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第四章 ②

 何故、こんなことになったのだろうか。


 薄暗い地下、足の不自由な少女――一片ひとひらを抱えた状態で走って進みながら、陽介は考える。


 あの地下の空洞で要たちと別れてしばらく、いや、それよりもはるか前より繰り返していた自問自答。何度も何度も己に問いかけ、世界に問いかけ、それでも答えの得られなかったそれを、再び問いかける。


 一年前の特災テロで命を救われ、特対官に憧れを抱き、手探りで虚虜デーヴァと戦う術を身に着け、噂を頼るようにこんなレイロンまで足を運んだ。目的は虚虜の退治であり、かつて見たヒーローの背中に相棒の虚子トリシュナと二人、手を伸ばし続けた。


 レイロンの地下にまで虚虜を追い詰め、退治した。


 退治した――はずだ。


 あの時の記憶は、思い出したくない過去の後悔ゆえかはっきりとしていないが、退治したはずなのだ。彼の相棒である虚子と力を合わせ、虚虜を撃破した。



 ――ああ、見つけた。



 頭がズキリと痛む。あの時の記憶を思い出すと、ひどい頭痛に見舞われる。


 まるで思い出すことを拒むように、ただ、不思議な声だけが脳内でリフレインする。



 ――すごい。びっくりだ。ずーっと、堪えてるんだね。食べたいのに、目の前に甘美な果実があるのに、本能を抑えて、ただ彼を守るために。きみは、心を殺し続けてる。



 なんだ、誰だ。


 誰が言っている。誰の声だ。


 ひどく痛みが増す。忘れ去りたい記憶を掘り起こそうとすることを心が拒否するように、痛みは次第に増していく。


 陽介は、考えることを放棄する。あの時の記憶を思い出すと、胸が締め付けられるように痛む。


 最後の瞬間、まだ陽介の虚子が人の形を保っていた時、彼女は申し訳なさそうな笑顔を彼に向けていた。


 ただ一言、ごめん、と何度も繰り返していた。


(ひなみ……っ)


 共に特対官に憧れ、寝食を共にした虚子の少女の名を繰り返す。


 忘れないように、刻み付けるように、何度も何度も繰り返す。


 どこかおどおどした調子の自信なさげな少女だった。だが、いざという時は芯の強い少女だった。ずぼらで軽薄な陽介をたしなめ、時に叱ってくれる少女だった。間違った方に進みかけたときは、道を正してくれる少女だった。



『ヨウくんは本当にいい加減だよね~。もっと、しっかりしてよぉ』



 思えば、どこかさだめは、ひなみによく似た雰囲気を持つ少女だった。無邪気で愛らしく、人懐こい。ひなみはあそこまでアグレッシブかつ武闘派では無かったが、子供らしい笑顔に面影を重ねてしまった。



『ヨウくんはね、やれば出来るんだよ。それにやる気もある。やれば出来るし、やる気もあるの。でも、詰めが甘いところがなぁ……』



 無垢な信頼を口にしながら、一方で少しだけ口うるさいところがたまに瑕だった。だが、それも彼女の美徳と言えた。心を喰われた虚子とは思えないほどに、陽介の前では感情豊かで底抜けの明るさを見せていた。


 無理をしていたところもあったのだろう。元来の自身の無さを誤魔化すように、人一倍強がっていたようにも思う。



『ごめんね。一緒にいてあげられなくて。あの人みたいなヒーローになろうって約束したのに、全部台無しにしちゃって……ごめんね、ヨウくん』



 崩壊を起こす直前のひなみの言葉が思い起こされる。


 何度も謝罪を口にし、普段の明るさが嘘のように、大粒の涙を零していた。


 そんな彼女のことを、陽介は抱きしめて見守ることしかできなかった。最後の最後まで、ひなみは陽介の心を喰らわなかった。破綻するその瞬間まで、狂おしいほどの飢餓感を抑えつけ、あまつさえ陽介の先行きを心配していた。


 そして彼女は、虚虜となった。


 蔦の繭に包まれ、陽介を無視して小型の虚虜を生み出し、レイロンの住人を襲い始めた。堪えていた飢餓感を埋め合わせるように、センリが把握していた以上の人間を襲い、心を喰らい続けた。


 陽介は、ただそれを黙ってみていることしかできなかった。いや、それを見ることすら耐えられず、逃げ出した。


 今日、要と出会ったのは、そんな逃げ出した末のことだった。


 ヒーローになりたいという思いすら忘れて、日々の糧を得るために他のレイロンと結託して外から来た住人を襲っていた。


(ひなみ……俺はお前が思ってたような奴じゃなかったよ……。自分でケジメすら付けられなかった。俺は……逃げたんだ)


 逃げながらも何度かひなみのもとを訪れた。罪悪感に苛まれる彼を終わらせてくれるのを期待して、あの地下に赴いたのだ。だが、ひなみが陽介を襲うことは無かった。彼女は、彼にだけは手を出さなかった。


 どうすればいいのか、分からなくなった。


 断罪されることも無く、のうのうと生き続け、軽薄な外装だけをまとって、たまにひなみの様子を見る日々。


 要たちと出会ったのは、ある意味では運命だったのだろう。


 どうしようもなくなった陽介には、彼ら本物の姿は眩しかった。何よりその二人の繋がりにかつての光を見てしまった。


 見てしまったからには、目を背けることが出来なくなった。


 捨ててしまったものを拾い上げる覚悟を、決めるしかなかった。


「頼む、アニキ……。ひなみを、救ってくれ」


 血が滲むほどに歯を食いしばり、陽介は祈りにも似た想いを吐き出した。


「ひなみさんというのが、あの子の名前なのですか?」


 不意に背中越しにかけられた声に、陽介は少女を背負っていたことを思い出した。


 確か名前は神島――一片。


 要からは神島と、血濡れの騎士からはお嬢様、あるいは一片と呼ばれていた少女。足が不自由なのか自分で歩くことが出来ないため、陽介がおぶっているのだ。


 おそらく、彼女もひなみがレイロンから連れてきた餌の一人なのだろう。


 たまたま要がその瞬間に立ち会ったために被害を免れたが、一歩間違えれば彼女も犠牲になっていた。


 それを思うと、咄嗟に陽介は謝罪を口にしていた。


「ごめん……俺のせいで、こんなことに巻き込んで」

「いえ……。大事な、人だったんですね」


 全く責める色の無い、慈愛に満ち溢れた一片の声。鈴を転がしたような耳心地の良いその音色に、陽介は罪が洗われるような錯覚を覚える。


 身体を安定させるように首元に回された手が、まるで女神が罪人を抱きすくめるようで、陽介の瞳から涙が零れ落ちた。


「そ、っすね……大事、でした。たぶん、きっと……誰よりも」

「分かります。私たちにとって虚子は、心を通わせるもの。共に在るもの。一生を傍にいてほしいと、心を通わせたからこそ、そう想い合うものですから。彼ら彼女らの欠けた心を、埋めてあげたいと、そう想ってしまうものですから」


 含みのあるその言い方に、一つの予想に思い至る陽介だが、それを一片に問う暇はなかった。


 傍らに濃藍色の少女が並んだからだ。少女の目は、恐ろしいまでの剣呑さを湛えていた。


「おい、自分。あんま一片にくっつくなや。てか、離れろ。うちが運ぶ」


 白滝との相剋状態を解除した紫咲が、無理矢理に陽介から一片を奪い取る。彼女の身体から伸びた血の触手が一片の胴体に巻き付き、宙に浮かべてみせる。


「う、おっ!」

「あらあら、強引ですね。紫咲」


 背中にかかっていた体重が消えたことで態勢を崩しかける陽介に対し、運ばれた一片は余裕の表情だ。陽介が思う以上にあの運び方は安定しているのかもしれない。


「はん、このクズ男に一片任せられるかいな。自分の虚子、崩壊させるなんざ、同調者の中でもくそのくそや。こいつと同調した虚子が哀れやわ」


 吐き捨てられた侮蔑の言葉が陽介の心を深く抉る。だが、事実ゆえに返す言葉も無かった。


 何も言い返せない陽介の代わりに、一片が紫咲をたしなめる。


「紫咲、あなたはいつも極端で物言いが辛辣です。人には人の、図り切れない事情というものがあるんですよ」

「事情なんか関係あらへん。事実が全てやろ。こいつは自分の虚子を見捨てた。見捨てたうえに、逃げ出した。同調者なら、一緒に死んでやるくらいの気概は見せてみい」

「紫咲……無為に命を散らすことに何の意味があるんですか」


 悲しげな一片の言葉にも、紫咲の言葉は止まらない。虚子として、彼女には思うところがあるのだろう。


「心なんて意味が無いものを、それでも追い求めて必死にすがってるのがうちらなんや。意味なんてない。けどな、そこに心があるなら、それが虚子が唯一残したもんなら、拾ってやらなあかんのや」


 そう締めくくり、紫咲はそれ以上の言葉を重ねることは無かった。陽介から興味を失くしたように彼の隣を離れ、背後を走る白滝の隣に並ぶ。


「そろそろ地上や。この後どうする?」

「ああ、そうだな。お嬢さまを安全なところへ連れて行った後に、加勢に向かう」

「安全なとこぉ? ここにあるわけないやろ! それよか、さっさと離れた方がええ。やっぱり一片を連れてくるなんて間違いやったんや! うちの力ならいつでもあいつら追える。それがベストや。虚虜は捨て置けんが、一番は一片やろ」

「まぁ、言いたいことは分かるが……お嬢さまはそれを認めんだろう」

「白滝の言うとおりです。紫咲、私は帰りませんよ? それに、要さんたちを助けてあげてください」


 三人で相談事を交わし、すっかり蚊帳の外になった陽介は、おずおずと手を伸ばして三人の間に割って入った。


 未だ、紫咲の言葉が深く胸に圧し掛かっている。だが、巻き込んだ責任だけは取らなければいけない。


「あの、安全かどうか分からないっすけど……ちょっとした心当たりはあるっすよ」

「はぁ? 犯罪者だらけのレイロンでか? うちら以外にこのレイロンで一片守れるやつがおるとでも?」


 紫咲のきつい口調に気圧されながらも、己を鼓舞して前に出る。


「たぶん、目的は一致してるので……手を貸してくれるんじゃないかぁ、って思うんすよね」


 陽介が思い出していたのは、数刻前に訪れたレイロンの情報屋――未来を見通すPREDICTIONの店主、センリの姿だった。

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