第三章 ⑥
扉が閉まる音がする。
出ていく要たち三人を笑顔で手を振り見送った後、しばらく様子を置き、センリはベランダの方を向いた。ひび割れて半壊したガラス戸に近づき、建付けの悪いそれを何度か押し込みながら、無理矢理に押し開く。
「長々と悪いわね、陽彩」
部屋から見た死角、ベランダの角にある壊れた換気扇に一人の少女が腰を下ろしていた。
白金色の透き通る金髪に紅玉の瞳を持つ、十代半ば頃に見える少女――陽彩。整った顔立ちにアンニュイな表情を浮かべた彼女は、ほぅっと物憂げな息をこぼし、ぽつりと呟く。
「わたし、あんなイケメンに追われてるんだね」
その表情は、どこかうっとりと恍惚としている。
再会したばかりの友人のそんな姿にセンリは表情を強張らせながら、その肩を軽く叩いた。
「ごめん、陽彩。あんたの美意識を悪く言うつもりは無いけど、周防くんは普通よりちょっと上程度よ。悪くは無いけど、そんな夢見る乙女になるほどのものじゃないわ」
「うそっ⁉ どちゃくそイケメンだよ⁉」
ないない、と手を振りながら、センリは陽彩を室内に招き入れる。陽彩は埃を払うように身に着けたロングスカートをぱんぱんと叩き、センリに従って室内に入った。
「全く、いきなり人が来るから焦ったわ。一応、あんたに隠れてもらっておいて良かった。まさか……追手とはね」
部屋の角に置いていた段ボールの中から天然水とラベリングされたペットボトルを取り出し、それを陽彩に差し出す。影の多いレイロンとはいえ、季節は夏の初めだ。外で待っているのは体力的に疲れただろう。
受け取った陽彩は、感謝を述べながらペットボトルの蓋を開け、一気に口にする。よほど外で待つのは暑かったようだ。
「ごめんね、面倒かけて。はぁ……にしてもあっついねぇ。ここ、エアコンとかないの?」
「あるわけないでしょ。電気が通ってるわけじゃないんだから」
「あはは、そりゃそーだ」
陽彩の様子は、追われているとは思えないほどに朗らかで呑気なものだ。センリはその様子を慎重に眺めながら、うかがうように尋ねた。
「大丈夫?」
「え? なにが?」
「動揺してないかしら? 追手が来たのよ。あんたを捕らえて……実験してた追手が」
気を遣ってか、言い辛そうにセンリは口にする。再会してわずかしか経っていないが、センリは陽彩の事情を事細かに話してもらっていた。そのため、少しばかり同情的になっている。
「うーん……まぁ、別にそこまでひどいことされてたわけじゃないし。そりゃ、追手とかちょっと怖いけど、そこまでかなぁ。それに、かなかな、カッコいいし!」
「か、かな、かな? それって、周防くん?」
突然の愛称呼びに混乱するセンリに、陽彩は得意気に語る。
「要くんだから、かなかな。どう? いい愛称じゃないかな?」
「え、っと……話したことも無い人を愛称で呼ぶのはどうかしら?」
センリの割と常識的なツッコミに対して、陽彩はよく分かっていないように小首を傾げた。彼女にとっては、周防要はテレビの中の有名人――推しとかそういう感覚なのかもしれない。
「っていうかセンちゃん、ひどいよ。あの虚子の話、わたしのことでしょ⁉ わたし、この前、虚子になったわけじゃないし、そもそも殺されてないし!」
思い出したように陽彩は頬を膨らませる。コロコロと変わる表情は、見ていて愛らしいものだ、とセンリは微笑ましさに頬を綻ばせた。
「あー! なに笑ってるの⁉」
「ごめんなさい。でも、あれが周防くんを上手く追い払う良い手だと思ったのよ。時間も稼げるしね。あたしの懸念していた虚虜の存在にも対処してくれるし、一石二鳥じゃない」
先の要との対話で、センリは三つ嘘を吐いた。
一つ目は、このレイロンで新たな虚子が生まれたという点。
二つ目は、その虚子がすでに故人であるという点。
前者は、このレイロンに虚虜が潜伏しているということに信ぴょう性を帯びさせるため、後者はその虚子への具体的な追及を避けるためのものだ。
最後の嘘は、虚虜の目撃情報が無いという点。
目撃情報ならある。これもまた、虚子への具体的な追及を避けるためというのが理由の一つだが、もう一つあるのだ。センリがそれを隠したかった理由。
「かなかなじゃ……ううん、たぶん誰にも、あいつには勝てないよ。分かってるでしょ」
「……」
陽彩の表情が真剣なものへと変わる。その瞳は、責めるような色を帯びていた。
「なのになんであんなことお願いしたの。本当にたどり着いたらどうするつもり? 殺されちゃうよ」
「不思議ね。どうして自分を追ってきたような連中を心配するの?」
「するよ。だって一片ならそうするから」
一片と呼ぶその一瞬だけは、陽彩の声には親愛の情がこもっていた。それが彼女にとって、どれほど重要な存在なのかがよく分かる。
「六年前、わたしも、それにセンちゃんも、一片も、あいつに負けたんだよ。倒しきれ無かったんだ。わたしはこんな不安定な身体になって、一片は足を奪われて、センちゃんは……。分かってるでしょ。ただの特対官が勝てる相手じゃない」
なのにどうして、あんな危険に自ら突っ込ませるような真似をさせるのか。
真意を問うような陽彩の目を、センリは真っ直ぐに見つめ返す。
「あんたはこの六年、土の中で眠ってたのよね。それをたまたま一月前にレイロンの住人に掘り返されて、目覚めてすぐに政府に売り渡された。非常に珍しいサンプルという理由で」
「そうだよ」
「だったら、知らないでしょうね。あたし、これでも情報通なのよ」
「それはもう聞いたよ。政府に見つかって管理されることを嫌がって、このレイロンに腰を据えたんでしょ。異能を使って、レイロンの情報屋を始めたって」
六年前、望島特殊災害が発生したあの日、センリは全てを失った。心を共にした同調者を失い、過酷な現実の中で友となった少女を失い、一人ぼっちになった。同調者を持たない虚子は政府に厳しく管理される。だが、同調者を失ったセンリに、新たな同調者を得るという選択肢は無かった。本能よりも先に彼女の意思がそれを拒絶した。だからこそ、彼女は虚子が隠れて安全に暮らせる場を求めたのだ。そんな彼女にとって、レイロンという環境は非常に都合が良かった。彼女はレイロンの創設者たちと共に政府の救いの手から漏れ出た被災者たちを束ね上げ、衣食住の環境構築に尽力し、一時の安住の地を得た。
「ええ、そのとおり。でもね、別にレイロンだけじゃないのよ」
「ん?」
その過去の繋がりから、センリのもとにはレイロン以外の情報も当然のごとく流れてくる。彼女自身が同調者を持たない不安定な虚子であり、ともすれば政府に目を付けられる危険性を孕んでいる以上、外の情報を入手することは彼女にとって生命線だった。
「知ってるかしら。一年前、東京で大規模な特災テロが起きた。あり得ないことに特対官が虚虜を率いて、計画的に都市を襲ったのよ。政府の対応は完全に後手に回り、六年前に培われた首都防衛の対策すらも意味をなさなかった。――この国は、あと一歩で崩壊する寸前だった」
「そ、れは……知らない、かな。初めて聞いた」
現実味に欠けた話を前に、陽彩は表情を強張らせる。彼女の常識にとって、信じられない情報がいくつもあったことだろう。
「けど、それはギリギリのところで防がれた。都心に集結した百を超える虚虜と、それを率いる強力な特対官は、たった一人の同調者とその虚子の手によって打ち倒された」
「え?」
センリの話の意味するところを察したのだろう。陽彩は間の抜けた声を上げる。
「周防要と周防必。それが一年前の特災テロをほとんど二人で解決した、この国で最高戦力の一つに数えられる特対官――そう聞いているわ」
センリから放たれたその事実に、陽彩は二の句が告げなかった。ただ、徐々に頬が興奮したように紅潮していき、それは一気に解き放たれる。
「すっっっっっごっっっっ‼」
「は、は?」
「え、なにそれ⁉ えぇー! かなかな、やばすぎっ!」
意外なその反応にセンリが呆気に取られる中、興奮冷めやらぬ様子で陽彩はすごいすごいと連呼する。もっと、恐怖するとか、そういう反応は無いのだろうか。仮にもそんなやばい連中が陽彩を追ってきていることに関して、もう少し思うところは無いのか。
やはりこの子の感性は少し変だ、とセンリは確信を深める。
「ってか、よくかなかなに武器を向けられてたのに平気だったね」
見てたのね、とセンリは嘆息した。姿を見られる危険性があるのに、室内の様子を覗き見ていたようだ。
「平気じゃないわよ。内心はビビり散らかしてたわよ。そもそも玄関前で顔を見たときから心臓ばっくばくだったわよ」
「あ、さすがのセンちゃんもそうなんだ」
「当たり前でしょ⁉ 虚勢張るためにあの子のこと蹴ったけど、やり返されたらって思ったら泣きそうだったわ」
要たちの前で見せていた冷静で泰然とした様もどこ吹く風。すっかり先の一幕を思い返して、センリの身体から力が抜けていた。張りつめていた虚勢が取り払われ、思い出したように身体を震わせる。
「とにかく、これで分かったでしょ。たとえ相手があいつであっても、周防くんたちならきっと平気よ。上手くいけば、あたしたちが何もしなくても良くなる」
センリの記憶に過去の光景が蘇る。
炎と瓦礫で覆われた街中で、人間とは全く異なる酷薄の笑みを浮かべる白髪金眼の少女の姿。人間と似た姿をしながらも、浮かべる表情はただ人間を模しただけの虚構。
ぶるり、とセンリが再び身を震わせた。なんとか抑えようと身体をかき抱くが、その震えは収まってくれそうにない。
「それは無いよ、センちゃん」
震えるセンリの肩に手を置き、陽彩は静かな決意を瞳に宿す。
「あいつを他の人に任せるなんて、わたしは出来そうもない。だから、ここに来た。センちゃんの力を借りに。センちゃんの本当の未来視の力を」
陽彩の視線を見つめるうちに、センリの震えが収まった。古い友人のそんな姿は、彼女にとって勇気をくれるものだった。
「だから視てほしい。あいつはどこに現れる?」
「せっかく、周防くんたちを差し向けたのに……自ら命を危険に晒すのかしら?」
「決着は自分の手で付けないとね。それにあいつがかなかなたちの前に姿を見せるとも限らないし。何よりあいつは、一片を狙っている」
「一片ちゃん、ね。今のあの子とあんたは、虚子と同調者の関係じゃない。命を懸ける理由がない――なんてのは、無粋な話なのよね」
「虚子とか同調者とかじゃないよ。あの子は大事な友達だから。わたしの復讐に命を懸けてくれた、恩人だから」
陽彩の意志は固い。昔から――彼女が人間であった頃からそうだ。多少は性格が変わってしまったが、根っこの部分は何も変わっていないようである。
面倒見がよく、穏やかで義理堅い。何より強い正義感を持っている。
かつては同調者として、その後は虚子として。
今は、どうなのだろう。虚子から人に戻ったと言われている彼女の今は、言うなれば不安定で曖昧な存在だ。そもそも人に戻ったなどと眉唾だが、確かに虚子の姿より肉体は成長している。ちょうど六年分か。
「センちゃんの未来視の本質は、条件を限定するほどに精度が上がる、だったよね。対象を、場所を、時間を、状況を、指定すればするほど、確度と解像度の高い未来が視える」
「そのとおりよ。つまりあんたは、自分があいつと戦う前提で視てほしいわけね」
「うん、そうだよ」
はぁ、とセンリはため息をついた。思い出しただけで身体が震えるような相手の姿を、わざわざ自分の力で映さないといけないのか。嫌がらせのようなお願いである。
(けど、仕方ないわよね。あたしの数少ない古い友人のお願いだもの)
半ばあきらめと共にそう自分を納得させ、センリは胸の前で手を構えた。水をすくうように手をかざしながら、ふと思う。
(そういえば、さっき見た周防くんの光景……あれはあいつじゃなかった。遠い未来の光景かと思ったけど、気がかりなのは陽介くんの見た尻尾の影。ただの見間違いかもとも思うけど、もし本当にいるとしたら……あいつ以外に本当にここに虚虜が潜んでいる?)
センリが両手でつくった器に光が満たされ、それは即座に弾けて舞った。
映像が浮かび上がる。
そこに映る光景を前に、二人は言葉を失った。




