表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最後のエルフ少女、最期の郵便配達~たまにカラスがうるさい  作者: cross-kei
第03章(最終章):北の大陸での冷たき旅路(全06話)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/19

第17話:危機を知らせる若者より、最後の人へ

北の大陸を覆っていた永い冬に、終わりの兆しが見え始めていた。


万年雪が溶け始め、凍てついていた大地からは、何十年ぶりとなる黒い土が顔を覗かせている。陽光はまだ弱々しいが、その温かさは、確かに春の訪れを告げていた。


「へっ、前の時よりゃだいぶ動けるようになったぜ」


上空から偵察を終えたクロが、リコの肩に舞い降りた。


「春の陽気のせいで、雪解け水がとんでもねえ川になりやがった。しかも、上流のでけえ氷の壁が、今にもそいつを吐き出しそうだぜ」


クロの報告に、リコは顔を上げた。


彼女の視線は、雪解け水を集め、轟音と共に荒々しく流れる大河と、その上流を指し示す金のコンパスに注がれていたからだ。コンパスの光は、クロの言葉を裏付けるかのように、これまでにないほど切迫した、警告のような響きを放っていた。


リコは、川に沿って上流へと向かった。


そして、目の前に広がる光景に息をのむ。


大河をせき止めていた巨大な氷河の壁が、温暖化によって融解し、今にも崩落寸前だったのだ。もしこれが崩れれば、この下流に村があるのなら、一瞬で壊滅するだろう。


そして、その氷河の壁の麓に、一つの魂の残滓があった。


『頼む……伝えてくれ……村が、危ない……!』


それは、この村が抱える潜在的な危機に、いち早く気づいていた一人の若者の魂のようだった。リコは、彼の最後の唄を、近くに生えていた高山植物の葉に写し取った。


「クロ、急いで!」


手紙を魔法の鞄にしまい、リコは雪に足を取られながらも、必死に川沿いの道を駆け下りた。クロも、彼女の焦りを感じ取り、先導するように低く飛び、時折鋭い声で最短の道を指し示す。


一刻も早く、この絶望的な警告を村へ届けなければならない。


その一心だけが、彼女の凍える体を突き動かしていた。



だが、リコがたどり着いた村は、すでに滅びていた。


洪水で滅びた様子ではなかった。家々は朽ち果て、人の気配はない。おそらく、何年も前に、この地の厳しい寒さに耐えきれず、人々が放棄したゴーストタウンなのだ。


若者が命を懸けて守ろうとした村は、彼が死んだ時点で、もう存在しなかった。


リコは、呆然と廃村を歩いた。その、ただ一軒だけ、人のものではない、しかし確かな気配が残る家を見つけるまでは。


家の戸口で、一匹の老いた狼が、ただじっと、主人の帰りを待っていた。


リコが近づくと、老狼は弱々しく一度だけ唸ったが、敵意はなかった。リコの「耳」には、その心の声が聴こえてくる。


『……主は、まだか……。もう、何年も……何年も、ここで待っているのに……』


リコは、悟った。この老狼こそが、あの若者が気にかけていた村の最後の生き残りなのだと。


「…大切な人を待っているのにごめんなさい。この場所から急いで離れないとっ!時間がないの」


リコが伝えようとした、その時。


ゴゴゴゴゴ……という、大地が震えるような音が、遥か上流から響いてきた。


氷河の壁が、ついに崩落を始めたのだ。


「逃げて!」


リコは叫んだ。


「もうすぐ、ここも水に沈む! 早く、高いところへ!」


だが、老狼は動かなかった。その瞳は、ただ、主が帰ってくるはずの道を、まっすぐに見つめている。


リコは、若者の魂の手紙を、老狼の前に差し出した。


「これが、この村を気にかけていた人の、最後の唄です! どうか、読んで……!」


老狼は、その手紙に鼻を寄せ、そこに込められた主人の魂の匂いを嗅いだ。そして、全てを理解した。主人は、もういない。何年も前に、死んでいたのだ。


リコは、迫りくる激流の音の中に消えゆく老狼の心の声を、確かに聴いていた。


『……これで良い。……主人の愛した村の最期を見届けねばな。ここで永久に待とう。主が愛した、この村と共に……。そして、今度こそ、主と……』


「だめだ、リコ! もう来るぞ!」


クロが、リコの服を必死にくちばしで引っ張る。


「いやだ! このままじゃ、この子も……!」


リコは、必死に老狼を説得しようとした。だが、老狼は、ただ穏やかな目でリコを見ると、ゆっくりとその場に伏せ、そして、静かに目を閉じた。主との再会を、覚悟したのだ。


背後から、全てを飲み込む濁流の音が迫る。


リコは、涙でぐしゃぐしゃになりながら、クロに引きずられるようにして、村の裏手の高台へと駆け上がった。


そして、目の前で、村が、家々が、そして、老狼が眠る一軒家が、一瞬で濁流に飲み込まれていくのを、ただ見ていることしかできなかった。



手紙を届けたのに、老狼を救うことができなかった。


リコは、自らの無力さに打ちひしがれ、ただ嗚咽するばかりだった。自分の行いは、本当に正しかったのか。魂を救うとは、こういうことなのか。


その、彼女の絶望の淵で。


嗚咽するリコの足元に、波が何かを打ち上げた。


それは、一枚の、泥に汚れた高山植物の葉。彼女が、老狼に届けた、最後の唄だった。


リコが、震える手でそれを拾い上げると、彼女の「目」には、驚くべき光景が映った。その葉には、若者の魂の残滓だけでなく、老狼の、穏やかで、満足げな魂の光が、確かに重なっていた。


リコが、その葉にそっと手を触れる。


すると、若者の警告の言葉が、光の中にすうっと溶けて消え、そして、その同じ場所に、今度は二つの魂からの、リコへの感謝の言葉が、震えるような、しかし温かい光を放つ文字となって、浮かび上がってきた。


宛名は、『僕たちを、再会させてくれた君へ』。


差出人は、若者と、老狼ボルクの、二人の連名。


『ありがとう。


 君が、僕の最後の唄を、ボルクに届けてくれたおかげで、僕たちは、八年越しに、ようやく再会することができた。


 僕たちは、もう一人じゃない。


 君が命をかけて届けてくれた手紙のおかげだ。君と、村が滅びる前に出会えたことは、僕たちにとっては、最高の奇跡だったんだよ』


手紙が、リコの涙で滲んで読めなくなった。


救えなかった。だが、救えていた。


その、あまりにも哀しく、しかし、どうしようもないほど温かい真実に、彼女はただ、声を上げて泣き続けた。


「……クロ」


涙が枯れた頃、リコは、夕日に染まる水面を見つめながら、静かに言った。


「……私、忘れない」


「あぁ?」


「私がもたらした春が、一つの村を消し去ったこと。そして、その悲劇の向こう側で、二つの魂が救われたこと。……どっちも、忘れない。全部、背負っていく」


クロは、何も言わずに、ただリコの肩をくちばしで優しくつついた。


リコは、再び、歩き出す。


その、あまりにも重い覚悟を乗せた一歩は、これまでのどの旅よりも、確かに、そして哀しいほどに、力強かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ