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不良債権ダンジョンと借金三千億年から始まる魔王討伐記  作者: 伊阪証


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収奪

貴族との付き合いは最悪だ、反吐が出るし、生物が嫌いになる。

夜半を過ぎると、街は静かになるのではなく、音の種類だけを変える。

昼の王都は荷車と怒声で回るが、深夜は別の軋み方をする。窓を閉めた裏で歯車が回り、納屋の奥で麻袋が引きずられ、見えないところで数字だけが増えていく。昼間に閉じたはずの工場へ灯りが戻り、倉庫の裏口には眠そうな人間が並び、契約書にない労働が、契約書にある顔で進んでいく。

魔族はそういう時間を好んだ。

人の目が減るからではない。人間側が、自分から見ないからだ。深夜労働は「仕方ない」で済まされる。夜通し動く現場は「復興のため」で許される。多少の悲鳴も、多少の血も、朝になれば積み荷の下へ押し込まれる。ファシリテーターどもはその性質をよく理解していた。魔族を隠す時ほど、現場は露骨に荒れる。人間が疲れていればいるほど、隣にいる相手の指が少し多いことも、歯が妙に白いことも、喉の奥で湿った音が鳴ることも、見て見ぬふりで通る。

だから今夜の標的は、北外れの粉挽き場だった。

工場と呼べるほど立派ではない。ただの作業場だ。壁は半分しかなく、屋根は端が剥がれ、風が吹けば石灰と小麦粉がそのまま夜へ散る。だが荷の流れは太い。復興が始まってから急に扱いが増えた場所で、数字の伸び方が異様だった。調査協力しかしてこないあの二人が寄越した帳面にも、そこだけ妙に同じ名が出る。保証人、仲介、搬送、保管、再委託。名義は違うのに結び目が同じだった。ファシリテーターが噛んでいる時の汚い伸び方だ。

屋根の残った側へ身を伏せ、内側を覗く。

粉挽き用の石臼が二基。乾いた麦袋が積まれ、その奥に人間が七人。目の下を落とし、手元だけで動く。作業台の陰に魔族が三匹。人間に紛れる気がない配置だった。隠しているのではなく、隠せると踏んでいる置き方だ。牙の短い個体が袋を担ぎ、骨ばった腕の長い個体が荷車へ積み替え、最後の一匹が帳場で数字を見ている。帳場の個体だけが笑っていた。喉の奥に膜のある笑い方だ。あれがファシリテーターに近い。

もう一人いる。

作業場の外、柵にもたれて煙草を吸っている男だ。人間だった。上着の質がいい。寝ていない目をしているのに、眠る気もない。帳場の魔族と時々だけ視線を合わせる。ああいう顔は、夜勤の責任者ではない。責任を買った人間だ。

私は屋根の縁から降りた。

足音は立てない。だが、隠れもしない。

先に気づいたのは、荷車の脇にいた魔族だった。鼻が利く。こちらへ顔を向ける。その瞬間にはもう踏み込んでいる。左足を深く入れ、短剣を下から顎へ通す。骨のある感触の後に、ぬるいものが手首まで弾けた。血が上へ散る。喉を裂いた時の噴き方ではない。口腔と鼻腔をまとめて割った時の、粘度の高い飛び方だ。

悲鳴が上がるより早く、私は死体を蹴った。

倒れる方向を選ぶ。石臼の前だ。麦袋を巻き込み、裂け目から粉が舞う。白い粉が血に混じり、空気が一気に濁る。目撃者がいたとしても、もう輪郭は崩れる。

帳場の魔族が立ち上がる。速かった。人間に仕事をさせる個体は、自分で動かない代わりに逃げる判断だけは早い。机を蹴って後ろへ下がる。その机ごと私は斜めに斬った。板が裂け、帳簿が飛び、インク壺が砕け、魔族の腹が開く。黒い液と赤い液が混ざり、床へ垂れた。内臓がはみ出る前に、手首を返して横へ払う。腸が作業台へ叩きつけられ、帳簿の上を滑った。

人間がようやく叫んだ。

遅い。だが遅い方がいい。遅れた叫びは場を壊すだけで統一感がない。逃げる者、しゃがむ者、立ち尽くす者が分かれる。私はその分かれ目へ入る。

長腕の魔族が袋を捨てて飛びかかってきた。爪が長い。繁殖型に多い、肉を破って体液を入れるための指だ。こいつらは一度では殺さない。削る。人間の中へ少しずつ毒を入れ、代謝の遅い場所へ沈め、次の世代を痩せさせる。心で分かり合ったところで、骨と内臓の段階で相容れない。混じれば奪う。それを知ってから、私は躊躇を捨てた。

爪を躱し、脇へ入る。肩口へ刃を立て、引かずに押す。骨に当たる。押し切れない。なら体重を乗せる。膝で膝裏を折り、沈んだところへ首筋を裂いた。頸動脈が開く。熱い血が横へ走った。近くにいた人間の顔へかかる。目撃者の目が潰れる。赤で閉じる。これでしばらくは何も見えない。

帳場の横で煙草を吸っていた男が、ようやく腰を浮かせた。遅すぎる。こいつは剣を持っていない。逃げるか、命乞いか、怒鳴るか、そのどれかだ。足が一歩下がる。私はその前に床の帳簿を蹴り上げた。開いた帳面が顔へ当たる。紙が鼻筋に貼りつき、インクと血が目へ流れる。そこへ短剣を投げた。喉の中心を外し、鎖骨の下へ入る。死ぬには浅い。だが声は潰れる。喚けない。

残った魔族が、粉塵の向こうで低く唸った。

見えないなら、もっと見えなくすればいい。

私は石臼の脇に積んであった袋を斬り裂いた。中身は小麦粉だった。白い。乾いている。風に乗る。血の匂いをまとった粉が一気に舞い、作業場の半分が靄になった。白と赤が混ざると、目は距離を見失う。人間は咳き込み、魔族は鼻を利かせようとして失敗する。嗅覚は便利だが、粉と血が混ざった時だけは役に立たない。

唸り声の位置へ入る。

先に胸があった。刃を入れる。浅い。肋に弾かれる。なら二撃目は目だ。白濁した粉の中で、こちらを探していた眼窩へ真っ直ぐ突き込む。柔らかい。抵抗がない。奥で何かが潰れ、そのまま柄まで入った。魔族が暴れ、腕が私の肩を掠める。爪が布を裂く。皮膚までは浅い。どうでもいい。刃を抜き、今度は口へ差す。頭を後ろへ押しながら、喉の奥で横に切る。血と泡が一緒に溢れた。

倒れた。

立っているのは人間だけになった。

誰も近寄ってこない。来るわけがない。作業場はもう、血と粉で前後も分からない。目撃者がいたとしても、見たものは赤い霧の中の影だけだ。人ひとりの顔など残らない。

私は深く息を吸わず、浅く吐いた。肺へ粉を入れたくない。

次が証拠隠滅だった。

死体を隠すのではない。現場の正体を隠せなくする。

帳場に散った紙を拾う。再委託先の印、賃金の差し引き、夜間特別手当と書いてあるのに支給欄が空白のままの台帳。人間の雇用記録と魔族の出荷記録が同じ封筒へ突っ込まれている。雑だ。儲かると思っている時の現場は管理が甘い。復興で回る。どうせ売れる。どうせ足りない。どうせ誰も止めない。そういう慢心が紙の端にまで出る。

外へ出て、柵を支えている柱を蹴る。腐っている。二撃で折れた。屋根の片側が沈み、残っていた麦袋が崩れ落ちる。下敷きになった作業台が砕け、石臼の軸がずれる。もう使えない。修繕には人と金がいる。しかも隠したい物が全部、明るみに転がる。

喉を刺した男がまだ生きていた。膝をついて、血の混じった唾を吐いている。声は出ない。私はその髪を掴み、壊れた帳場へ顔を向けさせた。散らばった紙の上へ、魔族の臓物が垂れている。人間の賃金台帳にも、搬送契約にも、同じ血が付いていた。

「見ろ」

男は震えた。

「お前らは隠しているつもりだが、隠れていない」

返事はない。喉が潰れている。

「小麦を回せば街が保つと思ったか」

粉にまみれた床へ、足元の袋を蹴り込む。裂けた袋からまた白い粉が流れた。血を吸って、どろりと色を変える。

「違うな。小麦は腹だけじゃない。近所へ配る。貸し借りに使う。子どもへ持たせる。今日少し足りない家へ回して、明日別の物で返る。そういう細い流れで、人は飢える前に顔を見せる」

男の目が泳ぐ。分かっている顔だった。現場を預かる人間は、だいたい分かっていてやる。

「それを夜に吸い上げて、帳面の上だけで厳格に締める。観測した記録と、人の付き合いがずれていく。数字の上では足りていても、家の中では足りなくなる。そういう些細な欠け方が、後で国を圧迫する」

私は男の頭を離した。前のめりに倒れる。

ギスカール公の土地が浮かんだ。北から来た侵略者が海軍で南を押さえ、そのまま需要地を抱えて繁栄した家だ。供給が多いから栄えたのではない。欲しい者が多かったから栄えた。海運で物を流し、港で人を集め、買いたい、欲しい、手に入れたいという飽くなき欲から経済を起こした家だ。圧倒的な供給だけでは人は動かない。買いたいという飢えが先にあるから、船も倉庫も通る。

だが今は違う。

欲しくても買えない。必要でも回らない。だから需要が消えるのではない。需要だけ残って、満たせる手段が先に死ぬ。そうなると人は金を出さなくなるのではなく、顔を出さなくなる。隣へ配る小麦がないだけで、交友関係まで細る。見舞いの口実が減る。立ち話が消える。ついでの相談が潰れる。記録には残らない程度の細い関係から先に切れて、その分だけ治安と流通が後ろから痩せる。

魔族はそこへ入り込む。

だから壊すなら工場だけでは足りない。現場ごと露出させる必要がある。

私は散った紙のうち、印のあるものだけを抜いた。懐へ入れる。残りはわざとそのままにする。火はつけない。焼けば都合の悪い紙が勝手に消えたことになる。今夜は違う。見せるために壊す。

作業場の外で、二人の人間が膝を抱えていた。作業員だ。若い。指先が粉で白い。逃げる元気もないらしい。

「見たか」

私が言うと、片方がこくこく頷いた。顔が血で赤く、涙で筋ができている。

「朝になったら言え。ここで何をさせられていたか。誰が夜に人を集めて、誰が魔族を混ぜていたか」

もう片方が震えた声を出す。

「殺される」

「黙っていてもいずれ死ぬ」

それで黙った。余計な慰めは要らない。現場で酷使される人間は、甘い言葉より先に秤で動く。どちらがより遅く死ぬか、その程度の計算はできる。

背後で物音がした。

まだいた。

粉塵の向こう、壊れた屋根の下から、大きい影が立ち上がる。隠していたのではない。最初から荷の下にいた。繁殖型の母体に近い個体だ。腹が異様に膨らみ、皮膚の下で何かが動いている。こういう連中が長く居座ると土地が腐る。水が濁り、食料が減り、人間の身体から先に次世代が奪われる。目先の労働力として使っている現場は、だいたいその先を見ない。

影が袋の山を押しのけた。

袋が裂ける。中の穀物が床へ落ちる。惜しくはない。もう汚染されている。

私は外へ下がらなかった。ここで逃がせば、また別の闇へ潜る。

母体型は足が遅い。代わりに届く範囲が広い。前へ踏み出した瞬間、腹の下から細い腕のようなものが何本も伸びた。人間を掴むための器官だ。私は正面から行かず、横の柱へ駆ける。半壊した柵を踏み台にして肩の高さまで上がり、そのまま斜めに飛んだ。

狙うのは首でも顔でもない。腹だった。

刃を縦に深く入れる。皮が厚い。押し切る。内圧が高い。次の瞬間、裂け目から黒赤い液と、未分化の肉塊が噴き出した。量が多すぎて、こちらの袖まで一気に濡れる。床へ落ちた肉が痙攣する。人間だったころの形に似せる気すらない増え方だった。

母体型が絶叫する。

私は腹から刃を抜かず、そのまま横へ走った。裂け目が広がる。臓物がずるりと落ち、下半分が崩れる。立てなくなる。そこへ背後へ回り込み、首の付け根へ深く刺す。一度、二度、三度。骨の間を探り、脊髄へ当たるまで押し込む。ようやく四度目で身体が止まった。

血が多すぎた。

壊れた作業場の床を、麦と粉と臓物と血が覆っている。もう誰の足跡も拾えない。目撃者がいたとしても、見えたのは赤黒いものが白いものを踏み潰した光景だけだ。顔も背丈も残らない。冷静にやった結果、現場は惨劇になった。だがこのくらいでいい。闇の現場は、綺麗に壊すとまた隠される。誰が見ても隠しきれないほど汚した方が早い。

母体型の死骸を見下ろす。

ファシリテーターは、こういうものまで労働力の延長で扱う。深夜へ押し込み、屋根の下にも入れず、工場ですらない場所で回す。復興と安定のためと言いながら、実際には次の世代を食い潰している。しかも経済基盤を安定させようとするほど、人間側は現場の破綻を「今だけは」で見逃す。だから停滞する。維持のつもりで腐敗を延命する。動いているようで、地面の下だけが死んでいく。

私は袖の血を振り落とした。

遠くで犬が吠える。遅い。もう終わっている。

懐の紙を確かめ、壊れた作業場を見渡す。屋根は落ち、帳簿は散り、魔族の死体は人間の賃金台帳と同じ床へ転がっている。隠蔽は無理だ。朝になれば必ず人が集まる。粉屋も、仲買人も、近隣の家も、嫌でも見る。小麦の流れに魔族が混ざっていたことも、深夜に人間が搾られていたことも、知らなかったでは済まない形で露出する。

それでいい。

こういう些細な現場が国家を圧迫する。

大戦も、大公の裁可も、公爵家の財も、最後はこういう夜の作業場へ落ちてくる。配るはずの小麦が消え、近所付き合いが痩せ、記録と現実がずれ、その差分を魔族が食う。誰も王都の地図に書かない程度の欠け方で、人の暮らしは先に壊れる。

その欠けた所から、私は順に切っていく。

外へ出る。空気が冷たい。袖は重い。血を吸いすぎている。メイド服としては最悪だが、暗殺着としては優秀だった。汚れが広がると輪郭が消える。夜の中で形が曖昧になる。

路地へ入る前に、もう一度だけ振り返った。

半壊した作業場の向こうで、裂けた袋から小麦が流れ続けている。白い粒が血の中へ落ち、すぐに色を失う。その光景だけが妙に腹立たしかった。

あれは本来、朝の食卓へ行くものだ。隣家へ持っていくものだ。病人へ渡すものだ。余ったから少し回す、そういう何でもない顔で人の関係を支えるものだ。

それを夜の労働と魔族の毒で腐らせる。

なら壊すしかない。

私は踵を返した。

次の現場も、深夜だ。


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