第一章 ②
「要って子どもだよね」
竜胆のオフィスを出て開口一番、必が要にかけた言葉がそれである。言われた要は、ばつが悪そうに頬をかいた。
「まぁ、思春期だからな」
ひねくれた物言いにも覇気が無い。先の竜胆との対話での、自分の情けなさを思い出して、色々と内心の葛藤があるのだろう。そんな兄の心情を慮りつつも、必は言うべき言葉ははっきりと口にする。
「りんちゃんに当たってもしょうがないよね」
「わーってるよ。今度謝っとく」
並んで階段を下り、一階の駐輪所に置いてあるスクーターに要が手を伸ばす。
その時、頭上から大声が降り注いだ。
「こらぁ、なめくん! 勝手に持ってくな‼ てか修理代払えッ‼」
見上げれば、窓から身を乗り出した竜胆が叫んでいた。
げっ、と要が声に出し、伸ばした手を止める。しれっと人のスクーターを拝借しようとする要も相当だが、気配を察知して事前に止めに入る竜胆も中々である。
頭上から睨む竜胆の気迫に怯み、要は諦めて大通りの方に足を向けた。必は、それをニコニコと愉快そうに笑いながら追いかける。普段から軽薄な態度が多い兄だからこそ、こんな風にやり込められている姿を見るのは面白かった。
「家に帰るの?」
先を歩く兄を追い越し、軽快なステップを踏みながらくるりと一回転する。必の動きにあわせてふわりと上着の猫耳付きフードが揺れる。
「いや、帰る前にあいつのとこ寄るよ」
「ああ……あの人、ね」
必の脳裏に一人の少女の姿が思い浮かぶ。出来ればあまり関わりたくない相手だが、兄が行くというのであれば仕方ない。付いていくしか無いだろう。
徒歩からバスに切り替え、駅前のバス停に下りてから駅前広場を通過し、寂れた路地裏に入る。華やかな駅前に比べると人気の無いそこをしばらく進むと、一軒の小さなアパートに辿り着いた。今にも壊れそうな老朽化した階段を上り、一番端の部屋の前で要は足を止め、いつの時代のものとも知れない古びたインターホンを鳴らす。
返事は無い。だが、要は気にせず、さらに複数回、インターホンを鳴らした。
しばらくして、ガチャリと鈍い音を立てて部屋が開く。現れたのは、ぼさぼさの髪にだる着に身を包んだ十代半ば頃の少女である。不愉快そうな表情は、要の姿を認めた瞬間に喜色に変わる。
「先輩っ」
「誰が先輩だ」
開口一番のその言葉に、要は手刀を少女の頭に叩き込んだ。軽い力で振るわれたそれに大げさなリアクションをしながら、少女は嬉しそうに笑って要たちを部屋に招き入れる。
部屋の中は、惨憺たる有様である。まさに汚部屋という表現が正しく、ごみが散乱しており足の踏み場も無い。最低限、市の指定ごみ袋には入れているようだが、多量のごみ袋がうず高く積みあがった様は、部屋の主の性格を如実に表している。
若干の据えた臭いに必は顔をしかめる。そんな様子に気づいたのだろう。少女が誤魔化すように笑って、消臭スプレーを何回もプッシュした。華やかな香りが漂い、悪臭は緩和されるが、そう言うことでは無いだろう、と必は呆れかえる。
「部屋ぐらい片付けろよ、パソ子」
「いやぁ、溜まったら片付けるよー。あはは」
パソ子、と愛称で呼ばれた少女は、要の苦言に何とも信頼のおけない返事をする。
廊下を抜けてリビングに辿り着くも、状況は変わらず、おっかなびっくりで足を進めながら、必は二人の後を付いていく。今、何か黒い這いまわる害虫のようなものを見た気がするが、きっと見間違いだろう。確かに初夏に差し掛かるような時期だが、きっと見間違いに違いない。
リビングと引き戸で仕切られた部屋がある。引き戸を開くと、途端に寒すぎるくらいの冷気が流れ出した。少女――パソ子の私室なのだろう。その部屋だけは、リビングや廊下と異なり、片付いている。というよりは、一点を除いて極端に物が無かった。
そこにあるのは、ゲーミングデスクと明らかに高級そうなデスクトップPC,これまた高価なオフィスチェアのみである。それ以外の余計なものは一切、その部屋には存在していなかった。布団やベッドのような寝具さえ無い。
身震いしながら冷気に包まれたその部屋に入り、勧められるまま要と必はクッションに腰を下ろす。パソ子はオフィスチェアに腰を下ろして、体育座りのような姿勢を取る。
そこで必は気づく。こいつ、ズボン履いていない。上はだる着のようなTシャツで、下は下着一枚だった。そんな姿で体育すわりをするものだから、下着が丸見えである。
「パソ子、その座り方きんし!」
「ん? なんでー、必ちゃん」
「丸見えだから!」
強引にパソ子の足を下げさせ、次いで兄を睨みつける。要はどうでも良さそうだ。元々、そういう欲が薄い傾向にある。
(ほんとにずぼらな人……)
それが必のパソ子の印象であり、それは少なくない邂逅を繰り返した今でも変わっていない。もう一つ付け足すなら、変人とその名のとおり、パソコン好き、くらいだ。
そんな彼女のもとに何故、要が訪れたのか。それは彼女が要にとって、貴重な情報収集源だからである。
竜胆にもほのめかしたとおり、要の持つ数少ない情報源の一つが彼女であった。特に情報工学やネットワークの分野においては、その筋の専門家と言ってさえいい。そうした特性を活かした情報収集を得意としている。
「それで先輩、今日はいきなりどうしたの? まぁ、聞くまでも無いかもだけど」
「さっき連絡をくれてた件について、詳しい話を聞きに来た」
連絡をくれてた件――必が内心で繰り返し、小首を傾げる。その話は聞いていなかった。おそらく、要の持つスマホに直接連絡が来ていたのだろう。
「要、何の話?」
疑問を口にする必に、返答するのはパソ子だった。
「いやぁ、ちょろっとお政府さんのネットワークにアクセスする機会があってね」
それ、絶対に合法じゃないでしょ。
必が半目になるが、話の腰を折るような余計な指摘は止めることにする。
「そこですこーし気になる情報を手に入れたのさ。それでこれは、すぐにも先輩に教えてあげないと、と思ってね」
話は抽象的で本質を掴めず、意図して回りくどい言い方をしているのは明らかである。こういう勿体ぶるところも必がパソ子を良く思っていない要因の一つであった。
「その情報っていうのは?」
パソ子が求めているであろう質問を投げかける。
待ってましたとばかりに得意気な表情を浮かべながら、パソ子は指を人差し指を立てながら答えた。
「虚子から人間に戻った人の噂」
――またか。
必はこっそりと小さく息を吐いた。どうせそんなことだろうと思っていた。
驚天動地の事実を話すかのように勿体ぶったパソ子だが、これは別に今回に限った話では無い。
彼女は、いわゆる情報屋だ。
電子機器を用いてネットのアンダーグラウンドから、高度にセキュリティがかけられた政府機関のデータベースまで幅広にアクセスして、情報を抜き取る天才。だが、一方で一つの欠点があり、それは情報の取捨選択をしないということ。
彼女は情報を集めるばかりであり、その信ぴょう性について頓着しない。
こんな話を聞きました。こんな噂を見つけました。
みてみて、聞いてください。すごいでしょ、とまるで子どもである。情報屋と言いつつ一切の金を取らず、遊び感覚で真偽不明の情報を垂れ流しているのだから殊更に文句も言えないが。
「信じられない」
要を振り返り、必ははっきりと口にする。その思いは、要も同じだったようだ。肩を竦めてみせる。
「だよな。でもだからって、真偽不明である以上は聞いてみることに価値が無いとも言い切れない」
「そうやっていつも騙されてる」
「騙されてるとは人聞き悪い! あたしはいつも言ってるでしょー、情報は垂れ流すだけ。真偽は自分たちで確かめて、って」
ごほん、と話を仕切りなおすように咳払いして、パソ子は口を開きかけてから、何かを思い出したように腰を上げた。
「あ、そういえばお客さんが来てるのにお茶くらいは出さないとねー。ちょいまちー」
わざとだろう。もったいぶりもここまで来ると悪癖だ。
リビングの方に向かうパソ子を見送りながら、必は内心は戦々恐々としていた。こんな汚部屋から出てくるコップやお茶がどんなものか、恐ろしいことこの上ない。
「虚子から人間に戻った人の噂――今までどれだけあったっけ?」
顎に指を当て、必は思い出すような素振りを見せる。
「全部ガセだったから覚えてない」
要の言うとおり、今までパソ子から持ち込まれた噂をあてにして事の真偽を確かめたことは一度や二度では無く、その全てがガセ情報だった。どれか一つでも真実が、あるいは真実に近づく一端にでも触れられれば、と要は無差別に情報を入手しては駆けずり回っているが、そのどれ一つとして何か手がかりに繋がることは無かった。
「今回のもきっとガセだよ。パソ子だし」
「かもな」
要の返事からは、感情は読み取れない。彼自身、信ぴょう性が薄いことは大いに理解しているのだろう。では惰性で調査しているのかと言えば、そうでも無い。数打てば当たる、を元から理解しているからこそ、一つ一つの信ぴょう性にはとらわれず、一喜一憂することも無いのだ。少なくとも一歩前に、進んでいる感覚はある。
「何もしないよりはましだ。それに今回はネットの噂なんかじゃなくて、政府関係者のタレコミだって話だし、いつもよりは何かあるかもだろ」
「そこからして半信半疑だけどね、わたし。あの人、本当にそんなすごいハッカーなのかな」
高性能なPCを目の前でカタカタしているところは何度も見たことがあるが、何をやっているのか実際に分からない以上、適当なこと言われても信じてしまう。必は大前提からして、パソ子の能力を訝しんですらいた。
必の指摘に、要は少しだけ目線を反らした。その仕草が百万言よりも雄弁に物語っている。
「要もあんまり信じてないんだ」
「まぁ、他のことに関しちゃ確度の高い情報も多かったし、一概に否定は出来ないだろ」
要の言葉に、必は今までのことを思い返す。
確かに『人に戻った虚子』以外でも政府の要請に従い、潜伏した虚虜や暴走した虚子の足取りを追うためにパソ子を頼ったことは数多い。そうした噂では無く、明らかな事実をベースにした事柄においては、パソ子の情報は非常に有益だった。監視カメラやネットの噂、地形情報や人間の流れから多角的に複数の情報を提示され、問題解決の一助となった。
そこまで思い返したところで、嫌な記憶が通り過ぎた。
出来れば忘れたい記憶。
パソ子の情報に助けられたこと以上に、彼女の情報に振り回されたことも多く、それで不利益を被ったことも数多い。
結論、やっぱり信用のおけない相手である。
大体、何故彼女は、要のことを『先輩』と呼ぶのか。そもそも要とはどういう間柄なのか。それすら必は知らなかった。要も一応、高校二年生にあたり学生の身分だが、パソ子も同じ高校に通う後輩なのだろうか。
「今更だけど、要とあの人って――」
「――必」
必の言葉を遮るように、要は必の名を呼んだ。その声色は常にない真剣な様子を帯びており、瞳が鋭く細められる。異様な要の雰囲気に遅れて、必も感じ取った。具体的に何が、というわけでは無い。言うなれば雰囲気、空気感。肌に張り付くような嫌な感覚は、経験に裏打ちされたものだ。
「パソ子が遅い。リビングから音がしない」
小声で早口で情報を伝え、要は腰を上げる。その手はすでに腰元の刀の柄だけを模した棒状の物体に伸びていた。特対官専用の武具の一種であるそれを掴み、いつでも解放できるように構える。
「私が先に出る。要はそこで構えてて」
動き出そうとする要を片手で押しとどめ、必は立ち上がる。音を立てないようにゆっくりと部屋の出入り口となる引き戸に近づき、そこに手をかけた。
様子を窺うように、少しだけ開く。空いた隙間からこぼれる生温い風を受けながら、そっとリビングの様子に目を向けた。
その時、近場で小気味の良い金属音が鳴り響いた。
必が視線を真下に向ける。そこには、直径1~2㎝程の円筒形の筒のような金属管が転がっていた。
なに、これ?
必が警戒よりも先に疑問を浮かべた瞬間、閃光が瞬いた。




