第四章 ④
鳴り響く轟音と地鳴りのような揺れ。
部屋全体がビリビリと震えるようで、わずかな感覚を置いて続くその現象に、センリは険しい表情を浮かべていた。隣では陽彩も同じように珍しく真剣な眼差しを浮かべており、窓からそっと外の様子を眺めている。
先ほどは異常な突風が吹き、季節にありがちなゲリラ豪雨が降り注いだ。それからしばらくしての、今のこの現象だ。
このレイロンで何かが起きている。それもこのセンリの住まいであるPREDICTIONからそう遠くない場所で、尋常ならざる事態が起きていると考えていいだろう。
思い当たるものといえば、やはり一つしか無い。
センリの頭にかつての光景が浮かぶ。
およそ六年前、このレイロンを含めた周辺地域を襲った大規模な災害。虚虜による大侵攻。
建物が、木々が、人が、崩れ、燃え、死んでいった。
あの時も、どこか遠くで爆発や轟音が鳴り響き、何度も不規則に地面が揺れ、その度に街のあちこちに傷跡を残したものだ。
虚虜による被害、あるいは虚虜との戦闘による二次被害。それが今、このレイロンに起こっている異常な現象の正体と思われる。
しばらく様子を見守っていた陽彩が、弾かれたように窓枠に手を伸ばした。建付けの悪くなったそれを強引に押し開き、外に飛び出そうとベランダに飛び出して桟に手を伸ばす。
突然のその行動を、センリは何とか引き留めた。陽彩の服の裾を思いっきり掴む。
「陽彩、なにしてるの!」
「あいつが――アセナが現れたかもしれない!」
咄嗟に飛び出した陽彩の言葉に、センリの身体が無意識に震えだす。陽彩を止める手から力が抜けかけ、慌てて力を入れ直した。今、ここで手を離せば、陽彩はセンリの静止を振り切って外に飛び出して行ってしまうだろう。その後の結果など、想像したくもない。
「まだ確定したわけじゃないでしょう! 落ち着いて!」
「落ち着けるわけない! 分かるでしょ、センちゃんなら!」
怒声を上げて振り返る陽彩の表情は、普段の緩いものとは異なり、怒りに染まっている。彼女の中ではすでに、この事象の正体はかつての彼女らの大敵であると決まってしまっているようだ。
そんなはずない。
陽彩とは異なり、センリは確信をもってそう考えていた。本当にこれがあの最悪の敵の所業であるのなら、彼女たちが見た未来の光景と全く異なっているし、何より引き起こされている複数の事象から見ても、かつての敵の姿とは似ても似つかない。
あいつは、こんな大規模な破壊を起こすような力では無かった。それは陽彩も分かっているはずだ。
だが、今の陽彩は怒りに呑まれている。何より、先ほど見てしまった光景が彼女から余裕を奪っていた。
仮にあの敵と戦う自分の姿を見ただけならこうはならなかっただろう。だが、彼女は見てしまったのだ。かつての敵と戦う自分と、その傍らに寄り添う最も大切な少女の姿を。
それを見てしまっては、冷静ではいられない。絶対に巻き込みたくないからこそ、すでに起きてしまっているかもしれない悲劇に対して過敏に反応してしまう。
気持ちは痛いほどに分かる。しかし、センリは陽彩を引き留める力にさらに力を込めた。
「冷静になって。今、あんたが出て行くことが最悪の結果に繋がる可能性だってあるのよ」
センリの言葉に、ハッとしたように陽彩は目を見開いた。次第にその表情が苦しそうに歪み、力が抜けたようにその場で座り込んでしまう。彼女がどれほどの苦悩や不安を抱えているかを推し量れてしまうからこそ、センリの表情もまた苦しげに歪む。
「あたしの未来は、何も確定した事実を映すわけじゃない。それなら見る意味が無い。変えられるかもしれないのよ。なのに、感情的になってあんたが動けば、それが結果的に最悪に繋がる可能性もある。動かないことが何より最善だって、分かるでしょ」
続けざまのセンリの言葉に、力を無くした陽彩が頷いた。
陽彩が考えを改めたことを悟り、センリはそっと彼女を抱きしめた。今に泣きだしそうな陽彩の頭を抱え込み、優しく諭す。
「いい? 何も動くなって言ってるわけじゃないの。けど、まだその時じゃない。何も分からないまま、考えも無しに動くことは危険。あたしはあんたに未来を見せた。それが悲劇であっても、見た事実を最大限に活用すれば、避けられるかもしれない。そのための助力は、するつもりよ」
見た目ははるかに年下の少女が、年上の少女を慰めるというアンバランスな光景だが、実際のところ、センリは陽彩もより年上だ。虚子として生まれた期間もそうだが、何より陽彩が人間であった頃からセンリは虚子であり、何より彼女の先輩でもあった。気心知れた友人としての関係を築いてはいるが、センリは陽彩にとって、頼れる先達であったのだ。
その彼女が、必死の想いで今は抑えろと言う。
その言葉は、陽彩にとって何より強く響いたことだろう。
「ごめん、センちゃん。取り乱して……」
「いいわ。あんた、昔から一つのことにしか目が行かなくなる悪い癖があったから。それで何度、あいつと一緒に尻拭いさせられたか分からない」
過去を懐かしみながら、センリは告げる。大切な、綺麗に保存してきた過去だ。思い出すこともせず、忘れることも無く、胸にしまってきた記録を、久々に紐解く。楽しいことも悲しいことも等しく等価にあったからこそ、目を背けていたそれを、大切な友人のために再び胸に宿す。
声も身体も、思い出すと震えてしまう。もう六年も経っているのに、センリはそれに真正面から向き合えずにいる。だが、腕の中のか弱い少女は違う。臆病なセンリとは違って、恐怖を越えて向き合い続けている。
その勇気が眩しくて、だからこそ手を貸してやりたい。無謀に突き進むのなら引きとめて、正しい道に導いてやりたい。
夢も希望も目標も、全てを失って無為に生き続ける彼女に出来ることは、きっとそれくらいだと思うから。
「ありがと、もう大丈夫」
「そう? あたし的には、まだこのままでいいわよ」
「もう……子供あつかいやめてよ。昔じゃないんだから」
「変わらないわ。あんたはあたしの不肖の弟子で、見ててひやひやする後輩で、こうして温もりを分かち合える大事な友人よ」
名残惜しむように最後に強く抱きしめ、センリは陽彩から離れた。
「センちゃん、力を貸して。わたしは、何をすればいい?」
部屋に戻り、床に腰を下ろして二人は向かい合う。陽彩はすでに常の様子を取り戻しており、ほんの一時だけ取り乱してはいたが、今は冷静そのものだ。だが、自分一人ではどうにもならないことを理解しているからこそ、センリに意見を求めている。
頼りにされることはうれしい限りだが、また難しい問いかけをされたものだ。
顎に指を当てて考えながら、センリはそう思う。だが、頼られて悪い気はしないし、何より力を貸すと堂々と宣言したのだ。その言葉を違えるつもりは無い。
「さっきも言ったとおり、あたしが映す未来は、確定しているわけじゃない。何もしなければ視たままの未来が訪れるし、意識すればするほど、その未来から外れる可能性は高くなる」
「だから、予言、なんだよね」
「そのとおり。変えられない未来なんて見ても辛いだけ。未来は変えられるからこそ、視通す意味があるとあたしは思うわ」
いささか思想の強い価値観を口にしたことに気恥ずかしさを覚えながら、センリは続ける。
「だから、さっき視たあんたの未来も変えられる可能性がある」
「どうすれば変えられる?」
単刀直入な陽彩の問いに、センリは少し迷い、それを口にした。
「あんたが一片ちゃんと会わなければ、まずあの未来は訪れない」
「…………」
先ほど見た未来視の光景。そこに映っていた陽彩と白髪の異形、そして一片。それこそがあの未来が発生し得る条件と仮定すれば、少なくとも陽彩と一片がそろわなければ、あの未来は訪れない。訪れることは無い、はずだ。
それがどれほど目の前の少女にとって辛いことだと分かっていながら、センリは告げる。
「あの光景で映っていた場所は、周りの荒れ果てっぷりからみてたぶんこのレイロン。そこに陽彩とあいつ――アセナ、それから一片ちゃんがいた。この三人が集まる状況こそ、あの未来が確定する瞬間だと、あたしは思うわ」
「会っちゃ、いけない、んだよね……」
「会わない方がいい。少なくともあいつを討つまでは、迂闊なことは控えた方がいいわ」
あからさまに気落ちする陽彩に、センリはそれ以上の言葉をかけることが出来なかった。無理に励ますようなことを口にしても、現実は変わらない。それに先ほど、センリが言ったとおり、必ずしも一生会えないわけでは無いのだ。あいつが――アセナさえ倒してしまえば、彼女らには無限の可能性が花開くはずだ。
「元々……アセナは一人で倒すつもりだった。あいつは、一片を狙ってるから。それが分かってるから、わたしはここに戻ってきた」
「そう、だったわね」
「わたしが眠り着く直前、あいつはわたしに言ったんだ。いつかまた、一片の心を摘みに来るって」
身震いするような恐ろしい宣言だ。それを受けて、意識を失う陽彩がどれだけの絶望を感じたのか、想像もできない。
このレイロンで再び目覚め、曖昧な記憶の中で彼女がどれだけの焦燥感に駆られていたか。
センリも陽彩から聞いた程度だが、彼女は目覚めた直後、自分が誰なのかも分からなかったようだ。永い眠りが彼女から記憶を奪ったのか、全てを思い出した時、陽彩は政府の実験施設で実験体にされていた。
それから何があったのか。陽彩は何者かによる政府施設の襲撃を受け、その隙を狙って逃げ出したという。このレイロンに訪れたのは、この場所こそ、かつて陽彩やセンリ、そして一片が力を共にし、あのアセナと渡り合った地だからである。
その死闘の果てにアセナを一時的に打倒し、一片は足を失い、陽彩は眠りにつき、センリは同調者を失った。
陽彩は、この場所にまた、アセナが現れると確信しているのだろう。それも自身が記憶を取り戻したことこそ、そのトリガー足りうると無意識レベルで信じている。
眉唾な話だったが、センリが見せた未来もその予想を裏付けていた。確かにあの怪物は、この場所に再び現れる。
「きっと、どこかにいる。今起きているこの地響きがアセナかどうかは分からないけど、きっとどこかであいつは待ってるんだ。一片が来るのを、待ってる」
「そう、かもしれないわね。でも、あいつが出てくるのを待っていたら、いつまで経ってもらちが明かないわ。何か当てはあるの?」
「無い」
自信満々な陽彩の返答に、センリは頭を抱えた。
分かってはいたが、この少女は具体的なプランなど何も考えていない。気持ちは分かるが、いささか感情で動き過ぎでは無いだろうか。おそらくこの場所に来れば、何とかなると思ったのだろう。
あまり物事を深く考えない友人に代わり、センリは考える。
どうすれば、あの怪物を再びこの地に下ろせるか。
陽彩の言葉が正しければ、当時のアセナは一片の心に並々ならぬ食欲を抱いていたようだ。それは逆手に取れば、一片がいる場所にあの怪物は現れると言うことになる。だが、それは陽彩が認めないだろう。何より、三人が揃えば悲劇的なあの未来が訪れる。
一片と出会わず、それを狙うアセナを呼び寄せる。
無秩序に行動するあの怪物を、意図的にここへ訪れさせる方法など、思いつくはずも無かった。
いや、待って――。
そこでふと、センリの中で嫌な予感が浮かんだ。
そもそも一片と出会わずなどと考えていることからして、間違いでは無いだろうか。
かつてのアセナの言葉に突き動かされて、陽彩はこの地を訪れた。舞い戻った。
そして、センリたちが見た未来の光景の中には、一片がいた。
陽彩だけなのか。
何かに導かれるようにこの場所を訪れたのは、本当に陽彩だけなのだろうか。
「――――ッ!」
不意に玄関扉をノックする音にセンリは我に返った。
恐る恐る、音のした方を振り返る。
こんな轟音と地響きが連鎖する時に、来訪者?
冷や汗を頬が流れていく。嫌な予感だけが募る。
ノックは連続する。
何度も何度も、その音はやがて激しくなる。
あからさまな異常に、表情を険しくした陽彩が立ち上がりかけた。それを片手で制し、センリはここで待てと目線で告げる。
嫌な予感がするのだ。あの扉の向こうに、何か不吉な予感がする。
ゆっくり立ち上がり、玄関に近づいていく。
その間にも扉を叩く音は激しくなる。今にも扉が吹き飛びそうな勢いだ。
「ちっ、居留守しとるんか!」
最後にドスの効いた方言が扉越しに聞こえたと思いきや、扉が切り裂かれた。
比喩でもなんでもなく、縦に斜めに、バラバラと崩れて落ちた。
破壊された扉の先から眩い光が差してくる。明るい陽光に目を細めながら、センリは見た。
太陽を背後にして、まるで後光を背負いながら、宙に浮かされるという何とも滑稽な格好でこちらを見つめる見目麗しい少女の姿を。
「あら……まさか……センリ、さん?」
「き、み……まさか、一片ちゃん?」
互いの表情を見つめい、思考が固まる二人をよそに、壊れた玄関から二人の男が入ってくる。
一人は、見た目から軽薄そうな雰囲気を漂わせた若い青年――陽介。
「紫咲ちゃん、なにしてんすか⁉ 壊す必要ないっすよね!」
次いで現れたのは、身長2mにも達しようかと言う巨岩のような大柄の男――白滝。
「すまない。緊急事態のため、強引なやり方を取らせてもらった」
二人に続いて、濃藍色の少女――紫咲が室内に足を踏み入れる。通り過ぎ様に陽介の脇を殴り、吐き捨てるように呟いた。
「うるさいわ。逝ね」
何とも口の悪い少女である。関西弁、なのだろうか。センリは生まれも育ちも関東近郊であり、あまり関西出身の者と関わったことが無かったが、聞くからにはおそらくそうなのだろう。
紫咲の動きにあわせて、さらに宙に浮かされた少女が一歩、センリに近づいた。
何とも異様な光景だ。紫咲の首元から伸びた血液が触手のように少女の胴体に巻き付き、宙吊りの姿勢で固定している。
「なんや、一片。お前、この虚子と知り合いかい」
鋭い表情でセンリを指さす紫咲に、一片と呼ばれた美しい少女が愛おしそうに微笑んだ。
「恩人――いえ、戦友、でしょうか。ふふ、戦友だなんて初めて使いましたが、でも、それがこの方と私を表すのに最も相応しい言葉と言えますね」
「ふーん……ってことは、六年前のか。――おい、そこの虚子」
「な、なにかしら」
不躾な紫咲の態度に、センリはすっかり気圧されていた。ここまで初対面で態度の大きい人間と会ったことが無い。いや、レイロンにはそうした者も一定数いるが、それらは所詮、ただの人間だ。
だが、この少女は違う。一目見て、いやそもそも異能を使っているのだから誰の目から見ても明らかだが、分かる。
紫咲と呼ばれるこの少女は、虚子だ。
「知り合いなんやったらちょうどええ。ちょっと力を貸……せ……は?」
大きい態度をさらに大きくして偉そうに要求を口にしかけていた紫咲が、センリの背後に視線をやり、目を丸くする。あり得ないものを見たかのようなその様子に、センリはようやく我に返った。
そこには、彼女がいた。
紫咲の様子につられて、一片もセンリの背後を見る。
そこにいるものに気づき、そこにある存在に気づき、目を見開き、次第にそれは崩れるように歪んだ。小さな雫が瞳に灯り、美しい顔を幼子のように崩して、一筋の涙を零す。
「ひ、いろ……」
「ひとひら……」
背後の声に振り返ったセンリは、何かを言いかけて、止めた。
一片と同じくらい、彼女の顔は歪んでいたから。
嬉しそうに、悲しそうに、再会の喜びも過去の後悔も一気に押し寄せて抑えきれ無くなった感情を、その瞳一杯に貯めた涙に変えていたから。
「紫咲、はな、はなしてください。はなして!」
「お、おい、おいおい、あばれんなって!」
「陽彩っ!」
「一片っ!」
もがき、一片が血の拘束から抜け出した。勢いよく床に転がり、鈍い音を立てる。そのまま、痛みなど忘れたかのように、動かない足を引きずって腕の力だけで這って進む。
一歩も進まないうちに、その身体を走って駆け寄った陽彩が抱きすくめた。
小さな一片の頭を胸に抱き、大切な宝物を扱うように、そっと力を込める。
「生きてた……やっぱり、生きてたのね。信じてたよ、陽彩」
「うん、うんっ。ごめん、ごめんね……一人にして」
「ううん、大丈夫。こうして、会えたもの。ずっと、探してた。あなたは生きてるって、信じてた」
失った時間を取り戻すように、再会の言葉を重ね合わせる二人。
その様子に感極まるものを感じて、センリも涙が出そうだった。
先ほど、会ってはいけないと言ったことすらも忘れてしまっていた。陽彩にとってどれほど一片が大切な存在か、分かっていたつもりで分かっていなかった。一片にとっても同じだ。彼女たちがこれほどの強い絆で結ばれていたなどと、どうして想像できるのか。
何せ、彼女たちは、出会って一日と絶たずに別たれたのだから。
育んだ時間など数えるほどしかない。にもかかわらず、これほどの絆で結ばれている。
「おい、白滝。なんや、これ。一片、どうなってんねん」
「お前も知ってるだろう。お嬢さまは、かつて心を共にした大切な虚子をずっと探していた。同調者じゃなくなってもなお、その絆を追い求めていた」
「……まぁ、知ってるけどな。ちっ、なんかおもろないわ」
「比べるな。お前も大事に想われている」
「はぁ⁉ 何言うとんねん!」
二人だけの世界に入ってしまったかのような一片と陽彩の様子に、紫咲はすっかりへそを曲げてしまったようだ。センリには、彼女と一片の関係性はまるで分からなかったが、一片のことなら分かる。あの生まれ持っての善性の塊のような少女に、この口の悪い関西弁の少女はすっかり絆されてしまっているのだろう。
その様子は、センリには少し懐かしかった。
その光に魅せられたのは、今、再会に心弾ませている陽彩も、それにきっと、自分自身も同じなのだと言うことを少しだけ思い出した。
「一片、おっきくなったね……。見違えたよ」
「それはこっちのセリフ。陽彩も大きくなった。お互い、あんなに小さかったのに」
一片が、冗談めかして紫咲の方を見た。陽彩の視線が紫咲へと向かい、小さく微笑む。邪気の無い笑みに、紫咲は気まずそうに目をそらした。
「わたしは……ようやく少しだけ、元に戻った、って感じかな」
「でも、どうして……虚子は成長しないのに……」
「それは――」
一片の疑問に、陽彩は少し言い淀む。だが、次の言葉を発する前に、我慢しきれなくなった紫咲が割り込んだ。
「おい、そういう積もる話はあとにせぇ。それよか他に優先することあるやろ」
紫咲の指摘に、一片は何かを思い出したように目を見開いた。頬を流れる涙を拭い、居住まいを正して陽彩と、それからセンリに向き直る。その瞳の奥に宿る真摯な色に、センリは少し息を呑んだ。
何度、過去を懐かしめばいいのか。
このレイロンに陽彩が訪れて再会を果たしてからずっと、言いようのない感傷にばかり浸っている気がする。だが、悪くない感覚だ。
「ありがとうございます、紫咲。そうでしたね。まだまだ話足りないところですが、今はそれよりもお話しすることがございます」
真剣な面持ちで、一片は話の本題に入ろうとする。それをセンリは少しだけ止めることにした。急ぎということは彼女たちの様子からも推し量れるが、こんな硬い床に腰を下ろしてする話でも無いだろう。何より、一片は足を悪くしているはずだ。
「一片ちゃん、それにあなたたちも。奥にどうぞ。立ち話もなんでしょう」
一片たちは顔を見合わせると、センリに促されるまま部屋の奥に進んだ。そのまま五人、狭い室内に向かい合う。一片には、センリの持つ中で唯一柔軟性に優れたクッションを渡していた。
一片と陽彩が見つめ合い、思い出したように小さく微笑んで視線を外す。
無邪気な幼子のような二人の様子は、少し微笑ましかった。
「ありがとうございます、センリさん。――センリさん、それから陽彩。こんなところで再会できるとは思っていませんでしたけど、今は再会の挨拶よりも先に、お話したいことがあります。――陽介さん、お願いしてもよろしいでしょうか?」
この場で唯一、やや場違いな感を拭えなかった陽介が、名指しされて少し動揺した。だが、すぐに表情を引き締め、口を開きかける。
「別にこいつやなくてもええやろ」
陽介を毛嫌いしているのか、紫咲が割り込んだ。そのまま、口を開きかけた陽介を無視して、話始める。
「ここに虚虜が現れた。さっきから響いている地鳴りみたいなんはそいつが原因や。今、特対官が戦っとるが……まぁそいつらでやれるかは分からん。やから、お前らに一片を頼みたい。正直、気は進まんが一片のお願いや。うちらが加勢に行く。その間、一片を守ってくれ」
一息に語られたその話は、センリにとっては半ば予想していたものだった。
彼女自身がその懸念を伝え、このレイロンを陽彩を捜しに訪れた年若い特対官に依頼したのだ。断続的に続くこの地鳴りが自然現象で無いとすれば、それは虚虜の出現を意味し、それを彼の特対官が見逃すはずも無いだろう。
だが、紫咲の言葉は、陽彩にとっては別の意味に聞こえたようだ。彼女は大きく身を乗り出し、焦った声を上げる。
「まさか、アセナがッ⁉」
「アセナ……なんや分からんが、虚虜は、虚子が崩壊して生まれたもんや」
陽彩が挙げた名前に怪訝そうな表情を浮かべる紫咲や、その意味がよく分かっていない面々の中で、一片だけはその名前に少し反応を見せた。だが、開きかけた口は止まり、問うことは無い。彼女にとっても思い出したい過去では無いだろうし、何より空気を読んだ結果だろう。
「すんません……虚虜は……俺が同調していた、ひなみって虚子が崩壊して生まれたんす……」
自責の念に堪え切れなくなったように陽介が小さな声で漏らす。陽介が同調者であったことなどセンリにとっては初耳だったが、深く追及することは躊躇われた。彼の表情は、いつもの軽薄なそれとは異なり、とても苦しげだ。
何か、あったのだろう。
センリにとっては一度だけ手助けした程度の間柄で、その内面も過去も何も知った仲では無いが、その豹変ぶりには軽い気持ちで踏み込むことを止まらせるに十分だった。
「もしかして、あなたたちのいう特対官って、周防要くんと、必ちゃんかしら?」
「あん? すおう? 知らんわ、あんな奴らの名前なんて。興味も無い」
「確かそんな名前だったはずだ。お互いを名前で呼んでいたからな。まだ学生くらいの年齢の少年と、銀髪の虚子の少女だ」
感情に任せて口にする紫咲を白滝が補完する。センリの予想どおり、彼らの言う特対官は、少し前にこの場所を訪れた者たちに他ならない。
彼らは約束通り――いや、センリの企図したとおり、虚虜と対峙しているようだ。惜しむらくは、それは彼女の予想した敵とは異なっていたことだが、無意識のうちに少しだけ罪悪感を抱く。
彼らもまた後進であることを思えば、嘘をついて危険に借り出したことに対して、今さらながらの申し訳なさを覚えた。
「アニキとアネキは……ひなみを救おうとしてくれてるんす。それがどんな形であれ、苦しみを終わらせようとしてくれてる。けど……」
「崩壊した虚子から生まれる虚虜ってのは、いわゆる成り損ない。本来、成長しないうちらが最終的に行き着く先――人型とは異なる亜流。けど、それでも強い。あほみたいにな」
「知ってるわ。昔に戦ったこともあるもの。なるほど、だから加勢しにいくと?」
「うちは全く乗り気がせんわ。けど、一片が助けたれって言うからな。白滝も乗り気やし」
「虚虜を討つという点についてでは、お前も同意だろう」
「はん、まぁな。けどうちらも一片を守りながらはさすがに無理や。だから、お前らに一片を任せたい。知り合いってんならちょうどええ」
長々と話してる時間もそう無いんや、と紫咲は締めくくる。
一連の話を聞き、センリはチラッと横目で陽彩を見た。彼女はこの頼みにどう反応するか。答えは双方に求められているのだろうが、センリはその回答を陽彩に任せたいと思った。
いや、正確には、彼女が何と返すかは予想出来ていた。
だからこそ、その答えを否定するつもりも無かった。
「分かった。一片はわたしが守る。もう二度と、絶対に、傷つけさせはしない」
つい先ほど、センリと話していた内容など忘れてしまったのか、陽彩は心底からの想いをはっきりと口にした。
その余りの勢いに、紫咲は少し気圧されたようだった。だが、対抗心が燃やされたのか、挑戦的に笑う。
「なんや、自信満々やな。見たとこ虚子かどうかも分からんようが、そんな力があるんか? うちは、こっちの虚子に頼んでるつもりなんやけどな」
「指をささないでちょうだい。それからあたしは、センリよ」
不躾な態度を非難するセンリだが、紫咲は全く気にした風も無い。センリの文句など無視して続ける。
「それに聞いとんで。一片が足使えなくなったんは、お前のせいやってな」
「紫咲!」
一片が叱咤するように叫ぶ。口も態度も悪い紫咲の振る舞いに寛容な様子の彼女でさえ、紫咲の発言は一線を越えていたようだ。
紫咲の言葉を受け、陽彩は顔を伏せた。少しだけ肩を震わせた後、顔を上げる。
「そうだね……きみの言うとおり。けど、だから守るよ。絶対に」
「……ふん、お前は信用できそうやな。陽彩、一片から話はよく聞いとる。任せたで」
陽彩の表情からその本気を読み取ったのだろう。紫咲の口が少しだけ緩み、陽彩を認める言葉を贈る。
二人のやり取りを見守っていた一片は、ほっと胸を撫で下ろした。共に心許す友人たちが争い合う姿など、見たくは無いのだろう。
「ありがとう、陽彩」
「何言ってるの、当たり前。きみだって、あの時、そうしてくれた。だから、わたしもそれに報いるんだ」
話は終わりとばかりに紫咲は立ち上がった。それに続いて、白滝も立ち上がる。彼女らは、虚子と同調者の関係なのだろう、とセンリは二人の様子から思い至る。
そのまま部屋を出て行ことした紫咲は、ふと足を止めた。
鋭い視線が部屋の端で俯いて座る青年に向けられる。
「お前はどうするんや」
問われた陽介は、はっとしたように顔を上げた。
「一度ならず、二度も逃げた。お前は弱虫で、最低のくずや。別にここでうずくまって、全部終わるの待ってたってええ。お似合いや。好きにせえ。――それで、お前はどうするんや?」
何かを試すような紫咲の言葉。語る意味はセンリには分からないが、それを聞いた一片の表情が少しだけ微笑ましそうに緩んだ。
陽介が愕然とした表情から一変、何を迷うように再び俯き、言葉を震わせる。
紫咲は、答えを促さなかった。ただ、少しだけ沈黙の時間が流れた後、小さく息を零し、興味を失くしたかのように止めていた足を動かし始める。
「あの!」
それを陽介は呼び止めた。勢いよく立ち上がり、先を行こうとする紫咲と白滝に頭を下げる。
「俺は……俺を手伝ってくれないっすか……。俺は、もう同調者でもないし……足手まといになるって分かってるっす。何の、役にも立たない……。けど、ひなみを……あの子を見届ける、責任があるから……だから……ッ」
整理しきれない感情を思いのままに陽介は叫ぶ。それを聞いた紫咲は、振り返り、呆れたように肩を竦めた。
「はぁ?」
「俺を……ひなみのところまで、連れて行ってほしいっす」
「ふざけんな。なんでうちらがそんなことせなあかんねん」
侮蔑するように吐き捨て、紫咲は踵を返して室内を出て行った。
拒絶され、陽介が打ちひしがれたように膝を折る。だが、廊下から紫咲の怒声が飛んできた。
「おい! はよ行くで。のろのろすんな! ちゃんと付いてこんと死ぬで!」
困惑した様子の陽介に、一片が小さく笑いながら告げる。
「素直じゃないんです。口も態度もあのような感じですが、ほんとはすごくいい子なんですよ、紫咲は。だから、安心して行ってあげてください。きっと、ひなみさんはあなたを待っています」
一片の背中を押す言葉を受け、陽介は弾かれたように飛び出していく。廊下の方から、紫咲の、遅いねん、という文句の声と、それに嬉しそうに謝罪する陽介の声が遠ざかっていった。
一気に半分の人数が減り、室内が静まり返る。主体的に話を進めていた紫咲がいなくなったこともあり、三人は窺うようにお互いを見つめ合っていた。
その静かな時間は、陽彩と一片が再び破顔したことにより、一気に少女同士の姦しい雰囲気と変わる。気づけば、センリもその空気感につられてしまっていた。
「でも、本当に久しぶり。陽彩、それにセンリさんも。もう、六年……だね」
先ほどまでのお嬢さま然とした丁寧な口調はなりを潜め、今はかつて出会った時のような幼子の時のそれへと一片は回帰する。彼女にとって、それが陽彩やセンリと話す時のデフォルトなのだろう。
「ねぇ、陽彩。私、今まであなたを捜してた。この六年、ずっと……捜してたの。そして、ようやく見つけた。半年前、あなたらしき人間が見つかったって情報が入ったの。その子は政府の施設に収容されていると」
思い出したようにうっすらと涙を浮かべて語る一片につられて、陽彩も少し涙ぐんでいた。彼女の本気の気持ちに胸打たれている。
「そんなに、捜してくれてたんだ……。ごめん、わたしもなんて言ったらいいか……。わたしはね、ずっと眠っていたんだ。目覚めたのは、ちょうど……一年前、かな。このレイロンで眠っていたところを起こされて、気づけばよく分からない施設に収容されていた。記憶を完全に取り戻したのなんて本当につい最近なんだ」
陽彩は、自身に起きた出来事をぽつぽつと語る。彼女自身、細部を理解しきれていないのだろう。言葉には自信が無く、彼女の主観による事実だけを羅列していた。
「このレイロンに来たのも本当に数日前。たまたま、わたしがいた施設が誰かに襲撃されたみたいで、そのどさくさに紛れて逃げ出すことが出来た」
一つ一つ思い出しながら陽彩は語る。彼女にとっては数日間の出来事だが、相当に密度の濃い数日間だったのだろう。特にその発端ともいえるきっかけの出来事は、衝撃的なものだったに違いない。
「その時の、ショックなのかな。施設を襲撃された時の衝撃か分からないけど、わたしは思い出した。自分が何者で、過去に何があって――そして何をしないといけないのかも」
「そう……施設の襲撃は聞いている。ずっと、さっきここにいた紫咲や白滝に様子を探ってもらっていたの。だからすぐに、あなたが逃げ出したことも知ることが出来た。あ、紫咲と白滝はね、私のお友達で、護衛だよ」
出て行った虚子と同調者との自身の関係について何一つ説明していなかったことを思い出した一片が最後に付け足して説明する。
そうなんだ、と陽彩は納得したように頷いた。陽彩にとっても一片がここを訪れていた理由が不思議だったのだろう。だが、今の一片の言葉を考えれば、それも自ずと明らかだ。
「一片は、わたしを……捜しに来てくれたんだね。ここに、この場所まで……」
「ええ、あなたに会いたかったから。それにここは、私たちが出会った場所だもの。もちろん、センリさんとも会えてよかった」
「え、あたし?」
不意に話を振られ、傍観者に徹していたセンリは驚いた。二人の邪魔はするまいと様子を見ていたため、急なことに少したじろぐ。
「もちろん。何も分からない私を支えてくれたのが陽彩なら、そんな私たちを見守り導いてくれたのは、センリさんと……」
最後に言いかけ、一片は口を噤んだ。センリの表情が目に見えて歪んだからだろう。
まだ、センリは割り切れてすらいないのだ。
六年前の過去を、それよりはるかな前には確かに存在していた希望を、忘れられずにいる。ゆえにその名を口にされることを恐れていた。
「昔のことよ。それに、あたしは何もしてあげられなかった。巻き込まれた……ううん、巻き込んでしまったあなたを、無事に返してあげることも出来なかった」
昨日の出来事のように過去を思い出し、センリは歯噛みする。
自分ならまだいい。その相方も同じく、虚子に成りたてだった陽彩も、虚子には珍しく一定以上の記憶を引き継いで生まれ変わったのだから、まだいいだろう。彼女たちは、あの時、あの瞬間は覚悟があったのだ。
だが、一片は違う。当時はまだ十を過ぎたばかりの幼い少女だった。
巻き込まれただけの被害者。当たり前の日常をただ生きていた普通の女の子だったのだ。
それをセンリたちが巻き込んだ。いや、彼女を生かすためにはそうするしかなかったとも言えるが、意図して巻き込んだ事実は変わらない。
結果、一片は幼い身の上で両足の機能を失った。
「気にしないでください。これは、私が選んだことです。陽彩も、気にしないで。私はあの時、自分の意思で、心から、あなたを支え戦うと決めたの。だから、それを否定しないで。私を選んだこと、後悔してほしくない」
「一片……分かった。きみは、強いね。ずっと、子供のときから、強いままだ」
「ふふ、そうね」
陽彩の素直な感想にセンリも同意し、惜しみない賞賛を送る。受け取った一片は、少しだけ照れたようにはにかんだ。頬を赤らめ、恥ずかしそうにする。思いのたけを口にしてから、少し気恥ずかしくなったようだ。
「けど、陽彩。どうしてあなたはここに戻ってきたの?」
話題を変えるような一片の問いは、実に核心に迫るそれで、陽彩の表情が真剣なものへと変わる。隣のセンリもまた、過去を懐かしむ気持ちから、今の問題へと意識を切り替えた。
呑気に思い出話を語ってもいられない。
陽彩とセンリには、現実的な脅威が迫っているのだ。そこには、一片も関わっている。
陽彩とセンリは目配せを交わす。言っていいものか――言ってしまえばまたこの少女を巻き込んでしまうことになる。だが、それを言うならこの場所で陽彩と一片が揃っている状況こそが危険なのだ。すでに巻き込んでしまっている。
決断しきれ無いのか、陽彩はセンリをすがるような目で見ていた。
どうすればいい、と言外に意見を問うている。困るとすぐに助けを求めて甘える様は、いつまで経っても変わらない彼女の悪癖であり、特筆すべき愛嬌だ。
「そうね。一片ちゃん、あなたには一つ知ってもらわないといけないことがある」
意を決し、センリは陽彩に代わって話し始めた。




