第一章 ①
虚虜と呼ばれる存在がいる。
それがいつから存在しているのか、正確なところは定かでは無い。
ただあらゆる歴史書、伝記、おとぎ話を紐解けば、その存在は正確さとはかけはなれているものの、一定の事実をもって示唆されている。
ある時は、妖怪。
ある時は、悪魔。
ある時は、天使。
ある時は――種々様々な呼び名で呼ばれるそれらは、現代では飽くなき飢餓感に追い立てられて心を喰らう虚ろなる虜囚――虚虜の名を与えられ、災害として数えられている。
虚虜の行動原理は単純明快である。
人の心を喰らう。
抽象的な表現でありその事実について科学的に何らかの解を得られているわけでは無いが、虚虜は人の心、それを形作る記憶や感情を主食とするとされている。
これは虚虜に襲われた人間のうち、無事だった者が何らかの記憶の欠落や心身の喪失、感情の欠如という事実から判断されたことである。
いや、正確には無事だった者という表現は適切ではない。
虚虜は人を喰らう。喰らわれた人間は物理的に完全に消失し、この世にその一片の痕跡すらも残さず、消える。だが、まれに虚虜の災害現場に生き残った人間が確認されることがある。
彼ら彼女らは小さな幼い姿で確認されるのだ。まるで喰われた人間が幼い頃に戻ったように、記憶や心の欠落を抱えて。
彼ら彼女らは、虚子と呼ばれる。
虚虜に喰われた者の残滓。心と記憶に欠落を抱え、失ったものを渇望する虚ろなる子どもたち。
虚子たちは、見た目だけなら人間と変わらないことから、虚虜以上に危険な存在と言われることもある。彼らは、その幼い見た目に反して人間を遥かに超えた身体能力と、特殊な異能を有するからである。さらに虚子は、まるで空腹の獣のように欠落した心への飢餓感を抱え、ともすれば暴走する危険性を孕んでいる。
そのため、彼ら彼女らと心を通わせ、欠落した心を埋め合わせる存在がいる。彼らは、同調者と呼ばれ、虚子の欠落した心を埋め合わせるパートナーとして、この世界に広く認知されていた。
「虚子と同調者は良きパートナーとして寝食を共にし、常に寄り添い、同調者は虚子が飢餓感に呑まれて暴走しないようにその心の隙間を埋めてあげます。そのお礼――ではありませんが、虚子はその同調者に、ひいては人間社会にその能力を貸し、災害と言われる強大な虚虜と戦うのです。ひいてはそれが、虚子たちが人に認められ、社会で生きることを許される唯一の方法なのです」
小さなオフィスビルの事務室の一角、ホワイトボードに書き込まれた独創的な絵を指し棒でコツコツと叩きながら、度の強い丸眼鏡をかけた女性が感情を抑えたような声音で説明する。
年の頃は、二十代前半頃。オフィスカジュアルな衣服に身を包んだその姿は、新社会人を思わせる着させられた感が漂っている。
彼女の前には来客用のソファが置かれており、そこには一人の少年が寝転んでいた。常どおりのやる気に欠けた表情を浮かべ、頬杖を突きながらホワイトボードに視線を向けている。
その少年によってほぼ占領されたソファの右端に、一人の少女がちょこんと座っている。銀髪碧眼が特徴的な幼い少女だ。
周防要と周防必、それが双子の兄妹の名前である。
その双子の兄妹に何度となく行った説明を繰り返す女性の名は、橘木竜胆という。
「そこ! なめくん、聞いていますか⁉」
気だるげに話を聞く要に痺れを切らし、竜胆が声を荒げる。
怒鳴られた要といえば、気にした風もない。
「ばっちり聞いていますよ。いやぁ、さすが竜胆さん。説明上手ですね」
心底から賞賛するようなその言葉。だが、その裏では全くそんなことを思っていないことは、この場にいる竜胆に必にも明らかだった。一年間もこんな調子の要の相手をしていれば、それも当然だ。
「だめちゃん! こいつの本心を通訳してください!」
びし、と今度は必を指さす竜胆。名指しされた必は、何とも言えない微妙な表情を浮かべながら、歯に衣着せぬ本音で答えた。
「あー、かったりぃなだりぃな。何回目だよこの話。当たり前のことを繰り返すなんてこの人、馬鹿なのかな。あほなのかな――かなぁ?」
「なんてこと言うんですか、だめちゃん⁉」
「だってりんちゃんが通訳しろっていうから⁉」
あまりな必の物言いに怒りの矛先を変える竜胆と、理不尽なその様子に慌てる必。
ローテンションの要に対して、非常にテンションの高い二人である。
「ごほん、そうでしたね。すみません。取り乱しました。最近、ストレスが多いもので……誰かのせいで、ねッ」
「かわいそうに。竜胆さん、彼氏は選んだ方がいいですよ」
「彼氏じゃねぇよ⁉ いたことねぇよ⁉ あおってるんですか⁉」
要の軽口に、竜胆が怒りで肩を震わせる。見かねた必が、要の頭頂部を軽く小突いた。このままではいつまで経ってもこの状況から解放されないぞ、と言外に態度で示す。
わずか数時間前に起きた特殊災害。巨大な剛腕を持つ虚虜を一蹴した二人は、簡単な事後処理を終えた後、家に帰る――ことは出来ず、引っ張られるように竜胆によってこの場所に連れ込まれた。そこから延々と中学一年生で習うような座学の授業を聞かせられていた。
理由は単純明快。
先の戦いで必の放った異能による爆発は、虚虜を消し飛ばしたどころか、周囲のインフラ環境に多大な影響を与えた。電柱の崩壊による停電、水道管破裂による水道設備への影響、舗装された道路の破壊による交通停止――そもそもが虚虜の被害によって家屋は破壊されていたことは事実だが、必の力がそこに更なる一撃を加えた。
虚虜の被害は災害に数えられる。台風や地震と同じく、その責任を問われることは無い。だが、特殊災害対策官と呼ばれる虚虜に対抗する異能者たちの起こした被害については別だ。
強大な力を持つ彼ら彼女らの力は、適切に管理・制限され、必要以上の被害を及ぼした場合は一定の罰則や注意勧告が行われる。
必の起こした被害は、そのラインを軽々と超えてしまっていた。
そのことによる責任の所在が誰に問われるかといえば、そんな彼ら特対官を管理する管理者――その管理者が所属する組合と呼ばれる組織である。
特対官管理組合に所属する女性、橘木竜胆は、周防兄妹の管理者を担当していた。
数ある特対官の中でも、特に周辺被害へ影響を及ぼす実績が多く、賞賛よりも非難と悪評を持って語られる双子の兄妹の担当である。
彼女は、今回の被害における苦情を政府組織から管理組合を経由して直接伝えられ、度々となる再教育を命じられていたのだ。だからこそ、事件を解決して疲労(?)している二人をこの自身の城と言えるオフィスに連れ込み、繰り返し過ぎて頭に入ってしまった説明を繰り返したのだった。
「ぶっちゃけ、俺に文句を言われても、って感じなんですよね。俺は一応、必には手加減しろと言ってるんです」
「そんなことは知っています。ですが、あなたは同調者。虚子の制御もできないなんて、同調者失格です」
「良いですね、それ。特対官ライセンス、剥奪されます?」
「なんでちょっと嬉しそうなんですか……。されませんよ、できませんよ。あなたがその力で人を襲いでもしない限りは、特対官は貴重な人材なんです。特災に対抗するための。あとだめちゃん、私知りませんみたいな顔してますが、あなたもあなたでもっと力を抑えられるようになってください。私が怒られるんですからね!」
「うぅ……ごめんなさい。ほ、ほら、一瞬で蹴散らした方が被害が小さくなるかなって」
「余計に増やしてるじゃないですか」
言い訳を一蹴され、必は目を泳がせて押し黙る。さすがに怒られているのが自分のせいだという自覚はあるらしい。一方で要は自分には関係が無いと言わんばかりの態度である。それが余計に竜胆を苛立たせるが、彼女は大人として冷静であることに努めた。
彼女自身が言っているとおり、虚虜に対抗しうる特対官の存在は貴重である。
周辺の被害を気にするあまり、力を抑えて戦った結果、その特対官自身が危険にさらされるなど、もってのほかだ。それこそ、その特対官以上の被害を周囲へと与える結果になりかねない。
(とはいえ、こいつらは言わなかったら言わないだけ分かろうともしないから口酸っぱくして言うしかないんですけどねッ‼)
それが竜胆の本音であった。
彼らの担当を任せられて一年。個性的な二人の姿に何度、頭を悩ませたことか。上からは怒鳴られ、下は人のことをなめている。しかし、管理者としてそれを上手く扱えないのであれば無能も良いところだろう。
(はぁ、辞めたい……)
ストレスがマッハで加速して、胃がキリキリと痛むような気さえする。決して本音はおくびにも出さず、努めてにこやかに二人に接する竜胆は、今にこぼれそうなストレスを何とか押しとどめる悲しき社会人の一人であった。
「大体、特対官を辞めるなんて思っても無いこと言わないでください。それでどうやってだめちゃんを元に戻す方法を見つけるつもりです?」
感情の波を整え、竜胆は試すようにその一言をぶつけて見せた。途端に要の表情が変わる。今までの気だるげなものから一転、真剣な表情を浮かべる。
「必を喰った虚虜を見つける。そいつを叩きのめして、奪ったものを取り返す」
身を起こし、怒りをぶつけるように要はダンと床を蹴りつけた。
「それ以外はまぁ、適当に探しますよ。一応、情報収集は続けてるんで」
「また私の知らない裏の繋がりですか……」
竜胆が嘆息する。あまりストレスの芽を増やしてほしくないものだ。
「何度も言ってると思いますが、虚虜から奪われた心を取り返せた例はありません。虚子が人間に戻った例も等しく。ですが、虚子や虚虜の研究は大きなテーマとして続けられています。特対官であれば、そうした情報は一般人よりも多く入手することが出来ます。優秀な特対官であれば、機密情報にアクセスする権利だって与えられるんです。なめくんが探している虚虜の情報だって、あるかもしれません」
今までに発生した数多くの特殊災害は、その全てが政府によって管理・記録されている。閲覧には一定の権限が必要となり、一般人であれば被害の小規模な小さな災害程度は自由に閲覧可能だが、大規模な災害やそれに類する虚虜の情報については、厳重に秘匿されている。
かつて要と必を襲った特殊災害。必の心を喰らい、虚子へと変えた虚虜の存在は、そんな高位の閲覧権限を必要とする情報の一つであった。
「だからもっと積極的に頑張って、周囲への被害も気にしながら、特対官として活動しろって? 一年間、それを信じて色々やりましたが、高位の機密情報へアクセス可能になることなんて、欠片も無かったじゃないですか」
「うっ……それはほら、なめくんたちはやり過ぎるから……。っていうか最近、一段とやる気が無いのはそれが理由ですか」
竜胆が要たちを担当した当初は、もう少しやる気が態度に現れていたように記憶している。表層的な態度は今と変わらずやる気のない軽薄なものだが、心底にはたぎるような怒りの熱があった。いや、今でもそれは等しく変わらないが、それを原動力にした特殊災害への対処という一点については、その向きが変わりつつある。
「別に、そういうわけじゃないですよ。ただ、やり方を変える必要はあるかなと、そう思っているだけです」
ひねくれた表情で持って回った言い方をする要。その様子に、このクソガキめ、と内心で悪態をつくが、竜胆は大人なのでそれを呑み込んだ。
「俺は必を人間に戻すのに、悠長に時間をかけてのんびりするつもりはありませんよ。そんな時間も無い」
立ち上がり、話は終わりだとばかりに要は部屋を後にする。
竜胆は引き止めるように手を伸ばしかけて、止めた。今、何を言っても彼には響かないだろう。近頃の要は神経質だ。これ以上、言葉を続ければ、余計に彼の反感を買いかねない。
(めんっどくせぇ!)
これなら学校の先生にでもなった方がましだったかもしれない。
竜胆と去っていく要を交互に見て、必は申し訳なさそうな表情を浮かべた後、手を振って要を追いかける。彼女は彼女で、色々と問題のある兄に苦労しているようだ。
二人の姿が見えなくなると、竜胆はイライラしたようにソファに腰を下ろした。足を組み、懐から取り出した煙草を口に加えて火をつける。
煙草の先から天井へと立ち上る煙を眺めながら、竜胆は小さく呟いた。
「あの話、どうしましょうか。ほんっとうにあの子たちに任せて大丈夫ですかね……」
つい先ほど、苦情と合わせて持ち掛けられた話を思い出す。先の話し合いでは、とてもじゃないが切り出すタイミングを掴めずに黙るしかなかったが、さすがに要に話もせずに一方的にお断りするのは問題だろう。だが、今の要に話をしても良いかは疑問が残る。必を元に戻す方法を追い求めて一年もかけた結果、何の手がかりも得られていない現状に大いに不満を抱いているのは明らかだ。
もし、今回の話を要にした結果、問題を解決できたとする。だが、その結果が事態の進展に繋がらなかった場合、彼は本当に特対官の兜を脱ぎ捨てるかもしれない。
問題はある。大いにある。だが、彼の実力は本物だ。必も強力な虚子である。彼らコンビは、特殊災害への解決に大いに貢献してきた実績があるのだ。それが無くなるとなれば、世界にとっての損失だろう。
(言い方は……考えないといけませんね。期待させ過ぎず、やる気を促すように)
頭の中で色々と思索を巡らしながら、ままならい現実に竜胆は本日何度目になるか分からないため息をこぼした。




