第三章 ①
望島大規模特殊災害。
関東地方南部――神奈川県の北東端に隣接する海辺に造られた人工島である望島を起点として発生した大量の虚虜による大侵攻は、そう呼ばれている。
発生は午前三時、突如として海岸部から出現・浮上した虚虜が望島に建ち並ぶ工場を襲撃し、爆発と大規模な火災が発生。即座に各種機関への通報が相次いだが、時間帯や立地の面から対応は遅れ、その間にも虚虜は凄まじい勢いで周辺地域を破壊し尽くした。その被害は望島上空を跨ぐ首都高速湾岸線に及び、海からは神奈川へ、首都高速道路を通じては各道路が結ぶ千葉・東京へ向け、虚虜の被害は拡大の一途を辿った。
望島はもちろん、海辺に隣接する地域一帯は、その暴威の後を色濃く残しており、復興の目途は立っていない。日本国政府も復興財源を首都防衛計画に回し、かつての災害をきっかけに発生した首都機能の一時マヒのような状況が二度と発生しないように注力する方針とした。それは事件発生から数年経った今でも変わらず、やがて周辺地域からは退避するように住民が去っていき、今ではかつての被災者や物乞い、犯罪者崩れがたむろするスラム街の様相を呈している。
現在、その場所は通称「レイロン地区」と呼ばれ、絶対に近づいてはいけないアンダーグラウンドと言われていた。
『なにしとんじゃクソガキぃッ‼』
レイロン地区の近郊に位置する寂れた小さな町の駅で降りた時、要はスマホの電源をしばらく落としていたことを思い出した。充電のためにコンビニでモバイルバッテリーを借用し、一通り充電を完了したところでスマホの画面を見て、目を丸くした。数日前から大量の連絡が彼らの管理者である竜胆から届いていたからだ。
張り込みの邪魔になると思ってスマホの電源を切っていたのだが、ちょうどその期間と、要が意識を失った期間にひたすら連絡が来ていた。
少し圧倒されながら、要が竜胆に折り返し電話したところで、開口一番に放たれたのが先の一言である。
基本的には真面目で丁寧な竜胆にしては珍しく、荒っぽい口調と大声に少し驚きながら、要は何の話だと竜胆に問う。
「な、なんですか、いきなり。っていうか、電話かけすぎでしょ。迷惑ですよ」
『迷惑はこっちです! 何を考えてるんですか、全く! ほんとほんと、ほんっと、何考えてるんですか⁉ 捕まりたいんですか⁉』
一体、この人は何を言っているのだろうか。
要領を得ずにまくし立てる竜胆の姿に嫌気が指し、思わず要は通話オフのボタンに指を伸ばしかける。だが、それよりも早く竜胆が釘を刺した。
『おい、切ったら終わりだからな』
どうとでも取れるその言い回しに珍しく背筋を凍らせて、要は指を下ろした。その代わり、まともに会話にならない竜胆に苦言を呈する。
「一体、なんなんですか。何の用です? 俺、なんかしましたか?」
『お前じゃ話にならない時があるからスピーカーにしてだめちゃんにも繋いでください』
すっかり感情が爆発しているのか、暴言と丁寧口調が混ざっていた。
嘆息し、要は言われたとおりにスピーカーに切り替えると、腰を下ろして必も会話しやすいようにスマホを向ける。
「だれ?」
「竜胆さん。なんか言いたいことがあるらしい」
車両の追突防止バーに腰かけ、足をふらふらと揺らして暇そうにしていた必は、要と目が合うと、口元に笑みを形作った。
『言いたいことしかありません。けどちょっと待ってください。今落ち着きます。あ、なめくん、いらんこと言ったらキレそうですから少し黙ってくださいね……ふぅぅぅ』
肺の中に溜まった全ての息と一緒に怒りの感情を押し殺すようにして、少し間を置いてから竜胆は話し始めた。その声は、先とは比べて冷静ないつもの口調だ。
『なめくん、だめちゃん。今から聞くことに嘘偽りなく、真実を述べてください。私は、あなたたちを想って、聞いていますからね? いいですか?』
なんか大げさだな、と思わないでもないが、要は怒らせないことを第一に決めた。
「ええ、はい。もちろん、嘘は言いません」
『だめちゃんは?』
「私はそもそも嘘なんかつかないよー、あんまり」
あんまりとか言うな。
要は必を睨みつけるが、必はへらへらと笑うばかりである。
『よろしいです。ではまず、五日前、私と別れた後、どこで何をしていましたか?』
五日前――思い出すまでも無い。情報提供を受けて向かったパソ子の自宅において、特対官に襲われた日のことだ。それもさっきまですっかり勘違いしていたが、どうやらあの二人は政府の特対官では無かったらしい。パソ子から受けた情報から、彼らは全く別の思惑をもってあそこに訪れたことが推察できる。
(竜胆さん、いったい何を聞きたいんだ? いや、そもそも少なくない人の目に晒されてたし、また爆発騒ぎの追求か?)
それにしては、いつもよりも険が強い気もする。
嘘をつくなと言われた手前、嘘をつかないことが最善のような気もするが、それは将来を見据えての話でもあるのだろう。目先の利益の追求という観点で見た場合、要たちは今すぐにでもこの通話を終えてレイロンに乗り込み、SS001と呼ばれる少女を捜す必要があるのだ。
彼女が何らかの目的をもってレイロンを訪れた場合、目的を終えて場所を移動する可能性がある。
SS001の目的が不明の状況では、最短でレイロンを探索することが望ましいのである。
「知り合いの家に行ってました」
迷った末、要は抽象的な表現に留めた。これが時間稼ぎの悪あがきに近いことは理解していたが、竜胆の出方を見るうえでも有効的と考えたからだ。
『誰です? それ』
「竜胆さんの知らない人です」
無駄な押し問答を挟み、竜胆がさらに追及を深める。
『じゃあはっきり言いますね。その人、ハッキング技術に長けてますよね? なめくんに聞いてもダメですね。だめちゃん、合ってます?』
「合ってるよー。パソ子って呼んでる。本名は知らない」
「おい、必……」
追求先を必に切り替えた竜胆の判断は正しい。必は嘘をつかない。本人が言うとおり、あんまり。隠すべきことを隠す程度の知恵は回すが、本人が膂力も異能も持ち合わせてある意味で生物として上位に位置する以上、余計なことに気を回して問題を回避するという思考があまり発達していないのだ。言ってしまえば、問題があれば爆発させればいい、という大雑把な意識がある。
『パソ子、ですか。変な名前ですね。まぁ、いいです、それは。それでだめくん、そのハッカー・パソ子さんの家で――いえ、これもなめちゃんですかね。異能の爆発を起こしましたよね?』
一つ一つ、逃げ道を塞いでいくように問いを突き詰めていく竜胆。
要は頭を抱えたくなった。なんだか面倒な嫌疑をかけられている気がする。いや、嫌疑では無いか。問われていること自体は事実そのものだ。
「起こしたよ。襲われたからね」
先と同様、嘘も遠回しな表現も使わず、必ははっきりと答える。だが、補足的に付け足したその一言が功を奏した。
『襲われた?』
竜胆からの端的な問いに、要はこの情報がまだ行きわたっていないことを認識する。逆に言えば、そこを起点に追及の手を緩めることが出来るかもしれない。先ほどまでは加害者の責を問われていたが、これをきっかけに被害者の側に回れるだろう。
「ええ、襲われました。それもたぶん、一般の特対官――正確には、同調者と虚子に」
特対官という呼称は、正式には公式のライセンスを得た特殊災害対策官を指す。だが、一般的には、共通的に、非公式でライセンスを持たない市井の同調者と虚子も含めた総称とされていた。誤解が生じないよう、要はそこを適切な表現で伝える。
「そいつらの目的は、おそらくパソ子です。俺は一般人を被害から守るため、必に指示をして異能を行使しました」
あくまでも自己防衛のためだ、と念を押す。これで竜胆も納得してくれるといいが。
『それは……思っていた内容と違いますね。本当ですか?』
「本当です。まぁ、出せる証拠は無いですが……パソ子の証言くらいですかね、出来るとすれば」
内心でパソ子には謝っておく。最悪、政府側の管理者である竜胆にパソ子の居場所を伝えることになるだろう。だが、それは彼女の身から出たさびだ。犯罪行為をしている以上、捕まるのも致し方ないだろう。
それは若干、要にも当てはまることではあったが、それは脇に置いておく。
『その同調者と虚子の二人はどうしたんですか?』
「結構な実力者だったのと、パソ子がいたので追跡をかわすことを優先しました。なのでその後の行方は分かりません」
竜胆の声が途切れる。どうやら何かを考えているようだ。
『ちょっと、電話だとしんどいですね。なめくん、今から私のオフィスに来てください』
再び口を開いた竜胆の提案は、要が最も恐れていたことの一つだった。
忙しい時に面倒な、とあからさまに表情に出ていたのだろう。要の前を通り過ぎたコンビニ利用の一般客と目が合い、怯えたようにそそくさと歩き去っていった。
「すみません、今は無理です。というかたぶん、しばらく無理です」
反感を買うだろうとは思ったものの、要ははっきりと意思表示した。案の定、竜胆からため息が返る。
『何してるんです、今』
「俺がやることなんて、一つしか無いでしょ」
迷いない要の言葉に、再びのため息。一年の付き合いである。要が何にこだわるかなど、彼女にはお見通しだ。
『いつ、こちらに来れますか?』
「さぁ……それはちょっとなんとも」
なめくん、と真剣な口調で竜胆は続けた。
『今、なめくんはかなり微妙な立場にいます。はっきり言うと、なめくんが助けたパソ子さんは政府の機密情報を盗んだ嫌疑がかけられています。これに伴い、政府より特対官が派遣されましたが、彼らは負傷して意識を失った状態で発見されました。そこに来て、パソ子さんの潜伏先での爆発騒ぎ、なめくんとだめちゃんと思わしき――これはもう確定なんでしょうが、目撃情報もあります。いいですか? 二人は政府の正式な特対官を武力制圧し、政府が拘束していたハッカーの逃亡を補助した疑いが持たれているんです。そこに来て、お二人は今、行方をくらましている状況です』
整理してみるととんでもない状況である。一部事実も含まれているが、巡り巡って物事が悪い方向に転がっている。
(俺の立ち回りが悪いってのもあるが……さすがに身に覚えのない犯罪行為の罪をなすりつけられるのはたまったもんじゃないな)
パソ子の自宅を襲撃した大柄の男と濃藍色の髪の少女を思い出す。政府から派遣された特対官というのは、おそらくあの二人だろう。面倒なことをしてくれたものである。
『――二日です』
「え?」
急な宣言に聞き返す要に、竜胆は同じ言葉を繰り返す。
『二日だけ、時間を稼ぎます。その間にやることをやって、私のところに来てください。弁明の場を作りますから。なめくんとだめちゃんが本当に悪いことは……そんなにはしないってことは分かっています。だから二日だけ、時間をあげます』
それが最大限の譲歩なのだろう。真に迫る竜胆の口調には、要も軽口を叩くことは躊躇われ、そのリミットを呑んだ。
「分かりました」
二日――たったの二日でSS001と呼ばれる少女を捜し出し、必が元に戻る方法を聞き出す。レイロンは広い。時間は無いに等しいだろうが、竜胆の善意を無下にはしてはいけないだろう。
彼女は唯一、二人の支えになってくれる保護者に近い人間なのだ。
『では、頑張ってくださいね。なめくんの願いが叶うといいですね』
最後にそう言葉を残し、通話が切れた。
しばらく無言のまま、要は切れたスマホを眺める。意識せず、自分は竜胆に甘えていたのだと改めて自覚したのだ。目的にばかり執着するあまり、自分たちを慮ってくれる相手を蔑ろにし過ぎていた。
「りんちゃん、心配してたね」
「ああ……」
スマホからモバイルバッテリーの端子を抜き取り、要は北東方向に目を向ける。建造物で先は見えないが、そこに日本唯一にして最大のスラム街――レイロン地区がある。そこに必を取り戻す手がかりがいる。
「二日だ。急ぐぞ、必」
「はーい」




