第五章 ②
目を覚ました時、要は固い寝台の上で眠っていた。
天井の蛍光灯の眩い光に目を細めながら、痛む頭を押さえながら身体を起こそうとして、その激痛に悶絶しそうになった。全身がまるで打撲しているかのように、あらゆる箇所が痛い。意識を取り戻した時には分からなかったが、思い出したようにじわじわと身体が痛みを訴え始める。
痛みを堪えて、なんとか上体を起こした。
周囲に目を向ければ、見知らぬ部屋にいる。カーテンで小さく囲われているために外の様子をうかがい知ることは出来ないが、特徴的な医療用ベッドや、ベッド横の脇机、その下部に設置された冷蔵庫などから、自身のいる場所が病室であると推測する。
よく見れば、要は入院患者用の衣類に身を包んでおり、むき出しの右手から小さな管がベッドの上部に向かって伸びていた。点滴だ。
その時、もぞもぞと要の隣で何かが動いた。思わずそちらに目をやれば、掛布団の隙間から白銀の髪が覗いている。掛布団を少しずらせば、見慣れた妹がすやすやと愛らしい寝顔で吐息を立てていた。
必は、要と同じ病院服に身を包んでいる。どうやら二人して病院に運び込まれているようだ。
ずきりと頭が痛む。
何が起きてこうなったのか、思い出そうとして強く頭が痛んだ。
それでも何とか記憶を掘り起こしていくと、レイロンで起きた出来事の一部を思い出すことが出来た。
陽介、ひなみ、紫咲、白滝、それから一片――断片的な記憶が掘り起こされ、それは最後にひなみと陽介が再同調したところでぷつりと途切れる。
その先が思い出せない。その後で何かが起きたのだと、ぼんやりと確信を抱くが、頭からは何一つとして記憶が像を浮かばない。
その事実に、要は少しだけ自嘲気味に笑った。
何が起きたのかは分からないが、自分が何をしたのかは得心が行く。
今の自分の現状と照らし合わせれば、それは確信に近かった。
「かなめ……?」
心地よさそうに眠っていた必が、ゆっくりと目を開いた。要に見られていることに気づき、小さく微笑む。
いつも通りの変わらない、いつもの笑顔。
「やっと起きた」
要と同じように身を起こす必を見守りながら、要は問いかける。
「俺は、使ったのか?」
多分な意味を含むその問いに、必は居住まいを正すと、頷いた。
「うん」
「代償は?」
「ひなちゃんがヨウくんと再同調した後の記憶の全てを。大した量じゃないから限定的だったけど」
「何があった?」
選んでいる余裕も無かったのだろう。咄嗟に選択したのは、直近の出来事の全て。
きっと突発的な危険が迫っていたのだろうと、そう悟り、要は端的に尋ねる。こうしたやりとりは慣れたもので、必も疑問を挟まずに情報を整理して伝える。
「ひなちゃんとヨウくんが再同調した後、いきなり人型虚虜に襲われたの。要は、あの場にいたみんなを逃がすために、一番最近の不要な記憶を使った。記憶が欠落しているのはそれが理由」
「人型……」
想像だにしていなかった言葉に要は息を呑む。だが、今の状況を思えばそれも納得か。それほどに追い詰められていたのだろう。
要自身、人型虚虜との交戦経験が無いわけでは無い。あの時も危機的状況に陥り、なんとか生き残ることが出来た。状況を思えば、奇跡に近かったと言えるだろう。
今回も同じだ。
「俺とお前は無事みたいだが、他のやつらは? それにここは、病院、だよな。レイロンじゃないみたいだし、あの後何があったんだ?」
矢継ぎ早の要の質問にも動じず、必は一つ一つに回答していく。まるでこうした質問が来ることを分かっていたうえで、回答を用意していたようだ。
「人型虚虜――名前はアセナって言うんだけど、なんとか追い払うことに成功した後は、ぼろぼろのみんなを連れて外に出たの。その後すぐに要は意識を失って、同じように重症のひなちゃんたちを連れてなんとかレイロンから一番近くの病院に駆け込んだ。その後は、大体二日間かな。要は意識を失っていた」
「二日……」
予想以上に長く眠っていたことに気づく。加えて二日というワードが記憶を掠めた。そう言えば、レイロンに入る前に竜胆に提示された猶予も二日だったはずだ。つまり、とっくに猶予を過ぎてしまっているというわけだ。
「竜胆さんに、どやされるな」
苦笑する要に、必は、大丈夫、と笑う。
「ここに要が運び込まれた時点で、竜胆さんには連絡済みだよ。スマホは戦いでだめになっちゃってたから、病院の公衆電話を使った。竜胆さんもここに来てるよ。呼んでこようか?」
「いや……ちょっと今、文句を言われるのはつらい」
「うーん、大丈夫だと思うけどなぁ。すごく心配してたし。それにパソ子を追いかけてた政府の特対官が目を覚ましたらしくて、要とわたしの容疑は晴れたって言ってたよ」
そう言えばそんな話だったな、と要は遠い出来事のように感じた。
政府の研究施設から逃げ出したSS001という少女の情報を掴んだパソ子から一報を受けて彼女の家に訪れ、そこで白滝と紫咲に襲われた。
その後は、SS001の動向を入手し、レイロンに訪れ、そこで陽介と出会った。
陽介からセンリを紹介され、彼女が知っているというSS001の情報と引き換えにレイロンで潜伏する虚虜の退治を頼まれた。
虚虜は、崩壊しかけた虚子、ひなみという少女だった。そのひなみを陽介と再同調させることでなんとか崩壊を免れることに成功し――そこからの記憶は、必から得た情報で補完する。
どうやら、人型虚虜――アセナの襲撃に遭い、その脅威に対抗するために要は力を使った。直近の記憶を代償に、全霊でもってこれを迎え撃った。
必の言い分では、追い払うことには成功したらしい。だが、倒したわけでは無いのだろう。その後は何とか地下から抜け出して、そのまま意識を失った要を必たちが病院まで運んだ。
記憶を整理し、自身らの目的を思い出す。
要たちが捜していたSS001。
そういえば、かの少女はどうなったのだろうか。激戦繰り広げたレイロンからすでに脱出してしまったのだろうか。意識を失って寝込んでいたために、センリから情報をもらうことも出来ていない。
「必、行くぞ」
思い出し、要はベッドから抜け出そうとする。身体は痛み、頭も重いが、目覚めたのであればのんびりとしている暇も無い。早くレイロンに戻って、センリから話を聞かなければ。
そもそも、ひなみにしろ、人型虚虜にしろ、要にとっては通過点でしかない。彼の目的は何一つ達されていないのだ。
「どこに?」
不思議そうに尋ねる必に、要は簡潔に答えた。
「レイロン、センリのところだ。SS001のことを聞きに行く」
「ああ、それなら――」
病人用のスリッパを履き、要は歩き出そうとする。その要を引き止めようと必が口を開きかけたところで、それは別の声に遮られた。
「なんかその必要は無いみたいだよ~、先輩」
病室の大部屋を仕切るカーテンを開き、一人の少女が顔を覗かせる。
働いたら負け、と書かれたダル着に身を包んだその少女は、つい先日、要たちと行動を共にしていた少女、パソ子だった。
「お前、なんでこんなところに……」
「いやぁ、あの後、先輩の管理者さんに居場所、特定されちゃって。話聞きたいからここに来いって、引きずってこられちゃったの。何あの人、怖すぎだよ」
何かを思い出したのか、パソ子が身を震わせる。どうやら、本気の竜胆にこの病院まで連れてこられたらしい。拒否権など無かったのだろう。
そもそもハッキングして重要機密を盗み出した罪がある。拘束されていないだけ、扱いは良い方なのかもしれない。
いや、そんなことよりも――
「必要が無いって、どういうことだ?」
「こういうこと」
「あら、ようやく目覚めたの。おはよう、周防くん」
パソ子の背後から姿を現したのは、レイロンで出会った情報屋の少女、センリだ。だが、その雰囲気に要は違和感を覚える。口ぶりは以前と同様の飄々としたものだが、表情が暗い。それが要の姿を見て、少しだけ安堵したように変わる。
「思ったより早く起きてくれて良かった。正直、ここまで誰かにすがりたいと思ったのは久しぶりよ」
センリの言葉を理解できずにいる要をよそに、ぞろぞろと人が現れ始める。
センリから遅れて竜胆が、白滝が、それから車椅子に乗った一片が姿を見せ、大部屋の一角にある要に用意されたベッドスペースが渋滞と化した。これまで出会った関係者が勢ぞろいしたその状況に、さしもの要も困惑を覚える。
その中で最初に口を開いたのは、要たちの管理者である竜胆であった。
「おはようございます、なめくん。身体は……無事そうです。良かった。いつも自分を顧みないでぼろぼろになって、管理者としてあなたを管理する私の立場も考えてください」
言葉は責めるようなそれだが、口調はどこまでも穏やかで優しい。温かな眼差しを向ける竜胆の目元には、くまが見て取れる。しばらく寝れていないのだろうか。それが自身が原因によるものだとは思わなかったが、少なくともその一端はあるのだろうと察し、要は少しだけ申し訳なく思う。
「竜胆さん……疑いが晴れたようで良かったです」
「ええ、すっかり。まぁ、全部が全部、擁護できるわけでも無いようですが、少なくともなめくんが政府公認の特対官を私情で病院送りにしたわけでは無かったようで、安心しました」
これで私のキャリアも傷つかなくて済みます、と冗談めかして最後に付け足し、この話は終わりだと竜胆は告げる。どうやら、すでに要たちにかかっていた嫌疑については重要視するような話題では無くなっているようだ。
では、何なのだろうか。竜胆がわざわざ怪我した要を見舞いに病院に訪れた理由はなんだ。
いや、竜胆自身は非常に心優しい女性だ。傷ついた特対官の様子を見に来ること自体は、あり得ない話ではない。だが、本題はそこでは無いだろう。
竜胆だけではない。竜胆が、パソ子をわざわざ呼びつけ、センリや白滝、一片を連れたってここを訪れた理由。
少し頭を働かせてみたが、要は皆目見当もつかなかった。そもそも彼女らに接点は無いはずだ。
「一体、みんな揃って、なんのようだ? それにセンリの言ってたすがりたいってのは、一体どういうことだ?」
全員をぐるりと見回した後、誰に尋ねればいいかも分からず、要は全体にそう問いかけた。しばし沈黙が降り、何とも言えない微妙な静寂が流れる。その静寂を破ったのは、意外な人物だった。
「それについては、おそらく私から説明させてもらうのが一番だと思います。皆さん、それでよろしいでしょうか?」
一片が、全員の意見を問うように確認する。誰も否定しないことを確認すると、一度頷き、一片は要に向き直った。
「要さん、まずは現状把握をしていただくために、最も重要な事柄からお伝えさせていただきます」
真剣な表情を浮かべる一片に、要は少しだけ身を固めた。地下で出会った時には少しだけマイペースな印象を受けた一片だが、今はそんな様子はなりを潜めている。
彼女にこれほどの表情を浮かばせる話とは何なのか。
何か嫌な予感を覚えながら、要は一片に先を促した。
「分かった、教えてくれ」
何か決意するように少しだけ瞳を閉じた後、一片は意を決してその事実を告げる。
「昨夜――つまり、要さんが意識を失って一日後の深夜、望島を中心に大規模な虚虜災害が発生しました」




