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最後のエルフ少女、最期の郵便配達~たまにカラスがうるさい  作者: cross-kei
第03章(最終章):北の大陸での冷たき旅路(全06話)

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第14話:人魚より、永遠の船乗りへ

北へ向かう船の甲板を、リコは黙々と磨いていた。


なけなしの金で乗船できたのは、客船ではなく、古びた貨物船。船賃の不足分を、船の中の雑用仕事で補うというのが、船長との約束だった。潮風に晒され、両手は荒れ放題だったが、リコは文句一つ言わなかった。


「へっ、とんだ船旅になったもんだな。甲板磨きなんざ、俺様でもごめんだぜ」


マストの上から、クロがいつものように悪態をつく。


その船には、リコたちの他に、一組の商人が乗り込んでいた。羽振りの良い衣装に身を包んだ、傲慢そうな男。そして、その男に常に一歩下がって付き従う、年の若い部下。


男が、荷物についた僅かな汚れに気づき、部下を舌打ちと共に睨みつける。


「おい、見えないのか。我が家の紋章が汚れている。この旅が、我ら一族の再興を懸けたものであることを忘れたか!」


「も、申し訳ありません、ご主人様…!」


青ざめて頭を下げる部下と、それを冷ややかに見下す主人。船乗りたちは、その光景を遠巻きに眺めながら、「また訳ありの貴族様のお成りかい」と、興味なさげに、しかし侮蔑を込めて囁き合っていた。


ある日、従者の青年が、嵐で荷崩れに巻き込まれて足に深い傷を負った。主人の商人は、舌打ちを一つすると、「仕事の遅い奴め」と吐き捨て、治療しようともしない。


「ガス爺! 早く来てくれ!」


船員の一人が叫ぶ。呼ばれたのは、船員たちの怪我の手当てを一手に引き受ける、薬草に詳しい老船員だった。しかし、傷のあまりの深さに、ガス爺も「こいつぁ、俺の薬草だけじゃどうにもならねえ…」と、顔を青くするばかりだった。


見かねたリコが、自分の魔法の鞄からそっと小瓶を取り出し、青年のもとへ駆け寄った。「嬢ちゃん、よせ!」という制止も聞かず、リコは傷口の汚れを丁寧に拭うと、自作の初級ポーションをそっと振りかけた。


すると、血が止まり、大きく開いていた傷がゆっくりと塞がっていく。青年は、信じられないという顔で自分の足とリコを交互に見つめ、やがて、震える声で言った。


「あ……ありがとう……。助かったよ……」


その様子を、少し離れた操舵室から、船長が腕を組んで見ていた。彼は、ゆっくりと甲板に下りてくると、リコの前に立った。


「嬢ちゃん。大したもんだな」


その声には、驚きと、そして深い感心が混じっていた。


「ありがとうよ。お前さんは、見かけによらず、心の優しい、立派な船乗りだ」


その日を境に、リコの船での立場は変わった。ガス爺のたっての頼みで、彼女の仕事は甲板磨きではなく、彼を手伝って船員たちの小さな怪我の手当てをすることに変わった。無骨な男たちが、今では彼女を「先生」と呼び、食事の時には干し魚を分けてくれる。リコの船旅は、初めて、温かい「居場所」を得たのだった。


そんな船旅が数日続いた、ある夜のことだった。


月も星も見えない、不自然なほど濃い霧が、音もなく船を包み込んだ。経験豊富な船長が「おかしいぞ…こんな霧は…」と顔をこわばらせた、その時。


霧の向こうから、巨大な影が現れた。明かりも灯っておらず、帆はボロボロに引き裂かれた、巨大な幽霊船。それは、亡霊のようにリコたちの船に横付けすると、その朽ちかけた甲板に、半透明の人影がゆらりと姿を現した。幽霊船の船長だった。


『――貴様らの船から、愛しき人魚の、悲しい歌声が聴こえる……!』


その声は、冬の海の底から響いてくるかのように、冷たく、そして深い怒りに満ちていた。


『我が愛しき人を返せッ! さもなくば、この船、海の藻屑と知れ』


リコの船の船長は、恐怖に震えながらも、毅然と反論した。


「何を言いがかりを…! 人魚だと!? そんな、海の神の怒りを買うような呪いの品、この船に乗せているはずがない!」


だが、幽霊船の船長の怒りは収まらない。船全体が、まるで地震のように激しく揺れ始める。


その、絶体絶命の状況下で、リコは必死に耳を澄ませた。船のきしみ、船員たちの恐怖の叫び、そして幽霊船の船長の冷たい怒声。その全ての騒音の向こう側から、彼女の「耳」だけが捉える、か細く、しかし決して消えることのない、哀しい唄が聴こえていた。


リコは、恐怖に震える船長の腕を、小さな手で掴んだ。


「船長さん!」


「なんだ、嬢ちゃん!今はそれどころじゃ…!」


「あの人が言っていることは、本当です! この船にあります!」


リコは、船倉を指差した。


「あの商人の木箱の中に…!そこから、とても哀しい唄が聴こえるんです!」


船長は、リコのあまりにも真剣な眼差しに、息をのんだ。


彼は、青ざめた顔で震える商人を一瞥すると、腹を括った。


「……本当なんだな?」


リコは、力強く頷いた。


「よし!野郎ども、あの木箱をこじ開けろ!」


中から現れたのは、眩いばかりの金銀財宝。そして、その一番上に、禍々しいほどの魔力を放つ、一本の美しい骨が鎮座していた。人魚の骨。


幽霊船の船長は、その骨を視認すると、その怒りを憎悪へと変えた。


『貴様らが……愛しきセリーヌを、殺したのだなッ!』


その、おぞましいまでの憎悪を目の当たりにした商人は、恐怖と絶望に顔を歪め、叫んだ。


「まさか……! 伝説の、『財宝をもつ者』が……こんな化け物だったなんてっ!」


彼の一族に伝わる言い伝え。「人魚の骨は、持ち主を、財宝をもつ者の元へ導く」。一族を再興するため、彼は最後の望みを懸けて、この呪いの品に手を出した。だが、彼が夢見た「財宝をもつ者」とは、古代の王などではなかったのだ。


リコは、人魚の骨を、ただじっと見つめていた。


それは、ただの呪いの品ではなかった。彼女の「目」には、その骨の奥底から、あまりにも哀しく、そして優しい魂の唄が、か細く漏れ聞こえていたのだ。


それは、憎しみではなかった。それは、愛だった。


「待って!」


リコは、今にもリコたちの船を破壊しようとする幽霊船の船長に向かって、叫んだ。


「セリーヌさんが、あなたに伝えたいことがあるみたいです。手紙を書きます」


クロが、嵐で濡れた甲板の木屑を一枚、拾ってくる。


リコが、人魚の骨にそっと手を触れる。彼女の心に流れ込んできたのは、数百年前に、この幽霊船の船長に恋をし、しかし彼が海の怪物に殺されたことで、後を追うように自らの命を絶った、人魚セリーヌの、あまりにも切実な最後の想いだった。


リコは、その唄を、木屑の手紙へと写し取る。


そして、その手紙を、風に乗せて幽霊船の船長へと飛ばした。


『――愛しいあなた。どうか、もう怒らないで。私は、あなたの傍で眠りたかっただけ。この骨は、財宝への道標ではない。あなたへの、愛の道標だったのです』


手紙を読んだ幽霊船の船長の、怒りに燃えていた魂の光が、急速に色を変えていく。憎悪の赤から、深い、深い哀しみの青へ。


『……そうか。お前は……ずっと、我を待って……』


彼は、人魚の骨をそっと抱きしめると、その姿は船と共に、ゆっくりと霧の中へと溶けていった。


後に残されたのは、圧倒的な静寂だけだった。


船乗りたちは、誰一人、声を発することができなかった。先ほどまでリコを「先生」と親しげに呼んでいた無骨な男たちが、今はまるで、神の使いか何かを見るかのように、畏怖の念を込めた眼差しで、ただ遠巻きに彼女を見つめている。船長は、胸の前で、古き海の神への祈りを、無意識のうちに刻んでいた。



霧が晴れ、月明かりが海を照らす。


船長は、腰を抜かした商人を睨みつけると、「こいつは次の港で突き出す」と吐き捨てた。商人は、もはや金銀財宝のことなど口にしていなかった。ただ呆然と、幽霊船が消えていった夜の海を見つめ、「……あれが……本当の『宝』だったというのか……」と、震える声で呟くだけだった。


甲板の隅で、クロが、どこか疲れたように言った。


「へっ、とんだ海洋活劇だったな。呪いだの、愛だの、人間ってのは、死んでからも忙しいこった」


その言葉に、リコは夜の海を見つめながら、静かに答えた。


「……でも、届いてよかった」


「あぁ?」


「あの人魚さんの唄。何百年も、たった一人で、あの人を待ち続けていたんだよ。その想いが、もし誰にも届かずに消えてしまったら、それこそが、一番哀しい呪いだと思うから」


クロは、何も言わずに、ただリコの頬をそっと羽根で撫でた。


その沈黙は、どんな言葉よりも雄弁に、彼女の気づきに寄り添っているようだった。


金のコンパスが、次なる唄のありか――北の大陸を、静かに指し示していた。


船は、夜の海を、まっすぐに進んでいく。

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