第三章 ②
太陽も中天に差し掛かろうかという頃、ようやく要と必はレイロン地区の入口らしき場所にたどり着いた。
大災害の傷跡が生々しく残る荒地の中、一地域だけが増改築を繰り返すことによって異様な造形を見せている。ともすればマンションとも城とも取れるような外観をしたそこは、外からは中をうかがい知ることが出来ず、ただ時折、窓らしき箇所のそこかしこから異様な視線が向けられている。
外に立って様子を見ている限りでは、人の喧騒などは感じられない。確かに肌を刺すような人の視線は感じるが、実態が見えない。声も無く、まるで茫洋と幽霊の群れに見つめられているかのようだ。
ぐるりと四方を取り囲む建築物の群れは、まるで外界からの侵入者を阻む砦のようにも見える。その外壁の中で数少ない入口と思しき開けた場所を二人は見つけた。
外から入口をうかがい知る限り、中は薄暗く、影が差している。異様な建築構造は、決して外観だけでは無いのだろう。内部にわたって通常とは異なり、まともな設計思想も何も無く、ただ目的のみで構築されたそこには、日の差す場所の方が少ないのかもしれない。
しばらく日向で様子をうかがい、じんわりと額に汗が浮かび始めたところで、ひとまずの危険は無いと判断し、二人は中に突き進む。
アンタッチャブルと言われるレイロン地区。いくら同調者と虚子とはいえ、その異様な雰囲気には、さしもの二人も警戒心を拭えない。虚虜と渡り合う彼らの身体能力は、銃弾すらも致命傷になりえないが、そうした身体的特徴とは別の精神的な忌避感がそこにはあった。
ここに住める奴は、根本的に何かが違う。
それがモラルなのか、はたまた別の何かなのか。
鎌首をもたげる疑念はあれど、考えてばかりもいられない。何より今から、このレイロンの中で少女を捜そうというのだ。人がいれば、聞き込みをすることもあるだろう。違う人種が住まうように感じる場所とはいえ、受け入れて、順応するよりほか無い。
(あるいは、必なんかは特にこーいう雰囲気は気にしないんだろうけどな)
初めての感覚に戸惑い足踏みしかける要に対して、必の足取りは迷いが無い。この雰囲気に充てられても特に何も感じていないことは明白だった。幼子の無邪気さと、虚子として自信の表れか。あるいは彼女の欠落した心が何も感じさせないのか。
入口からレイロン地区の中に入ると、外から見た限り、中は影が差していた。見上げた空は人工物で覆われ、空の青さすらうかがい知ることが出来ない。空を奪い合って建造物を積み上げた成れの果てか。想像するに、一番屋上まで同じような風景が続いているのだろう。
道とも言えない瓦礫で覆われた道を進んでいく。入口からずっと、両端は建造物に覆われて狭苦しく、外から見た広大さからは想像もできない。謎の電線や金網で周囲を覆っているのは一体なぜなのか。廃墟からかき集めた資材でなんとか壁を作ったという感じだ。
「すごいね、ここ。それに人を全然見かけない。視線は……何となく感じるけど」
「そうだな。とはいえ、挨拶するつもりは無いみたいだ」
さっきまでとは異なり、迷路のような道に少しげんなりしてくる。誰でもいいから声をかけてほしいくらいだ。道案内役に抜擢してやる。
そんなことを思って進んでいると、ようやく狭すぎる通路を抜けた。開けた場所に出たところで、外と同じ太陽光が差し込んでいることに気付く。どうやら、密度高く資材が積み上げられていたのは外壁部分であり、中は意外に閑散としているようだ。とはいえ、被災地そのままの外の風景と異なり、人の往来があるためか、多少なりとも歩きやすいように瓦礫などは撤去されている。トップダウンの指示によるものでは決してないだろう。この街に住む者たちが自主的に、自分たちに使いやすいようにと追及した結果だ。外側の増改築と同じ思想だろう。
「外から見ても分かってたけど、やっぱり広いよな……ここ」
「どこから探そうか、要」
「虚子のセンサーでびびっと来たりしないか?」
「試してみようか」
冗談交じりの要の言葉を真に受け、必は両手の人差し指を立てて、側頭部に添える。集中するようにじっと目を瞑ると、数秒して何かを悟ったように目を開いた。
「あっちだね」
「嘘つけ」
適当な方向を指さす必の頭を軽く撫で、要は軽く視線を周囲に走らせた。
肌に突き刺す視線の圧が強くなっている。
暑さとは異なる、ねばついた空気の質。
嫌な感覚だが、覚えが無いわけでは無い。本能的な緊張感と呼ばれるものだ。
(――殺気、か)
虚虜を相手にする時には感じない感覚。
警戒心のレベルを跳ね上げ、要は腰元に備えた柄に手を伸ばした。柄に備えられたボタンを軽く二度タップし、普段の黒刀のモードから、警棒のモードへ切り替える。虚虜を相手にしない、同調者や虚子を制圧する時に使う非殺傷用のモードだ。普段は使うことも少ないが、一般人が相手であればこれで十分である。
神経を集中する。要の視界には敵の姿は映らない。だが、突き刺さる視線と積み上げた戦闘勘から察することが出来る。
左右の崩壊したビルの三階と四階、正面右の路地裏、背後の外壁からも複数。
ねばつく視線は鋭さと厚みを増していき、それは瞬きの間に解き放たれた。
風切り音を上げ、何かが飛んでくる。
両サイドの廃墟から要たち目掛けて迷いなく飛んできたそれに気づく。
石だ。原始的だが、使いようによっては効果的な武器となる重量物。それが空気を切り裂き、連続して二人に飛来する。
(当たっても平気だが……)
虚虜と渡り合う同調者と虚子の肉体の頑強さは、常人の比では無い。投石程度では大怪我に至らない。だが、当たり前だが当たれば痛むし、人間である以上は本能的な恐怖や忌避感を覚える。
「必、目くらましだ!」
「おっけ!」
軽い動作で投石をかわし、必が拳を中心に異能を解き放つ。必たちを中心に周囲の空気が極低温へと至り、一瞬にして気化した空気が水蒸気となって周囲を覆い尽くした。
まずは敵の追撃を妨げる一手。
要が必に異能を指示した理由がそれである。
仮に投石を避けたところで、あるいは迎え撃って弾き返したところで、何らかの追撃があることは目に見えている。その流れを崩すためには、まずは二人の姿を視界から隠すしかない。
「行くぞ!」
必の手を取り、要は右側の廃ビルに向かって駆け出した。開けた空間にいると狙われる。死角の多い廃墟に身を隠し、そこに潜む敵を順に打ち倒していく。ついでにどいつか、道案内に詳しい連中でも捕まえられれば御の字だ。
(っても、さすがは犯罪者の街だな。いきなりのお出迎えかよ)
入ってはいけない危険地帯――アンタッチャブル、などと言われるだけのことはある。噂では、怖いもの知らずのインフルエンサーが中に入って帰ってこなかったとか、身ぐるみはがされて放り出されたとか、色々と聞いている。
入った途端にこんな歓迎をされてしまえば、一般人はひとたまりも無いだろう。
(とはいえ、投石、か。原始的な武器を使うってことは、こいつらはそんなに武器については潤沢じゃないってことだ。まぁ、俺たち相手にしょぼい銃火器は大した意味を持たないが、爆弾なんか持ち出されちゃ面倒だからな)
廃ビルに乗り込み、一気に瓦礫の中を突き進む。上階に上がれるようなまともな階段などあるはずも無いが、崩れた瓦礫が坂のようにして上階に通じている。そこを上って三階まで上がったところで、ようやく要たちは敵の姿を捉えた。
みすぼらしいよれよれのくたびれた服、不摂生なひげ面、こけた頬に生気の無い瞳。だが、手には石ころを包んだ布を握り、遠心力を利用するように回転させていた。
「よ、っほ!」
男が要たちに向かって今に投石しようとするよりも早く、必が足元の石ころを蹴りつけた。虚子の脚力によって、コンクリート片が砕け散り、礫のように四方八方へ飛んでいく。それは男の身体にも例外なく届き、その勢いで男は床に打ち倒された。
「必、死なない程度に意識を奪え」
「う、うーん、やってみる!」
力の制御の不得手な必に無茶を言っていることは理解しつつ、要はそう指示を下す。敵は一人では無い。倒れた男は必に任せ、要は砕けた柱から姿を見せた男の方を迎え撃った。
「……っ⁉」
「どけ」
一息で男の懐に忍び込み、問答無用で警棒を叩きつける。打ち付けた右手から重たく鈍い感触が返り、打ち付けられた男が悲鳴を上げた。明らかに骨を折った感触だ。
「うるせぇよ」
腕を抑える男の顎を蹴り飛ばし、さらに現れる他の襲撃者たちに向かう。
走りながら、全員の位置と容姿を確認する。
どれも貧相でみすぼらしく、十分な栄養を取れていない様子だ。ホームレスに近い。こんな荒れ果てた環境で過ごしているのだ。食事もままならないのだろう。
廃ビルを駆けまわり、要と必で手分けして敵を見つけ、打ち倒す。
都合、十人。
一通り片付け終え、要と必は廃ビルから外に飛び出した。
三階の高さから飛び降り、地面に着地する。
あえて姿を見せたのは敵の位置を探るための攻撃の誘いと同時に、常人離れした身体能力を見せつけることによる示威行為を意図してのものだ。
必の見た目や異常な身体能力を見れば、誰だって虚子であると気づく。よほどの馬鹿でない限り、攻撃の手は止まるはずだ。
――止まるはずだった。
「なんか空気がさらに重くなってるね」
「ここにいるのはよほどの馬鹿ばっかり、ってことか」
いや、生きるためなら何でもする、と言った方が正しいか。
物資の少ないスラムでは、殺し、奪わなければ生きていけない。外から来る者が少ない以上、今の要たちは貴重な獲物だ。腹をすかせた肉食獣が見逃すはずも無い。ただ、一つはき違えていることがあるとすれば、それは要たちこそこのレイロンを喰らいに来た肉食獣であるということだ。
「鬱陶しいが、仕方ない。全員黙らせるぞ。話が出来そうな活きの良い奴だけは意識を残しとけ」
「苦手なんだよねぇ、手加減って」
「知ってるよ。がんばれ」
「うぅ、まぁ要がそう言うなら」
それからは四方八方から迫る投石や鉄パイプや角材など種々様々な武器を握った男たちと大太刀周りを演じ、どこに隠れていたのか数十以上の敵を返り討ちにした後、ようやく一人だけ男が残った。正確には、あえて残した、と言える。
若い男だ。ぼさぼさ髪のみすぼらしい男だが、他の頬のこけた連中に比べ、頬はふっくらとして健康そうな見た目をしている。年齢は十代後半から二十代手前くらい。武器を握ってはいるが、迷いの無い他の連中と比べ、躊躇うような様子を見れば、こうした経験が少ないように見える。
「かなめー、この人とかどう?」
「ちょ、やめ、やめて! ころさないで!」
必が男のTシャツの襟首を掴み、引きずって連れてくる。
倒れ伏した襲撃者たちの一人に腰を下ろしてくつろいでいた要は、必が連れてきた男と視線を合わせた。その顎を引っ掴み、顔を上げさせる。
「いいんじゃね。後ろから刺してきたりしなさそうだ」
「よかった~。ちゃんと手加減したよ」
眼前で繰り広げられる剣呑な会話に男が怯えた表情を見せる。身体はガタガタと震え、すっかり戦意を喪失していた。
「な、なんなんだよ、お前ら。なんでそんなつえぇんだよっ⁉」
「うるせぇよ。いいか、今からお前が言っていいのは、『はい』か『いえす』だ。分かったか?」
「どっちもおなじ――ぼへっ。――はい」
ぱしーん、と要に叩かれた男の頭から小気味良い音を響かせる。大した力を込めたわけでは無いが、ショックは大きいだろう。
男が大人しくなったことを確認し、要はスマホを取り出した。そこに保存していたSS001と呼ばれる少女の画像を表示し、男に向ける。
「この子を見かけたことは?」
要の問いに、男は首を横に振って答えた。否定を口にすることは禁じられていたため、精一杯の意思表示なのだろう。
「まっ、そんな簡単に見つかるはずも無いか。もしかしたら、ここを通ってたら見かけているかもと思ったが……」
「ここ以外にも入れるところ、あるんじゃないかな。ここ、すごく広いし」
「それもそうだな」
男から手を離し、要は立ち上がって男を見下ろした。威圧するような視線に、男が怯えた表情を浮かべる。隣に立つ必も要の真似をして、男を見下ろしていた。こちらは緊張感の無い表情と幼く可愛らしい顔立ちのせいか、威圧感が無いどころか緩和させてしまっている。
「おい、お前。ちょっと頼みがあるんだがいいか?」
男が押し黙った。口を噤む一方で、ジェスチャーでの意思表示も無い。
アウトローのプライドだろうか。要は面倒くさそうにため息をつき、握った警棒をちらつかせた。
「返事は?」
「…………はい」
「助かる。短い時間だが仲良くしような」
「…………はい」
自身の立場を理解したのか、男はがっくりと肩を落とした。




