第三章 ⑤
未来を見通すPREDICTION。
それがレイロンの南地区――商業を主とするこの地域で情報屋(本人曰く、何でも相談窓口)を営む虚子の少女、センリが標榜するキャッチフレーズらしい。本人が訂正するとおり、情報屋というには少し趣きを異にしており、主に住民との交流を通じて様々な噂話を耳にし、それを自分の頭で分析・整理したうえで一つの「答え」として取り扱っているとか。相談窓口が示すとおり、何らかの報酬を引き換えに、相談者に対して解を示すことを生業としている、というのは彼女の言である。
要求する報酬は、相談内容について様々だ。
例えば、過去に陽介が相談した内容は、南地区にあるちょっとしたグループと小競り合いを起こしたからその仲裁をしてほしい(正確には、そのグループの弱みを握りたいから情報をくれというものだったが、センリは陽介との会話の中で目的の本質を読み取り、解を変えた)というものだったが、その際は他地区へ通じる道の瓦礫撤去を要求した。
相談内容に応じて、その報酬は千差万別。全てはセンリの気分次第、ということである。
そんな情報屋改め相談窓口センリの要たちの相談に対して要求する報酬は、ある意味では無理難題であり、ある意味で要たちの特性を考慮すれば、無茶な要求とは言えないものだった。
「この南地区に潜伏してる虚虜を退治して」
センリの住居兼PREDICTIONの店内。
角が欠けたローテーブルを挟んで、センリと、要たち三人は向かい合う。店というにはいささか難があり、お互いにクッションも何もなく、床にあぐらをかいて座っている。天井や壁には所々穴が開いており、太陽の光が木漏れ日のごとく差し込んでいる。
最初こそは険悪な雰囲気を漂わせていたセンリだが、要たちを部屋に招き入れ後は、そうした素振りを見せることも無く、友好的な様子でその話を聞いていた。
要は要点を絞り、センリに以下の点について話した。
曰く、要と必は特対官であること。
曰く、要たちはSS001と呼称される少女を捜しに来ていること。
曰く、当該の少女は、およそ一、二日前にこのレイロンを訪れていること。
一連の説明を特に疑問も挟まずに黙って聞いていたセンリは、まずは報酬の話をしよう、という言葉から始まり、提示した報酬の内容が先のものである。
予想だにしない要求に多少、面食らって言葉に詰まる要に向かって、センリは続ける。
「なによ。あんたたち、特対官でしょ? 虚虜退治なんてお手の物じゃない」
心底から呆れたような口調にようやく認識が追いついた要は、どこから話を聞くべきかと考え、まずは単純に一番の疑問を口にした。
「なんで潜伏してるって分かるんだ?」
自然災害に数えられるように、虚虜は神出鬼没でその登場は唐突である。有識者によっては、異次元から召喚されるなどという眉唾な話を挙げる者もいるくらいだが、実際、虚虜の出現とはそう思えるような現象として確認されている。
虚虜は、何の兆候もなく、空間の歪みを発端として現れる。
唐突に、突然に、初めからそこにいたかのような自然さと、異形の不自然さをもって、出現するのだ。逆にいえば、出現するまでは虚虜の存在を認識することはできず、ひとたび姿をくらませてしまえば追跡は困難を極めるのである。
過去、要たちもそうした一度出現したものの他の特対官の失敗によって取り逃がした虚虜を追跡して退治したことはある。その時はパソ子の情報収集能力を十二分に活用し、移動範囲や被害状況からエリアを絞り、奇跡的に出現場所の近辺を予測することで何とか対処することができた。
だが、その時でさえ、元の出現場所から数キロ離れた地点でその虚虜は発見されている。虚虜が一つ所に居座る利点など無いのだから、それも当然だ。いくつか例外を除いて、虚虜は人間を追い求めて移動し続ける怪物なのだ。
その観点でいえば、センリの用いた潜伏という表現は、要の常識でみれば違和感があった。
「いくつかの噂話、実際の被害状況からの推測と勘よ」
「被害?」
「そう。ここ最近、レイロンの住人が忽然と姿を消している噂を聞いている。それだけならまぁよくあることなんだけど、この前、ついに虚子が見つかった。レイロンの、特にこの南地区の虚子なら全部把握してる。このあたしが知らないってことは、よそから潜り込んだか、新しく生まれたってことよ」
「だから、虚虜が潜伏してるって?」
「ええ、十分な根拠じゃないかしら」
堂々と言い切るセンリだが、要は眉唾だという考えは拭えなかった。やはり、虚虜が潜伏しているという表現が引っかかる。
虚虜は災害だが、一方で生物の括りに分類されることがある。それは虚虜が人を主食とし、逆に人以外に興味を示さないからだ。人の心を喰らうという目的のもと、その目的の妨げになる建造物を破壊することはあるが、全ての行為は人間を食するためなのである。虚虜は、他の動物に一切の関心を示さない。そうした点からみて、虚虜には本能や知性があるというの定説であり、ひるがえって生物の一種であると言われることもある。
ゆえにこそ、センリの発言にも一理ある。本能や、さらには知性があるのであれば、目的合理的に潜伏という手段を取ることも考えられないことは無いだろう。
だが、センリの話には一つだけ決定的に欠けている点がある。
それはただ一つ。
「一つ気になるんだが、実際、その潜伏してる虚虜を見た奴はいるのか? 例えば、その新しく発見された虚子から話は聞いてみたのか? 見てもいない虚虜が潜伏していると言われても、信じられないぞ」
センリの話の中には、実際の虚虜の目撃情報は一切含まれていなかった。
それにも関わらず、虚虜が存在していると結論付けるのは、いささか早計では無いだろうか。
「あー、なるほど! アニキ、頭いっすね~。いやぁ、虚虜がいるって聞いてビビッて言葉失っちゃいましたよ」
要の意見を聞き、何やら勝手に安心している陽介。過去に特災に巻き込まれたという話だし、虚虜はトラウマなのだろう。
「まっ、あんたの言いたいことは分かるわ。けど、いるいないを判断するのはあたしの仕事じゃない。あたしは複数の情報から整理して、いると思ってるし、もしあんたがいないって言うなら、あたしを納得させてみなさい。いずれにせよ、いるにしろいないにしろ、虚虜の脅威が取り除かれるなら報酬は支払ってあげるわ」
「そんなもん、悪魔の照明じゃねーか」
いないことの証明など、どうしろというのか。そもそもそんなことが出来るなら、相談窓口として複数の交流関係から情報をやり取りしているこの少女がとっくの昔にやっていることだろう。
この少女は、いないことを証明できなかった。そして、いることもまた証明できなかった。ただ、不気味で違和感のある情報だけが手元に残った。
(だから、勘、か)
いるとは言えないし、いないとも言えない――証明できるものが何もないから、勘。
「あたしは文句を聞きたいんじゃないの。やるの? やらないの? 別にどっちでもいいのよ。やらないならさっさと帰って、自分でその女の子を捜すことね。いないかもしれない虚虜を捜すよりかは簡単かもよ?」
わざとなのか、挑発的な物言いをするセンリ。だが、要はその挑発に乗ることはせず、冷静に考える。ここでセンリの要求を呑む方が良いか、それとも自分の足でSS001を捜す方が早いか。レイロンは広いが、いないかもしれない虚虜を捜すくらいなら、後者の方がよほど確実ではないだろうか。
要たちには二日のタイムリミットもある。悠長にはしていられない。
「確認だ。あんたは本当に、俺が捜している奴の情報を持ってるのか?」
結局、重要なのはそこだ。
もしセンリがSS001の情報を持っているのであれば、どちらにしろ闇雲に探し回ることを考えれば、より答えに近づく可能性の高い方を選ぶべきだ。
「ええ、知ってるわよ」
――知ってる?
言い回しに引っ掛かりを覚えた要だったが、そこを追求することはやめた。いくら突いたところで、センリは口を割らないだろう。
「分かった。あんたの要求を呑む。南地区に潜伏しているかもしれない虚虜とやらを捜して、本当にいるようであれば退治する」
「ずいぶん、引っ掛かりのある言い方ね。確かにあたしが言っていることは勘によるところが大きいけど、何も勘だけじゃないのよ?」
言い合う要とセンリとは対照的に、蚊帳の外で話を聞いていた必と陽介がヒソヒソと言葉を交わす。
「なんか話がよく分かんなくなってきたっすね、アネキ」
「それはヨウくんがバカなんだよ」
「え⁉ そうなんすか⁉ アネキには分かるんす?」
「もちろんだよ。つまりね、わたしたちが虚虜を見つけて退治すれば、センリちゃんがSS001の情報を教えてくれるってことだよ」
「いや、それは分かるんすけど……。結局、このレイロンに虚虜はいるんすかね? っていうか虚虜ってこそこそ隠れたりとかするんすか?」
「んー……過去に要と戦った虚虜にそんなのはいなかったけど……まぁ、それはそれぞれじゃないかな。虚虜も異能使うし、割と個性あるからね」
「へー、個性なんてあるんすか? てっきり、誰彼構わず人なら手当たり次第に食べるもんだと思ってたっす」
「あながち間違いじゃないけど、例えば戦いのときに同調者を無視して虚子を積極的に襲いに来るのもいるよ。これって、ただ食欲って言葉じゃ説明がつかないよね。それが障害物の排除を優先してるのか、より高度な脅威の排除を優先してるのかは、虚虜本人に聞いてみないと分からないけど」
「虚虜本人に? 冗談きついっすよ、アネキ。虚虜と会話なんて出来るわけないじゃないっすか、はは」
「うーん、まぁ全部が全部、そうとは限らないけど……」
続ける言葉を必が曖昧に誤魔化したところで、室内を薄く淡い光が満たした。
突然の出来事に必と陽介の意識が光に向く。光の中心にいるのはセンリだ。彼女は、水をすくうような格好で両手を胸の前に掲げており、そこに小さな光が集約していた。
「言ったでしょ、未来を見通すPREDICTIONって。あたしの力は、未来を視る」
センリの両手から溢れた光は、やがて弾けるように周囲へと拡散し、室内を中心に一つの像を結んだ。
解像度が荒く、ノイズ交じりの光景。
そこに映る一人の少年と少女。退治するのは、生態系のいずれにも属さない異形の怪物。周辺地域からは炎が立ち込め、破壊の痕が生々しい。
映像は一瞬のことであり、それは数秒と立たずに消え去った。後には淡い光の粒子だけがパラパラと舞い、地面に触れる前に消えていく。
「今のは……」
呆然としていた要が、思い出したように口を開く。尋ねられたセンリは、憮然とした表情で答えた。
「いつかのどこか、近い未来かもしれないし、遠い未来かもしれない。もしかしたら、過去かもしれない。それはあたしにも分からない。まぁ、過去を見たことは無いけど。だから、あたしは未来を見通すってことにしてる」
「いわゆる、未来視――予言?」
「現象を事実と照らし合わせて判断するなら、そうなるわね。今のは、あんたの未来を視た。場所はレイロンかな、それっぽかったし。あんたは虚虜みたいなのと戦ってたわね」
これがセンリの言う、勘以外にこのレイロンに虚虜が潜伏していると判断した理由。今のは、要の未来を視たのだろうが、それとは別に彼女も視ているのだろう。このレイロンで虚虜が暴れまわる光景を。その未来視の力と現実的に発生している事態から総合的に鑑みて、彼女は確信に近いレベルでレイロンに虚虜がいると判断したわけだ。
「あたしの力は、対象を指定して、その対象の未来を視ること。いつとか、どこでとか、それは分からない。視える映像も一瞬だし、解像度も悪くてノイズ交じり。そんなあらあらの映像から、どこで、誰が、何を、しているのかを判断するしかない。まぁ、対象は指定するから、大体は『誰が』の部分は明らかなんだけど」
誇るでもなく、淡々とセンリは自身の異能を説明する。虚子としては珍しいことだが、戦闘用の能力では無いがゆえだろう。知られたとしても彼女が不利になるわけでは無い。聞く人によってはのどから手が出るほど欲しがりそうな力だが、このレイロンという特殊な環境ではそうした欲も育ちにくい。今の我が身も危うい彼らは、いつかも分からない遠い未来になど意味を持たない。
「詳細は省くけど、この力であたしは視た。今、あんたで視た映像と似たようなものよ。このレイロンで、それもおそらくこの南地区で、虚虜が暴れまわる光景を」
「それがあんたの言う、勘以外で虚虜がこのレイロンに潜伏してるって判断した根拠か」
「これだと不服?」
「あんたの要求を呑んだ手前、不満もくそも無いが……虚虜なんてどこからでも現れるからな。それに今の映像だけなら、俺から言わせれば、特対官の俺が虚虜と戦ってる未来なんて別に珍しいことでも無い。時間軸が曖昧なら余計にだ」
極論、遠い未来の映像だったという可能性もある。一瞬だけ確認できた要と必の衣服は、今着ているものと近似していたように思われるが、要も必も普段着にそこまで大きく差異は無い。大体、似たような系統の服を着ている。
「だから勘だって言ってるでしょ。あたしが他ので見た虚虜がレイロンで暴れる光景と、それから今このレイロンで起きている失踪、虚子の出現。総合的に判断してちょうだい」
「分かってる。要求は呑むって言ってるだろ。今のはただの愚痴だ。ちなみに俺の捜しものは、あんたがその力で捜してくれるのか?」
「いいえ、別口よ。さっきも言ったとおり、あたしはあんたの捜し人を知ってる。こんな商売やってるくらいだからね。色々と情報は入ってくるのよ」
要は、センリをじっと見つめる。嘘を吐いているようには見えなかった。
「ちなみに――」
一呼吸の間を置き、要は目を閉じて息を吐きだした。それとほぼ同時に腰元の柄に手をかけ、センリの瞬きに合わせるように一気に引き抜く。
「俺があんたを脅してでも情報を取ることは警戒しないのか?」
その場の誰も反応できない速度で、要は柄を警棒の姿に展開し、センリの首元に差し向けていた。
首元に向けられた警棒を前に、センリは表情一つ動かさない。目線だけで警棒を一瞥し、嘆息する。
「ここはレイロン。確かにあんたの言うとおり、そういう無粋な輩はたくさんいるわね」
「あんたは虚子だ。普通の人間なら怪我一つ負わせられないだろうが、俺みたいな同調者なら別だろ。こっちには必もいる。悪いが俺たちは事を急いでる。手段を選ばない可能性は考慮しないのか?」
出会った当初のようにぴりぴりとした空気を漂わせる二人。
その様子を眺め見ていた必は、嘆息してから要の警棒を持つ手に触れた。
「要、そんな気も無いのに無意味に人を脅かすのはやめようよ」
必の言葉に、要は動きを止めたままだ。だが、さらに必の力が増したことで、無理矢理に下ろさせられることになった。必はそんな気が無いと言っていたが、要は半ば以上に本気で無理矢理に情報を聞き出すことも考えていた。差し迫ったタイムリミットもそうだが、何よりもSS001の動向が見えないことが気にかかる。悠長に他のことに時間をかけている間に、他の場所に移動されてしまうことを懸念したからだ。
(とはいえ……さすがに、な)
必を人に戻すことに対して手段を選ぶつもりは無い。それは要にとって絶対だ。
だが、目の前にいるのは、虚子である。何かを失い、失ったものを埋め合わせるために藻掻く泡沫の存在。
同情なのだろう。妹と同じ存在に、理由の無い害意を向けることに今さらながらの抵抗を感じてしまう。
「踏みとどまってくれて助かるわ。あたし、異能もそうだけど、戦う力なんて大してないもの。本気で襲われたら勝ち目が無かったわ。まぁ、だからってあんたに利する情報を嘘偽りなく教えてあげることも無かっただろうけど」
だけど、とセンリは続けてから、鋭い蹴りを要の太ももに叩き込んだ。
「ぐッ⁉」
虚子の本気の蹴りである。同調者として頑強な肉体を持つ要でさえ、太ももに走る激痛に悶絶した。余りの痛みに思わずうずくまる。
「失礼な振る舞いには相応の対応をさせてもらうわ。それでおあいこよ。ああ、名前なんだっけ? 周防くん? 契約成立で良いわよね」
「こ、の……俺は当てて無いだろ」
「女の子の顔に武器を向けたもの。当然でしょ。あなたもそう思うわよね、妹さん」
「まぁ、しょうがないかな。いんがおーほー、だよ」
意気投合してにっこりと笑いあう虚子の少女二人の姿を睨みながら、要は痛む太ももをさすって座りなおす。骨は折れていないだろうが、ずきずきとした痛みに膝が崩れそうだ。
「アニキ、可愛い女の子に蹴られるなんて、得したっすね」
意味不明な励ましの言葉をかける陽介。要は軽く殺意を覚えたが、馬鹿すぎて怒る気にもなれなかった。
「それじゃあ、もっと具体的なプロセスの話に移りましょう」
仕切り直すようにセンリが両手を打ち合わせる。
「まずは契約内容の再確認。あたしのお願いは、潜伏している虚虜の発見と退治。周防くんの依頼は、このレイロンに逃げ込んだSS001? とかいう女の子の捜索。まずはお互いの認識に誤りは無いわね?」
「ああ、それでいい。あんたが知っていることがあれば、それを全部教えてくれ」
「ええ、分かった。じゃあ次に、どうやって潜伏している虚虜を発見するかの話をしましょう。さすがに手当たり次第にこのレイロンを探し回ったって無駄だから、そこはお互いに情報共有して作戦を立てていきましょ」
「全部丸投げかと思ってたが、意外に協力してくれるんだな」
収まらない痛みに太ももを撫でながら皮肉を口にする要に、センリは、何を当たり前のことを、とでも言いたげな視線を向ける。
「そっちが困りごとをあたしに相談するように、あたしも困りごとを相談者にお願いするのよ。それが解決に繋がる協力くらいはさせてもらうわ」
つまりは、立場は対等である、と言いたいのだろう。最初に相談を持ち掛けたのは要だが、契約した以上はフェアに行こうということである。
困っているのはお互い様ということだ。センリの姿勢をある程度は理解し、要は居住まいを正した。
「どこまで役に立つかは分からないけど、あたしの知り得る情報を共有するわ」
そう前置きし、センリは自身で入手した情報を簡潔に話し始めた。その内容は、簡単に要約すると以下のとおりである。
およそひと月ほど前から突然、このレイロン南地区で失踪する者が増え始めた。元々、レイロンという場所の特性上、その日暮らしの者が大半であり、人が消えるなどということは珍しいものではなかったが、中にはレイロンに長く腰を据え、生活が安定していた者さえも消えるようになった。友人、知人、家族――関係さえを強固に構築し、協力して生きていた彼ら彼女らが、その信頼に足る者たちに何も告げず、まるで忽然と姿を消すように失踪したのである。そうした情報は、センリに依頼という形で回ってくるようになり、彼女は調査に乗り出した。
それからしばらく、事態の手がかりは一向に得られず、ただ明らかに人の失踪だけが増えていた。それでも南地区全体で疑心暗鬼の芽が生まれなかったのは、やはり元より一般社会で居場所を失った者たちの吹き溜まりだったからだろう。
失踪した人々の数に比して、誰もが疑問に思いつつもその現実を受け入れていた。
そんなある時のこと、南地区で一人の虚子が発見された。
人間の頃の記憶のほとんど全てを失ってレイロンをさ迷い歩いていたその虚子は、南地区の住人に保護され、やがてセンリのもとまで情報が届いた。その虚子に、情報通のセンリは全く聞き覚えが無かったのである。
虚子は、そう数がいるものではない。何より虚子は戦力だ。一般社会でさえ、その存在は、適切に登録・管理されているように、レイロンでもその存在は発見された時点でその地区の代表勢力によって保護、管理される。虚子の管理自体は、さほど難しいものではない。失ったものへの飢餓感を抱えた虚子は、それを埋めてくれる存在――同調者に付き従うからである。その同調者になり得る人間をあてがってやればいいからだ。
もちろん、センリのように意志力だけで自ら同調することを拒む例外も中にはいるが。
ともかくそうした事情から、レイロンでも名簿という形で虚子は管理されており、その大半の情報はセンリの知るところでもあったため、南地区で保護された虚子がよそから来たか、あるいは新しく生まれた虚子だと推測することが出来た。
では、何故その虚子が外から来た者ではなく、新しく生まれた虚子だと判断できたか。それは簡単な話である。
「その子が最初に見つかった時、自分の名前も、何をしていたかも、ここがどこかも知らなかったみたいなのよ。あり得る? ここがどこかも知らずに外から来たなんてこと」
その虚子は、生まれたての子供のように、白痴な振る舞いを見せたという。
それはセンリにとって実に懐かしい記憶だったという。
「まるであたしが生まれたときのことを話されているようだったわ。あたしも虚子になる前の記憶のほとんど全てを持ってなかったから」
だから結構苦労したものよ、とセンリは懐かしそうに微笑んだ。
虚子は、肉体年齢が成長することは無い。見た目は小さな幼い少女そのものだが、話しぶりから見て、彼女は虚子の中でも長く生きている方なのかもしれない。同調者のいない虚子の寿命は短いため、一概に判断することも難しいが、老成とも取れる長い人生経験に培われた深みを感じる。
「その虚子とは、直接話したのか?」
要が気になったのは、そこだ。最初からセンリは人伝の話ばかりであり、実体験に基づく情報が出てこないのだ。
「いいえ、聞いていない。いえ、聞けなくなった、というのが正解よ」
「聞けなくなった?」
不思議そうに聞き返す必に、センリは頷いてみせる。
「ええ、なぜならその子は、死んだからよ」
「死んだ?」
「ええ、死んだわ。正確には、殺された。無残な死体だけを残して、誰にやられたかも分かっていないわ」
虚子が死んだ。無残な死体という表現から考えて、何者かに殺されたということは考えるまでもない。そしてこの世の中に虚子を殺し得るものなど、一都市を破壊せしめるほどの強力な兵器を除けば、おおよそ三つしか思い当たらない。同じ虚子か、同調者か、あるいは――
「――虚虜か」
「その可能性は高いと見てるわ。虚子同士は因縁でもないと争わないし、同調者にしたって同じね。まぁ、何かしらの諍いがその虚子との間で起きた可能性も否定し切れないけど……気になるのは被害に対して目撃者も、戦闘が起きたことすら誰も気づいていなかったことね」
「不意打ちでやられたって可能性は?」
「無いとは言い切れないけど、それこそよほど因縁でもなければ、不意打ちで誰かを襲ったりするかしらね」
それもそうだ。何か突発的なトラブルがあったのであれば、相応の戦いがあってしかるべきであり、異能すら操る虚子の戦闘は、間違いなく周囲にその戦いを知らしめるだろう。
「けど、それなら虚虜だって同じだろ。不意打ちで虚子を攻撃するか? 奴らにとっては何の得にもならないはずだ」
「普通の虚虜ならそうでしょうね。けど、コソコソと姿を隠して人間を襲うようなやつよ? 不意打ちや暗殺に特化した異能とも考えられるし、何よりその虚子が食事の邪魔をしたのかもしれない」
センリの言うことにも一理ある。虚虜が本当にいると仮定して、その振る舞いから特性を予想した場合、むしろ殺された虚子は、虚虜に襲われたと考える方が自然だ。
「それに周防くんたちなら分かると思うけど、あたしたちはわざわざ殺し合わない。ライオン同士が縄張り争い以外で戦うかしら? 不毛よ。人間を襲うならまだしも、自分がケガを負うリスクを背負ってまで同格の相手と戦うかしら。特にこのレイロンで」
要は、センリの言葉に押し黙る。センリと初めて会った時に要たちが警戒したように、人間という身体的な弱者の上に存在する彼らは、それがゆえにお互いを天敵と感じる傾向が強い。警戒はしても、不必要には攻撃することはまれだ。
まぁつい先日、要たちも虚子と同調者に襲われたことを思えば、そんなものは理由一つで覆るような本能のそれでしかないのは明白だが、少なくとも本能的には敬遠しがちなのである。
「生まれたばかりの虚子相手に、因縁も何もないか」
「街中で身体がぶつかった程度でキレちらかす無法者が跋扈する場所だから、あながち無いとも言えないけれどね。ただ、その殺された虚子は大人しい性格をしていたそうだし、あたしは虚虜に殺された説を推すわね」
「あんたが虚虜潜伏説を信じる理由にもなってるってわけか」
「そのとおりよ」
人の失踪、新しく生まれた虚子、その虚子の不審死――センリの示す勘の根拠がそれだ。それに加えて、未来視の光景。
確信といえる情報が不足している中で、多角的な情報から導き出した泡沫のような、それこそ予言。
(PREDICTION、予言ってわけだ)
一通りの話を聞き終え、要は頭の中で情報を整理した後、センリの話をそう表現した。やはり話を聞いても眉唾という思いは拭えないが、無視し切れるものでも無い。彼女が懸念する理由もいくらか納得できた。
「他に情報源になりそうなものはあるか? 新しく生まれたっていうその虚子が唯一、虚虜の存在をわずかなりとも示唆していた証人だったが、もういないんじゃ他を当たるしかない。はっきりとまではいなかくても、虚虜の尻尾ぐらいは目撃情報があっても――」
「あ、尻尾!」
陽介が唐突に上げた大声に要の言葉が遮られる。全員の視線が一気に陽介に向く中、彼は何かを思い出すように顎に指を当てて考え込む仕草をしていた。
「ヨウくん、どうしたの?」
全員を代表して陽介に尋ねる必の言葉に視線だけを返し、うーんと陽介は唸り続ける。
「殴ったら思い出すか?」
いつまでも記憶を掘り起こさない姿にしびれを切らし、要はにこやかな笑顔で拳を固めた。先ほど、センリに蹴られたときに意味不明な気遣いの言葉を贈られたこともあり、その恨みで拳は血管が浮き出るほど強く握られている。
「ちょちょちょ⁉ 思い出した、思い出しました、だからな殴んのやめてアニキ!」
「ちっ……。それでなんだ、虚虜がどうかしたか?」
チャンスを逃したとばかりに舌打ちして、拳を下す要。その姿に陽介はほっと胸を撫で下ろしながら、言葉を続ける。
「いや、虚虜じゃないんですけど……尻尾って言われて思い出しまして」
「尻尾は比喩表現だ。犯人の尻尾、みたいな」
「あ、そうなんすか? じゃあ勘違いすかね。いやね、つい数日前のことなんすけど、この南地区で見たんすよ。でかい尻尾の影みたいなもんを。夜中にションベンしたくて起きたときに、路地の方に向かってゆらゆら揺れながら動いていくのを見たんす」
頭を捻りながら、陽介は苦心して説明する。抽象的な表現が大きく、寝起きということもあったのだろう。彼本人がそこまで自分で視たものを信じていないということもあり、うろ覚えの記憶を引っ張り出すような説明には、やや不安が残るものである。
「いやぁ、勘違いすかね。雲とかが早く動いてて、影が素早く動いているように見えた、てきな」
陽介自身も虚虜を見たということを可能性の点からも信じたくないのか、乾いた笑いを上げる。
そんな彼とは対照的に、要もセンリもすでに思案顔を突き合わせていた。矢継ぎ早に質問が陽介を含めた三人の中で飛び交う。
「数日前って具体的にいつだ? あんた、直近の失踪はいつ起きた?」
「二……いや、三日前、っすかね?」
「三日前よ。あら、陽介くんが影を見た日と一致するわね」
「具体的に影を見た場所は? 具体的な時刻は分かるか?」
「この南地区の……ちょうどこの場所から東の方に少し行ったところの路地っす。具体的にって言われると説明は難しいっすけど。時刻はたぶん、深夜の三時くらい、っすかね」
「直近の失踪被害者が最後に目撃されたのは、ちょうど似たような場所ね。時刻に関しては、十二時以降は目撃証言が無いから開きはあるけど、おおよそ合ってるわね」
要は室内を見回し、ちょうどコルクボードと紙、マジックが置いてあるのを見つけた。それを手に取り、センリの了承を得たうえで情報を書き記していく。
陽介が影を見た日時、場所、状況。
実際の失踪の状況と陽介の尻尾らしき影を見た状況は酷似している。
「影……影だけ、か。でかい尻尾が揺れながら動く影……さすがにそれだけじゃ何とも言えないな」
「ずいぶんと懐疑的ね。あたしから見れば、こんなものはもはや黒よ。虚虜はいる。それはこの軽薄な陽介くんが証明してくれている」
「いや、センリちゃん。俺になんか恨みでもあるんすか」
「無いけど、その世の中をなめた態度はイラっとするわね」
センリと陽介のコントのようなやり取りは黙殺して、要は思考の深みに埋没していく。
確かにセンリの言うとおり、陽介が寝ぼけて見間違えたとかでも無い限りは、彼の証言は虚虜の存在を肯定している。影だけとはいえ、巨大な尻尾らしき何かだ。そういった現実への違和感は、古来より多くは虚虜のものと相場が決まっていた。
「まぁ、ここで話し合っててもらちは明かないか……。必、行くぞ」
「ん、もういいの?」
「知りたいことは大体分かった。あとは足で探す。本気で姿を消して隠れてる虚虜は、出てくるまで見つけられないしな。とはいえ、一つどころに留まっていることを考えれば、何か理由はありそうだが……」
「理由?」
「そうだな。例えば、まるで植物みたいに身体は固定されていて身動き取れない、とかな。過去にそういう奴を見たことがある。そういうタイプの虚虜は、触手みたいに身体の一部を使って人を襲うんだよ。とはいえ、さすがに姿を一切見せずにこそこそと人を襲うなんてのは初めて聞く話だが」
「へぇ……そんなのもいるんすね。虚虜っての色々なんすねぇ」
立ち上がり、出口に向かって歩き出す二人の後を追いかける陽介の声に、要は何とも言えない表情で振り返った。
「おい、付いてくる気か?」
「え? ここを案内しろって言ったのはアニキじゃないすか。やだなぁ」
「もうらいねーよ。邪魔だ」
しっしと片手で虫を追い払う仕草を取るが、陽介は再び「やだなぁ」と繰り返して聞く耳を持たない。解放してやると言っているのに、すっかり要たちに付いていく気のようだ。
わずかばかりの付き合いで、この陽介という男の性格をすっかり把握してしまった要は、言うだけ無駄と判断して、それ以上は何も言わなかった。危険な目に遭って苦労するのは彼の方だ。
「良い報告を期待しているわ、周防くん」
「ああ。そっちもいい報酬を期待してるよ、センリちゃん」
「あんたにちゃん付けされるのは、なんだか気持ちが悪いわね……」
わざとだよ、と頭の中でだけ呟き、要はPREDICTIONを後にした。
まずは陽介の話した目撃現場。その周辺地域で虚虜の手がかりを探す。
人間に戻った虚子を捜していたはずが、それよりも先に潜伏しているとかいう虚虜を捜すことになるとは、面倒なことになったものだ。




