猟犬と血の重み
――ゾルタン視点――
ガルガルドの峰の冬は地獄だ。
その日の冷え込みは異常で、ヴァジュラを使っても防ぎきれないほどだった。強張った筋肉に無理やり闘気を流し込むのは苦痛以外の何物でもない。
魔纏だけが、辛うじて俺を寒さから守ってくれていた。
踏み出すたびに筋繊維が焼け焦げるような感覚が走る。まるで裸足で焼けた炭の上を走っているかのようだ。
俺は外周を巡回していた。まったく、面倒くせぇ。
その時、突如として吐き気を催すような悪臭が鼻を突いた。酸、鉄、そして虫の臓物の臭い。
(まさか)
「クソが」俺は低く唸った。
考える時間は無駄だ。俺は両脚に力を込め、猛烈な勢いで斜面を駆け上がった。不安定な魔力が一歩ごとに筋肉を焼いたが、歩みを緩めることはしなかった。
二分も経たないうちに、古い岩の出っ張りにたどり着いた。
三体のラプランが狂ったように蠢き、岩の間の狭い隙間に向かって大顎を打ち付けていた。
(一体どうなってやがる……? どうしてこの獣どもは冬眠してねぇんだ? クソ、今は真冬だぞ)
俺は一瞬立ち止まった。洞窟の入り口を覆う蜘蛛の巣は、まるでロープのようにピンと張られていた。その糸の間には、キラキラと光る小さな破片が挟まっており、巣が動くたびにその微小な粒が輝いていた。
それを凝視しながら眉をひそめ、俺は直感的に目の前の異変の正体を悟った。
(魔力?)
確かに存在は感じるが、何かがおかしい。本来あるべき流れ方をしていない。小さな塊のように凝固し、蜘蛛の巣にへばりついている。
(なんてこった……)
魔力がこんなふうに振る舞うのを見たのは初めてだった。
「おい! クソ野郎ども!」俺は怒鳴った。
獣どもは鋭い摩擦音を立てながら、一斉にこちらを振り返った。
喉の奥から、くぐもった笑い声が漏れた。俺は凍てつく風に向かって歯を剥き出しにし、笑みを浮かべた。
「アハッ……アハハッ……!」
この感覚がたまらなく好きだった。
右腕を上げ、指を鉤爪のように曲げる。不安定な魔力なんて知ったことか。
無理やり魔力を右手に押し込め、指の周りの空気が震えるほどに圧縮した。
その瞬間、自分の魔力が吸い取られるような感覚を覚えた。
(何だ……?)
手首を返し、空中に鋭い弧を描いた。
(俺の魔の斬撃を味わいな、クソ蜘蛛ども!)
圧縮された空気が破裂音とともに前方へ爆発し、吹雪を真っ二つに引き裂いた。その斬撃はあまりにも完璧で、あまりにも速すぎたため、キチン質の外殻が砕ける音すら鳴らなかった。
三つの頭部は一斉に首から離れ、一瞬だけ空中に静止したかと思うと、発泡する緑色の血が間欠泉のように上空へと噴き出した。
俺は自分の右拳に視線を落とした。手を開くと、かすかな麻痺を感じた。こんなことは今まで一度もなかった。
(おそらく、さっき感じた奇妙な感覚のせいで手が痺れたんだろう)
いずれにせよ、何かが確実におかしい。
首を落とされた胴体はほんの一瞬だけ硬直し、その後、重い音を立てて崩れ落ちた。互いに絡み合い、震える脚を狂乱したように痙攣させている。
俺は誰かの存在をはっきりと感じ取っていた。だが、そいつには魔力もなければ、闘気の気配すら一切なかった。
(こんな場所にやって来る自殺志願のイカれ野郎は誰だ? どこかの商人か村人か? いや、それにしては存在感が弱すぎる)
「安全だ、出てこい」俺は唸った。
返事はない。俺は身をかがめ、暗闇の中を覗き込んだ。そこに丸まっていたのは、血の気のない真っ白な顔をし、唇を真っ青に染めた一人のガキだった。公爵の息子。魔力を持たないあの少年だ。
「クソッ! てめぇ、こんなところで何してやがる!」
(一体どうやってここまで来やがった?)
彼の左腕は、あり得ない方向へ曲がっていた。
おそらくラプランの一体に骨を砕かれる寸前までやられたのだろうが、腕を失う危険はなさそうだった。俺は慎重に彼を引きずり出し、自分のマントで包み込んだ。
(運がいいな、クソガキ)
立ち去ろうと振り返った時、少し離れた場所に何かが見えた。乱れた雪に半ば埋もれるようにして、四体目のラプランが転がっていた。完全に死んでいる。俺がやったわけじゃない。
身をかがめて観察した。
奴の腹部には、俺たちが新兵に配っているような刃の潰れたガラクタ——訓練用の刃物が深く突き刺さっており、上部にある巨大な眼球の一つが綺麗に切り裂かれていた。
周囲をよく見渡し、それからガキの傷へと視線を戻した。
地面には人間の血と、この獣の血が混ざり合い、すでに寒さで凍りついていた。少し離れた場所には俺が首を刎ねた三体の死骸があるが、そいつらの血はこちらまでは届いておらず、むしろ逆方向へ流れていた。
疑う余地はない。ここで行われたのは、正真正銘の死闘だ。このガキが生き延び、なおかつ一体を仕留めたというのは驚異的だった。
(闘気でも覚醒させたのか?いや、こいつからは闘気を微塵も感じない)
ガキが微かにうめき声を上げ、少し血を吐いた。
(いい度胸してやがるな)
「おい、坊主。今ここで死ぬんじゃねぇぞ!」
俺はすぐさま彼を肩に担ぎ上げ、できる限りの速度で駆け出した。
(クソ、今度は運び屋かよ! このクソ貴族どもめ。……だが、もしかしたら……お前は違うのかもしれねぇな)
しかし、山の上にある「何か」が、依然として俺の心をざわつかせていた。先ほど感じたのと同じ、今でも微かに感知できるあの感覚。
自分の魔力を使った時、弱々しいながらもはっきりと感じ取った。何かが俺の魔力を吸い取っていた。
だが、山を下れば下るほど、その存在感は薄れ、やがてほとんど消え失せた。
厩舎への道のりは、無言の苦行だった。
貴族の血というだけで、俺の軍歴にはすでに十分すぎるほどの問題が起きている。 公爵に勘当された息子を公式の医務室に担ぎ込めば、自ら厄介事を引き寄せるようなものだ。
選択肢はカエルしかいなかった。
俺は乱暴にドアを開け、厩舎の中に入った。カエルは馬の寝藁から顔を上げ、気を失った少年と俺の険しい顔を見て目を丸くした。
「隊長? 何があったんで?」
「クレバスで拾った」
俺はガキを老人の簡易ベッドに下ろした。あまり揺らさないように気をつけながら。少年は眠ったまま、くぐもったうめき声を漏らした。
「腕が折れかけてる。それに死体みたいに冷たくなってる。夜明け前に死なせるなよ」
カエルは少年の傷だらけの体を見つめ、何も質問せずにゆっくりと頷いた。
「はい、隊長」
俺は厩舎を出た。
あの麻痺は完全に消え去っていたが、あんな感覚を味わったのは初めてだった。
パイプとマッチを取り出し、寒さで強張った手でどうにか火をつけた。もしヴォルガスが、俺がこのガキの世話を焼いていると知ったら、俺の首が飛ぶのは目に見えている。
だが、外で吹き荒れる吹雪を見つめながら、甲殻に突き刺さったあの剣を思い出していた。
才能の欠片もなく、魔力もなく、闘気の衣すら纏えないただのガキが、ラプランを一体殺したのだ。
「面白い」
(それに、冬眠から目覚めたラプランまでいる)
パイプを大きく吸い込んだ。
(山の上で何かが狂い始めている)
(ここで何が起きているのか、突き止めなきゃならねぇ)
背後にある柵を、肩越しに軽く殴りつけた。
「いいか、そのガキを死なせたら、てめぇの命で払ってもらうからな!」
馬のいななきだけが返ってきたが、それで十分だ。
吹雪は収まりつつあったが、寒さは依然として厳しかった。俺は外郭の兵舎の反対側、西壁へと向かう必要があった。
もう一度パイプを吸う。
(少し頭を整理しねぇとな)
まず、誰が警備の当番だったのか、そしてこのガキがどうやって外へ抜け出したのかを突き止めなければならない。
西門の前に到着した。門は閉ざされており、俺の命令なしには開かないはずだ。城壁の上の監視塔には、ランタンの火が灯っているのが見えた。
(別の場所から出たのか?)
だが、そこを誰が警備しているのか下からは見えなかった。風と雪が視界を遮っていた。
俺は十メートルほど跳躍し、城壁の上の通路に直接着地した。
(あーあ! 隊長様ってのは本当に面倒くせぇな!)
目の前では、二人の警備兵がサイコロを振って遊んでいた。おそらく、どのシフトを誰がサボるか賭けていたのだろう。
(俺も昔はやったもんだ)
「おい、お前ら!」
二人は飛び上がった。一人は驚きのあまり兜を落とした。
「は、はい!」
「隊長! 決してサボっていたわけでは……ただ休憩を……」
「ああ、分かってる。お前らが何をしてようがどうでもいい。それより、いくつか聞きたいことがある」
「隊長、誤解です、俺たちはただ……」
「数時間前まで、この区画の当番だったのは誰だ?」
「お、俺です! 隊長」
「門は一晩中閉まっていたか?」
「はい! 数日前から一度も開けていません」
(じゃあ別の出口があるのか?)
「ふむ……この城壁の近くで、誰かが近づいてくるのを見なかったか?」
「え? いいえ、隊長。もし誰かが外に出ようとするのを見たら、すぐに連れ戻しています。こんな天気の中、外に出るバカなんていませんよ」
その警備兵は、隣にいるさらに馬鹿そうな相棒の方を振り向いた。
「ドレイン、誰か見たか?」
「いいえ、もし見ていたらすぐに報告しています、隊長」
(つまり、収穫なしか)
こいつらみたいな間抜けが相手なら、誰でも簡単に抜け出せるだろう。俺が「警備兵」を探しているわけではないことすら気づいていない。
俺は立ち去ろうと背を向けた。
「分かった。休憩を続けろ。何か変わったことがあったらすぐに報告しろ」
「あ、隊長! 忘れていましたが、正規訓練生たちのキャンプの近くに、今は改装工事で使われていない入り口があります。もしかしたら、お探しのものはそこにあるかもしれません」
(使われていない入り口?……ああ、思い出した。あのエリアはあの金靴野郎の管轄じゃねぇか?)
状況をもっとよく把握する必要がある。
「失礼しま——うわぁっ!」
俺は城壁から飛び降り、正規訓練生のキャンプがある西側のエリアへと向かった。
(今、あいつ何か言おうとしたか?)
振り返ると、ランタンの火が消えているのに気づいた。
(最近の若ぇ奴らの考えてることは全く分からん)
数分歩くと、城壁の最西端に到着した。ここの兵舎はいつ見ても無駄に綺麗だ。
「ペッ!」俺は地面に唾を吐いた。
「クソ貴族どもが」
改装中の入り口。
「さて、お手並み拝見といくか」
この辺りにあるはずだ。
少し進むと、ようやくそれを見つけた。
扉すらなく、ただの金網が張られているだけで、本来の門はテーブルの上に放置されていた。
(あのガキ、ここから出たのか?)
(誰かが見逃したのか? いや、だとしたらどうして誰も気付かなかったんだ?)
「はぁ……」俺はため息をついた。
(こいつら、マジでどうなってんだ?)
理由は明白だ。誰もパトロールなんてしていなかったからだ。
目の前には、最近建てられたばかりの真新しい施設が並んでいた。当然だ、あの金靴の気取ったクソ野郎ならどんな贅沢でも許される。
そこから四人の人間の気配がはっきりと感じ取れた。
近づくにつれてビールの匂いが強くなり、中からの声が鮮明に聞こえてきた。
「ガハハハ!」
「クレイに任せようぜ、あいつはここの新入りだからな」
「いや、俺は絶対やらね——」
俺は勢いよくドアを蹴り開けた。
「誰だと思って——」
手前にいた男が別の男の後頭部を引っぱたき、慌てて全員が俺の前に一列に並んだ。
「隊長!」
俺は目の前の惨状に呆れ、首を振った。もしモンスターが奇襲をかけてきたら、こいつらは真っ先に死んでいるだろう。
説教してやる気すら起きなかった。
「隊長、これは誤解です、ちょうどシフトを決めていたところで——」
この光景だけで十分だった。あのガキがどうやって抜け出せたのか、これで完全に辻褄が合った。
(こいつらをどう料理してやろうか? 考えれば考えるほど面倒になってきた。一発殴ってやるべきか?)
苛立ちを抑えようと、俺は二本の指で鼻の付け根を強く揉んだ。
(あのクソ貴族、このろくでなしどもに何を教えてやがるんだ)
さらに強く揉む。
(あのガキは何も持ってねぇ。才能も何もないただのゴミだ。だからこそ、こうして誰にも気づかれずに抜け出せたんだ。クソが)
再び警備兵たちに目を向けた。二人はすでに気を失って倒れており、残りの二人は目に見えて震え、何かをどもりながら言おうとしていたが、全く聞き取れなかった。
(こいつら、一体どうした? 何でそんな顔をしてやがる?)
誰も答えない。ただ震え続けているだけだ。
その時、空気の異変に気づいた。
(ああ……)
俺の闘気だ。
どうやら、無意識のうちに、自分への苛立ちの余波をこの部屋に垂れ流していたらしい。
「明日からお前らの訓練は二倍だ。金靴野郎にも俺からそう伝えておけ」
俺はその兵舎を出た。まだ最後にもう一つ、片付けるべき仕事が残っている。
ラプランだ。
俺は自分の詰め所へ向かった。東側へ戻り、厩舎の方へ向かう必要がある。再びパイプを取り出し、火をつけた。
帰り道の暗がりに身を潜め、壁に寄りかかって待った。奴はもうすぐ来る。
街灯の薄暗がりから、フードを被った影が姿を現した。
「相変わらず鋭いですね。気配は完全に絶っていたはずですが」
「鋭いもクソもねぇ、さっさと済ませろ。熱い風呂に入りてぇんだ」
「もちろんです、隊長。フフッ」
「いいから急げ。王立文書庫を探って、ラプランに関する過去と現在の報告書、古い事件や最近の目撃情報がないか調べろ」
「ずいぶんとあの小動物たちを気に入られたようですね」
「それと、他の連中には『凝固した魔力』に関連する情報がないか探らせろ」
「は?」
俺は拳を軽く握り、二、三度開閉した。
「奇妙な感覚だった……あんなことは今まで一度もなかった」
「何です? 感覚とは?」
(最初はラプラン。次に魔力。そしてあんなところでガキを見つけた)
(これが全部、たった一晩の間に起きやがった)
「時間がかかるかもしれませんが、承知しました。それから、コルトンに向かう街道の封鎖に対する暴動の件ですが——」
「ああ、それは次回報告しろ。今はもう行け」
俺は背を向けて立ち去ろうとした。
「隊長、これは私にとっても、あなたにとっても、無視できる問題ではありませんよ」
俺は頭を掻いた。隊長って仕事は本当にクソ面倒だ。いつも俺を怒らせるが、こいつの言うことは常に正しいから反論できねぇ。
「チッ! 吐け、クライブ!」
彼は咳払いをした。顔には出さないが、こういう情報を俺に持ってくるのが楽しくて仕方ないのが見え透いていた。いつものことだ。
「魔大陸へ向かうすべての交易ルートが封鎖されました。コルトンへ向かう主要街道も、獣人領を横断するウィストリア領の東側峠も、すべてです」
「何だと? このウィストリアでさえか? どういう意味だ?」
「『予見の聖女』が極秘裏に動き出しました。彼女は熟練の兵士たち……第二級、さらには第一級の冒険者や歴戦の退役軍人を集め、一つの部隊を編成しています。彼らは群島を目指しているようです」
俺は思わず飛び上がった。危うくパイプを口から落としそうになった。
(あんな精鋭部隊を動員するなんて、コルトンで一体何が起きてやがるんだ?)
「その情報の信頼性はどのくらいだ?」俺は困惑していた。
「隊長、私自身で裏付けが取れていないような情報を、あなたに報告するはずがないでしょう」
俺は口元に手をやり、すっかり火の消えたパイプを手で掴んだ。
「コホン……分かった。引き続き状況を探り、一体何が起きてるのか突き止めろ。さっき頼んだ件も極秘で進めろ。まだ誰が、あるいは何が裏で糸を引いているのか分からねぇ」
「承知いたしました。では、これで」
クライブはチュニックから羊皮紙を取り出し、素早く広げた。火花が散ったかと思うと、彼の足元に魔法陣が形成された。
「隊長、ご自愛ください」
本当に驚異的だった。俺は周囲で魔法を使う者がいれば誰であれ感知できるのに、彼からは何の気配も感じない。俺の目の前で呪文を発動しているというのに、彼の存在は完全に気配を消したままだった。
直後、クライブは姿を消した。
俺は笑みを浮かべた。
「うちの警備兵どもとは大違いだ」
そして、俺は視線を上げた。兵舎と城壁の向こう、北の地平線はタールのように真っ黒だった。
胸に重い岩が乗しかかるのを感じた。
「いよいよだな」




