第四章 ⑥
必が紫咲たちと合流するしばらく前、要は小型の虚虜に咥えられたまま、地下の大空洞の先にぽっかりと空いてある小さな空間を訪れていた。
意識の無いふりをしたままそこに連れてこられ、目的の場所に辿り着いたことを確信するや、一刀のもとに小型の虚虜を切り伏せる。小型の虚虜は、要が反旗を翻したことに気づく間もなく、頭部の存在核を打ち砕かれ、一瞬のうちに絶命した。
黒刀を握りながら、要は周囲を見渡す。
場所は、最初に蔦の虚虜と戦っていた地下の大空洞から脇に逸れた小さな通り道の先にある空間だ。真っ暗闇だったために先の戦闘では気づかなかったが、その空間の中、まるで樹木で出来た揺り篭のようなものがあり、そこに一人の少女が眠っている。
幼い少女である。
年の頃は十にも満たず、ウェーブがかったショートヘアが良く似合っている。ぴたりと閉じられた瞼の上には長いまつ毛が見えており、整った目鼻立ちには愛嬌があった。
樹木に覆われた少女は、樹木と共生しているように見えた。
まず、間違いないだろう。
彼女こそ本体。かつての陽介の相棒である虚子であり、崩壊を迎えた存在。
(まだ、人の形を保っていたんだな……)
崩壊を迎えた虚子の多くは、人から異形の怪物へと変わる。要はそれを知識として知っているからこそ、蔦の虚虜を陽介の虚子――ひなみと勘違いしたのだが、どうやら彼女はまだ人の形を残しており、これは非常に珍しいことだと言えた。
あるいは、まだ完全には崩壊していないのか。
大空洞で起きた孵化は、あくまで群生型の巨大な虚虜が生まれただけだと解釈できる。崩壊しかけたひなみが群生型の特徴を伴って子を生み出していただけであり、それは彼女が餌を追い求めて小型の虚虜を生み出していたこととなんら違いは無い。
その点で見れば、まだ彼女は崩壊に達していないと見ることも出来る。
(いや、それは希望的観測ってやつか)
自身の考えを、要は即座に否定した。
崩壊を起こしていない――だから救える。
そう、思いたかったのだと、自覚する。無意識のうちに、要はひなみのことを気に入っていたのだ。陽介から聞いた話によると、彼女は陽介の心を喰らわず、最後までその身を守り抜いたらしい。
そこに憧れを抱いた。
心を失った虚子が、それでも残った心の残滓を胸に抱きかかえ、本能に抗い、大切な者を最後まで守り抜こうとした。
その事実に、憧憬の念を抱いた。
小さな身体に宿した大きな意志、想い。
それを無為に散らせることは、自身の憧れへの冒涜なのだと、そんな風に思ってしまった。
要は頭を振る。
自分もまだまだ青臭いと、自嘲する。
(俺は、ヒーローじゃない。あいつみたいに、何でもかんでも守れるなんて、思えないし、思わない。そう、決めただろ)
自分にそう言い聞かせる。
たった一つの取り戻したいもののために、青臭い理想論は捨てたんだ。
全部を守るなんて、土台無理な話だ。何でもかんでも救えるのは、物語のスーパーヒーローか主人公の特権であり、自分はそうでは無い。一番大切な者さえ、守れなかった。だから、もう希望も夢も見ない。たった一つの目的、それだけを叶えられればそれでいいから、それ以外は捨てた。
「まだ生きてた頃のあんたと、話してみたかったよ」
黒刀をひなみに向ける。蔦の虚虜ほど巨体でもない、小さな少女そのものの本体は、一刀のもとに切り伏せられるだろう。
それで終わる。
今頃、必が必死に蔦の虚虜の注意を引いているはずだ。危なくなったら逃げろと言ったが、彼女はそれを守らないだろう。要が本体を倒しにいったと気づけば、蔦の虚虜がこちらに戻ってこないよう、危険を顧みずに戦い続けるはずだ。
時間はかけられない。すぐに終わらせなければ。
刀を上段に構え、自身の迷い事断ち切ろうと要が力を込めたその時、少女の目が開いた。
澄んだ青空を思わせる蒼穹の瞳が、焦点が定まらないのかぼんやりと周囲へ揺れ動く。しばらく口を開いていなかったのように乾いた唇でゆっくりと、少女は最も愛する少年の名を呼んだ。
「ヨウ、くん……?」
「…………っ」
刀を構えた姿勢のまま、要は固まった。固まってしまった。
はっきりと少女――ひなみの口から彼女の元同調者の名を聞いた瞬間、金縛りを受けたように動けなくなってしまった。断ち切ろうとした迷いがぶり返し、馬鹿な考えだけが胸中へ宿る。
この少女は、まだ完全に崩壊していない。まだ、自我を持っている。
虚虜と虚子を区分けするのものがあるとすれば、それは感情の有無だと、要は思う。
感情を追い求めるという一点については両者に大きく差は無いが、持っていない存在が憧れるのと、元々持っていたものを失がったゆえにその喪失感に堪えられずに乞い求めるのとでは、全く意味合いが異なる。
ひなみは、陽介の名を呼んだ。
すがるように、祈るように、求めるように――多分な愛情を込めて、その名前を口にしたのだ。
そこには確かな感情の発露があった。
虚虜が本来持ち得ない、感情の揺らぎを見てしまった。
だからこそ、要は手を止めた。刀を振るうことが出来なくなった。
これが敵であれば、迷いなく切り伏せただろう。自身らに害成す敵を、仮に感情がどうだという理由で手を止めることは無い。
だが、彼女は敵では無かった。崩壊しているがゆえに暴走する虚子であり、要たちと戦いはしても、彼らを狙う外敵では無い。確かに他者を襲う危険な存在ではあったが、それを倒さないといけないと感じるのは義務感であり、要にとってそれはやや薄い。では、センリとの取引のためか。
必を人に戻す。その決意は揺らがない。だが、だからといって人の心の全てを明け渡してその目的のためだけに突き進めるわけでは無い。
多少後ろ暗いこともやるだろう。人に迷惑をかけたことも一度や二度では無い。それでも最後の一線だけは超えてはいけない、とそう思っている。その線引きをどこにするか、明確なものは無いが、それでも要は踏み越えてはいけないラインだけはあると理解している。
いつかまた、妹に出会うため。
大切な妹が戻ってきた時、兄が犯罪者まがいのことまでして自分を救ったと知れば、彼女はきっと思い悩む。
何より大切な宝石を汚す行為を、要は認められない。
その彼の思想からみて、目の前の少女をただ切り捨てる行為は、越えてはいけない一線に等しかった。
まだ戻れる可能性があるのだ。それを手前勝手な都合を押し付けて、見捨てるなど、彼女を汚す行為とどう違う。
虚虜なら切り捨てた。
崩壊した虚子なら切り捨てた。
だが、まだ人を想う心を残した少女は、切り捨てられなかった。
彼女を殺すことは、妹を殺すことと同義だ。
感情と記憶を失ってなお、笑顔を向けてくれる大切な妹が頭に浮かぶ。
虚子と呼ばれる彼女は、それでも生きている。世間の声の中には、虚子を人間視しない者も一定数いるが、要は違う。彼ら彼女らを人として認めている。
(一方的な殺しは……できないよな)
生きているから殺せない――実に当たり前の倫理観に基づいて、要は刀を下ろした。
意識があるなら、対話が成り立つかもしれない。対話が成り立つなら、この悲劇を未然に食い止められるかもしれない。
希望的観測だ。甘えた思想だ。
そう自嘲気味に思いはしても、明確な可能性を提示された以上は無視することは出来なかった。
(ヒーローじゃない。ヒーローにはなれない。けど、特対官として、拾えるなら拾うべきだよな)
すでに過去になった少女に、許しを乞うように語り掛ける。
要は刀を元の柄の形態に戻し、膝を折って、ひなみへと手を伸ばした。こんな時、どんな表情を浮かべればいいか分からない。子供の相手だって得意なわけじゃない。いや、相手は見た目が子供なだけで、虚子であれば要よりも年上の可能性だってあるわけだが、少なくとも弱った相手への接し方を心得ているわけでは無い。
「陽介は、ここにはいない。まだ、自分が分かるか? 自分が何で、どうなってて、これからどうなってしまうか、自覚できてるか?」
無理矢理に引き攣った笑顔を浮かべ、可能な限り優しく語り掛ける。思い出したのは、幼少期に泣いていた妹をあやした時の自分だ。あの時もこんな風に、うろたえながらもなんとか笑顔だけは浮かべて見せたものだ。
記憶にノイズが走る。
思い出そうとするとずきりと痛む。過去の記憶は曖昧で、確かにあったはずなのに像を結ばない。まるで虫食いだらけの一枚絵を見ている気分だ。
要の言葉に、ひなみは顔を苦痛に歪めた。頭が痛むのか、片手で抑え、苦悶の声を上げる。
「ひ、なみは……そう、ひなみはひなみ。ヨウくんの……虚子。う、ぐ……いたっ……痛い……」
抑えきれ無い痛みに苦しみ、ひなみは両手で頭を抱える。記憶を思い出すことに相当な苦痛を感じているようだ。
向かい合う二人の姿は、よく似ていた。
同調者として戦う中で感情と記憶を消費している要と、虚子として生まれ崩壊しかけているひなみは、似た者同士だ。
虫食いだらけの記憶をかき集めようとして、ままならないそれが痛みとなって表れている。
「思い出せる範囲で良い。無理は、するな」
優しく諭すような要の口調に、ひなみは安心するように少し口元を緩めた。痛みが軽くなったのか、手を離し、ようやく焦点を結んだ瞳が要を視界に捉える。
「あ、なたは?」
「俺は……まぁ、なんだ。陽介の知り合いだよ。あんたを――そうだな、救いに来た。陽介の頼みだ」
陽介の言葉を思い返す。彼は言ったのだ。ひなみを救ってくれ、と。
その意図するところはおそらく違っていたのだろうが、彼はそう要に頼んだ。そのことは間違いようも無い事実だ。だから、それをひなみに伝える。
「ヨウ、くんが……。ヨウくん、ヨウくんは、どこ? 会いたい……会いたいよぉ」
途端にひなみの瞳に涙が浮かび、縋るような掠れた声を上げる。感情がまとまっておらず、彼女自身も湧き上がるそれを抑えきれていない。元々、喪失した飢餓感に苛まれている虚子は、残った感情の制御を不得手としている場合が多い。
特に崩壊しかけている今のひなみにとっては、感情を抑えるという理性すらもあってないようなものだろう。
「陽介は……ここにはいないけど、すぐ会える。だから、あんたについて教えて欲しい。自分の今の状況は、分かるか?」
「ヨウくん……会える……ひなみ、の、今の状況……あ、あぁ……あぁぁぁぁぁっ」
再びの問いかけに、ひなみはまたも頭を抑えた。のどを嗄らさんばかりの苦痛の声を上げ、その声に当てられたように樹木の揺り篭が蠢きだす。
まずい――そう直感したが、要は動かなかった。ひなみに手を伸ばし、感情を込めて叫ぶ。
「会えるんだ。だから、堪えろ! あんたはまだ、戻ってこれる!」
「いや……いやだ……失いたくない。なくしたくない。そばにいる、そばにいて……離れないで、ヨウくん!」
「ぐ……っ⁉」
ついに限界を迎えたひなみの力により樹木の揺り篭から伸びた蔦がひなみを覆い尽くす。まるで全てから彼女を守るように、あるいは彼女が全てを拒絶するように、内には向かって深く食い込み、反対に外側に無数の茨を振り向けた。
咄嗟に背後に飛んで茨の一撃を躱しながら、要はなおも叫んだ。
「堪えろ、堪えてくれ! 自分を見失うな!」
だが、届かない。要の言葉は彼女の芯に響くことは無く、返事は異能の一撃でしかなかった。
無数の茨と蔓の鞭が迫り、要は歯噛みしながら黒刀を抜き放った。迫る攻撃を巧みに切り捨て、ひなみの下へと駆ける。もうあまり猶予も無い。崩壊の兆候や段階の進み方について詳しくない要だが、ほとんど直感的にそう悟った。
この機会を逃せば、これ以上の進行を許せば、彼女が戻れる道は断たれてしまう。
「陽介に会いたいんだろ! 大切だから心を喰わなかったんだろ! そんなになってもそばにいてほしかったから、襲わなかったんだろ! だったら諦めるな!」
それはただ、ひなみにかけた言葉では無かったのだろう。
彼自身、自分に言い聞かせる言葉に違いない。
諦めるな、諦めるな、諦めるな――心を失った妹の姿を見るたびに挫折しかけた己の心を克己するために、要は何度も自分に言い聞かせた。
狂気に身を宿して、執念に取りつかれて、挫けそうな己を奮い立たせた。
目の前の少女は、要とは違う。
守り切った側の存在だ。守り切れたその結末が、こんな悲劇であっていいのだろうか。
自分の行く末を見ているようで、心が抉られる。
何もハッピーエンドを目指しているわけでは無い。何かを犠牲に、代償にしないといけないこともあるだろう。だが、自分以外の何かがそんな結末を辿るのは我慢ならない。せめて夢を見せてくれと、希う。
「俺が会わせてやる! あいつだってあんたを想ってる! だから、抗ってくれ。手を、伸ばせっ!」
要の言葉に、樹木で覆われた揺り篭が反応を示した。内側から打ち付けるような音が響き、ぱらぱらと崩れ始める。やがてそれは小さな亀裂へと至り、その先から小さな白い手が伸びた。何かを掴むように、追い求めるように、その手は空を掻き抱く。
手を、伸ばした。
要は目を見開く。ひなみが、救いを、希望を求めて手を伸ばしていた。
その手は要には届かない。だが、彼に向けたものでは無い。きっとその手を握ってほしいのは、彼女のたった一つの珠玉だけだ。
「――任せろ。握らせてやる。あんたのその手を、あの馬鹿の小汚い手に重ねてやるよ」
要は笑う。眼前はすでに樹海のようで、大小無数の茨と蔓と樹木の攻撃が広がる中で、それでも獰猛に笑ってみせた。
ひなみの伸ばした手が、更なる樹木に覆い隠される。それはやがて巨大な一つの異形へと変わり、先ほど戦った蔦の虚虜にも匹敵する巨体へと変わる。
本体が弱いなどと、誰が言ったのか。己の目算の甘さを嗤いながら、それでも要は黒刀を構えた。先の戦いの疲労が消えたわけでは無い。傷も治っていない。
それでも不思議と身体は軽い。心の内側から湧く想いに押されるように、身体は動く。
虚子の力の核は心だ。
同調者は、その虚子から力を得ているが、一方でその虚子に力を与えている役割も担っている。
要の心が震えれば震えるほど、力が全身を満たす。
「少しだけ、我慢してくれ。痛いのも苦しいのも、もう飽き飽きだろうが、あとちょっとだ。――だから、あんたもその間に覚悟決めとけよ。別に全部喰えってわけじゃない。あいつと心を同じにして、共に生きるためのほんのちょっとを、受け入れろよ」
脅威を前にしているとは思えないほどに晴れやかな笑みを一瞬だけ浮かべて、要は駆けだした。同時に異形とかしたひなみが木々で出来た長大な腕を振るう。地面を砕きながら進むその一撃を、要は跳躍して躱すと、その腕を道に見立ててひなみへと迫る。
狙いはただ一点。彼女が眠る揺り篭だ。
崩壊を起こした虚子を救うすべなど要には分からない。だが、心を喰らわないがゆえに崩壊へと近づいたのであれば、心を喰らわせることが出来れば、それを抑え込めるかもしれない。
ただの人間の心では駄目だ。実際、一般人を襲って喰らったひなみは、それでも崩壊を起こしている。だが、同調者であればどうか。虚子は、どんな人間とでも同調できるわけでは無い。心の波長が合う人間、虚子の喪失してしまった心を持つ人間とだけ、心を通わせることが出来る。
ひなみにとってのそれは、陽介だ。
ゆえに彼と再び同調し、その心の一端でも喰らわせることが出来れば、その崩壊を抑制できるかもしれない。それは彼女の想いを踏みにじる行為かもしれないが、そもそも食べてはいけないと思うことが間違いだ。
ひなみの想いを否定するわけでもない。だからこそ、同調者の想いも否定させない。
救ってくれと口にした陽介には、それくらいの覚悟はあるはずだ。
心を捧げてなお、そばにいたいと思えるからこそ、同調者は虚子と同調するのだ。
要が道に見立てた樹木の腕から不意に茨が生える。まるで要の道行を阻むようなそれに、さらに跳躍して対応する。機械的な動きが多かった蔦の虚虜とは違う。おそらく、ひなみの知性の部分が関係しているのだろう。
地面に着地すると同時、下りたその先で蔓が蠢く。どこもかしこもひなみの力によって、彼女の意のままに動く植物で覆われている。初手で戦場を整えられたことが大きく不利となっている。
眼下の植物を切り裂き、次いで横なぎに振るわれた蔓の一撃も切り伏せる。数や種類は豊富で脅威となるが、一本一本の強度は見かけ通りだ。樹木の一撃でなければ、黒刀の鋭い切れ味と敵の攻撃の勢いだけで、要が力を込めずとも対処できる。
足元からは動きを阻害するように無数の蔓が、上下左右からはひなみ本体から伸びた無数の茨が、よりひなみにとって有利な戦場を構築していく。進むことも引くことも許されず、真綿で締めるように着実に逃げ道を塞いでいく。
悪辣な戦い方にはある種関心すらしてしまう。陽介と一緒に特対官の真似事をしていたという話だったし、異能だけでなく戦術面の構築も彼女が担当していたのだろう。
植物の結界とも表現できるそれが構築される前に、要は黒刀を素早く振るって逃げ道を作り出し、一度ひなみから大きく距離を取った。茨や蔓は、ひなみに近づけば近づくほどにその勢いを増していたからだ。
壁際まで後退し、距離を置いて敵の様子を眺め見る。
ひなみのいる揺りかごを中心とした樹木に覆われた巨体。周辺一帯に植物の異能を走らせ、まるで広大な平原のように雑草が生い茂っている。だが、それも蔓の罠を覆い隠すためのカモフラージュだ。足元では絶えず蔓が蠢き、対敵の動きを封じ込めようと窺っている。
足元だけではない。壁や天井のコンクリートが割れ、隙間から無数の蔦や蔓、果てには樹木さえも伸びている。彼女が群生型の虚虜と成りかけていた由来こそ、おそらくその異能にあるのだろう。
植物を成長し、自在に操る力。
表層の現象だけを見て判断すれば、そんなところか。つまり、あの群生型の虚虜も広義の意味で言えば、彼女が使役する植物の一端であったと考えられる。
逃げた要を追いかけるように槍状の枝が射出される。それを回避しながら、要は頭の中で作戦を考える。何も目の前の巨体全てを相手にする必要は無いのだ。
目的は巨体の中心――そこに捕らわれたひなみ。
彼女が力の核となっている以上、それを取り除けばこの攻撃は終わる。問題はそれが至極困難なことだ。当たり前だが、植物の巨体は揺りかごを徹底して守護する動きを見せている。そもそも要を近づけさせようとすらしていない。
(上でやりあった虚虜もそうだったが、防御面が本当に厄介だな)
縦横無尽に鞭のように動き回る蔓、足場に設置された蔦、攻撃したいスタイルに変形可能な樹木や木の枝、何より堅牢な植物という特性。一撃必殺の火力については後塵を拝するだろうが、防御についてはやはりトップクラスだ。
火力が足りない。
絶望的なまでに手数が足りていない。黒刀一本と同調者の身体能力だけでは、出来ることに限界がある。
(まぁ、無いものねだりだ。必は上に置いてきた。俺の力でやるしかない――)
必がいてくれれば、と思わないわけでも無いが、その必とて、要のために蔦の虚虜の注意を引いていることだろう。
今ある武器で出来る最善を行い、最短距離でひなみを救う。
それを実現できなければ、要も必も、ひなみも共倒れだ。
横合いから殴りかかってきた蔓の一撃を紙一重で躱し、勢いよく通り過ぎるそれを空いた手で掴んだ。そのまま、引き上げられる魚のように要の身体が蔓の動きに合わせて宙を舞う。
蔓の勢いを利用した要は、壁面に着地するや、走り出した。一種異様な光景だが、滞空時間と同調者の身体能力を利用して壁を走る。そこへ目掛けて放たれた複数の蔓の一撃を躱し、さらに足場へと変え、時折切り裂いて障害物を取り除きながら前進する。
見る者が視れば、その異常な戦い方に驚愕したことだろう。
もはや数えるのも億劫なほどの無数の攻撃を前に、要は臆するどころか立ち向かい、あまつさえ着実に一歩ずつ進んでいる。高速で振るわれるひなみの攻撃に対して、要の行動選択が的確過ぎてまるで一人だけスローモーションで動いているような不自然さがある。
最後の攻撃を掻い潜り、ついに要が揺りかごにたどり着いた。
足場にした蔓から大きく跳躍し、揺りかごを支える樹木に黒刀を突きたてて足場に変える。すぐに揺りかごが防御反応を示すが、それよりも早く、要は固く握った拳を揺りかごに叩きつけた。
轟音が鳴り響く。
同調者の腕力を全開に叩きつけた一撃は、堅牢な揺りかごの表面を打ち崩した。
パラパラと樹皮が削れ、ヒビが入る。蠢いていた揺りかごが勢いを失くし、代わりにその周囲で茨が発生して要に襲い掛かる。だが、要はそれを無視した。構ってはいられない。再度、距離を取って近づけるとは限らない。千載一遇のチャンスなのだ。
茨が身体を縛るように絡まり、蔓の一撃が背中に叩きつけられる。激しい痛みと衝撃に肺から空気が漏れ出るが、要はそれら一切の苦痛を無視した。
再び、拳を固め、揺りかごを殴る。二度、三度、四度――揺りかごの示す防御反応によって身体に無数の傷を刻みながら、致命傷だけは避けて、要は最後の一撃を叩きつけた。
揺りかごが割れ、泣き続ける少女の姿が見えた。
膝を抱え、赤子のように身体を丸めて、瞼を閉じて大切な者の名を呼ぶ女の子がそこにいた。
「ヨウくん……ヨウくん……っ」
手を伸ばす。
ひなみを助け出そうと要が手を伸ばした時、その身体が崩れた。
度重なる戦闘と裂傷、疲労が一気に押し寄せ、視界が暗転した。足元がふらつき、堪える間もなく身体が落ちていく。
(く、そ……こんなところで)
あと少しで救い出せた。その手を掴んでやることが出来た。
あと少し、あと少しで――届かなかった。
かつての光景がフラッシュくバックする。
あの時も要は手を伸ばした。助けようと手を伸ばしていた。
あと少しだった。ほんの少しだった。
だが、伸ばした手は届かず、ただ空しく空を切った。
彼の珠玉は奪われ、その残滓だけが残った。
あの時から要は、何も掴めていない。その手は虚しく空を切るばかりだ。
「ふ、ざけんな」
不甲斐ない己に悪態をつきながら、要は落ちる。落下する先には、まるで狙ったように木で出来た剣山が広がっていた。
何とか反応しようと右手で黒刀の柄を探すが、それは足場にするために刺したままだと思い出す。
対処できない。銃弾すら致命傷足りえない同調者の身体だが、異能で作られた剣山に銃弾以下の威力を期待することは難しいだろう。まず間違いなく、落下の勢いのまま刺し貫かれる未来が見える。
何とか身体を丸め、急所を庇う姿勢を取る。命を繋ぐにはそれしかない。
死ぬわけにはいかない。まだ何も成していない。
何より大切な妹を、取り戻していないのだ。
「さ、だめ」
無意識のうちに零れたのは、彼にとっての珠玉の名前だった。
愛おしさと、それに匹敵するほどの悲哀をもって呟かれたその声は、誰にも届かず、虚しく空に溶けるはずだった。
少なくとも要は、そう思っていた。
だが、そんな彼の声に、答えは返ってきた。
「呼んだ?」
横合いから軽やかな声が聞こえる。
轟音を響かせ、突撃するように現れた必が、空中で落下する要を掴んで一気にその場を離脱した。すんでのところで難を逃れた要は、突然の事態に多少、目を白黒させながら、現状をすぐに理解する。
「お前、どうしてここに?」
「紫咲ちゃんが教えてくれたの。要がここにいるって。今日は地下で再会してばっかだね」
軽口を叩き、必は小さく笑う。思わず、要も笑ってしまった。
確かにそうだ。地下で何かと戦っていると、必が爆発と共に現れる。今日はそんなことばかりだ。
爆発の勢いを利用し、空中で方向転換した必が、この空間の入り口となる通路に着地する。そこには、不安げな面持ちで巨大な樹木を見上げる陽介が立っていた。
「お前も、来たのか」
まさかいるとは思っていなかったので、再び要は驚いてしまう。だが、少しだけ見直した。要に逃げろと言われて逃げ出した男、目の前で自身の虚子を崩壊させてしまった男が、自分の足で戻ってきた。
ただ、物見遊山で来たわけでは無いだろう。ただ、後悔だけを胸に来たわけでは無いだろう。ただ、贖罪のためだけに来たわけでは無いだろう。
「アニキ、俺は……やっぱり、俺は……ひなみを……」
「おい、チンピラ。見ろ」
何かを言いかけた陽介の頭を無造作に掴み、要は揺りかごの方に向けさせる。先ほど、要が拳でこじ開けた箇所だ。まだ修復が間に合っていないのか、そこには眠ったように身を丸くした少女の姿が見える。
「ひなみ⁉」
「いいか、覚悟を決めろ。あの子と一緒にいる覚悟を。お前の心を捧げる覚悟を。その果てにお前の大事なものが少しずつ失われていく。けど、それと同じくらい大事なものがお前には出来る。それを握って、抱えて、守りきる覚悟を、決めろ。腹をくくれ」
陽介が生唾を飲み込んだ。告げられた一言は、今、目の前でぼろぼろになりながらも戦っていた要の言葉だからこそ、重い。一時の後悔や悔恨の念だけでは、気軽に頷けない重みを持っている。
この先、一生、一人の虚子と向き合う覚悟。
心を捧げ、想いを交わし、共に在るとそう誓う意思。
その果てに廃人へと至るかもしれない。心を喰らいつくされ、自身が誰かも分からないままその生を終えるかもしれない。
そんな未来を想像してなお、それでもあの少女を二度と手放さないと誓えるかと、要は問うている。自身よりも強く、真摯に欠けた心を追い求める彼女らと向き合い続けた先達が、彼の言葉を待っている。
答えろ――声にならないその問いかけに、陽介は強く頷いた。
「俺は……ひなみを救いたい。まだ、一緒にやりたいことも、一緒に見たい景色も、たくさんあるんだ。こんなところで、手放さない。そのためなら、俺の心くらい、いくらでもくれてやる」
要は笑った。それはいつもの斜に構えたようなものではなく、陽介を心から認めた賛辞の笑みだった。
「よく言った。じゃあ、その覚悟を見せてみろ。行け、陽介ッ!」
「は、え……ちょっ!」
要が思いっきり陽介の背中を押す。駆けろと、彼女の手を握って見せろと、言外に告げる。
押し出された陽介は、焦った声を上げながらも、要の意思をくみ取り、振り返らなかった。虚子との同調を解かれている今、彼の身体能力は人となんら変わらない。多少は運動神経が高い方というだけで、暴走する虚子が作り出す戦場に出ていける要素は何一つとして持っていない。
怖いはずだ。足が震え、今にも止まりそうになるほどに。
だが、陽介は走り出す。必死に両手足を振り、想い続けた少女の作り出した草花に溢れた平原を駆け抜け、精一杯の力で手を伸ばす。
『――相剋』
もちろん、要たちはただ陽介を向かわせたわけでは無い。
要と必が手を重ね、お互いの想いを一つにする。二人の身体は溶け合い、白銀が舞う。
すでに見境が無くなっているのだろう。迫る陽介を脅威と認定したのか、無数の蔦が襲い掛かる。だが、陽介は足を止めない。止めたら二度と走り出せないと思っているのだろう。だから必死に走り続ける。
その姿が、要には眩しく映った。
「走れ、走り続けろ。外野は俺たちが黙らせてやる」
心の中から何かが失われていく感覚がある。
大切な想いか、大切な記憶か。判然としないそれは、失った後は気に掛けることもできない。何を失ったのかさえ、自分では分からない。それでも要はそれを捧げる。
捧げて、彼女の力へと変える。
「必!」
「いっくよーっ!」
無数の蔦が陽介を襲おうとしたその刹那、圧巻の冷気が吹き荒れた。一瞬のうちに蔦だけが凍り付き、遅れて自重でぼろぼろと崩れ始める。
自身のすぐ横で起きたその事象を、陽介は見てすらいなかった。それだけの余裕も無く、ただ必死に眼前で眠る少女だけを捉え続ける。
自身よりも遥かに高い位置にある揺りかご。距離も高さも足りない。けど、関係ない。手を伸ばす。
陽介の足元で光が煌めき、それは一陣の冷風と共に道を作り上げた。氷で彩られたその道は、ただ一直線にひなみのもとへと伸びている。
「アニキッ!」
「足を止めるな! 手を、掴んでやれ!」
感謝の気持ちで振り返ろうとした陽介を、要の叱責が飛ぶ。それを受けて、陽介は振り返ることなく、真っすぐに氷の道を突き進む。
突如、空間を大音響が埋め尽くした。
ひなみのいる場所からすぐ近くの天井が崩落し、巨大な何かが落ちてくる。それは、要たちと死闘を繰り広げた蔦の虚虜だった。本体の危機を察知し、最優先で向かってきたのだろう。
蔦の虚虜の身体には、無数の血液の網が巻き付いている。だが、拘束するには力が足りないのか、すぐさま引き千切られた。
蔦の虚虜とあわせて、共に降りてくる者が一人。血の鎧を纏ったその姿は、白滝と紫咲が相克した姿だった。
「お前はいい加減――」
「――しつこいよ!」
蔦の虚虜が着地と共に血騎士を振り払い、ひなみに迫る陽介へと茨の生えた手を伸ばす。そんなもので掴まれれば、陽介はひとたまりも無いだろう。
要たちはさらに力を手繰り、解放する。そのたびに要の心から何かが欠け落ちていく感覚に襲われるが、それら一切を無視した。無制限に力を解放し、心を代償に強大な力へと変換する。
爆音と火柱が蔦の虚虜の足元から吹き上がり、その一撃によって蔦の虚虜の態勢が崩れる。陽介を掴もうと伸ばした手は空を切り、その間にも陽介はひなみへと距離を詰める。
「白滝、ぼさっとすんな‼ うちらも本気でやるで!」
「ああ!」
地面に倒れていた血騎士が立ち上がり、自身に喝を入れるように大声で叫び、血の異能を解放する。無数の枝分かれした血液が巨大な鎌を複数、形作られ、彼らの意思に従い、大上段から蔦の虚虜の身体を裁断する。
そこへ留めたばかりに、要は爆発を叩きつけた。遠隔で光の粒子を解き放ち、先に倍する爆発でもって蔦の虚虜を存在核ごと消し炭へと変える。
吹き荒れる爆風は凄まじく、ともすれば陽介に危険が迫りかねないほどの大威力だったが、要は見る。
陽介は、それら一切を気にせず、転がって身体を打ちながらも立ち上がり、ひなみのもとへ向かっていた。決して足は止めず、身に迫る危険すら無視して、ただ手を伸ばしている。
「そのまま行け」
呟き、断熱膨張による冷気を空間全体へと発生させる。視界がブラックアウトするほどの力の消費を感じるが、要はそれを意志の力ではねつけた。
力を手繰り、制御する。そこに必も協力する。
二人の力は周囲一帯の草花や茨、樹木のみを対象に氷結させた。
氷の華が咲き誇る。まるでバージンロードのように氷で作られた道を走る陽介と、その先で待つひなみを祝福するようで、その場にいた誰もがその行く末を見守っていた。




