第三章 ④
荒れ果てて瓦礫に覆われた地面を一台の車椅子が通る。
レイロン西地区の南方に位置する小さな出入口。レイロンでも数少ない外壁に開けられた外界へと繋がる道。そこを通る三人の人間の姿があった。
一人は、大柄で筋骨隆々の男。
一人は、濃藍色の髪の少女。
最後の一人は、大柄の男――白滝に押されて進む車椅子に座る美しい少女である。見た目の頃は十代後半頃、透き通るような鴉羽色の髪と色素の薄い栗色の瞳、何より少女の持つ神聖とも思えるような気品が特徴的である。感受性の強い者が彼女を見れば、思わず平伏して仰ぎたくなるような高潔な気配を漂わせている。
そうした独特な気配がそうさせるのか。少女の車椅子を押す白滝と、その白滝の隣を歩く紫咲は、まるで少女に付き従う従者のようである。実際、それは当たらずも遠からずではあったが。
「はぁ、ほんま……。自分も行くとか、何考えてんねん。一片」
表面上は人気が感じられない荒れ果てた街区を眺め見ながら、紫咲は呆れた声を零す。周囲の様子と気品ある美しい少女――一片と呼ばれたその少女を見比べ、その場違い感を言外に指摘する。外見もそうだが、何より一片は車椅子だ。足を不自由にしている。ただでさえ危険地帯と知られるレイロンである。障害を抱える少女がのこのこと出てきて、無事で済むはずも無い。
例えば――
「ったく、これで何回目やねん」
一片を狙って放たれた投石を反射で受け止め、紫咲は悪態をつく。
かれこれ開けた場所に出てから何度なく、投石の歓迎を受けている。飛んでくる数自体は大したことはないが――襲撃者はこれ以前にとある双子の兄妹によって無力化され、無力化された襲撃者たちは他の住人に回収、あるいは追いはぎを受けていた――こうも断続的に襲われると鬱陶しいことこの上ない。
「ぼやくな、紫咲。お嬢様を守るのが俺たちの仕事だ」
「はん、それは白滝、お前の仕事やろ。うちの仕事は、くその虚虜を狩ることだけや」
普段は相性の良い二人が睨み合う。そんな二人を見かねたのか、一片が割って入った。
「あら、紫咲。じゃあ、私のことは守ってくれないのでしょうか?」
鈴を転がしたような綺麗な声と、見るものを魅了する柔らかな微笑み。
向けられた紫咲は、ばつが悪そうに目線をそらす。
「別に……一片は友達や。だから守るし、頼みも聞く。それだけや」
精一杯の照れ隠しに、一片は優しく感謝の意を返した。
「ありがとう、紫咲。私にとっても、紫咲は大切な友達です」
心底から溢れたと分かるその言葉に、紫咲の頬が赤く染まる。それを誤魔化すように、紫咲は一片の視線から顔を隠した。一片より一歩前に出て、次いで飛んできた投石を再度掴むと、飛んできた方角に向かって寸分違わず投げ返す。
「んぎゃっ⁉」
どこかで野太い悲鳴が聞こえる。紫咲が放り投げた石が、襲撃者に当たったのだろう。
「そんなことより、一片。どうすんねん。こうも狙われんのはやってられんで」
紫咲は、自身の同調者ではなく、この場で最も上位の立場にある一片に判断を問う。
問われた一片といえば、ぼんやりと青い空を見上げていた。薄暗い場所の多いレイロンだが、こうした開けた通りには明かりが差す。
「ここから見上げる空は、全然変わりませんね」
「何の話やねん」
マイペースな友人の姿に呆れかえり、紫咲は白滝を見た。だが、彼は何も言わない。元々が一片の従者だ。紫咲と二人きりならいざ知らず、一片もいる場で彼が意思決定することは少ない。一片が問いかければ別だが、自分から口を開くことは無いだろう。
だが、その主たる少女は、若干の天然マイペースなところがある。
必然的に紫咲がしっかりするしかなかった。
「感傷に浸ってる場合やないで。陽彩を捜しに来たんやろ?」
陽彩、という言葉に一片は少しだけ眉を動かした。わずかばかりの反応だが、その名が彼女にとって小さくない意味を持つことは明白である。
「ええ、そのとおり。でも、まさかあの子がここに向かったなんて、最初に聞いたときは驚きました」
「うちはそのあとのお前の、私も連れて行ってください、に度肝抜かしたわ。ここがどこか分かっとるんか」
「はい、よくわかっています。ここは私が、陽彩と初めて出会った場所ですから」
そういう意味やないねん、と紫咲は小さく呟いた。素早く周囲に視線を走らせ、無言のまま近づきつつある脅威を察知する。
おそらく、先の襲撃者たちだろう。投石では埒が明かないと判断して、直接的な暴力へと切り替えたのだ。
「なぁ、一片。お前にとってどういう思い出の場所かは知らんけどな……。今はもう、ここは――」
建物の影、路地、瓦礫の死角――あらゆる場所から襲撃者たちが姿を現した。それぞれに原始的とさえいえるような武具で武装した彼らは、一直線に一片に向かって走り出す。三人の中で、最もか弱い少女に標的を定めたのだろう。
「――ただのゴミ溜まりや」
血飛沫が舞う。
それは一片の流血ではない。だが、襲撃者たちが出血したわけでもなかった。
紫咲が自身の鋭い爪で、首元を引き裂いていた。動脈が割かれたことによって大量の血液が空中に舞い――そして固定する。
血液は重力を忘れたようにその場で動きを止めた。
異様なその光景に襲撃者たちの足が止まる。彼らは光景の意味を理解し、次いでそれを成した少女の正体を理解した。
「と、虚子……!」
「虚虜とおなじ、ば、ばけもの……っ!」
恐怖の声を上げる彼らに向かって、紫咲は酷薄の笑みを浮かべる。
「一緒にすんなや。それに、お前らも似たようなもんやろ。人襲って身ぐるみ剥いで、笑って狂って好き放題して、死なんように生き汚く足掻いて……何が違うねん」
血が舞い踊る。
紫咲の意思に従い、血が鞭のようにしなり、一瞬にして襲い掛かってきたレイロンの住人全てを昏倒させた。ものの数秒の出来事であり、襲われた誰一人として反応できないほどのあっという間の出来事である。
「やり過ぎはだめですよ、紫咲」
一連の事態を静観し、さらなる追撃を加えようとした紫咲を一片が止める。その言葉に不満そうにしながらも、紫咲は従った。元々、好んで人殺しを行うほど猟奇的ではない。虚虜となれば別だが。
「ちょっとイラついただけや。こんなカスども殺さんわ」
「なら良かったです。その人たちにはその人たちの、色んな葛藤や苦しみがあると思うので」
「だから襲われたのも許すってか?」
「いいえ。罪は罪です。けど、私は人を罰せられるほど偉い人間ではありませんし、何よりお友達に手を汚してほしくはないから」
「友達友達、こっぱずかしい。やめろや」
「やめませんっ」
その時ばかりは年相応の快活な笑みを浮かべて答える一片に、紫咲はまたも赤面した。口も悪くひねくれた態度が多い分、惜しみなく注がれる好意に紫咲は弱い。
「それにしても、こう襲われてしまうのも困りましたね。おそらく、私のせいなのでしょうが……」
「レイロンの連中にとって一片みたいな足の不自由なやつ、格好の獲物や。仮にうちらみたいな護衛がいても、手が届きさえすればどうとでも出来ると思ってるんやろ」
できひんけどな、と紫咲は吐き捨てた。
役割を終えた紫咲の血が、巻き戻しのように首元へ戻っていく。最後に残った血液が凝固してかさぶたを作った。
「困りましたね。私たちは誰も今のこの場所の地理には明るくありませんし……どなたか案内してくださる方がいればいいのですが」
「ここの連中なんざ信用できるかいな。もしそんなことするやつおるなら、そいつはよっぽどのアホか、自信過剰の勘違い野郎や」
どこかの双子がちょうどこの街の住人を案内役として引き連れているところなのだが、もちろん紫咲たちはそんなことは知る由もない。
「まぁ、案内役とはいかんけど……道しるべが無いわけやないで。あいつらもここに来てるみたいやしな」
「紫咲が血を付けたという、あの?」
「ああ。同調者の方につけとる。乾いてこびりついてんのやろな。まだ追えるで。ゆーて、そいつらのとこに陽彩がいるとも限らんけどな。あいつらも捜してはいるやろけど」
その紫咲の何気ない発言に、一片はぱんと両手を合わせた。さも良いことを思いついたという風である。
「あら、その人たちも陽彩を捜しているんですね。じゃあ、協力できるんじゃないでしょうか?」
「は?」
予想外の言葉に紫咲は目を丸くする。
協力? あの特対官のコンビと?
紫咲の記憶に二人の姿が蘇る。何よりその片方、銀髪の虚子の姿が記憶から掘り起こされた。
「嫌や。うちはあの豚女、嫌いやねん」
「ぶた……? よくわかりませんが、悪口はだめです」
「悪口ちゃうわ。事実や、事実。うちはな、あーいう奴は本質的に好かんねん」
どんな人なんです? と尋ねる一片に、紫咲は嫌悪感を滲ませた声で答えた。
「なーんも感じてないくせに、怒って悔しがって笑うふりする、嘘まみれの虚虜もどきや。そりゃ虚子や。心も記憶も食い散らかされとる。けどな、だからこそうちらは残ったもんを大事にしとんねん」
だけど、と紫咲は続ける。記憶の中の少女を思い返しながら。
「自分はまともですなんてフリは絶対にせん。当たり前の顔して怒って、悲鳴上げて、楽しくもないのに笑って――虫唾が走るわ」
紫咲の言葉に、一片は少しだけ押し黙った。彼女の酷評には一定の理解を示せる部分もあると感じたのだろう。だが、それはあくまでも紫咲から見た一面的な意見でしか無いはずだ。
「紫咲、もう少し人を……誰かを信じても、いいんじゃないでしょうか」
「それを失くしたから、うちは虚子って呼ばれとんねん」
紫咲の言葉に一片は二の句を告げなくなり、言い放った紫咲もばつが悪そうに目を伏せた。決して気まずくなりたかったわけでは無いのに、お互いに不器用にも踏み込み過ぎたのだ。
そんな空気を察してか、この場で唯一といえる年長者である白滝がしばらくぶりに口を開く。
「いずれにせよ、行動の指針が無ければどうにもならん。ここはお嬢様の提案どおり、あの特対官の手がかりを追いましょう」
最初は紫咲に、次の言葉は一片に投げかけ、有無を言わせずに車椅子を押し始める。
白滝は、言外に案内しろと紫咲に言っていた。
舌打ちし、紫咲は妥協する。それに別に協力する、と決まったわけでは無い。下手に出て手を繋ぐなどあり得ない話だが、叩きのめして従わせるなら別だ。
(一片みたいに誰かを信じようなんて気にはなれんのや。ぶっ飛ばして分からせた方が、手っ取り早いやろ)
一片には悪いが、あの同調者と――特に虚子と手を組む気は毛頭なかった。




