表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
山縣有朋は愛されたい  作者: 親交の日


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

136/143

浮きつ沈みつ

 






 ――――――




 遼陽会戦は国際的に日本の勝利と受け取られたが、当事者たちは全く満足していなかった。むしろ折角の機会を逃したと悔やんでいる。


 遼陽を取ったはいいものの、それはロシア軍を殲滅したからではなく撤退してもぬけの殻になった都市を占領しただけ。推測された死傷者は二万未満で、日本の二万三千と比べると少ない。死傷率で比べると一八%と十%でダブルスコアに近くなる。


 こうなったのは日本が攻撃側で損害を増やしたのに対して、ロシアが撤退時に追撃をほとんど受けなかったからだ。大きく損害を受ける場面が日本側に多かったのである。


 そして追撃できなかった理由は、


「渡河の用意さえしていれば……っ!」


 という田村の言葉に集約されている。というのも日本軍は遼陽を目標としていたため渡河の用意がほとんどなかった。そのため川を越えて追うことができなかったのである。それからロシア軍が撤退した際に濃霧が発生して軍事行動ができなかったという理由もあるが。


 第一軍は敵前渡河なんて離れ業をやってのけ、見ていたイギリス軍人は「クレイジー」と評した。それにしても突然の思いつきみたいなもので、川を渡ったのは人と軽装備だけであった。今、大急ぎでその他の装備を送り込もうとしている。


 ただ追撃がまったくなかったわけではない。特に目立ったのは最左翼の秋山支隊。秋山は騎兵の機動力を活かして第二軍の先鋒となる役目を担っていた。場合によっては対岸でも活動するかもしれないと独自に渡河の用意をしていたのだ。ロシア軍が撤退すると騎兵戦力を渡河させ、撤退する敵を銃砲撃して損害を与えている。だが少数の戦力だったため活動は限定的なものに留まった。反撃が怖いので秋山も長居せず早々に引き上げさせている。


 大本営は主力同士の決戦で勝利し戦線を押し上げたことに満足していた。追撃できなかったことはチクリと小言を言っていたが、現金なもので日本の勝利と判断され国債の売れ行きが好評なことから深くは追及されなかった。


 しかし現場では特に余裕があった第二軍で惜しむ声が強い。もっとも私は、


「そう嘆くな」


 と宥める。


「閣下は悔しくないのですか?」


「そりゃ悔しい。だができなかったことを後知恵で悔いたところで仕方ないだろう」


 そもそも遼陽攻撃は川前にある都市を占領することを目的に計画された。大規模な渡河はそもそも想定されていなかったわけで、あの時こうしていればと嘆くのは違うだろう。


「だがそれは総司令部の、つまりは私の責任である。現場の諸君はできなかったことを嘆くより、奮戦敢闘した将兵を褒めるべきだ」


 何はともあれ作戦目的は達成されたのだ。見事にそれを果たした者たちを褒めはすれど、責めることはできない。それに満州軍の責任者は総司令官の私であるからして、作戦の不備も私に帰する。責めるなら私を責めろと言った。


「……」


 これには田村も押し黙る。まあ上司に向かって堂々と文句を言うのは東條くらいのものだ。少しずるいかなと思ったが、過ぎたことをあーだこーだ嘆かれると空気が悪くなる。そんなことをしている暇があったら次の作戦を考えてほしいものだ。


「ともあれ遼陽を攻略できたことは大きい。作業隊が改軌を終えれば鉄道による補給の一大拠点になるし、飛行場が設営されれば航空機の運用ができるようになる」


 次につながる大きな一歩。くよくよしていても仕方がないから切り替えろ、と占領後の会議で告げた。


 さて、と私は一拍の間をとる。


「皆よくやってくれた。勝手に論功するなら、一等はやはり第一軍だろう」


 作戦にはない上に危険極まりない敵前渡河なんて大博打を仕掛けたが、彼らの活躍でロシア軍右翼から多くの部隊が引き抜かれた。その功績は大きい。


「二等は第六師団だな」


 首山堡を奪取して敵の反撃を退けたことが会戦の行く末を決定づけた。果たした役割は大きいが、部隊規模というスケールメリットがないために二等となる。


「三等は同列で秋山、梅沢の両支隊だ」


 秋山支隊は独自に渡河準備を行い、撤退するロシア軍の背中にひと太刀浴びせて見せた。梅沢支隊も予備役の寄せ集め部隊でありながらよく奮闘している。もし崩れていれば第一軍が危機に陥るところだった。両者甲乙つけ難いために同列とする。


 ……部隊規模が違うとか、梅沢支隊はそもそも第一軍隷下で被ってるだろとかいう突っ込みが飛んできた。だから「勝手に」って言ったじゃん。


 そんな感じで戯けて見せると場は笑いに包まれる。こう、こうだ。こういう空気でいた方がいい。


「それから諸君――特に秋山少将には朗報がある」


 なんだなんだと騒めく。名指しされた秋山は首を捻っていた。


「大本営はよくやったと言ってきたが私はこう返した。『褒めるなら祝いのひとつでも寄越せ』とな。そしたらつい先ほどこう返ってきた。『祝い酒を送る』とね」


「「「おおっ!」」」


 戦場での娯楽は限られている。数少ない楽しみのひとつは飲食だ。この場にいる者たちは特配を受けなくとも嗜好品は入手できるが兵士たちはその限りではない。そんな彼らに酒は喜ばれる。飲めない者のために甘味なども手配させた。


「はははっ。たしかに朗報ですな」


 秋山が大笑いする。水筒に酒を詰め、従兵にお代わりを携帯させている生粋の酒好きだ。それが配られるとなれば嬉しいだろう。


 そのうち補給物資と一緒に来るだろうから、タイミングを見計らって配るよう指示する。酔っ払ったところを攻められて負けましたは情けなさすぎるからな。


 後日、酒が大量に到着して兵士たちに配られた。十万を超す数がいるので何杯も飲めたわけではなかったが、兵士たちはとても喜んでいた。勝利の美酒とする者もいれば、亡き戦友に捧げた者もいる。各自が思い思いの方法で味わっていた。


 さて、遼陽を攻略した日本軍は部隊の再編成を行い、先に述べたような同地の拠点化を進めていく。すなわち鉄道線の改軌、然る後の物資補給と集積、飛行場の設営だ。川を挟んでの対陣なので、人員補充を少し後回しにしても支障ないと判断。モノの移動を優先させた。食う物撃つ物がなければヒトがいても戦えないのだ。


 遼陽会戦で首山堡を奪取する武功を上げた第六師団だったが、その代償としてかなりの損害を被っていた。奥には申し訳ないと思いつつ、戦力回復と戦術的柔軟性の確保を名目に第二軍から第六師団を没収。総司令部が抱える予備隊とした。


 これは近衛師団が到着するまでの措置だ。参謀からは前線が薄くなるという懸念も示されたが、先に述べたように川を挟んでの対陣であり、第二軍が受け持つ戦線も狭まったことから問題ないと判断した。


 予備隊とされた第六師団は後方に下がるも暇はさせない。交代制で鉄道作業に従事させる。肉体労働者はいくらいても困らないからな。


 こうして急ピッチで鉄道の改軌作業を終わらせると、大連や営口からの物資が多数ピストン輸送された。第一陣は食糧と弾薬。第二陣は飛行場の人員と資材だった。


 届けられた資材は早速、やってきた人員の監督の下で飛行場建設に使われる。こちらにも第六師団の兵士たちが動員された。草を刈り鉄板を敷き詰め滑走路に仕上げる。一週間足らずのスピード建設であった。


 飛行場の完成が伝わると、大連の飛行場にいた部隊が鉄道線を頼りに飛行して遼陽へと飛来した。


「大連で見たのと違うぞ」


 ある兵士は首を捻る。遼陽へと飛来した機体は彼が大連で見たものと違うものだったからだ。


 まず気づくのはエンジンの数。これがひとつではなく二つ――双発の飛行機だった。エンジンの数が増えたことにより機体も大型化している。これが世界初の爆撃機――三六年式双発機だ。八インチ砲弾を投下可能な機体で打撃力が高い。航続距離も長く、後方へ進出しての鉄道攻撃も可能だ。


 遼陽へは先遣隊として四機が飛来した。機体が大きいので滑走路と必要最低限の設備しか整っていない飛行場では飛行隊をまるまる受け入れられないのだ。これから始まる旅順攻撃への参加が予定されているという事情もある。


 整備を終えた機体は早速、偵察飛行に出る。その結果が報告され、総司令部の地図に反映されていく。


「やはり飛行機があると得られる情報が違いますな」


 ロシア軍の布陣、おおよその兵力というものがほんの数日で明らかになる。旅順でも感じていたことだが、その恩恵というものをありありと実感した。


「とはいえ飛行機も万能ではない。地上からの偵察も欠かすことはできないがな」


 航空機で大まかな状況を把握し、必要に応じて地上部隊が詳細な偵察を行う。要は組み合わせが大切なのだ。情報の裏をとるのは基本である。


 ロシア軍は川後ろに撤退してから動きを止めている。相手側に突出した形となっている第一軍を警戒しているようで、各種の偵察結果から同軍にかなりの戦力が手当てされていることが判明していた。


 このことからひとまず第一軍を優先して物資を供給する。ロシア軍左翼は兵力が大きい。偵察によれば損害がなく意気軒昂な部隊もあるという。これらを使って攻めてくる可能性もあるため、攻撃して疲弊している第一軍を真っ先に立て直さなければならない。


 その一方、総司令部では次なる作戦も構想されていた。ロシア軍をさらに北へと追いやる作戦だが、これについての見解は二つに分かれる。


 ひとつは既に渡河した第一軍を主攻とし、鉄道線を狙いつつ片翼包囲を目指す案。もうひとつは、第二軍を渡河させて左翼(敵右翼)からの圧力を強める案だ。参謀たちが激論を交わしている。


「そう結論を急ぐものでもない。各種の情報を精査しつつ、よく検討するように」


 そう言い残して総司令部を出た私はレディの散歩がてらとある場所を訪れた。


 訪問先は野戦病院だ。戦闘からそれなりに時間が経っているものの、負傷者が多数入院している。今回ここを訪問したのは視察ではなく見舞いのためだった。


「こちらです」


 看護兵に案内されて病室を訪れる。そこには随所を包帯で覆われた人物がベッドで横になっていた。窓から外を見ていたが、足音を聞いてかこちらに視線を向ける。


「閣下……っ!?」


「いいからそのままでいろ」


 慌てて起き上がろうとするのを制する。怪我人に敬礼しろなんて言わない。


「加減はどうだ、橘くん?」


 見舞いの相手は橘周太少佐。首山堡を見事に陥れた人物だ。身体のあちこちに銃弾を受け両手が使えなくなっても最前線で戦い続け、敵の反撃も撃退。だが至近弾を受けて立てなくなるほどの重傷を負うも、なお戦い続けようとした。そこに援軍が到着すると緊張の糸が切れたのか気絶した。


 部下たちが野戦病院に担ぎ込んだが、搬送された橘を見た軍医はあまりの重傷で助からないだろう、との見立てだった。それゆえ処置は後回しにしようとしたが、先に搬送されていた負傷兵が次々と自分は後回しにしていいから少佐の処置を! と嘆願。軍医は内心で無駄だろうと思いつつ処置したところ、奇跡的に助かった。軍医曰く、


「生きようとする少佐の執念ですね」


 とのこと。


 もちろんこの話は軍内で瞬く間に広まった。今や「不死身の橘」との異名をとっている。


 私の耳にも入ってきたが、それを聞いた私はとても嬉しかった。死のうとしていた橘が三途の川を渡るのを拒否するほど生への執着を見せてくれたことに。


 そんな話をしてやると橘は笑いながら、


「命尽きるそのときまで生きようとしましたから」


 と答えた。


 すると、それを聞いていた看護兵が話に入ってくる。


「少佐は部下に大層慕われているのです。毎日のように見舞いに来るんですよ」


 負傷して病院にいる者だけでなく、幸運にも無事でいた者や軽傷者も暇を見ては足を運ぶのだそう。後者は軍務があるので頻度は低いが、前者は来ない日はないという。


「おや、噂をすれば――」


 ガヤガヤと集団が近づいてくる。看護兵がどうします? と訊ねてきたので入れてやれと言う。別に独占するつもりはない。


「失礼します――っ!?」


「どうし――っ!?」


 先頭で入ってきた部下のひとりが私に気づいて固まり、次に入ってきた者がその動きを訝しむも私を見つけるやまったく同じリアクションをとる。


「け、敬礼!」


 橘の部下たちは並ぶとこちらへ敬礼。私はさっと答礼しつつ楽にするように言った。


「諸君らの奮闘は全軍に轟いているぞ」


 そう言うと嬉しそうにしていた。お邪魔してはいけないのでと彼らは退散しようとするが、私はそれを止める。彼らにもこの場にいてほしかったからだ。


「橘少佐は大層慕われていると評判だが……」


 どこに惹かれるのかと訊ねたら、部下たちから色々な答えが返ってきた。


 自己鍛錬を欠かさないところ、誰にでも公平な姿勢、親身に接してくれるなどなど。


 面と向かって言われた橘は照れくさそうにしていた。


「なるほどな。話を聞かせてくれた礼にこれを進呈しよう」


 見舞品として持ってきた洋菓子セット。チョコやキャラメル、クッキーが入っている。コーヒーのお供に持っているものを適当にチョイスした。


 橘に渡すつもりだったが、話からして絶対に部下へ配って回る。なら先に配っても問題ないだろう。一応、最初は橘に選ばせた。


 部下たちは甘い、美味いと喜んでいる。こういった嗜好品は明治の世にあっては高級品。文字通り初めて食べただろう。こうも嬉しそうにされるとこちらも嬉しくなる。


 お菓子の効果でかなり打ち解けた雰囲気になったところで本題に入ることにした。


「橘くんはこれからどうするんだ?」


「この有様ですから退役しようと思っています」


 故郷で教師でもしようか、なんて言っている。それを聞いていた部下たちはええーっ、と驚く。勿体ない、と。


「こう言っているが?」


「ですがこの身体では軍人としてご奉公などとても……。それよりも後進を育てることがご奉公になると思うのです」


「まあそれもひとつの考えではあるだろう。だが私としても君には軍人を続けてほしいと思っている」


 私はある男の話をする。その男は西南戦争で右手を負傷して以来、右腕の自由をなくした。当然、前線で指揮などとれるはずもない身になったのだがそこで腐らずできることを探し、後方勤務に活路を見出す。そして順調に功績を上げて桂や児玉に並ぶ陸軍高官となった。


「その人物は今、軍務省の陸軍部長をしているぞ」


「寺内閣下のことですか?」


 答えが出たので頷く。寺内が歩んだのは軍政と教育の道だ。余談だが、個人的にやべーと思ったのは士官学校の校長時代。几帳面な性格からか、学校の近くにある自宅に帰っても望遠鏡を使って生徒を監視していたそうな。そこまでするか、と思ったね。


 他にも、有栖川宮熾仁親王が揮毫した学校の表札が錆びているのを見て怒ったとか。お前は嫁を虐める姑か、と思うほどとにかく細かなことまで注文をつけた。そんなことをしていたので「掃除係」「重箱楊枝」というあだ名を奉られている。


 それはともかく、私の言いたいことはたとえ前線に立てなくともキャリアを続ける手段はあるということだ。寺内のようなキャリアは脳筋ゴリラにはできっこない。だが幸い、橘は頭がキレる脳筋ゴリラだ。


「それに橘くんは将来が拓けている」


「それはどういう?」


「何事もなければ将官になれるということだ」


「しかし、自分は陸大を出ておりません」


 私たち維新期の世代はともかく、士官の養成制度が整った橘の世代はある程度、出世の道筋が決まっている。将官になるには基本的に陸軍大学校を卒業していなければならない。


 陸大を受験するには上官の推薦を得なければならない。優秀だった橘にも推薦の話はあったものの、皇太子付武官としての職務を優先してこれを蹴った。また、受験資格は中尉まで。少佐の橘にはない。


「まあ普通ならよくて大佐止まりだ。梅沢のような例外もあるがな」


 たまたま戦争が起きて大量動員され、指揮官不足で昇進したのが梅沢支隊を率いる梅沢道治だ。しかしそれは例外である。


「だが橘くんは首山堡を落とす大戦果を挙げた。これだけで金鵄勲章は確実だ」


 佐官でこれまでの受章歴はないので功四級が与えられるだろう。だが等級はどうでもいい。とにかく金鵄勲章が与えられたということが重要なのだ。なぜなら陸大を卒業していなくとも将官に進むにあたり必要な功績だからである。


「故郷に戻って教師をするという手もあるが、軍でより直接ご奉公をする道もある。言いたいのはそれだけだ。後は君がよく考えなさい」


 私は答えを聞かずに病室を出た。


 その後、橘は負傷を理由に大隊長の職を解かれるも軍を辞めることはなかった。回復すると再び第二軍で兵站管理の職に就く。変わらず兵たちに慕われた。


 戦争が終わっても軍に残り教育方面で活躍。士官学校で勤務する以外にも、戦時で兵站に携わった経験を買われて兵站関係の部署にも配属される。いずれも一目置かれる仕事ぶりであり、その実績も加味されて少将へと進級。士官学校の校長となったばかりか中将へ昇り、陸軍の教育を司る教育総監をも務めることになるがそれは別の話。










「面白かった」


「続きが気になる」


と思ったら、ブックマークをお願いします。


また、下の☆☆☆☆☆から、作品への評価もお願いいたします。面白ければ☆5つ、面白くなければ☆1つ。正直な感想で構いません。


何卒よろしくお願いいたします。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
飛行機到着!旅順落として飛行場と飛行隊の規模拡大して沙河会戦では空飛ぶ砲兵として運用したいですね。とくに特に万宝山とか万宝山とか…あそこ確保し続けていれば追撃時にかなり打撃与えられただろうし… 飛行機…
この物語では 軍神 の定義が変わるかな?
これは「肉弾三勇士」とかの代わりに、絶対に生きてご奉公すると誓った「不死身の橘大佐」が修身の教科書に載るのかな。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ