プロローグ
かん高い警報音が鳴り響く。
市内に設置された防災行政無線が告げる緊急事態を示す音。それを聞きながら、ソファに寝転がった十代半ばの少年が欠伸をかみ殺した。連続して鳴り響く不安をあおる音色に比して、彼の表情は気の抜けたものである。
「要、行かなくていいの?」
そんな少年を要と呼ぶのは、テーブルを挟んで対面の座椅子に座り、スマホをいじる十を過ぎたばかりの幼い見た目をした小さな少女である。純和風の顔立ちに銀色と碧眼を持つアンバランスな外見の彼女は、横眼で要の様子を窺っていた。
「ふぁ……ただの低級の虚虜だろ。別に気にする必要なくね」
要の声にはまるで覇気が無い。やる気を尽く遠方の彼方に置いてきたようである。
ややだらしのない相方の姿に、しかし少女――必は気にした様子も無い。いつもどおり、変わらずの彼女の双子の兄の姿だからである。やる気が無いときはとことんやる気が無いのだ。
警報音に遅れて、市街のどこかで爆発音が響き渡る。小刻みに床が震動し、兄妹が住む決して広くは無いアパートが不安になるような悲鳴をあげる。老朽化した天井からパラパラと欠片が舞い落ちる。
「結構、強そうだよ」
「揺れてんなぁ」
「行った方がいいんじゃないかなぁ」
「うんにゃ、他のやつがなんとかするだろ」
寝返りを打つ要は、目を閉じてすっかり眠りの世界へ片足を踏み出している。あと数分もすれば、小さな寝息が聞こえてきそうだ。
スマホの画面を落とし、必は立ち上がる。部屋唯一の窓に近づき、外の様子をみる。
閃光が瞬き、火柱が立ち上る。再度の震動がびりびりと窓枠を揺らす。桟にかける必の手がはっきりとその小さくない震動を感じ取る。
視界の先では爆発が連続して発生し続けている。だが、それだけだ。それ以外の現象は、窓から見える範囲では見て取れない。
「要、わたし、行ってくるね」
「んー?」
「他の人、間に合ってなさそうだし。被害が大きくなりそうだよ」
窓枠に足をかけ、必はそこから飛び出そうとする。
「……ったく」
必の様子を感じ取ったのだろう。要が目を開き、ソファから身体を起こした。眠そうに欠伸を繰り返し、寝ぐせのついたボサボサの髪をかき分ける。
「お前だけ行かせられるわけないだろ。虚子と同調者はセットだ」
その時、要のポケットから気の抜けたメロディが流れる。流行りからやや外れたいわゆる懐メロに属する通知音に気付き、要がポケットからスマホを取り出すと、何も言わずにその画面を必に向ける。
そこには『特殊災害発生における緊急要請』との文字が表示されていた。
「お呼びだとよ」
「まぁ、これだけ近ければ当たり前だよね」
はぁ、とため息をこぼし、要は立ち上がる。
やる気を見せた要に満足したのか、必は少しだけ笑みを浮かべると、
「先行くね」
とそれだけを告げ、窓から飛び出した。
三階の高さをものともせず、華麗にコンクリートの地面に着地すると、一気に走り出す。少女とは思えないような速力で道路をかけていると、スクーターに乗った要が横に並んだ。
「の―へる」
要の姿を見て、必は指摘する。要はヘルメットを着けていなかった。もっと言えば、免許すら持っていない。さらにはそのスクーターは彼の持ち物ですらない。
「細かいことは気にすんなよ。走るより速いし、こっちのが楽」
「だめにんげん」
「人間は善悪あわせもってこそ魅力があるもんだ」
「ああ言えばこう言う」
「じゃ、乗らない?」
「乗る!」
とん、と軽い音を立て、常人離れした跳躍力で舞い上がり、華麗に空中で一回転した後、必はスクーターの後部座席に乗り込んだ。
軽いとはいえ、人間大の重量が一気に増したことでスクーターが大きく揺れる。
「お、っと、ほっ」
揺れる車体を上手く制御しながら、要がさらに速度を上げる。
流れていく風景を眺めながら、必は要の腰に強く抱きついた。
「必、道案内して」
「真っ直ぐ行って。あ、そこの大通りを左かな」
必の指示に従い、要がスクーターを操作して目的地への道のりを急ぐ。
次第に爆発音が大きくなり、火柱が近づいてくる。地面から伝わる震動がさらに強くなり、そろそろか、と二人が警戒し始めたところで、眼前の戸建て住宅が爆散した。
急ブレーキをかけたスクーターがかん高い摩擦音を上げながら横滑りして動きを止める。その勢いのまま、スタンドも立てずに二人は飛び出していく。
「来た、虚虜!」
「わーってるよ」
爆散した住宅から巨大な赤黒い腕がのぞく。もがくように振るわれたそれが砂埃をかき分け、次いでその巨体を露わにする。
――虚虜。
あらゆる生態系の概念から外れた、異形の怪物。
いつの頃からか現れ、人を襲い、人の心を喰らうとされる化け物。
「それじゃ、いっちょ働きますか」
「帰ったら一緒にお風呂入ろー」
「嫌です」
巨体の異形を前にしてなお、二人の態度は変わらない。動揺も恐れも無く、日常の一風景の延長戦のようにその脅威を迎え撃つ。
それもそのはずだ。彼らは、そんな異形に唯一抗し得る虚子と、その虚子と心を通わせた同調者と呼ばれる存在である。
「必、あんまり周辺の物を壊さないようにな」
「努力目標だね」
「優先目標な」
おどけてみせる必に対して、要の一言にはやや真剣味を帯びていた。
「来るぞ」
要が腰元から棒状の物体を取り出し、一振りする。その動きに合わせて、棒状のそれは一本の刀に変形する。
黒色に輝く刀身が特徴的なそれを構える要の横で、必は両腕をほぐすようにストレッチしていた。
「俺が動きを止めるから、一気に仕留めろよ。ただし、加減してな」
「任せて」
必の言葉を信用していないのか、うろんげな視線を一度送ると、要は迫る虚虜に意識を切り替えた。動物のように四足歩行で地を蹴立てて迫る虚虜に応じるように飛び出し、紙一重でその突撃を回避してその四肢に刃を合わせてみせる。
一瞬のうち、虚虜の右足にあたる部分が千切れて飛ぶ。
自身の勢いで足を切り裂かれた虚虜は、態勢を崩して地面に倒れこんだ。
「今だ!」
右足を失ったために立ち上がろうとして姿勢を崩す虚虜に対して、必が右手を向ける。必の身体から淡い光がこぼれ出し、それは連続して発光を繰り返し始める。
「さぁ、いくよ」
発光が臨界を迎え、そこに込められた力が一気に解き放たれる。
瞬間、大爆発が巻き起こった。解き放たれた衝撃波と炎が連鎖し、一瞬のうちに虚虜の巨体を包み込み、その身を喰らい尽くす。爆発はそれだけに留まらず、吹き荒れた衝撃波が電柱を破壊し、コンクリートの地面を破壊の渦に吞み込んでいく。地面に埋め込まれた水道管が破裂し、噴き出した水が雨のように周囲へ降り注ぐ。
その様子を見て、要は表情を顰めた。
「おい……だから加減しろって言っただろ」
「てへ」
一瞬のうちに虚虜と呼ばれる怪物を吹き飛ばしてみせた必は、その力に反して、おどけたように舌を出して自身の頭を小突いて見せる。
そんな気の抜けた妹の姿に、要は諦めたように嘆息するのだった。




