第五章 ③
高速で回転するプロペラの音が機内全体に響き渡る。
激しい揺れと騒音の中、ヘリコプターの座席に腰を下ろした要は、窓の外に目を向ける。
望島――かつては製鉄所などを含む工業群に溢れた人工島。
六年前に発生した大規模特殊災害において、虚虜が最初に上陸した場所であり、それがゆえに最も大きな被害を被った。見捨てられた地であるレイロンと同じく、復興の目途が立たないままに六年の月日が経ち、荒れ果てて風化したその場所には、今、無数の異形がたむろしている。
虚虜――生態系の枠組みから外れたその怪物たちは、まるで軍隊のように望島を席巻し、その場で脅威を見せつけている。まるで何かを求めるように暴れまわり、破壊しつくされたその場所に更なる破壊を叩きつけている。
虚虜の侵攻は、望島だけではない。望島を越えてさらに先、本土に渡ってその侵攻は開始しており、その災禍はレイロンにも及んでいると聞いている。
「みなさん、目的地に到着しました!」
騒音に負けないようにと、パイロットの大声が機内に響き渡る。
その声を受け、眼下の光景をじっと眺めていた要は、我に返った。
機内に目を向ければ、そこには四人の人間が要と同じように機内の座席に腰を下ろしていた。その中の一人、彼の相棒であり妹でもある少女、必が要の視線に気づき、口元を緩めて見せる。緊迫感のある状況に比して、彼女の表情には危機感は見られない。その内面もまた、同様だろう。
次いで要が目を向けたのは、隣同士に並ぶ二人の少女――一片と紫咲だ。憮然とした面持ちの紫咲とは対照的に、一片の表情は柔らかい。だが、内心も同じかと言えば、そうでは無いだろう。彼女は、超人ばかりのこの中で、唯一、普通の人間であり、何より足に障害を抱えている。それでも要たちに同行し、この怪物溢れる望島を訪れたのには、理由がある。
そんな一片の真正面には、大柄で寡黙な男――白滝が座っている。彼は、ただ一片を守るというただそれだけを目的にここにいる。白滝は紫咲の同調者だが、要が受けた印象として、その思想は限りなく異なっていると言える。一片が同行することに唯一、反論しなかったのは彼だ。一片の従者らしいが、主のすることに異論を挟まないというのは、果たして従者として正しいのか、要には分からない。
望島の沿岸ぎりぎりに接近したヘリが、虚虜の少ない場所を見定めて、降下を開始する。だが、その響き渡る騒音につられたのか、島の中心地からヘリの降下地点へ虚虜が移動を開始した。
眼下に広がるその光景を眺め見ながら、要はパイロットに向かって叫ぶ。
「ヘリは着陸させなくていい! 俺たちが離脱したらすぐに避難しろ!」
「は、はいっ!」
若いパイロットが状況を理解し、焦った声を返した。
要は立ち上がり、窓の外からぞくぞくと接近して来る虚虜の群れを眺めた。まるで壁のような大群だ。十や二十では無いだろう。数十、下手をすれば百を越える数の虚虜が集結している。
これが大規模特殊災害――大侵攻などとも揶揄される、常にはあり得ない統率された虚虜による集団。
それはたった一人のある特殊な虚虜によって成されたものだった。
(人型虚虜――アセナ)
本来、知性や理性を持たない虚虜の中で唯一、人間と対話するほどの知性を持った存在、それが人型だ。
人型の特徴は複数ある。
人の見た目に酷似していること、特殊な違和感を持つ存在であること、いずれかの言語体系に基づく会話が可能であること。
だが、特筆すべきは二点だ。
一つは、国すらも滅ぼしかねない驚異の危険性。ある種、核兵器にも数えられるその危険性は、意志を持った究極の災害である。
もう一つは、他の虚虜を統率し、使役することが可能であること。
いわば、人型は単体の脅威のみならず、群れを率いる長としての特徴も有している。
人型が何故、そんなことをするのかは分からない。だが、過去の大規模特殊災害の中には、何度も人型虚虜の存在が確認している。
彼らにとっては餌の取り合いをさせるような無意味な行為に思われる大侵攻には、彼らなりの理屈があるのかもしれない。
(ものを考えない虚虜の中で唯一、知性を持つ人型。そんな奴らの目的や思想なんて、考えるだけ無駄か)
必たちから聞いたアセナの印象は、まるで人間を弄ぶことを至上命題にしたような下劣な存在とのことだ。特に口汚く罵っていたのは、紫咲だった。
感情が無いくせに気持ちを表現するような言い回しばかりをわざとらしく繰り返し、人を自分の物差しで見下す偉そうなやつ――それが紫咲の評価だ。
記憶に無いそのアセナに対して、自分は何を思ったのか。少しだけ想像してみて、要は不毛だと気づいて止めた。
それはこれから分かることだ。
何故なら要たちは、この大規模特殊災害の発生源――人型虚虜アセナの討伐を目的としているのだから。
「要、そろそろ」
ヘリコプターが限界ぎりぎりまでに降下する。同時に大量の虚虜が地響きを立てて迫りつつある。事態を察した必が、要の手を握りしめた。
「ああ。お前ら、装備の用意はいいか? 無線は常にオンにしとけ。――パソ子、竜胆さん」
機内の全員を見回して告げると、要は右耳に入れたイヤホンに指を当てて、遠方で状況を俯瞰している二人に呼びかけた。
『ほいほい、なにー? 先輩』
返ってきた声は一つだけ。パソ子のものである。
「お前だけか。竜胆さんは?」
『うんにゃ、なんか電話対応してる。特災が起こってるのは望島だけじゃないからねー。そこから本島に流れた虚虜がすでに市街地へ侵攻を開始してるから、他の管理者と情報共有してるみたい』
要たちのいる浦島を中心に災害は発生しているものの、すでにその災害の手は本土にまで及んでいる。レイロンをはじめ、その先にある市街地にも虚虜はすでに辿り着いているようだ。そこでは、警察機関、国防軍、そして戦力の中心たる特対官が事態の収束に当たっている。
関係機関の動き出しは、非常にスムーズかつ的確であると言えるだろう。六年前に発生したものと同規模の特殊災害であることに加え、一年前の特災テロの件もある。かつての経験から寝られた虚虜侵攻への対策は、現時点では問題なく機能しているようだ。
「分かった。あとで状況は、お前から伝えてくれ。俺たちは望島に到着した。これから現地に降り立ち、行動を開始する。衛星からのモニタリングはどうなってる?」
『ばっちり。先輩たちが持ってるGPSと合わせて、位置は追跡できてるよ。あとは……まぁ上から見た光景は結構すごいね。一体、虚虜が何体いるの……』
「ざっとみて百はいかないくらいか。まぁ、数だけの雑魚だ。そいつらはどうでもいい」
『……ほんっと、しれっとすごいこと言うね。特対官様は人間やめてるよ』
パソ子は呆れたように言うが、実際のところ、要の発言は的を射ている。現状、彼が確認した限り、危険度の高い大型の虚虜は見られない。せいぜいが大型動物か、それより少し大きいサイズ。特対官や虚子なら難なく抗し得る程度だ。懸念があるとすれば、虚虜がそれぞれ持つ異能だが、それは戦ってみなければ分からないだろう。
「パソ子、お前は逐一、全員の情報を確認して、何かあれば教えてくれ」
『はいはい、おっけー。あ、そうだ。衛星写真から確認できた範囲では、人型の存在は確認できなかったよ。まぁ、人間大の存在なんて見つかるとは思ってなかったけど。一応、改めて細部は解析にかけてみるつもり。なにか分かったら教えるよ』
「しっかり働けよ。犯罪者」
『うるさい。分かってるよー。ここでポイント稼がないとまじで逮捕されちゃう!』
何故、パソ子が遠隔で要たちの支援をしているのか。それは竜胆――さらに言えばその先の上層部とパソ子が行った超法規的な取引によるところが大きい。緊急事態で人員の確保が困難であることを踏まえ、類まれな情報処理能力を持つ彼女に要たちの後方支援を依頼したのだ。代わりにパソ子は、彼女のこれまで行ってきた犯罪行為への恩赦が約束されている。
「通信は常に繋いでおく」
『おっけ。気を付けてね、先輩、必ちゃん、それから他のみんなも』
パソ子との通信を一旦終えると、要は指示を待っている四人に向き直った。
「今から望島に降下する。ヘリは下ろせないから、全員そのまま着地だ。同調者や虚子は問題ないだろうが、神島さんは無理だろうから、紫咲、支援を頼む」
「頼みますね、紫咲」
「はん、当たり前や」
信頼し合った様子で頷き合う一片と紫咲を確認し、要は白滝に目線を向けた。
「戦いになれば、主力は俺たちとあんただ。紫咲は神島さんの護衛に回らないといけないから、基本は前衛を俺たちが引き受けることになる。いけるか?」
聞くまでも無い要の問いに、白滝は両手に付けた籠手の調子を確かめるようにしてから答える。
「分かっている。状況を見て相剋も使う。だが、お嬢さまがいる以上は戦い方は限定される。きみたちも、レイロンの時のような迂闊な真似は控えてくれ」
白滝が言っているのは、必が紫咲と戦った時に発生させた天災――ダウンバーストのことだろう。確かにあんなものを起こせば、一片は無事では済まない。
「言われてるぞ、必」
要の冗談めかした指摘に、必は困ったように頬をかく。
「要が危なくならない限りは使わないよ」
「出来れば、きみの同調者が危険にさらされても別の方法を検討してくれると助かる」
「うーん……」
必にとっての行動原理に直結する以上、白滝の頼みは返事に困るものだったのだろう。何とも言えない表情を浮かべる彼女に、紫咲が軽く嚙みついた。
「まっ、そこの豚女は自分の力もまともに制御できてないみたいやし? 言うだけ無駄やろ。安心しろ、一片。うちがちゃんと守ったる」
「あー! また豚女って言った! 名前教えてあげたでしょ」
「うるさいわ。黙れ」
「口が悪いですよ、紫咲。ごめんなさい、必さん。でも、あの暴風と大雨は……ちょっと遠慮してもらえると個人的には助かります。私のような足手まといが無理を言って同行させてもらっているところ、申し訳ないですが……」
済まなそう一片と、挑発的な表情を浮かべる紫咲、少しだけ頬を膨らます必。
三者三様のややかしましいとも言えるその姿は、戦闘前とは思えないほどに呑気なものだ。
「あ、あの! そろそろっ!」
対照的な五人の様子に対して、切迫した状況に焦りを覚えたのか、パイロットが大声を上げた。すでに大量の虚虜は目と鼻の先に迫っており、のんびりと会話をしている余裕も無い。
「――行くぞ。まずは俺たちが道を作る」
「うん」
パイロットの声に表情を切り替え、要と必は手を紡いだ。
そのままヘリのドアを押し開く。途端に騒音が激しさを増し、叩きつけるような風を全身に浴びる。
ちょうどその時、地上から迫っていた虚虜の一体が大きく跳躍した。その異形が膨張したかと思うと、それはすぐに集約し、同時に身体から長大な槍のようなものが伸びる。ヘリを破壊せんと向けられたその一撃を前に、二人は動じない。
二人は、手を繋いだまま、ヘリの床を蹴って跳躍した。
空中に身を投げ出し、凄まじい落下感に襲われる中、二人の声が一つに重なる。
『――相剋』
白銀が舞う。
一瞬にして要と必の姿が同調を果たし、同時に冷気が周囲に落ちた。生み出された冷気は要が腰元から取り出した柄にまとわりつき、彼がそれを展開すると同時に、刀身を白銀へと変える。
「ヘリの方に当たらないように爆発を調整しろよ」
「分かってる!」
足元で最低限の爆発を起こし、要は飛翔する。迫る虚虜の一撃を一刀のもとに切り落とし、同時に槍のように伸びた身体の一部を起点に冷気の力を解き放った。断熱膨張による温度低下が虚虜の体表面で発生し、その身体は瞬く間に凍り付き、落下する。
虚虜の群れの中に、氷の塊が落ちた。
それを見届ける間もなく、要たちは一気に爆発の力でもって大量の虚虜の頭上に躍り出た。
(まずは他の奴らが下りる前に、安全な道を作る)
空いた左手で光を手繰り、それを眼下に向かって振り下ろす。光は一筋の涙のようにして地面へと零れ落ち、刹那の間を経て、眩く発光した。
急激な温度低下によって水蒸気が霧のように生み出され、その現象を成した力が大量の虚虜を巻き込んで氷像を作り出す。一瞬にして二十体以上もの虚虜を無力化した要は、静かに地面に着地した。
「大丈夫だ。下りて来い」
イヤホンに手を当て、ヘリ内部で状況を見守っていた三人に声をかける。ヘリの方では、要の指示を受けて、白滝がまずは落下して着地すると、次いで紫咲が一片を血の触手で抱え、器用に地面に着地した。
まずは第一段階――望島への上陸は成功である。
初夏とは思えないほどの低温と化した周囲の様子を眺め見ながら、要は真剣な様子の一片を一瞥する。
何故、彼女がこんな虚虜溢れる危険な地帯へと足を運んでいるのか。
病院で告げられた事実を、思い返した。




