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最後のエルフ少女、最期の郵便配達~たまにカラスがうるさい  作者: cross-kei
第03章(最終章):北の大陸での冷たき旅路(全06話)

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第13話:窓辺の少女より、屋上の君へ

金のコンパスが指し示したのは、北への航路を持つ、大きな港町だった。活気のある港の風景が、これまでの山岳地帯とは異なる、新しい旅の始まりを予感させる。


リコとクロは、次の地へ向かうための船を探して、この町を訪れた。


「へっ、潮の匂いってのも悪くねえな。美味い魚にありつけるかもしれねえ」


クロの軽口にも、リコは心ここにあらずといった様子だった。彼女の視線は、金のコンパスが指し示す、町の高台の一点に注がれていたからだ。


そこには、眼下に広がる巨大な魔術学園を見下ろすように、今はもう使われていない古い治療院が、静かに佇んでいた。


コンパスが真に指し示しているのは、港ではなかった。


リコがたどり着いたのは、治療院の、固く閉ざされた一室。窓際のベッドが置かれた、埃をかぶった病室で、彼女は一つの魂の残滓を見つけた。


半年前、病で亡くなった、名もなき少女の魂。その部屋の窓からは、眼下の魔術学園の庭と、その屋上だけが、切り取られた絵のように見えていた。


リコが、窓辺に置かれたままになっていた、一本の枯れた花にそっと触れると、少女――エリアナの最後の記憶が流れ込んできた。


彼女の魂の唄は、言葉ではなかった。


それは、窓の外の学園で、同級生たちから嘲笑われ、一人でいる少年の姿を、ただ、ただ見つめ続けた日々の記憶。そして、彼が何度も学園の屋上の淵に立ち、虚空を見つめていた姿。


自らの命が尽きていく痛みと、彼の魂が壊れていく痛み。その二つの痛みが共鳴し、彼女の魂には、たった一つの、あまりにも切実な祈りが刻み込まれていた。


彼女は、ただ少年を見ていただけではなかった。死を前にした彼女には、時折、未来の光景が視えるようになっていたのだ。


一つは、絶望に耐えきれず、屋上から身を投げる少年の、あまりにも哀しい未来。


そしてもう一つは、その苦しみを乗り越え、偉大な回復魔術師となり、多くの病める人々を救う、彼の輝かしい未来の姿。


エリアナの魂の唄は、その輝かしい未来を信じる、最後の祈りだった。


『お願い、生きて……。あなたの未来を、私は知っているから』


リコは、その枯れた花を媒体に、エリアナの魂の手紙を書いた。


エリートたちが集う学園の門は、厳格な門番兵によって固く守られていた。リコのぼろぼろの身なりを見るなり、兵士は侮蔑の眼差しで、その槍を交差させた。


「待ちなさい、小娘。ここは、お前さんのような者が立ち入る場所ではない。物乞いなら他を当たれ」


リコがどう説明したものかと戸惑っていると、その時だった。


「……待ちなさい」


門の内側から、穏やかで、しかし芯の通った声がした。振り返った兵士たちが、慌てて敬礼をする。そこに立っていたのは、分厚い本を抱えた、教師のような雰囲気の老人だった。


老人は、リコの汚れた身なりではなく、その胸元で静かな輝きを放つ、金のペンダントをじっと見つめていた。その目に、驚きと、そして深い理解の色が浮かぶ。


「その方を、お通ししなさい」


「は、しかし学園長、この者は…」


「ばっかもーん!儂の指示を聞かぬとは愚か者めっ。黙って従え。おそらく緊急事態じゃ」


兵士たちは、学園長と呼ばれた老人の、有無を言わさぬ口調に、しぶしぶ槍を解いた。老人は、リコにだけ分かるように、静かに一度だけ頷くと、何も言わずに学園の奥へと去っていった。


リコは、広大な学園の中を走り回った。エリアナの魂が見た、あの屋上へ急がなければならない。


焦る気持ちとは裏腹に、同じような校舎がいくつも並び、道は迷路のように入り組んでいる。


廊下ですれ違う生徒たちに少年の名を尋ねるが、誰も汚れた身なりの少女にまともに答えようとはしない。嘲笑う者、無視する者。時間は、刻一刻と過ぎていく。


「クロ、お願い!」


クロは心得たとばかりに空高く舞い上がると、上空から目的の少年を探した。やがて、クロの鋭い声が響く。


「いたぞ、リコ! 一番高い時計塔の、屋上だ!」


その声に導かれ、リコは最後の力を振り絞って、塔の長い螺旋階段を駆け上がった。


彼は、まさにその時、再び学園の屋上の淵に、一人で立っていた。吹きすさぶ風が、今にも彼の背中を押してしまいそうだ。


「……何だ、お前は。放っておいてくれ」


少年――フィンは、見ず知らずの汚れた少女に、苛立ちを隠そうともせずに言った。


リコは、彼の前に立ちはだかるように一歩踏み出すと、今までにないほど、大きく、そして凛とした声で叫んだ。


「待って! あなたにとって、大切なお届けものですっ!」


彼女は、エリアナからの手紙を、少年の前に、祈るように差し出した。


フィンは、苛立ちながらも手紙をひったくり、そこに綴られた、あまりにも非現実的な内容に、最初は嘲笑すら浮かべた。


「僕が、人を救う? 馬鹿げてる」


『今は苦しいかもしれないけど、その場所から逃げてもいい。生き続けている限り、あなたは、多くの人を救う存在になれる』


その文字を読んだ、瞬間だった。


フィンは、文字を読んでいたのではなかった。彼の魂に直接、エリアナが視た未来の光景が、否定しようのない「真実」として流れ込んでくる。


それは、理解ではなかった。それは、まだ生きていないはずの未来の「記憶」そのものだった。


――多くの人々に感謝され、誰かを救い、心から笑っている、未来の自分の姿。


そして、フィンは知る。


自分が見ていたのは、眼下の嘲笑う同級生たちだけではなかった。すぐ隣の治療院の窓から、たった一人、自分のこの輝かしい未来を信じ、祈り続けてくれていた少女がいたことを。


その事実に、彼は初めて、声を上げて泣いた。それは、絶望の涙ではなかった。自らが、決して一人ではなかったことを知った、魂の、最初の嗚咽だった。


その光景を、遠く離れた学園長室の窓から、あの老人が静かに見つめていた。


「……間に合ったか。古の言い伝えは、真であったか」


老人は、一人の生徒の魂が救われた奇跡と、それを成し遂げた小さき旅人の姿に、静かに感謝を捧げるように、深く、深く目を閉じた。


エリアナの魂が、満足そうに微笑むのがリコには視えた。魂は光の粒子となり、リコの金のペンダントへと静かに吸い込まれていく。


コンパスは、港の先、次なる海路を指し示していた。


港で、北へ向かう船の出航を待ちながら、クロが、どこか腑に落ちないといった様子でリコに話しかけた。


「なあ、リコ。結局、あいつがいじめられなくなるわけじゃねえ。明日になれば、また同じことの繰り返しだ。何が変わったってんだ?」


リコは、学園の屋上を見上げた。そこにはもう、誰もいない。


彼女は、静かに答えた。


「……ううん。世界は変わらない。でも、たった一つだけ……」


リコは、フィンが涙の奥に浮かべた、未来の自分の姿を思い浮かべていた。


「彼はもう、死にたいなんて思わない。だって、彼にはもう、守らなきゃいけない『未来』があるから」


その言葉を合図にするかのように、港から、北へ向かう船の出航を告げる、低く、長い汽笛が響き渡った。


リコは、小さく微笑むと、次なる「唄」が待つ、海の向こうをまっすぐに見据えた。

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