第四章 ①
レイロンのはるか上空。
つい先ほど、必によってダウンバーストの発動に利用された雲の中、『それ』は姿を隠すようにして揺蕩っていた。
己の膨大な存在感を極限まで薄めながら、はるか下――地上すらも透過した先の地下の光景を眺め、舌なめずりする。
ようやく実った。
長い長い時間をかけて、その存在すらも忘れていた頃になって、やっと成った。その感慨に打ち震え、子の誕生に歓喜する。
本来持ち得ない感情というものを疑似的に感じる。
だが、それは一瞬のことであり、身を震わせるほどの歓喜は幾ばくも持たず、直ちに泡と消える。もはや、何の感慨も無い。興味すら、失せてしまったと言える。
不思議なものだ。
この場所でその存在に気づき、実りやすいように楔を打ち込んで成長を促し、長々とこうして見守っていたにも関わらず、終わってしまえば呆気ないものである。その先行きすら、どうでもいい。
あるいは、それが『それ』足る所以なのだろう。
はるか下の地上で轟音が立て続けに鳴り響く。
交戦状態に入ったその子は、他のものと同様、これから侵攻を開始するのだろう。その果てに討たれるかもしれないし、あるいはより強大な存在へと成るかもしれない。だが、所詮はなり損ないだ。半端な形で成長を迎えたゆえに、『それ』と同一の存在にはなり得ない。
結局、最後の最後まで最も大事な者を喰らうことが出来なかった。
感情があるがゆえに惑い、悩み、苦しみ、乞い求め、感情があるがゆえになり損なった。
矛盾だ。
いや、その矛盾こそ、心なのだろう。それを美しいと思うからこそ、甘美な芳香に惹かれてしまうのだ。
すでに興味も失せた。
次なる興味は、すでにこのレイロンに訪れている。
今日はめでたい日だ。
『それ』が生んだ子らがこうも集まることがあるだろうか。珍しいとさえ言えるし、何よりその事実を思い出せたことが行幸だ。
まぁ、そのうちの一人などは、『それ』があえて干渉し、人間の手から逃がしてやったのだが、結果はこの通りだ。意図せずに片割れを巻き込んでこのレイロンを訪れ、おそらくはその美しい心の輝きを見せようとしてくれている。
人の心は花火に似ている。
高潔な心の持ち主は、昂ぶりのままにその輝きを解き放ち、その最期、美しくも儚く散っていく。
その様こそが美しい。
一瞬の煌めきと、最後に残る余韻こそ、最も甘美な味わいを宿す。
雲の一部がゆらゆらと暴れだし、『それ』は一つの形を作り始める。
足元まで伸びた透き通るような白の髪に、満天に輝く星空よりも妖しく光る金色の瞳。肌は病的なまでに白く、その顔立ちは恐ろしいほどの芸術的な美しさを秘めている。肢体は少女のようだが、口元に浮かべた笑みは、人間とは思えないほどの狂気的な恐ろしさを宿す。
姿形は人のものでありながら、決して人では無いと一目見ただけで誰もが気づく異形。
抑えきれず漏れ出した世界への違和感は、現れたのが雲の中であったがゆえに、誰にも気づかれることは無い。
「さぁ、そろそろ頃合いかな。でも、まだだ」
長い白髪をはためかせながら、酷薄の笑みを浮かべた『それ』は、漏れ出した強烈な存在感を一瞬のうちに押しとどめ、堪えるように両肩を抱く。身悶えするような煽情的なその様は、しかしもしこれを見る者がいれば、欲情するものなど皆無であったであろう。
見る者がいれば、こう感じたはずだ。
ああ、死ぬ――と。
濃密な死の存在感を放つ『それ』は、最後に少女らしい無邪気な笑みを浮かべ、再び雲に溶けて消える。
恐ろしいことに、その一瞬の存在の発露に気づく者は誰もいなかった。




