用のパイプ椅子に腰を下ろした。
それにしても、要の話とは何だろうか。陽介には、皆目見当もつかなかった。
「必から聞いたよ。お前と会った時に話してくれた特災テロの話、助けてもらった特対官のこと。あの時は気にも留めてなかったが、必に似てるんだって?」
ああ、と陽介は思い出す。確かにこの病院に来る途中、必とそんな話をしていたのだ。だが、特別、必に似ていると言ったつもりは無かった。かつて見た特対官の姿が、要や必と重ねて見えたと、そう感謝と共に話したのだ。
「それが、どうかしたんすか?」
「いや……その、似てたってのは、見た目か?」
歯切れの悪い要の言葉を疑問に思いながら、言われて陽介は必を見る。
特徴的な白銀の髪、エメラルドを思わせる碧眼、それらとは対照的な日本人特有の顔立ち。
改めてしっかりとその容姿を見ていると、記憶の中の映像と結びついた。
屈託なく笑う笑顔。
業火吹き荒れる災害の最中、複数の巨大な虚虜に襲われた陽介とひなみをあっという間に救ってみせ、心折れかけていた陽介に太陽のような笑顔で励ましの言葉をくれた少女。
彼女は、人目を惹かんばかりの美しい少女だった。
次いで要を見た時、不意にその姿が記憶の少女と重なった。それは特対官に見たヒーローとしての背中では無い。
至極単純で疑いようも無い端的な相似。
あの少女は、要によく似ていた。
「え、え? あの、見た目は確かに……いや、アニキにも似てるっていうか……。いや、大きくなったらアネキにそっくり……?」
「そうか」
「アニキ?」
陽介の言葉に、懐かしむように要は表情を緩めた。意味ありげな様子が気になる陽介だったが、何故か尋ねることは躊躇われた。簡単には踏み込んではいけないような、重たい空気を覚える。
「お前にとってあいつは、ヒーローだったんだな。今でも尊敬してるか?」
「え、ええ、そりゃ。命を助けてもらったし、それに……心も、救ってもらいました」
「そうか……そうだよな」
納得したように何度も頷き、要は立ち上がる。話はそれだけのようで、もう彼の目は遠いどこかに向いていた。
「あいつが救ったお前たちを、見捨てなくて良かった。救われたお前が、あいつを尊敬してると言ってくれてよかった。やっぱり俺は、間違ってない。――妹を取り戻す、必ず」
「は、はぁ」
「あいつが戻ってきたら、お前にも会わせてやるよ。まっ、あいつにとっちゃ日常茶飯事だったから、お前を覚えてるかは分からないけどな」
それだけを告げ、必の頭を撫でてから、要たちは部屋を後にする。
陽介は、突然の来訪にただ呆気に取られたまま、去り行くその背中を見送るのだった。




