第三章 ⑦
「要、良かったの?」
PREDICTIONを後にしてしばらく、陽介が目撃したという現場に向かう道中、必は要にそう尋ねた。そのどうとでも取れる質問に対して、要は問いで返す。
「気づいてたのか」
「うーん、何となく? 部屋は綺麗だったから掃除して、そんなに時間が経ってないっぽかったけど、ほらこれ見て。センリちゃんと長さも色も違う髪の毛が落ちてた」
「まるで彼氏の家をチェックする彼女みたいだな」
必が数本の長い髪の毛を差し出してくる。受け取った要は、目を凝らしてその髪の毛を確認した。太陽の光に照らされて風景に溶け込んでしまうような、綺麗な白金色に輝いている。
「あとはあの部屋、結構暑かったのに窓を閉め切ってたよね。部屋で座るときも、玄関から直接行けば窓側にセンリちゃんが座る方が普通なのに、なんでか玄関側にセンリちゃんが座って、窓側にわたしたちを座らせるように勧められたし。まるでそっちに意識を向けられるのを避けるように」
「そうだな」
要たちの目の前を陽介が歩く。三日前の記憶を探るようにうーんと唸っており、小さな声で話し合う二人の様子には気づいていないようだ。
「俺たち以外の誰かがあの部屋に――ベランダにいた可能性は高いだろうな」
「うん、たぶんね。それも隠しておかないといけないような誰かが。――良かったの?」
再びの問いに、要は文句を言いたげに必を睨んだ。
「そもそも人の脅しを邪魔したのはお前だろ」
別に根に持っているわけでは無いが、良いのか、などと聞かれると文句の一つも言いたくなる。要もあの瞬間、あの場所で違和感を感じていたのだ。必ほど分析して言語化できるレベルでの違和感では無く、何となくの勘でしかなったが、センリは何かを隠していると感じていた。
「脅すのはダメだよ。ヨウくんもいたし、戦いになったら巻き込まれる」
「あんなやつどうでもいいだろ」
目の前で呑気に歩く陽介の背中を一瞥し、要は吐き捨てた。彼が付いてきていることに関しても不満で一杯だ。まぁ、虚虜らしき影の目撃現場を知っているのは陽介だけなのだから、そこは割り切って考えてはいる。
「本当になにか起きたら助けちゃうくせに、どうしてそんなこと言うかな。要はツンデレ属性なの?」
「誰がツンデレだ」
確かに必の言うとおり、本当に危険なことが起きたら陽介の身を守る程度のことはするだろう。自らの意思で、目的があるとはいえ、特対官をやっているくらいだ。要にも一般市民を保護するという意識はあるし、それはきっと一般人のそれよりも高い。
だが、何も善人ぶるつもりも無いのだ。目的のためなら切り捨てることもある。
そんな言い訳じみた本音は口にせず、要は面倒な話題を元に戻した。
「あそこにはたぶん、誰かいたんだろうな。あるいは、センリは何かを隠してたんだろけど……それを追求したとして俺たちが得するとは言い切れなかったからな。大人しくお願いを聞いて、知っていることを教えてもらった方が良いと判断した」
「センリちゃんに騙されている可能性もあるよ」
珍しく必は食い下がる。一体、何を言いたいのか。
要は足を止め、腰を下ろして必と視線を合わせた。表情はいつもと変わらない、緩んだ呑気なものだ。口元はほころんだまま、彼女はセンリの疑わしさを指摘している。
「どうした? お前がそこまで誰かを疑うなんて珍しいな」
「ん……そうだね、確かに」
指摘され、必も足を止めて不思議そうに顎に指を当てた。どうやら本人も無自覚だったようだ。
「しいて言うなら……あの子が虚子だから、かなぁ」
「虚子同士の警戒心ってやつか」
「うーん……はっきりとは分からないけど、そうかもしれない。私たちは、失った者同士だから、人間以上に信用できない、のかな? たぶん」
必は、虚子との関りは多く無い。ここ一年、皆無だったと言えるかもしれない。仕事内容上、他の特対官と組む機会はあったが、その時は目的がはっきりとしていたし、最初から協力することが前提だった。
だが、今回は市井の虚子と直接関わっている。必の多くは無い警戒心が、珍しくアンテナ感度を上げてしまっているのだろう。
虚子は信用できない。それは能力では無く、心の在り様に起因する。そうした考え方があることは、要も知識として知っている。記憶と感情の一部を失った虚子は、人間以上に自制や理性のタガが緩いことがあるのだ。同調者がいない虚子であればなおさらである。
「でも、ちょっとわたしらしくないよね。やーめたっ。疑ったってしょうが無いよね」
誤魔化すように快活な声を上げて、必は遠くなった陽介の背中に向かって走り出す。
それを見送り、要は振り返ってPREDICTIONの方向に目を向けた。
(疑わしい、か……。確かに必の言うことももっともだが、それを判断する術が無いんじゃどうしようもないよな)
今はとにかく、センリを信じて、彼女の持つという情報に期待をかける以外は手がかりが無いのだ。何かしら彼女が企んでいたとしても、それを嬉々として指摘したところでどうにもならない以上、大人しく何も気づかずに従っているフリをした方が良いだろう。
(それに思い過ごしってこともあるしな)
元より接点の無かった相手だ。何か企んで要たちをハメようとしている、と考えるのはやや疑心暗鬼に過ぎる。仮にあの瞬間、誰かを隠していたとしても、それは身を守る何らかの手段の一部だったかもしれないし、もしくは要たちに見られたくない誰かだったという可能性の方が高いだろう。
必の常に無い警戒心は気になるところだが、それで悪い方向に考えすぎるには、根拠が薄すぎる。
「アニキー! 置いていきますよー!」
「要―! こっちだってー!」
ぼんやり考えている間にすっかり二人に置いてけぼりをくらっていた。
大きく手を振って要を呼ぶ二人に小走りで追いつくと、陽介が眼前の路地を指さした。崩れた高層ビル同士に挟まるようにしてある路地であり、廃墟であること以外には、軽く見た程度では特徴的なものは何もなかった。
「ここっす。俺が尻尾の影を見た場所」
路地の中には入る。太陽の影になったそこは、大通りと比べてひんやりと冷たい空気が流れている。
軽く視線を走らせて危険が無いことを確認した後、要は腰を下ろして地面に目を凝らした。
ここに来るまでに人に出会わなかった。そこから考えて、この場所は人通りが多くないのだろう。陽介が目撃したのは三日前という話だが、ここ最近雨が降った記憶も形跡も無い。本当に虚虜が現れていたのだとすれば、何らかの痕跡が残っているはずだ。
(見つけた、何かが通った痕跡だ)
特殊災害以降、人の手を離れたそこには、コンクリートを突き破って雑草が所々に生い茂っている。光を求めるように、大通りに向かってやや倒れるように伸びた雑草の一群の中で、何か大きな力で抉られたような跡があった。人間が踏み荒らしたものとはまるで異なる、大きなものが引きずられたようだ。
「お前ら、何か手がかりが無いか探せ。ただし、気をつけてな。せっかくの手がかりを台無しにしないように」
「お、なんか刑事みたいっすね」
「はーい」
陽介と必のやや気の抜けた返事を聞きながら、要はさらに調査を続けていく。先の痕跡から、この場所で何か大きなものが引きずられていったことは分かった。それは路地の奥に続いているが、途中で雑草が生えなくなっていることから、次はコンクリートの痕を捜していく。元々廃墟だった手前、小傷やひび割れが多く、直近のものだと判断することは難しいため、あからさまな痕跡のみを捜す。
(これは……鋭利なものでつけたような傷跡があるな)
コンクリートには、所々で似たような三本線の傷が走っていた。影になっているために近づいてみないと分からないが、災害で起きた傷では無いだろう。何か獣の痕跡のようだが、こんな大きな爪を持つ獣は自然界には存在しないはずだ。
(こっちは、服の切れ端か?)
割れて突き出たコンクリート片に敗れた白い布のようなものが引っかかっているのを見つける。手にとって裏返すと、日焼けした洗濯タグが見て取れた。
手にした布の切れ端をポケットに突っ込み、スマホを取り出してライトを付ける。このレイロンでは電波が来ていないので通信機器としては使い道も無かったが、暗闇を照らす明かり程度には使うことが出来る。
左手でスマホを掴み、右手で腰元に収めた柄に手をかけながら、慎重に進む。
まさか虚虜が現れるとは思えないが、先ほど見つけた痕跡だけでも、警戒するには余りある。
路地を進み、L字になっている突き当りを左に進む。
曲がった先には、地下鉄の入り口が見えた。地下へと通じる空間は真っ暗闇に覆われ、先をうかがい知ることが出来ない。
(ここにも傷がある。ここを通ったのか?)
地下へと繋がる階段に付いた三本線の傷跡に軽く触れる。スマホのライトを付けたままカメラ機能を起動させ、傷跡に向けた。そのままスマホを操作して拡大する。
(コンクリートとは違う、黒い欠片?)
スマホのカメラを指に向ける。指には、黒い小さな欠片が付着していた。明らかなコンクリートの欠片や瓦礫のそれでは無い。光にかざすと、薄く透き通っている。
(虚虜の体組織、か? 爪の欠片……判断するのは早計か?)
スマホのライトを階段の方に向ける。本当にここを虚虜が通ったとするのであれば、引きずられた人間は階段の段差に何度も打ち付けられたと想像することが出来る。その痕跡を捜す。
「要―!」
「おわっ⁉」
不意に大声で背後から呼びかけられ、要は階段で足を踏み外しかけた。何とか階段脇の手すりを手に取り、転げ落ちることを回避する。
傍から見ると滑稽な振る舞いを見せる要に、駆け寄ってきた必がやや呆れた声をかけた。
「なにしてるの? 要」
「お前がいきなり声をかけるからだろうが……どうした?」
下がった分の階段を上った要の手を取り、必は引っ張っていく。
「手がかりを見つけたよ」
そう言って必が要を連れて行ったのは、路地の中の雑草に覆われた一角だった。そこには陽介が片膝をついて待っており、二人の姿を認めると、両手で雑草をかき分ける。
「アニキ、ここっす。ここ、この地面とビルの壁のところ」
「穴、か? にしてもそんなに大きくないな」
陽介がかき分けた雑草に隠れるように、中型犬がなんとか通れる程度の穴があった。穴は地面と廃ビルの壁を伝うように開いており、先は地面の奥に向かって伸びている。動物の巣穴か何かだろうか。
「モグラかなんかか?」
「いや、それがそうでもないんすよね。ほら、これ」
陽介が穴の端の方を指さす。そこに目を向けると、親指大の小さな黒い塊があった。手に取って眺めてみると、表面はつるっと丸みを帯びており、一方で裏面は薄い皿のように凹んでいるのが分かる。
「鱗?」
「っすかねぇ……。さすがにモグラに鱗は無いっすよね。っていうか、こんな真っ黒な動物っているんすかね?」
陽介の質問を無視して、要はスマホのライトをその鱗と思われる物体に当ててみる。やはり、光の当たった表面が黒色にもかかわらず薄く透き通っていた。
「虚虜の一部だな」
「え⁉ そんなんで分かるんすか⁉」
「虚虜も虚子も、体表面に強い光を当てると薄く透き通るんだよ。よく見ないと分からないけどな」
「そうだよー。ほらヨウくん、わたしの身体も光を当てるとこんな感じ」
必が要のスマホに右手をかざす。強い光を浴びたその右手は、仄かに薄く透き通っていた。陽介が顔を近づけて、睨むような目力でそれを見る。
「え、え~……そ、っすかぁ? いや、わかんないっすねぇ」
「慣れてないと見分けるのは難しいからな」
虚虜の鱗らしきそれを放り捨て、要は服の裾で手を拭う。感触自体は特に不快感のあるそれでは無かったが、心情的には別だ。虚虜の体片など、何が付いているか分かったものでは無い。虚虜を経由して病原菌に感染するという話は聞いたことは無かったが、心理的には気持ち悪さを感じてしまう。
「要、次はこっち」
「ん?」
次に必が要を連れて行ったのは、路地の突き当りの方だった。影が濃くなっており、視認性は悪い。そこに転がった瓦礫を手に持ち、必は軽々とひっくり返す。
「これ、血かな?」
必がひっくり返した瓦礫の裏面には、血痕らしき跡が見えた。すっかり変色して黒ずんでいる。
「被害者が怪我をして血が付いた瓦礫が、虚虜の力でふっ飛ばされたって、感じか?」
「たぶん?」
周辺の瓦礫を同じようにひっくり返してみると、似たような血痕が見つかった。元が大きな瓦礫だったのか、それとも細かな瓦礫に飛んだ血液が付着して、その後に吹き飛ばされたのか。ばらばらの断面は歪でその点については判然としなかったが、こうも似た痕跡が同じような場所に散らばっていることを考えれば、痕跡の発生時期は同一と見ていいだろう。
「虚虜って人を喰らうだけじゃなくて、ケガさせることもあるんすねぇ」
飛び散った瓦礫の一つを陽介が持ってくる。襲われた人間は結構な出血量だったことが分かる。
「場合によれば、だけどな。意図してってよりかは、虚虜の破壊に巻き込まれてケガすることの方が多いが……」
元々が虚虜の被災地だけあって周囲は荒れ放題なため、直近で何か虚虜の被害があったのだとしても判別することは困難だ。
この路地で虚虜が暴れたのか、あるいは人間を無力化するために狙って襲撃したのか。それに地面を引きずっていったような痕。その場で喰らえば良いものを、わざわざ場所を移したという不可解さ。
(普通の虚虜とは少し違う……が、移動方法を持たない虚虜と考えれば、理由も付くか?)
本体は別の場所に根を張って動けない代わりに、先兵を使って獲物を捕らえる。だからこそ、獲物はその場所で喰らわず、本体のもとへと運び込んだ。
かつて要が戦った虚虜の中には、本体はその場に根差したまま動かず、長大な触手を伸ばして人間を襲うものもいた。その本体が潜伏したバージョンであると考えると、一連の事態にも得心が行く。人が攫われる瞬間が人目に付かなかったのは、このレイロンという特殊な環境ゆえだろう。
(そうなると、次に考えるべきは本体の潜伏場所だが……)
わざわざ人を攫って運んでいることから考えて、虚虜が姿を消して行動しているとは思えない。おそらくどこかに出現したままその場所に住み着き、触手を伸ばして人を襲っている。その住居は果たしてどこか。
先の光景を思い返す。
引きずられるような痕は、地下鉄の階段に続いていた。
未だに目撃情報の無い虚虜の本体。地上に住み着いているとは思えない。レイロンとはいえ、南地区は人口が多いと聞く。その辺に住み着いているようであれば、誰かが気づいたことだろう。人間が運び込まれているのであればなおさらだ。
(地下は崩落の危険があるから人も住み着きにくいだろうし……仮に人が住み着いていても全滅してるだろうな)
地上で潜伏している可能性は低い。だが、地下であればどうか。
可能性は高い、というよりも一度考え出すと、その可能性しか考えられないと思える。
「そういえば、さっき要は何を見てたの?」
次の目的地を思考していた要は、必の声に我に返る。そういえば、彼が見つけた手がかりについては何一つ共有していなかった。
「ああ、そうだな。俺が見つけたものはこれだ」
要はポケットから布の切れ端を取り出すとともに、地面に走る爪痕や、人が引きずられたような痕を説明した。あわせて、地下に虚虜が潜伏している可能性についても伝える。
「じゃあ、次に行くのは地下だね」
「ああ、そうだが――陽介、お前はもう帰れ」
振り返り、要は陽介に付いてくるなと言外に告げる。
もし本当に虚虜が地下に潜伏しているのであれば、中で起きるのは戦いだ。虚虜との戦いは苛烈を極める。何より必の異能は爆発であり、その制御も不得手と来ている。地下で爆発を起こせば何が起きるか。少なくとも一般人が五体満足に無事で生き残ることは難しいだろう。それにここまで廃墟と化した街の地下だ。仮に異能が無かったとしても、崩壊の危険性は十二分にあり得る。
全ての要素が、陽介がこれ以上、共に行動することは危険だと告げている。何より、この目撃現場に案内した時点で彼の仕事はほとんど終わった。
そう思い、口にした要だったが、振り返った彼の表情が訝しげに変わる。
「ヨウくんならさっきあっちに行ったよ?」
「は? おい、そっちは地下鉄の――」
必が角を曲がった先にある地下鉄の入り口を指さしていた。
要と必が話している間に、話を聞いた陽介が何も言わずに地下鉄の方に向かっていた。その後ろ姿が地下の闇の中に紛れて消えていく。
――だが、要にはそれを追いかけることも、見送ることすら出来なかった。
「なんや調べもんか、豚女」
頭上から声がかかる。
聞きなれない声にも関わらず、要たちはその声と口調に大きく目を見開いた。
つい先日の記憶――パソ子の自宅での出来事が思い返される。
反射的に頭上を振り仰いだ二人の視界で濃藍色が揺れる。それは瞬きの間にゼロ距離までに近づき、次の瞬間に鮮血が舞った。
「やるやないか、豚女」
「いきなり不意打ちとか、卑怯じゃないかな」
濃藍色の髪の少女――紫咲が首に爪を立てたまま立ち上がる。
対峙する必は、両手に光を集約させた状態で、拳を構えている。
先ほどの一撃。紫咲は、上空から二人に急接近した後、血液を操る異能で避けようのない広範囲の攻撃を放った。これに対し、突然の襲撃を前に、必は一瞬のうちに異能による爆発を解き放って迫る血液全てを打ち払ったのである。
周囲へ飛び散った紫咲の血液が、生物のように彼女のもとへと舞い戻っていく。それはやがて、大きな鎌を象る《かたどる》。血鎌と表現できるそれを担ぎ、紫咲は不敵に笑う。
「パソ子の家で襲ってきた虚子か」
一連の事態に際して回避に徹していた要は、腰元から柄を取り出し、黒刀の状態に展開する。突然の事態に多少なりとも驚きはあったが、元々追いかけられていたことを考えれば、むしろ今までよく見つからなかったものだと言える。
「要はヨウくんを追いかけて!」
「……ちっ、そうだったな」
戦闘態勢に入る要を、必が制止する。その声に直前の出来事を思い返す。
あの一般人は、何の警戒心も無く、さも当然のように地下鉄の構内の方に向かっていったのだ。その先にどんな危険があるか分からないにもかかわらず。
「この子はわたし一人で何とかするよっ」
「はー? お前一人でうちを止める? 突っ込むしかない豚女が大きく出たもんやなぁ」
挑発的に笑いながら、紫咲の瞳の奥に底冷えするような冷たい色が浮かぶ。血鎌を握る手に力がこもり、ミシミシと軋んだ音を立てる。
「なめとんか? 同調者のいない虚子ごときにやられるかいな」
「そっちだって、同調者は見かけないけど。条件は一緒だよ」
要は周囲の気配を探る。必の言うとおり、パソ子の自宅で襲い掛かってきた大柄の同調者の姿は見えない。今、紫咲は一人で襲ってきていた。
虚子と同調者相手に、不意打ちとはいえ虚子一人で襲ってくる。
何の意図も無いと考えるのは不自然だろう。だが、周囲に同調者の気配を感じないことも事実だ。隠れている可能性もあるが、この狭い路地裏で、頭上以外に隠れられる場所は無い。
「うちをお前みたいな豚女と――一緒にすんなやっ‼」
紫咲の怒号に呼応するように、必の近くに付着していた紫咲の血液が反応する。それは鋭い棘のように研ぎ澄まされ、必の身体を貫かんと迫りくる。
反射的に後ろに飛びのき、必は血の棘を回避する。そんな彼女に向かって、路地の壁を蹴立てて紫咲が迫った。血鎌を大きく振りかぶり、遠心力を利用して大きく回転しながら必の首を狙う。
「必!」
要が手にした黒刀を必に放り投げる。それを受け取った必は、紫咲の一撃を黒刀で迎え撃った。
刃同士が噛み合い、鈍い激突音を響かせる。
だが、直後に激しい爆発音が響き渡り、二人の小さな身体は上空へ飛んだ。
「前にも思ったけど、豚女っていうのは失礼だよ!」
「お似合いやろが!」
廃ビルの壁を蹴って舞い上がりながら、上空で武器同士をぶつけ合う。異能も交えた激しい空中戦を繰り広げる二人の様子から目を離し、要は路地全体をぐるりと警戒した。やはり、同調者の姿は見当たらない。
(あの虚子は、必に任せるしかないか……くそ、あの野郎)
地下鉄に向かった軽薄な背中を思い返す。
正直、見捨てて必に加勢したいところだが、それは必が許さないだろう。こちらが何かを言う前に陽介を追えと言われてしまっている。
拳を強く握りしめる。上空で戦う濃藍色の髪の少女は強い。わずかばかり戦った程度だが、それは明らかだ。加えて異能も未知数と来ている。おそらく、先ほどの様子から血液を用いた力だとは分かるが、その全体像まで確認できたわけでは無い。
必一人でどこまで戦えるか。妹を捨て置いても問題ないのか。
内心の葛藤に足が止まりそうになる。だが、要は必の言葉を思い返して意を決した。
迷うなら、必の意志を優先する。
彼女の中にわずかばかりに残った心の在り様を尊ぶと決めたのだ。
そこに泥を塗ってしまえば、妹を人間に戻したいという想いすら無価値なものになってしまう。
「あの野郎、見つけてぶん殴ってやる」
血管が浮き上がりそうになるほど拳に力を込め、要は地下鉄に繋がる階段に向かって走り出した。




