代償
目を覚ます直前、再びあの声を聞いた。
最初は、遠くから響いてくる音のように、かすかに聞こえるだけだった。僕はその奇妙な暗闇に沈んだまま、自分がまだ夢を見ているのか、それとも本当に意識を取り戻しているのか、理解できずにいた。
以前にも聞いたことのある、あの声だ。僕が意識を失う直前に、誰かが口ずさんでいたあの旋律。
傍らにあるランタンの灯りに目が慣れる程度に、僕はゆっくりとまぶたを開けた。 何日も眠り続けていたかのように、全身が痺れていた。
動こうとしてみたが、体のどの筋肉も強張っている。特に両膝がひどく痛んだ。
(ここはどこだ? 何も思い出せない)
上半身を起こそうとしたが、左腕が硬い包帯と添え木で固定されていることに気がついた。 僕は目を見開き、胃の奥がギュッと締め付けられるのを感じ始めた。
(どうして腕に包帯が?)
僕は必死に右手を左腕に這わせ、それを持ち上げようとした。 肘から鋭い痛みが走り、腕を伝って肩まで突き抜けた。僕は歯を食いしばり、再び身をよじった。 記憶が少しずつ、一つまた一つと蘇ってきた。
(ラプランだ)
「あああっ!」藁のベッドの上に跳ね起きると同時に、喉の奥から押し殺したような悲鳴が漏れた。
(あの峰。暗闇)
心臓が胸の中で早鐘を打ち、頭の中で痛みが爆発した。 辺りを見回した。今まで見たこともない部屋だった。
(どうして? 僕はあの岩の隙間にいて……僕は……僕は……)
こめかみに手を当てて揉みほぐした。記憶の欠片が戻ってくるたびに、頭の中で脈打つ痛みがどんどん強くなっていくのを感じた。
(どうやってここへ?)
胸元に視線を落とし、僕はサッと血の気が引く思いがした。体のあちこちに包帯が巻かれており、血が滲んで乾いた跡があった。そして左腕の包帯には、血に混じって濃い緑色の染みがいくつか付着していた。
(夢じゃなかったんだ)
少しして、僕に襲いかかってきたラプランの姿が脳裏にフラッシュバックした……そして、どうにかして奴を殺した自分の姿も。
(僕が……ラプランを殺した)
その思考は、まるで頭にこびりついて離れないかのように、ゆっくりと心の中に広がっていった。
(本当に、僕がラプランを殺したのか?)
震えながら左腕を見つめた。その時になって初めて、自分が腕の骨を折っていたことに気づいた。
(誰が包帯を巻いてくれたんだ……?)
そして、腕輪がなくなっていることにも気づいた。
(ヒルダ……)
僕は周囲を手探りして見つけようとした。
「落ち着け、坊主。俺がこの数日間てめぇにしてやったことを、全部無駄にする気か?」 その声には聞き覚えがあった。カエルだ。
(数日間? 何の話だ?)
「す、すうじつかん……?」僕の声はひどくかすれ、喉はカラカラに乾いていた。 僅かな唾液を飲み込みながら、自分の喉に触れた。
「探してるもんなら、すぐ横にある。腕の骨を繋ぐために、外さなきゃならなかったんだ」
カエルは足を引きずりながらゆっくりと近づいてきた。
「ほら。少し水を飲め。楽になるぞ」
僕は腕輪を取ろうとしたが、カエルが僕の腕を乱暴に掴んでそれを制し、代わりに水の入ったコップを握らせた。
「まずは飲め! 今はそのガラクタより水の方が先だ」
僕は水を飲み始めたが、一口飲み込むのすら辛かった。
「よし……さて、教えてもらおうか。一体全体どういうつもりであんな山の上に登りやがった?」
「警備の目を盗んで抜け出すなんて思ってもみなかったがな。だが、クソッ……てめぇの馬鹿さ加減にも限度ってもんがあるだろうが」
「僕は……」
何か言おうとしたが、言葉が見つからなかった。
「『僕は』だと? てめぇは今いくつだ? 7つか? 8つか? クソが、あんなところに登るなんて自殺行為だ。もし隊長がてめぇをここに連れ戻していなかったら、今頃どこかで野垂れ死んでただろうぜ」
その言葉は、今までゾルタンから受けたどんな叱責よりも強く僕の胸を打った。
(隊長が……ゾルタンが僕を……)
「た、助けて……くれた……」
僕はうつむいた。胃がギュッと締め付けられた。
(死ぬところだった)
僕は目を見開いた。堪える間もなく、目尻に涙が溢れてきた。
「僕は……悔しくて。ただ、僕は……」右腕で急いで涙を拭った。
「ただ僕は――」
カエルが僕の言葉を遮った。彼は腕輪を手に取り、僕の膝の上にポンと置いた。
「俺の仕事は終わった。これからはみっちり借りを返してもらうからな。今はとにかく回復することだけ考えろ。……よく生きて戻ったな」
一瞬、僕は押し黙った。彼の声に、いつもの皮肉は微塵もなかった。 息を細く吐き出した。胸にのしかかっていた重りが、少しだけ軽くなったような気がした。 僕はコクンと頷いた。
「うん! あ、ありがとう、カエル。僕の面倒を見てくれて」カエルはビクッと肩を揺らした。
「何を寝言言ってやがる? 死にかけのガキが転がってりゃ誰だって助けるさ。こんなところで死なれちゃ堪らねぇからな。それに、誰が死体の処理をするんだ? いやだね……面倒くせぇ」
彼は僅かに口角を上げてそう言った。僕がこんなに迷惑をかけているのに、心配してくれる人がいるという事実が、僕の心をすぐに温めてくれた。
「僕……どれくらい眠ってたの?」
「少なくとも一週間は意識を失ってたな。それ以降は日数を数えるのをやめた」
(一週間!? 嘘だ……そんなに長く意識を失っていたのか?)
「ど、どうしてそんなことに!?」堪えきれずに激しく咳き込んだ。
「言っただろ。死にかけてたんだよ。正確に言えば、絶望的な状態だった。もし俺がすぐに手当てしてなきゃ、二時間もしないうちに死んでただろうな……」
カエルはため息をつき、灰色の髭を掻いた。彼は小さな火鉢の方へ向き直り、鉄の小鍋で何かをかき混ぜ始めた。
「今だって完全に危険を脱したわけじゃねぇぞ、坊主。酸に含まれる毒で腕が壊死するのを防ぐために、お前の体は蓄えていたエネルギーをすべて使い果たしたんだ。今は休め。薬代を返すために、馬のクソを山ほど片付けてもらうからな。だが、それもてめぇが自分の足で立てるようになってからの話だ」
僕は背中を倒し、彼の言葉が頭の中で反響するのを感じながら、天井をじっと見つめた。
「どうしてゾルタンは……僕を助けたの?」僕は尋ねた。
頭が割れるように痛く、目を動かすたびに鋭い痛みが走った。 喋っただけで最後の力を使い果たしたかのように、突然まぶたが鉛のように重くなった。
湯気を立てるお椀を手に、再び近づいてくるカエルのシルエットがぼんやりと見えた。 だが、視界はどんどん霞んでいく。
(だ、だめだ……また……)
「カ……エル……」
誰かが僕に話しかけようとしていた。頭を掴まれたような気がしたし、ただ火が爆ぜる音だったのかもしれない。そして、再び暗闇が訪れた。
その後の数日間、熱は何度もぶり返した。大半の時間を重い眠りの中で過ごし、時折短い時間だけ意識を取り戻すことの繰り返しだった。
カエルは頻繁に、吐き気を催すほど苦い水薬を僕に飲ませた。それでも、具合は良くなっていった。口の中に残る吐き気のするような悪臭は相変わらず不快で、腕の痛みも消えてはいなかったが、痛み自体はずっと耐えられるレベルになっていた。
熱にうなされていた日々の中で、小屋の木の扉を叩く音を何度も聞いた。
「中に入れてよ、 爺さん!少しだけでいいから、あいつの顔を見たいんだ!」
それはテオの声だった。涙声で、必死に食い下がっていた。 時折、彼と一緒に別の少年がいることもあった。聞き覚えのない声だったが、テオをなだめようとしていた。
「失せろ、クソガキ。お前らが入ってきたら、冷たい空気と雑菌を持ち込むだけだ。さっさと宿舎に戻りな!」
外からカエルが怒鳴る声が聞こえた。決して譲ろうとしなかった。 彼らがその敷居を跨ぐのを見ることは一度もなかった。僕が理由を聞いても、老人はただ肩をすくめて話を終わらせるだけだった。
「厄介払いができて清々したよ」
―― カエル視点 ――
ルティアンにとって、その数日間はゆっくりと過ぎていっただろう。だが俺の方は、こいつのせいでこの小屋の中で常に何かしらやることがあった。腹が立って仕方がなかったが、最終的には諦めて受け入れた。
数日経って、彼はようやく俺に本を頼んできた。 悪い考えじゃねぇ。俺を質問攻めにされるより、こいつに何かやることを与えておいた方がマシだ。 だから俺は、取っておいた古い本を何冊か持ってきてやり、治ったあとに働かせる分の前借りだと思っておけと言ってやった。
ガキは文句を言わなかった。それどころか、俺の予想に反して、すんなりと読書に没頭し始めた。 このガキには、最初から奇妙なものを感じていた。 あの目……俺が見せている表情の奥まで見透かすように、じっと見てきやがる。ある意味で、年齢に見合わないとてつもない重荷を背負っているように見えて、その感覚は俺を安心させるどころか、かえって居心地の悪さを感じさせた。
あの夜、ゾルタンが半死半生のこいつを担ぎ込んできて、山の上で何があったか話してくれた時、俺はにわかには信じられなかった。あんな幼い子供が、ラプラン相手に生き延びただと。そんなことはほぼ不可能だ。
今、ランタンの薄暗い灯りの下で、古い本に読み耽るこいつの姿を見ていると、胸の奥が締め付けられるように痛んだ。
(こういう光景こそ、あなたが好まれたものでしょう……)
痛みに耐えながらも、頑固で誇り高いその顔立ちは、決して嘘をついていなかった。
(血は争えませんな……そうでしょう、エリゼーヌ様?)
俺にできる最低限のことといえば、包帯を取り替え、添え木を調整し、あとはこいつの体が自力で治すのを待つことだけだった。あのラプランに腕を粉々にされようと、少なくともこいつの自然治癒力だけはまだ味方してくれているようだった。
だが、問題が一つ残っていた。 ゾルタンだ。
あの夜以来、ルティアンは彼と話す機会がなかった。いつになったら彼の元に戻れるのかと、こいつは何度も聞いてきたが、俺はそのたびに答えをはぐらかしていた。 今のところ、こいつの日常は毎日同じことの繰り返しだった。
休んでは、飲み込めるだけのわずかな食事をとり、腕が固まらないように俺が命じたリハビリをこなす。時折、必要以上に長い時間、水浴び用の桶に姿を消すことがあったが、おそらく誰にも無様な姿を見られずに体を動かしたかったからだろう。 弱音を吐くことはほとんどなかった。
単なる意地っ張りなのか。それとも、単に状況が悪化するのを恐れているだけなのか。 おそらく、両方だろうな。
何はともあれ、日が経つにつれて、こいつは徐々に元の状態に戻り始めていた。少なくとも、そう見えた。 だが、俺は時折見せるあの『瞬間』に気づき始めた。
言葉の途中でふと立ち止まり、まるで思い出すべき何かを探すように、微かに目を細めるのだ。時には数秒間沈黙し、その後何事もなかったかのように再び話し始めることもあった。 一度や二度じゃない。
どうしたのかと尋ねると、気を失う前に聞いたという『声』と『旋律』の話をまた持ち出してきた。
(声、か……)
こいつを疑っているわけじゃねぇ。だが、そんな話を真に受けるのは難しい。 それでも、どれほどあり得ない話であろうと、完全に切り捨てることはできなかった。
もしかしたら、本当に精霊の仕業だったのかもしれない。 それなら、こいつの異常な回復力も、何よりもあれほどの怪我を負ってなお長く生き延びられた理由も、すべて説明がつく。 それとも、単なるこいつの生への執着がもたらした結果か。
いや。 何かがおかしい。 だが、それが何なのかはまだ分からなかった。
あの夜、こいつが本当に何を聞いたのかは分からない。ただ、これほどの死線を潜り抜けた後となれば、俺にはその声をただの妄想だと片付ける気にはなれなかった。
(もし俺がそこにいれば、こんなことにはならなかったはずだ。まだ乳臭いガキが、こんな狂った真似をするなんて誰が予想できた?)
いずれこいつが俺を質問攻めにしてくることは分かっていたし、ゾルタンの性格を考えれば、その質問は間違いなく厄介事を引き起こす。だが、まさにそいつのことを考えていた矢先、小屋の外から笑い声が響いた。 すぐに誰だか分かった。 ゾルタンだ。
すぐにおかしいと思った。普段なら、俺に命令を伝える時は部下をよこすはずだ。
それなのに、どうしてわざわざ自分で足を運んできたんだ? 俺が声をかけるよりも早く、ルティアンが跳ね起きた。俺はまだ、こいつに飲ませる回復薬の準備をしていたというのに。 俺は、小屋から飛び出していく彼を目で追った。
「どこへ行く気だ? 寝てろ!」俺は鋭く制止した。
「でも……!」
「いいからおとなしくしてろ 」
俺はガキを小屋に残し、一人で外へ出て背後の扉を閉めた。ルティアンが足早に近づいてきて、俺たちが何を話しているのかを探ろうとしているのが見えた。
「隊長! 珍しい客――」
「前置きはいい、カエル。今日中に馬を二頭用意しておけ。後で部下を一人取りに行かせる」
「了解した。他に必要なものは?」俺は薄笑いを浮かべて彼を見た。
「そんな顔をするな。てめぇがそれだけ元気だってことは、あのガキが生き延びたってことだ。ならそれで十分——」
「た、隊長!」
(ああ、やっぱりか)
振り返ると、言いつけを破って小屋から抜け出してきたガキが、俺たちの横まで走ってきて息を整えていた。
「これで満足か? 顔を見たんだから、もういいだろ――」
「カエル」隊長が俺を遮った。
彼は数秒間、少年をじっと観察した。 相変わらずの威圧感だったが、その目はいつもとは違っていた。より真剣で、より鋭い。
「クソガキ」
声は相変わらずだった。誰をも圧倒する、重々しい声。
「た、隊長……」
ゾルタンは少しだけ首を傾げた。
「上出来だ。どうやら、まだくたばってねぇようだな」 ルティアンが一歩前に出ようとした。
「た、隊長、僕は……ありが――」
俺はこいつの無事な方の肩を強く掴み、その場に釘付けにした。 ルティアンは混乱したような視線を俺に向けてきたが、無視した。 俺は隊長の性格をよく知っている。あいつがそんな感謝の言葉を受け取るはずがない。
ゾルタンはルティアンの意図を完全に無視し、ただ冷ややかな目を細めるだけだった。
「中に入って休め、クソガキ。一週間後には、また本気でしごいてやるからな」
隊長は背を向けたが、その声は一段と低く、ガルガルドの風のように冷たかった。
「はっきり言っておくが……てめぇの夜中の抜け出しの代償は、血で払ってもらうからな」
ルティアンは息を呑み、一言も発することなくうつむいた。
「はい」
直後、隊長は一度も振り返ることなく、兵舎の方へと歩き去っていった。
二人だけになると、ルティアンは俺の手を振り払った。
「どうして止めたんだ? 僕はただ、お礼を言いたかっただけなのに」
俺は腰に手を当てて、ため息をついた。
「坊主、いつかゾルタンの頭の中がどうなってるか分かる日が来るさ。ここじゃあ、感謝の言葉なんて命の役には立たねぇんだよ」
彼は腑に落ちない様子で俺を見つめ、それから小屋の方へと振り向いた。
「時が来れば、分かる」俺はボソリと呟いた。
(俺が今日見たようにな……このガキは……)
「だが無駄話はここまでだ。お前には栄養剤とリハビリが待ってるぞ。さあ、行くぞ」 俺は鼻を鳴らした。
ルティアンは勢いよく振り返り、顔面を蒼白にさせた。 次の瞬間、彼は慌てて口元を手で押さえた。
「嫌だ、お願いだ。それだけは勘弁して」
俺は笑いをこらえた。今のこいつにとって、本当の意味での生存競争は、もはやモンスターや山とは何の関係もなかった。 それはすべて、こいつが『X液』と呼ぶあの水薬に集約されていた。あんな代物には、いささか立派すぎる名前だがな。
とぼとぼと俺の後をついてくる彼を、やれやれという顔で見つめた。こいつの前にはまだ長い道のりが待っている。だが、少なくとも生きてはいる。そして今のところは、それだけで十分だ。
俺は一瞬立ち止まり、少年が遠ざかっていくのを見送った。 ポケットに手を突っ込み、一通の手紙を取り出した。何度も開いては閉じたせいで、紙はすでに少しヨレヨレになっていた。
(エリゼーヌ様……)
未だに読み返す勇気を持てないその行に、視線を落とす。
(早く返事を書かなければなりません)
(ですが、何とお伝えすればよいのでしょうか?)
(私は自分にできるすべてのことをいたしました。表立って動くことなく……今回ばかりは、それで十分だと思っていたのです)
(それでは不十分だったのかもしれません。ですが、それが私にできる精一杯だったのです)
指の間で手紙を強く握りしめ、それから丁寧に折りたたんで、再びポケットの中へと仕舞い込んだ。
(遅かれ早かれ、お伝えする言葉を見つけなければならない)
(しかし、どれほど考えようとも、今の私にはおかけする言葉が一つも見つからないのです)




