第四章 ③
虚子であった頃はひなみと呼ばれていた蔦の虚虜は、開戦と共に初撃に無数の小型の虚虜を産み落とした。空洞を埋めるほどの、数えるのも億劫なほどの量の虚虜。それを前にして、要たちは揺らがない。
大量の虚虜が地響きを立てながら要に襲い掛かる。進行方向に転がる瓦礫など意に介さずに飲み込み、まるでその動きそのものが一つの怪物の巨大なあぎとのようだ。
迫る大軍を前に、要は右手の白刀を水平に持ち上げ、次いで無造作に振るった。型も何もない、ただ邪魔者を振り払うようなその仕草。何の攻撃性も無いようにみえるそれは、しかし刀身の先から小さな光が溢れ、それが地面に落ちる瞬間、一気に解き放たれる。
つい先ほどまで瓦礫に覆われ、ジメジメとした湿気と蒸し暑さを漂わせていた地下の底に、溢れんばかりの氷華が咲き乱れた。
空気中の水分が凝固し、美しい結晶の花を咲かせる。それは辺り一面を覆いつくし、その上を這っていた無数の虚虜を捉え、刺し貫き、凍結させる。
氷華が割れる。
小気味の良い音を立てて、氷の花弁が舞い散った。
「要、次が来るよ」
「ああ――」
瞬く間に無数の小型虚虜を撃破した要は、次いで振るわれた蔦の虚虜本体が放った蔓の一撃を紙一重で回避し、一気に飛んだ。遅れて要の足元で爆発が連鎖し、その勢いに推されて一秒とかからずに要の身体が蔦の虚虜の隣に並ぶ。
一閃――要が問答無用で振るった白刀の一撃は、虚虜の下半身から伸びた無数の蔦を捉える。だが、浅い。一本一本が胴体のように太いそれの何本かはまとめて切り落としたが、致命傷には見えない。
蔦の虚虜が絶叫を上げる。反射のように全身から膨大な数の蔓が現れ、それとほぼ同時に白い光の粒子が明滅した。
再度の爆発。
視界を覆いつくすほどの大爆発が起こる。爆風から逃れるようにして要は跳躍し、天井に白刀を突きさして眼下を見据える。あれだけの巨体が、先の一撃で打ち倒せたなど慢心してはいない。
案の定、蔦の虚虜はその威容の何一つ、崩してはいなかった。それどころか
全身から溢れる蔓が量を増し、その巨体がさらに大きく、強靭に膨らんでいく。
すでに先ほどの倍の大きさに増加したその姿は、もはや一つの小さな建造物だ。この空洞の大きさで一杯一杯と言ったところ。虚虜にとってサイズは一つの強さの指標だが、こんな狭い場所であれだけの巨体を持っていても宝の持ち腐れだろう。
「まぁ、虚虜に冷静な判断を期待するだけ無駄だろうが――」
白刀を天井から抜き放ち、足元を爆発させて空を舞う。
巨体となった蔦の虚虜が振るう蔓の攻撃を、爆発を用いた三次元的な動きで回避し、再度の接近を試みる。だが、蔦の虚虜はそれを許さない。理性や思考では無く、本能で要の爆発の力を危険と判断したのだろう。先ほどのようにあっさりと懐までは近寄れそうもない。
「必、一瞬だけ離れるぞ!」
数を増していく蔓の攻撃を捌き、躱し、時に迎え撃ちながら、埒が明かないと判断した要が自身のうちに宿る必に叫ぶ。要の背後で茫洋と冷気が動き、必の形を象ったそれが元気よく返事を返す。
「分かった、何すればいい⁉」
「あいつに突っ込んで、手加減抜きで吹っ飛ばせ」
背後で必が少しだけ笑う。にこやかに、明るく、無邪気に――わずかばかりの恐ろしささえ秘めて。
「それは、大得意っ」
「やるぞ」
津波のように、放射状に放たれた蔓の攻撃に応じるように、要は地面に白刀を突きさした。白刀から地面に向かって光が流れ、必の異能が解放される。断熱膨張により急激に冷やされた空気が水分中の空気すらも一瞬にして凝固させ、凍結の網が蔦の一撃を捉える。
わずかばかり、蔦の勢いが緩む。だが、すぐに凍結の網を引き千切って蔦は猛進を再開する。
その時にはすでに要はその場を移動していた。
空中に光の奇跡が煌めき、爆発音が連鎖する。
もはや常人の動体視力では捉えることすら困難な速度で移動していた要は、蔦の虚虜の背後に回り込み、方向転換して一気に接近した。しかし、それでは蔦の虚虜の死角足りえない。迫る脅威を察知した蔦の虚虜の身体から何度目かになる蔓の群れが溢れ出し、それは要を捉えんと迫る。
驚異的な反応速度だ。
蔦の虚虜は、その植物に根差したような力と同じく、自身は地面に根を張って泰然自若と動かず、無数の蔓の攻撃を主とする。だが、特筆すべきはその警戒範囲と防御力だろう。要の高速移動すらもすぐさま捉え、反撃に転じて見せる絶対の防御は、まさに巨大な大木を思わせる堅牢さだ。
要の肩を蔓が掠める。勢いを維持するためにそのまま突っ込み、最低限の身体の動作だけで回避を選択したための負傷だ。気にしてはいられない。
「行くぞ――」
「任せて!」
要は片手の操作で白刀の柄を二度タップし、変形機構により警棒へと変化させる。必の力をまとって変化していた白刀は冷気を失ったように黒へと戻る。
同時に、要は回転するように爆発を放った。全身がコマのようにグングンと周りはじめ、それは臨界一歩手前の速度へと変わる。要を狙う無数の蔓もその遠心力に当てられ、弾け飛んだ。だが、要自身も無事では無い。回転による遠心力で応じて見せたとはいえ、大木に似た蔓の一撃を受けた身体に擦過痕と打撲の跡が刻まれていく。
それでも要は勢いを殺さない。連鎖する爆発でもって回転を維持する。
要の身体から冷気が失われていく。白煙が身体から分離し、それは要の持つ警棒の先へ伸び、少女の形へと変わる。
必が、要の握る警棒の先を掴んだ。
回転が勢いを増す。必という重量物を得たことによってさらに推進力が増大し、それはすぐに放たれる。
要という砲台から放たれた必が、弾丸を上回る速度で蔦の虚虜に迫る。
自身の異能による爆発さえも推進力に変えたその特攻は、まるで流星のように光の軌跡を描きながら、ミサイルのような蹴りとなって蔦の虚虜の胴体を貫いた。
「手加減、なしだよ」
突撃の最後、不思議と必の小さな声が響いた。
大爆発が起きる。
力の制御を放棄した必により放たれた爆発の一撃は、凄まじいまでの轟音と爆炎、衝撃波をまき散らした。
空洞全体が大震動に見舞われ、天井が崩れ始める。
元々崩落しかけていたところを無理矢理に拡大化させた虚虜の巣穴とも言うべきそこは、度重なる戦闘や爆発に耐えきれなかった。
地鳴りのような音を立てて、天井から瓦礫が落下する。
天井の崩落に巻き込まれながら、要は激しく地面に激突した。相剋状態で限界まで引き絞った遠心力に、相剋を解かれた状態では耐えられなかった。何度も地面をバウンドし、突き立った瓦礫に無数の傷を負いながら、壁にぶつかってようやく要は動きを止めた。
立ち上がり、周囲の状況を確認しようとしたところで、目の前に瓦礫が落ちた。
何度も地鳴りが響き渡り、崩落は激しさを増していく。
「必ッ!」
名前を呼ぶ。
答えは、爆発音によって返ってきた。
目の前に落ちた瓦礫と、天井から要目掛けて降り注いでいた無数の瓦礫が消し飛ぶ。
それを成した必は、軽い音を立てて、要の隣に着地した。
「もっかいだよ!」
「ああ」
必が背伸びまでして手を掲げる。
合わせるように要も手を合わせようしたところで、不意に視界が揺れた。
「――――――」
光が消える。
音が消える。
匂いが消える。
揺れる地の感覚が消える。
額から頬をかけてこぼれた汗の味が消える。
五感が閉ざされ、思考すらも空白に包まれる。
何も感じず、何も考えられず、茫漠とした意識の中で、過去へと回帰する。
大切な少女がそこにいて、誰もが見惚れる笑顔で笑っていて、無意識に手を伸ばす。
もう二度と離さないように。
もう二度と失くさないように。
もう二度と間違わないように。
その手を掴んで、引き戻して、胸に抱く。
大切な珠玉。汚されることの無い宝石。
だが、手が触れた瞬間、それは泡となって消える。
ヒビが入り、音を立てて崩れていく。
景色が白ばんでいき、何一つ、分からなくなる。
分からないというそのたった一つのことさえ、もはや何も分からない。
「要ッ‼」
名を呼ばれ、要は我に返った。
意識が戻り、五感が戻る。
全身の倦怠感がひどく、手が小刻みに震える。冷や汗が止まらない。
(俺も……そろそろ限界、かな)
自嘲交じりに不甲斐ない己を笑いながら、要は拳を固めて太ももを強く打つ。痛みで震えを誤魔化し、身体に喝を入れる。
身体は悲鳴を上げているが、まだ動く。動ける。
目の前で心配そうに必の瞳が揺れている。必の声で、意識を取り戻すことが出来た。
「虚虜は……やったか?」
「ううん、ダメだった。あの虚虜は、再生に特化しているみたいだよ」
「植物みたいな力の通り、ってわけか」
話して時間を稼ぐ。必には気づかれないように、状況分析を行うフリをしながら、何とか回復に努める。
荒い息を吐きだしたい欲求を抑えて、小刻みに小さな息を吐きだす。次第に身体の感覚が常のように戻り始める。いや、正確ではない。何とか身体を動かせる程度には、回復する。
「ここはもう駄目だな……早くしないと生き埋めだ」
「虚虜は、生き埋めで倒せるのかな?」
冗談めかした必の問いに、要は首を横に振って答える。
「言ったろ、きっちり引導を渡すって」
「そうだね。見届けてあげないと、だね」
思い出したように告げる必の姿に、要の瞳が揺れた。
ああ――やっぱり。
音にならない思いだけが胸中に宿り、しかしそのことから目を伏せる。
目を伏せて、要は必の手を取った。掌を重ね合わせ、お互いの指を紡ぐ。
「もう少し頑張るぞ」
「うんっ」
『――相剋』
再び、白銀が舞う。
要を中心に溢れた冷気が空洞全体を覆い、崩れかけた天井をすんでのところで凍結させた。だが、長くは保てない。せいぜいがほんの数時、崩落を遅らせる程度だ。
凍土に覆われた世界の中で、再生を果たした蔦の虚虜が要を捉えた。すでに必によって穿たれた胴体の欠損は、蔦で覆われ、回復を果たしている。だが、何のダメージも無いということは無いだろう。虚子や同調者がそうであるように、虚虜の力の源も同じく、人の心だ。喰らい、蓄え、培ったそれを核に、力を使っている。回復に力を回した以上、その分は消費しているはずだ。
「ここは狭いな」
要の身体が莫大な光の粒子に包まれる。握りしめた白刀を触媒に、光は次第に周囲へと渡り、高まったエネルギーがぱちぱちと火花すら散らし始める。
「一気に、ぶち抜く」
地面に向けた白刀の切っ先を、軽く触れさせる。それが導火線への点火であったかのように、空洞全体を覆い尽くすほどに広がっていた光の粒子が一気に反応し始める。反応は連鎖し、必の異能が発揮される。
断熱圧縮による温度上昇、それに伴う発熱が、経年による蓄積と崩落によって舞った可燃物に一気に点火した。
空洞全体で爆発が巻き起こり、それは連鎖する。気体の熱膨張が急速に上昇し、ついには音速を越えて衝撃波すら巻き起こし、それは連鎖しながら燃焼する。
爆轟とも言われるその現象は、発生から解放までをその場の誰にも認知させることなく起こり、空洞の中心から上方へ向けてその猛威を叩きつけた。
蔦の虚虜が燃える。燃え上がり、爆風によって上方へ叩きつけられる。それでも収まるところを知らないエネルギーは、天井を穿ち、壊し、さらに上へ上へと衝撃波を巻き起こし、ついには数メートルの厚みを吹き飛ばす。
天井が吹き飛び、眩い陽光が空洞に差し込んだ。余りの光量に目を細めながら、要は空へと舞い上がる蔦の虚虜を見る。
あれだけの火力の一撃を受けていながら、蔦の虚虜は原型を留めていた。それどころか、すでに再生を開始している。衝撃波と火炎によってほぼ半身を失いながら、失った箇所を蔓が多い尽くし、元の異形を取り戻していく。
(やっぱり、存在核を直接壊さないとジリ貧だな)
虚虜の弱点である存在核は、壊してしまえばその異能すらも意味をなさない。
だが、虚虜の存在核を見つけることは至難だ。大体が頭部に位置するところに存在しているのが常だが、そればかりとは限らず、何より強力な虚虜ほど弱点を守る傾向にある。
そう易々とは撃たせてはくれないだろう。
爆発によってついに崩落し、火炎が周囲を埋め尽くす。それを横目で見ながら、要は左手を頭上に掲げる。
手繰る。異能の光をかき集め、上方に向かって撃ち放つ。
光は光速でもって空へと駆けあがり、雲間を突き抜け、力を解放する。
起こる現象は、必単体でも成したもの。
雲が生み出す水滴が急速に落下しながら周囲を冷やすことによって生まれた下降気流、ダウンバースト。
怒涛の風の一撃が、はるかな上空から蔦の虚虜を穿った。
有り余った一撃が地下空洞内で吹き荒れていた炎を打ち払い、消化する。
吹き荒れる風に髪をはためかせながら、要は跳躍した。
空洞から地上に降り立ち、そこで待ち構える蔦の虚虜と対峙する。
爆発の衝撃波とダウンバーストの風圧によって全身をズタボロに削りながらも、まだ生きている。頭上から叩きつけた一撃さえ、存在核を壊すことが出来なかったようだ。
地面に着地した要の足が、かすかに震える。度重なる異能の行使と、身体へのダメージ。加えて先のダウンバーストは、要にすらその猛威を叩きつけた。瓦礫を使って自身へのダメージを最低限に抑えはしたが、無傷とはいかない。
精神的な疲労も、肉体的な疲労も、いずれも限界に近かった。
「大丈夫?」
要を慮る必の声に、返す余裕すらない。
少しだけ口元を緩めることで答えを返し、要は白刀を強く握りしめる。未だ、敵は健在だ。少しの油断も余裕の無さも見せられない。
蔦の虚虜の身体が蠢き、無数の蔓が地面や建造物に突き刺さる。何のつもりだ、と警戒していると、蔦の虚虜は周囲からコンクリート片や金属を引き抜いた。まるで外装のように周囲にそれを漂わせる。
一種の強化形態なのだろう。人工物を纏い、蔦の虚虜が自ら動き始める。巨体に似合わない素早さでもって要へと進撃し、数多の蔓の中からより効果的な金属を宿したものを選んで振るう。
長大な鞭のようなそれが、大質量をもって振るわれる。それは距離が離れているがゆえに爆発的な威力へと至り、音速すら越えて衝撃波を巻き起こしながら要の身体を穿った。
「ぐっ……!」
圧巻の速度と威力に反応すら間に合わず、要の身体が吹き飛んだ。崩れた高層ビルに叩きつけられ、壁を崩して中に転がり込む。
全身を襲う痛みで苦悶に顔を歪めながら立ち上がった要の眼前に、再度の金属塊が迫っていた。
「こ、の……っ」
避ける暇はないと判断し、自身に爆発を放つことで要は金属塊を回避する。爆発の威力を極端に絞ったゆえにダメージは最低限に、必殺に近い金属塊の一撃を何とか回避する。
だが、蔦の虚虜の攻撃はそれだけでは無かった。
割れた窓から無数の小型の虚虜が顔を覗かせる。群生型の特徴ともいえる、肉体の分離による数の猛威。常であれば大した敵にはならないそれだが、消耗の激しい今の要には悪辣な詰みの一手と言える。
(ったく、虚虜ってやつは本当に……長引けば長引くほど利口になりやがる)
休む間もなく立ち上がり、迫る小型の虚虜を切り捨てる。小刻みに小型の虚虜で足を止めさせて体力を削りながら、本命の音速を超える金属塊で必殺を狙う。
何度となく金属塊を打ち込まれた高層ビルが倒壊する。
要は場所を移して次の建物の中を駆け抜けながら、遠目で蔦の虚虜の様子を窺う。姿を晒せば、瞬く間に金属塊で襲われる。身を隠しても、小型の虚虜が斥候のように要の姿を見つけ出す。
長く続く相剋状態が彼の精神を摩耗させる。
極限の疲労に息が乱れ、足が止まりそうになる。
まさに絶体絶命――ここ最近、ついぞ無かった生命の危機に、要の心臓が早鐘を打つ。
死ぬわけにはいかない。
本能が恐怖を呼び覚まし、恐怖が心の発露を促す。
まるでマッチポンプだ。力を使い続ければ心が摩耗し、瀕死に陥れば、死への恐怖で奮起する。だが、そのおかげで何とか持ちこたえている。
「必、整理するぞ」
切れ切れの声で要は必を呼ぶ。答えるように、要の背後で冷気が揺れた。
「あの虚虜の能力はなんだ?」
「植物みたいな特性、かなぁ。蔓を使った鞭みたいな攻撃や身体の再生、それから群生型の特性を活かした虚虜の使役?」
「ああ、そうだな。防御と回復に特化している分、単純火力には欠ける。それは俺たちの方に利がある。だが、それを鞭みたいに重量物を投げつけることでカバーしてるな」
「あれはすごいね……。当たったら原型残らないかも……」
船の事故の一つに、停泊のために用いるロープがテンションによってゴムのように跳ね返り、人に直撃することで即死させるスナップバックという現象がある。
蔦の虚虜の攻撃も、原理は同じだ。ただ、その規模は重量や遠心力、虚虜そのものの膂力によって似ても似つかないが。
音速を越える速度で放たれる金属塊。瞬間的にプラズマすら発生させ、着地点を高温によって溶解すらさせ得るその火力は、瞠目に値する。
「長々と戦っても消耗でこっちが不利だ。なら、弱点を一気につくしかない」
「存在核、だね」
巧みに弱点を隠して立ち回る虚虜から存在核の位置を割り出し、猛攻を潜り抜け、より強固な蔦の防壁を突破したうえで存在核を一撃のもとに打ち砕く。整理しただけでも嫌になるような条件だ。火力に特化した必の異能とはいえ、そこまでの瞬間火力を扱えるものではない。それがほとんど通じないことは、今までの戦いで明らかだ。
「戦ってる中で気づいたことはあるか?」
最も蔦の虚虜に接近した必の意見を問う。少し悩む素振りを見せた後、必は答えた。
「あれが本当に本体なのかな?」
「なに?」
それは、要には無かった視点だった。小型の虚虜で周囲を探りながら、再び動きを止めた巨体。まさか、あれが蔦の虚虜の本体では無いというのだろうか。だが、要は確かに繭からあの巨体が生まれるのを見ている。
いや、そこからして認識が誤っていたのか。あの成長のために形作っていた繭から孵化したからこそ、あの虚虜こそが本体であると疑いも無く考えていたが、そもそもそれこそ思い込みであったのだろうか。
「わたしがあの虚虜に突撃して爆発を放った時、あの虚虜は何もしなかったの」
「それは……反応できなかっただけじゃないのか?」
「うーん、それもあると思う、けど。でも、普通はそれでも一番攻撃されたくないところを咄嗟に庇うと思うの。意識せず、無意識に。少なくとも爆発させるまでに、反射的にそうするだけの時間はあったと思う」
虚虜は、理性も思考も失って本能的に行動していると思われがちだが、あくまで目的合理的に行動するがゆえにそう見えるに過ぎない。逆に言えば、本能を満たすための最短経路を合理的に選択し、弱点となり得る存在核は守る行動に出る傾向がある。まるで自然界の多くの動物がそうであるように、感情や思考に支配されるのではなく、ただ目的を果たすための最適解を無意識下で選択している。
少なくとも有識者は、虚虜の行動をそう評価している。
それが事実であるのならば、必が虚虜を攻撃したとき――最もその身に危険が生じた瞬間、身を守る行動をしないというのは確かに疑問が残る。だからこそ、必は言う。あの蔦の虚虜は本体ではない。群生型の特性を活かした分離個体だからこそ、我が身を最優先とした行動を取らないのだ、と。
「群生型の虚虜にも存在核は形成される。それは虚虜のエネルギーの核になるからって言われてるけど、もしかしたら、あれを直接倒す必要は無いの、かも?」
やや自信が無いのか、必の言葉は、最後の方は尻すぼみになっていた。
必の言葉を聞き、要は考える。考えとしては一理あるが、それを念頭に行動するのは非常に危険だ。確証も無く、何より目の前の脅威が消え去ったわけでは無い。本体では無かったとしても、蔦の虚虜の猛撃が止まるわけでは無く、それを搔い潜りながら本体を探すのは至難だろう。
何の手がかりも無い現状、そこにかけるのはリスキーに過ぎると言える。
「お前の言いたいことは分かる……が、仮に他に本体がいたとしても、今それを探し出している余裕は無いな」
「そうだね、要の言うとおり。でもたぶん、可能性の話で言えば、本体は近くにいると思うよ。あの虚虜が地下で現れたっていうなら、たぶんそこ」
「今から潜って探すか? さっき崩落したばっかりだぞ」
「瓦礫に埋もれてどうにかなってると思えないね。むしろ本当に他に本体がいるなら、捜すのは難しくなっちゃったかな……」
八方塞がり。手詰まりだ。
足音が聞こえてくる。ついに小型の虚虜たちが要の隠れていた高層ビルの一角にたどり着いたのだろう。まだ存在を察知はされていないが、時間の問題と言える。
いつまでも隠れてはいられない。要が姿を現さないままだと、あの蔦の虚虜は攻撃の矛先をレイロンの住人に向けるだろう。虚虜とは本来、そういう存在だ。人を殺すためでは無く、人を喰らうために在る。
現状、要が障害として立ちはだかるからこそ、相手取っているに過ぎず、彼にこだわる理由も無いのだ。正直、レイロンの住人の安否など気にかける要では無かったが、相手が虚虜となるとまた話も変わってくる。姿も存在も分からないのであれば別だが、目の前に脅威として存在する以上、無視も出来ない。何よりあの虚虜を倒さなければ、センリから情報も得られない。
「ん、待てよ?」
そこでふと、要にあることを思いついた。作戦というにはいささか無理のあるそれだが、可能性としては低くは無いのではないだろうか。いや、危険すぎるか。
だが――いけるかもしれない。
虚虜は人を襲う。その障害物になり得る存在がいれば、それを撃破して進む。だが、行動目的の本質は、人の心を喰らうというその一点のみだ。
「必、相剋を解くぞ。お前はあいつの注意を引いてくれ。危なくなったらすぐ逃げろ」
「え? どうするの?」
「見てれば分かる」
要から必が分離する。白銀の髪も瞳も元の黒色に戻り、要は握っていた黒刀を元の柄に戻した。
不思議そうな表情をした必が要の隣に現れる。その必に対して、要は視線で促した。戸惑いながらも、指示されたとおりに必は動き出す。大爆発と共に高層ビルから飛び出し、注意を引くように蔦の虚虜の視界らしき部分に姿を晒した。
それを見送りながら、要は迫る足音に意識を向ける。
彼の予想が――必の予想が正しければ、小型の虚虜は見つけた人間《、、》をどうするか。
一種の賭けだ。それも危険な賭けである。
(来た)
果たして、要の賭けは正しかった。
要を見つけた小型の虚虜は、その姿を見つけるやいなや、彼に襲いかかった。だが、致命傷を与えるそれではない。前足の一撃で要を吹き飛ばし、動きを止めた彼に近づくと、頭部から生えた蔓でその胴体を絡めとった。そのまま、追撃を加えることも無く、動き始める。
(あとは……自分で何とかするしかないか)
気絶したふりをして小型の虚虜に運ばれる要の頬を冷や汗が伝う。賭けには勝利し、彼の予想は的中したが、ここからも綱渡りのような賭けを続けることになる。
細部を必に伝える時間が無かったために、次の戦いに彼女の力は期待できない。
だが、何も無謀というわけでは無いのだ。あれだけの防御と再生に特化した蔦の虚虜を生み出している以上、あれが蔦の虚虜の最大戦力と見て相違ない。もし、本当に蔦の虚虜に本体がいるのであれば、その力は微々たるものだと予想できる。
小型の虚虜が高層ビルを駆け下りていく。その進む先は、必が注意を引く蔦の虚虜とは異なる方向を向いていた。




