第四章 ⑤
要と別れた必は、その指示のとおり、蔦の虚虜の注意を引くことに注力していた。
絶えず続く金属塊の射出。
音速を越えて放たれたその一撃は、巨大な質量が空気摩擦によってプラズマを発生させ、着弾地点にクレーターと高温の溶解痕を残していく。
受ければまさに必殺の一撃。仮に強固な虚子の身体といえど、無事では済まないだろうことは想像に難なく、ゆえに必はひたすら逃げることに徹する。幸い、蔦の虚子は、本能的に目的合理的に行動することが顕著にみられるが、戦略立てて攻撃を企てているわけでは無い。必の誘いに応じるままに攻撃し、その応酬が何十回と続いていても、同じ攻撃を繰り返すのみだ。
いや、正確に言えば、その攻撃パターンは少しずつ変わってきてはいる。必の動きに合わせた微修正を、本能的に加えているのだ。だが、人間のように数度の失敗で攻撃方法を再検討し、試験的な試みを繰り返す、といったような戦術立てた手探りな行動は見られない。
そのため、その戦いは形だけは拮抗しているように見えた。
姿を晒して攻撃を誘い逃げに徹する必と、その必に金属塊を撃ち込む蔦の虚虜。
両者の戦いは、必が攻勢に転じないことで膠着状態に陥っていた。
もう何度目になるか分からない金属塊が放たれ、必はこれを異能による爆発で空を駆けて回避する。金属塊は建造物に激突し、その一撃が崩落の引き金となる。地鳴りは絶えずレイロンに響き渡り、彼女らが戦う一帯からはすっかり人気が消えていた。
周囲への影響など気にする余裕も無いために意識していなかった必だが、感覚としてすでにこの場所には自分たちしかいないことを察する。
(要も、どこか行っちゃった)
足元で爆発を起こし、爆風を利用して高速移動に徹しながら、気配の消えた兄の姿を思い浮かべる。何やら考えがあるようで、急に相剋を解いて必に蔦の虚虜の相手を任せて、そのまま消えてしまった。
だが、蔦の虚虜の攻撃を避けながら考える時間も多分にあったため、要が何を狙っているのかも想像できた。
兄は、おそらく自分を囮にした。
相剋を解く直前に気配のあった小型の虚虜。あれらは、要たちを捜す偵察兵であると同時に、餌を運ぶ働きアリの役割も担っている。そんな状態で相剋を解かれた、同調者とはいえただの人間が見つかれば、どうなるか。
小型の虚虜は、要を餌と判断して、彼らの本体に持ち帰ったことだろう。
つまり、要は直接、本体を叩きに行っているのだ。
その小型の虚虜が蔦の虚虜に要を連れてこなかったことを考えれば、それは確信に近く、また必の予想である他に本体がいるという考察も当たっていたことになる。
厄介な虚虜である。
ただでさえ強力な蔦の虚虜に加え、群生型の特徴を生かして周囲の人間を個別に襲い、それを餌にして力を回復して、より強大な力を振るう。本体はどこかに身を潜めることで一撃で弱点を叩かれることを避けている。
必が思い出す中でも、五指に数えられる脅威の存在と言えるだろう。
だが、その性質さえ分かれば、逆にそれを利用することが容易いこともまた事実だ。群生型の特徴は、力の配分次第で本体が極端に脆弱になるという弱点が挙げられる。
例えばこの蔦の虚虜でいえば、比重はおそらくこの目の前で金属塊を振るう巨体の虚虜が最も大きい。群生型として小型の虚虜も大量に生み出している。
この蔦の虚虜の本体――ひなみは、おそらく最もか弱い姿でどこかに潜んでいる。
脆弱な虚虜であれば、要一人でもなんとかできると必は確信する。
一撃必殺の火力を必要としない戦いにおいて、要が後れを取る姿は想像できなかった。
(危なくなったら逃げろって言われてるけど……こっちが本体を助けに行ったら元も子もないよね)
要の心配は無い。それよりも目の前の蔦の虚虜が、本体へ助力しに行く方が危険だ。
だからこそ、要がいなくなったあとも必は注意を引き、戦いに徹していた。
相剋状態ですらその防御を突破しきれなかった相手だ。必単体で撃破することは難しいだろう。おまけに本体から力を得ていることを考えれば、撃破することが意味を成すとも思えない。
必がやっているのは、時間稼ぎだった。
「く……っ」
しばらく同じ戦法を繰り返していた蔦の虚虜が、ついに違う手に移った。一発ずつ放っていた金属塊の間隔を速めたのだ。どうやら、鞭のように振るう際に生まれた反動を利用して、遠心力も乗せて即座に二撃目を放っているようだ。
必が金属塊を回避して移動した箇所へ目掛けて、追い打ちの一撃が迫る。だが、まだ視認できる範囲であれば、反応は間に合う。
爆発を繰り返し、高速で放たれる金属塊を避け続ける。
打ち出されてしまえば一瞬のうちに迫ってくる以上、打ち出す際の蔦の虚虜の蔓の動きへ意識を向ける。まだ、必の進行方向を予測して攻撃するような動きは見せていない。タイミングを見て動き続ければ、当たることはほとんど無いと言っていい。
憂慮すべきは、蔦の虚虜がついに戦法を変えてきたということだ。本能に基づいて目的合理的に行動する虚虜が、時間をかけて必を打破するために適合してきている。人のように考えのもとに最適解を導き、選ぶのとは訳が違う。虚虜は、一足飛びで戦い方を変えない反面、それが切り替わるということは、逆説的には必の戦い方に適合してきていることを表している。
いずれは捉えられる。そう時間も無いかもしれない。
タイムリミットは迫りつつある。このまま逃げに徹して要が本体を討つまで、必は生き残り続けられるのか。あるいは逃げることを止め、勝ち筋を見出した行動を選ぶ必要があるかもしれない。
必には、その選択肢は少し難しかった。
明確なゴールがあればそこに向かって走ればいい。だが、二種のゴールを提示されると惑う。
何故なら彼女には、選択するだけの感情の発露が希薄だからだ。
極端に言えば、どちらでもよく、どうなってもいい。
生物由来の死への恐怖はある。身を寄せる同調者――兄の役に立ちたいという意識も同じく。だが、それはあくまで等価であり彼女にとって差は無く、いずれも等しく吹けば飛ぶようなかすかな灯だ。意識していなければ、しまいに忘れてしまいそうになるほどに朧気で――言うなればただそれだけが怖い。
(そう、わたしはこれだけを手放したくない。もう失いたくないっていう、ただそれだけの想いが、唯一残ったものだから)
それは行動決めるには意志薄弱であり、感情としてはいささか弱い。
起爆剤が無いのに爆発が爆破しないのと同じように、感情の起点が無ければ意思決定は困難だ。
決められない。
ゆえに繰り返す。このままではいずれ詰むと分かっていながら、怠惰な回避行動だけをひたすらに繰り返す。指示されたことだけを続ける。
「ぐっ!」
ついに金属塊が必を掠めた。回避しきれず、金属塊の生み出す衝撃波に巻き込まれ、きりもみしながら必は地面に落ちた。激しく砕けたコンクリートに叩きつけられ、ごろごろと地面を転がる。
全身が痛み、骨を痛めたのか鈍い感覚が広がっていく。だが、のんびりと寝てもいられない。これだけの好機を、敵が見逃すはずも無い。
攻撃を確認している暇は無い。必は全霊の爆発を解き放ち、自身を巻き込む形で吹き飛んだ。それでようやく、追撃の金属塊を回避することに成功する。
全身に裂傷が走り、戦いに続く戦いでお気に入りのパーカーはズタボロだ。すでに引っかけているに近い状態であり、内に来ていた青地のインナーもところどころ焼け焦げていた。
唯一、無事といえば、必の履いている靴くらいだ。彼女の異能の特性にあわせて、空中移動時の爆風に堪えれるように設計された特注品である。それ以外は無残なものだ。
「また、要に買ってもらわないと……」
周囲を見回し、自身の転がり込んだ場所を確認する。戦いの中で蔦の虚虜が金属塊によって開けたクレーターの一つのようだ。ちょうど必の身体がすっぽりと収まるような広さになっており、その姿を蔦の虚虜から隠していた。
少しだけ顔を出し、蔦の虚虜の様子を窺う。目標を見失った蔦の虚虜は、またもや小型の虚虜を生み出し、偵察のために周囲へ向かわせている。
やはり、繰り返しの戦法を続けている。小型の虚虜の向かった方向は、運良く必のいる場所とは異なっていた。
身を潜め、息を整える。肉体的な傷と疲労がそろそろ無視できなくなってきている。そもそも蔦の虚虜と戦う前に紫咲という名前の虚子と戦い、その後に相剋状態の同調者とも相対していたのだ。
蔦の虚虜と相剋して戦っていた要も相当な疲労状態にあったが、必も同様にぼろぼろの状態だ。連戦による疲労に足が小刻みに震えている。
のんびりと回復に時間はかけられない。必に興味を失くせば、蔦の虚虜は次の行動に移るだろう。考えられる行動の中で、本体の支援に回る行動を取られれば要が危ない。
最低限の回復だけを済ませ、必は立ち上がった。同時に全身から異能の光を解き放ち、周囲の温度を急速に低下させる。
温度変化により水蒸気が生まれる。限定的な空間において霧のように立ち込めたそれが、必の姿を覆い隠した。
(どこまで出来るか分からないけど、直接触れて、凍らせる)
爆発では火力が足りない。そうなると、取り得る手はもう一つしかない。
直接、蔦の虚虜に触れ、その身を凍らせる。必の異能は触れた方が制御が容易だ。遠隔で力の種を光の形で巻き、異能を扱うことも可能だが、あれだけの巨体である。触れた方が確実だ。
白煙の中に身を隠しながら、必は進む。蔦の虚虜に違和感を感じとる能力があるのかは不明だが、今のところは注視されていない。問題なのは、必から見ても視界が悪いということだ。必の姿がばれ、金属塊を投げられても避けられるかどうかは怪しかった。
蔦の虚虜は、突如として発生した霧を警戒していない。知性で状況を見ないその存在は、違和感の有無には頓着せず、ただその危険性に反応する。ある一帯が部分的に視界不良になろうとも、そのことに意味を見出さない。
虚虜の特性を正しく把握しているからこその必の作戦は、多少の危険はあれど、上手くいったと言える。だが、霧が虚虜に触れないぎりぎりの範囲に近づくまでが精一杯だ。自身に触れる違和感にまで無視を決め込むほど、虚虜は物事に無頓着ではない。
接近可能なギリギリの範囲を見極め、必はそこで溜めていた力を一気に解き放った。
周囲一帯に氷結の力が溢れ出す。相剋状態ほどの威力では無いが、極近距離で放たれた冷気は、地面から霜柱を発生させ、蔦の虚虜から伸びる蔓の一群を凍り付かせた。
ほんのわずか、蔦の虚虜の動きが鈍る。通常であれば呼吸の一拍程度のわずかなそれだが、必はその一瞬を突く。
白煙が爆発によって振り払われ、爆風を受けた必が一息で蔦の虚虜に肉薄した。それとほぼ同時、強引に氷を打ち崩して蔦の虚虜が反応を見せるが、その時にはすでに必は蔦の虚虜の懐に飛び込み、その身体に触れている。
「――氷姿雪魄」
必は、異能の制御を不得手としているため、自身の異能を基本的な使い方でしか扱わない。断熱圧縮と断熱膨張、それを利用した温度変化である。だが、全くそれだけしか使えないというわけでは無い。
力の感覚とリズムを文言に乗せて身体に覚えこませ、無意識レベルで力を振るう術もある程度は身に着けている。
要との訓練の末に身に着けた力の一つがそれである。
蔦の虚虜に触れた必の右手が淡い光を解き放ち、それは瞬く間に蔦の虚虜の全身を覆いつくした。その体表面を覆う水分を的確に捉え、凍り付かせる。
蔦の虚虜の身体に樹氷が広がる。
瞬きの間も無く、攻撃に移ろうとした蔦の虚虜が鈍る。そのまま、蔦の虚虜のみが全身を雪花に覆われ、まるで一つの芸術作品のように、巨大な氷の華が咲いた。
自身で作り上げた氷の彫像を無感動に一瞥し、必は白い息を吐いた。初夏にもかかわらず、必の周囲だけはまるで雪原のような冷気に包まれている。訓練によって培った技――異能のロスを極端に抑えて対象のみを凍り付かせる妙技とはいえ、やはりまだ完全には制御し切れていなかったらしい。冷気は周囲へと広がり、まるで極寒のような寒さだ。
必の身体が生理反応でぶるりと震える。いくら高い身体能力を持つ虚子とはいえ、温度差で感じる暑さ寒さは人並みのそれだ。度重なる戦闘で衣類はぼろぼろで、冷気が肌に刺さるようであった。
「とりあえず……少しは時間を稼げそう、かな――」
どこかで本体と向かい合っているだろう要を思い、必はほんのわずかに安堵した。
その瞬間、氷が砕けた。
必の目が見開かれ、その姿が横合いから叩きつけられた蔓の一撃で吹き飛んだ。
防御すら間に合わず、宙を舞いながら、必は見る。
コンクリートの地面の隙間から、蔓が伸びていた。蔦の虚虜の身体は段階的に氷が割れていくようでまだ完全には拘束から解かれていない。だが、氷の拘束から逃れたのだろう一部の蔓は健在のまま、それに気づかずに必は殴られた。
油断していた。そもそも植物のような特性を持った虚虜だ。そうは見えずとも地面に根を張り、自身の一部を張り巡らせていたことなど、想像してしかるべきだった。
(要なら、こんな油断は……しなかったんだろうなぁ)
宙を舞いながら、必の口から血がこぼれる。全く無防備な状態からの一撃は、虚子の強固な肉体すらも大きく損傷させていた。骨のいくつかは砕け、内臓も痛めたことだろう。
時間がゆっくり流れるように、必の身体が地面に落ちていく。そこへ目掛けて、地面から溢れ出してきた無数の蔓が襲い掛かった。蔓には、威力を高めるためか、無数の茨が飛び出している。
あの一撃は不味い。態勢も整っていない状況で受ければ、致命傷は避けられない。
そうは分かっていながら、必の身体は疲労と激痛で動いてくれなかった。酸素を求めて空気を吸うので精一杯で、異能どころから指一歩動かすことも難しい。
死ぬ――。
無感動に必はそれを感じていた。
恐怖はある。だが、あまりに希薄だ。生物として本能から死への恐れを十全に感じているにもかかわらず、それはどこか遠い出来事かのようで――彼女の中で数少ない強烈な欠落への恐怖に比べれば、あって無いに等しい。
自分の命は、失うものの中には含まれないのだと、必は唯一機能している頭を使って、ぼんやりと考えていた。
スローモーションのように光景が流れていく。
蔓の茨が迫り来る。
ゆっくりと、ゆったりと、まるで嘘のような緩やかさで、自身の死が迫る。
(ごめん、要)
最後に思い浮かんだのは、彼女にとって最も失いたくない存在――兄の姿だった。
――血飛沫が舞う。
必の視界を大量の血液が覆いつくす。だが、それは彼女から流れ出たものではない。
「なんや死にかけかい。お前一人やと、ほんまに豚以下やな」
濃藍色の髪が揺れ、振るわれた血鎌の一撃が必を襲う無数の蔓を一刀のもとに切り伏せた。それだけではない。まるで壁を張るように視界一杯に大量の血液が溢れ、棘のように姿を変え、氷から解き放たれて絶叫を上げる蔦の虚虜の身体に突き刺さる。
遅れて、必の身体が地面に到達した。痛めた骨に響く激痛に悶絶しながら、必は見る。
彼女を庇うように立つ、濃藍色の髪を持つ少女の姿を。
紫咲と言う名の虚子は、先ほどまで敵対していた必を守るように血鎌を構え、眼前で咆哮する蔦の虚虜に獰猛な笑みを向けていた。
「大人しうそこで寝とき。同調者のいない虚子なんざ足手まといや」
侮蔑を込めた態度の悪さは相変わらず。だが、その実力を戦いの中で知っているからこそ、必にはその背中が頼もしく見える。
次いで足音が響く。何とか必が振り返れば、そこには紫咲の同調者である白滝と、苦しそうな表情を浮かべる陽介がいる。
「きみ、彼はどうした? 何故、一人で戦っている」
白滝が近づき、必を抱え起こす。そんな悠長に問いかけている場合では無かったが、蔦の虚虜の注意は紫咲が引いていた。氷の拘束から完全に解放された蔦の虚虜の放つ一撃を、その挙動よりも早い血の刃が切り裂いて止める。
「要は……あの虚虜の本体を、捜しに行ったよ」
「本体?」
「あの虚虜は、群生型だから……たぶん、本体は別にいる。だから、いくら戦っても意味が無い」
細かい説明は省き、必は端的に事情を告げる。話を聞いた白滝は、紫咲と対峙する虚虜から生まれ出てきた小型の虚虜を一瞥し、得心が言ったようだった。
「きみをおいて、同調者が一人で?」
「あれだけの虚虜を生み出しているから、たぶん本体自体の力は大したことは無いって判断したんだと思う」
「はん、なるほどな。作戦自体は悪くないが、お前が弱すぎてあてが外れたって感じか」
蔦の虚虜の攻撃は、鞭のようなしなりを利用した高火力に依存している。それを紫咲は、的確に攻撃の出だしから崩して防ぐ。言うが易しだ。実際は、高速で振るわれる蔓の挙動を的確に見定め、瞬間的に研ぎ澄ました血の刃を放って遠隔で崩しており、そんな状況で片手間のように話しに割り込む姿は驚異の一言に尽きる。
「むっ……会った時からずっと、紫咲ちゃんはそういうことばっかり言うよね?」
「む、むらさき、ちゃぁん? きっっっっっっっしょ⁉ 寒いわ!」
おおお、と全身を掻き抱いて身震いする紫咲。多くの感情を欠落している必でも少しイラっとするような嫌がりようである。
「あ、アネキ、本体って……ひなみはあそこにいるわけじゃないってことっすか?」
指さしながら言う陽介に、必は無言で頷いた。陽介が少し安堵したような表情を浮かべる。
別に本体があの虚虜で無いからとはいえ、あの虚虜もひなみという元虚子の力の一部には変わりないわけだが、陽介からしてみれば、かつての相棒があんな化け物に姿を変えたという事実には、やはり堪えるものがあったのだろう。
「だったら、俺は……俺、ひなみのところにいかないと。アネキ、アニキはどこに行ったんすか⁉」
未だ立ち上がることもままならない必に詰め寄り、陽介は必死の形相で尋ねる。
「それは……」
答えを持たない必は、言い淀んだ。要がどこに行ったかなど、知るはずも無い。
そんな彼女に代わり、答えたのは紫咲だった。
「あの虚虜が元々いた地下やな。うちの力で追跡できとるわ」
そう言えば、紫咲の血の異能は、採取した血液から対象の追跡が可能だったな、と必は思い出した。爆発や冷気を生み出すなどの戦闘特化の必の力とは異なり、姿形も自在の便利な力である。
「あそこに、まだひなみが……!」
陽介の視線が、地下に向けて空いた大穴へと向く。それは、相剋状態の要が崩落させた場所だ。
「ふん、はよ行けや。お前なんぞおっても足手まといやし、ついでにそこの豚女も連れていけ。邪魔や」
「だから、豚女って――」
「あー、うるさいうるさい。ぴーぴー騒ぐな癪に障る」
抗議の声を上げる必の言葉を遮り、紫咲は空いた手で首元を掻きむしった。動脈が切り裂かれたことで大量の血液が舞い散り、それが空中で固定される。空中に浮いた血液は、陽介と必の身体に触手のように巻き付き、あろうことかその身体を地下に向いた大穴へ向けて放り投げた。
「は?」
「え?」
呆けた声を上げる二人に向けて、初めて紫咲が見た目相応の楽しそうな笑みを浮かべた。
「ばいばい、お二人さん。まぁ気張れや」
二人の身体が地下の闇へと呑まれていく。重力に惹かれて落下を開始する最中、急な事態に驚いた二人の声が響いた。
突如として地下に放り込まれた必は、痛む身体に鞭を打ち、咄嗟に陽介の身体を掴むと、地面に向かって小刻みな爆発を放って落下の威力を殺す。数度、爆発を起こしたことでなんとか落下の勢いを緩めた必は、そのまま転がるようにして地下に降り立った。
お互いに不格好な態勢で停止し、何とか立ち上がる。
空いた大穴から差し込む陽光が差し込んだ先は、先と比べて明るく、様子が一望できる。だが、蔦の虚虜の本体らしき存在は見受けられなかった。
(ここじゃない?)
疑問を覚える必の視界に、一緒に落ちてきたらしい、血液が映る。血液は、まるで道を示すように矢印の形となり、ある方向を向いていた。どうやら、そこに向かって行けとあの少女が指示を出してくれているようだ。
意外に面倒見がいい。
内心で紫咲をそう評価しながら、必は隣に立つ陽介と視線を交わし、頷き合う。
この先に、要と――ひなみがいる。
お互いにお互いの大切な存在の下へ向かって、二人は歩き出した。




