新たな武器
手術の麻酔残留が酷くて全然書けへんかった。
麻酔効きやすいけどさすがに両脚の半月板損傷麻酔無しでやるのは無理です。
というか定期的にこうなって遅れますが結構溜めてるのでリハビリしつつ進めます。
地下神殿の朝は、日の出ではなく、最初に火を入れられた炉の音から始まった。石造りの通路を温めるには至らない小さな燃焼音が壁を伝い、厨房では湯を沸かす鍋が鳴り、寝床から起き出した勇者たちの足音が、少しずつ空洞へ生活の輪郭を与えていく。かつては誰かを閉じ込め、試し、殺すために掘られた場所だったが、今では武器を研ぐ音と食器を重ねる音が同じ天井の下にあった。
メイドは食堂へ運ぶ黒パンの籠を両腕に抱え、曲がり角の手前で足を止めた。壁際に立つフリートが、通路を塞ぐように細い腕を広げていたからである。彼女の隣には、水を張った小さな桶と、乾いた布、それから細い櫛が置かれていた。
「朝食が冷めます。用件があるなら、運び終えてからにしてください。」
メイドが籠を持ち直して脇を抜けようとすると、フリートは退く代わりに、その襟元へ二本の指を差し入れた。戦闘なら腕を捻り上げられる距離だったが、メイドは眉を寄せただけで動かなかった。傾いていた襟が中央へ戻され、首筋へ触れていた髪が掬い上げられる。
「運び終えた頃には、その髪へパン屑と煤が増えています。今日のうちに外へ出る可能性があるのですから、今の状態で歩き回らないでくださいませ。」
「外へ出る話は聞いていません。」
「探偵が夜通し書類を漁っております。あの方が朝食より先に人を呼ぶ時は、事件か借金か死体のどれかです。今回は紙の量から見て事件でしょう。」
「三つとも同時かもしれません。」
「でしたら、なおさら整えてください。死体の前で襟を曲げている必要はありませんもの。」
フリートは返事を待たず、メイドの髪へ櫛を通した。長く放置されていた毛先は何度か引っ掛かったが、無理に引かず、絡みを指で解いてからもう一度通す。以前なら、メイドは三度目の引っ掛かりで櫛を奪い、髪ごと短く切ろうとしていた。今朝は籠を抱えたまま、食堂の方向へ視線を向け、湯気の匂いが薄れていくのを気にしながら待っていた。
「強く結ばないでください。首を振った時に引かれるのは邪魔です。」
「承知しております。あなたの頭皮を締め上げて喜ぶ趣味はございません。」
「信用できません。」
「信用されていない相手へ、随分と大人しく背中を預けてくださいますのね。」
言い返す代わりに、メイドは籠の中で傾いたパンを親指で押し戻した。フリートは笑いを漏らさず、髪を低い位置で束ね、細い留め具を差し込んだ。装飾はなく、黒い金属を磨いただけの簡素な物だったが、髪が肩へ落ちず、首と背筋の線が隠れなくなった。フリートは最後に肩の布を払うと、自分の仕事を確かめるように一歩下がった。
「元から容姿が悪いわけではありません。ご自分で雑に扱わなければ、ですが。」
「敵が顔を見て死ぬなら、毎朝手入れします。」
「その理屈でしか受け入れられないのなら、今はそれで結構です。」
食堂へ入ると、眠気の残る勇者たちが長卓を囲み、薄い粥と黒パンを分け合っていた。メイドが籠を置いた瞬間、端の席にいた若い勇者が顔を上げ、そのまま匙を止めた。視線は一度メイドの顔へ向かい、次に整えられた髪と襟へ落ち、慌てて椀の中へ戻った。
「何ですか。」
「いえ、その……いつもより、随分と綺麗に見えましたので。」
「食事中に見るものではありません。」
「見るなという意味ではなく、粥を食べろという意味ですよね?」
隣に座っていた砲兵が、笑いを噛み殺しながら若い勇者の背を軽く叩いた。メイドは一度だけ彼を睨んだが、髪留めを抜き取ることも、襟を崩すこともしなかった。砲兵はその小さな変化へ気付いた様子だったが、余計な言葉を重ねず、残っていたパンを二つに割った。
食事が半分ほど進んだ頃、探偵が書類の束を抱えて現れた。外套には埃が付き、袖口には乾いた泥が残り、髪は指で何度も掻き上げた跡のまま固まっている。彼は空いている椅子へ座らず、長卓の中央から椀を二つ退け、紐で括られた記録簿を置いた。
「食べながら聞け。こちらも一晩、紙を食わされたような気分だ。」
「食事へ埃を落とさないでください。」
メイドが記録簿の下へ布を敷くと、探偵は素直に束を持ち上げた。叱られたことに反発するより、書類を汚さない方を優先したらしい。彼は紐を解き、三枚の複写図と、一冊の廃棄台帳を並べた。
「旧軍が処分した特殊武器のうち、所在不明になっていた三種が同じ土地へ流れている。記録上は解体、溶解、埋設で処理済みだが、支払われた運搬費と火薬量が合わない。捨てる品に護衛を十二人も付け、山道を遠回りさせている。廃棄ではなく、隠したと見る方が自然だ。」
メイドは粥の匙を置き、最初の図面を引き寄せた。短く切られた銃身の先に、太い筒状の弾体が描かれている。名称の欄には、後から別人が書き加えたような乱れた筆跡で「銀河鉄砲」とあった。
「銀の武器ですか。」
「銀の断頭と呼ばれていた記録もあるが、名前だけが先に歩いたらしい。実物は黒色火薬の小銃を半分ほどまで切り詰め、先端から擲弾を射出する。弾体が目標の近くで割れ、中に詰めた細片を広く浴びせる構造だ。」
探偵は別紙の材料欄を指で叩いた。銀、銅、水銀、鉄粉、塩、油、骨片と、時期ごとに違う内容が書き込まれている。
「銀が効くという伝承だけを信じた試作品は高価な割に成果が低い。水銀の方が効いた種族もいれば、銀ではなく鉄や塩の方が明確に反応した例もある。聖水を詰めた記録もあるが、納品された物の半分以上が井戸水だった。」
「神聖さは検品できませんからね。」
フリートが冷めかけた茶を口へ運びながら言うと、探偵は紙面から目を離さず鼻を鳴らした。
「神官の印章だけは本物だった。中身より印章の方が高く売れたのだろう。銀河鉄砲の利点は、何が効くか判明した後なら、それを確実に当てられることだ。剣のように近づかず、矢のように一点へ当てる必要もない。撃てば周囲ごと浴びせられる。」
メイドは銃身の切断位置と、弾体を固定する留め具へ視線を這わせた。通常の銃としての射程と精度を捨て、擲弾を運ぶことだけへ用途を絞っている。美しい武器ではない。だが、殺す対象が明確なら、余計なものを切り捨てた形には説得力があった。
二枚目には、長い投げ槍と、その穂先から放射状に飛び散る破片が描かれていた。名称は「撃墜王」。資料の端には、竜の鱗を正面から貫くことはできないと明記されている。
「名前ほど強そうには見えません。」
砲兵が図面を持ち上げ、光へ透かすように眺めた。
「強い武器ではない。竜の鱗そのものを割る力はなく、隙間へ入らなければ普通の投げ槍と大差がない。ただし、一度入り込むと穂先が崩れ、内部の破片が鱗の裏へ広がる。飛行中に鱗を数枚剥がされれば、風圧と体温維持の両方が崩れる。殺し切る武器ではなく、落とす武器だ。」
「落ちた後は、別の者が殺せばよい。」
メイドが言うと、砲兵は図面から顔を上げた。そこに迷いがないことを確かめるように一度見つめ、それから穂先の構造へ視線を戻す。
「再現は可能です。穂先の加工より、投げる角度と距離の方が難しいでしょう。竜の正面からでは隙間が見えませんし、腹へ回れば焼かれます。」
「回り込まずに済む位置へ誘導します。」
「もう使う時の話をしていますね。」
「回収して飾るつもりなら、行く必要がありません。」
三枚目の図面には、円形の盾と、それに繋がる長い鎖が描かれていた。縁には刃も突起もなく、防具として見れば不格好なほど厚みが偏っている。名称は「粉骨斎」。探偵は盾の中央に記された重心位置を指した。
「守るための盾ではない。鎖を使って回転させ、投げ付ける。筋肉で衝撃を逃がせないスケルトン類へ当てれば、骨同士がぶつかって連鎖的に砕ける。防御性能は低く、人間相手なら重くて扱いづらいだけだ。」
「回収する価値はあります。」
メイドは即答した。地下神殿へ侵入してきた骨兵を、剣で一体ずつ切り崩した時の感触が手に戻っていた。骨は刃を受け流さない代わりに、狭い隙間へ入り込み、数が増えるほど足元を奪う。盾一枚で列ごと砕けるなら、勇者を前へ立たせる必要が減る。
探偵は三枚の図面を重ね、最後に地図を広げた。王都から遠く離れた山間部に、鉱山、火薬工房、試射場、廃砲台が密集している。土地名の横には、現在の評価額が赤字で書き込まれ、その数字は軍需施設の数に比べて異様なほど低かった。
「灰砲領。昔は軍へ火薬と砲身を供給していたが、地主が兵器と工房をまとめて持つことを王が嫌った。街道の修繕を止め、取引許可を減らし、土地の評価を落とした。地主は公然と兵を持てないから、坑夫、倉庫番、消防夫を私兵同然に鍛えている。」
「王と対立しているのですか。」
「対立しているが、反乱を宣言するほど愚かではない。王も地主を潰せば工房と鉱山が止まるから、公に攻撃できない。互いに相手の喉へ刃を当てながら、まだ食卓には着いている状態だ。」
メイドは地図上の街道を指でなぞった。北側は崩落した山道、東側は王の監査所、西側には使われていない旧道、南側は鉱石を運ぶ荷車の経路がある。単独で入り、単独で戻れば、領主にも王側にも不審を抱かれる。何より、武器三種が本当に残っているなら、それを守る者も、売ろうとする者もいる。
探偵は別の紙を差し出した。灰砲領で募集されている使用人と護衛の記録だった。ここ半年でメイドが七人、倉庫番が四人、夜警が三人不足している。理由は退職、失踪、事故とばらばらに処理されていたが、同じ筆跡で記録されている。
「武器だけではありませんね。」
「そう見ている。使用人の募集が途切れていない。しかも、普通なら避けるはずの戦闘経験者を、経歴不問で採用している。逃げた者が多いのか、消された者が多いのかは、まだ分からない。」
メイドは書類を畳まず、三枚の図面の横へ並べ直した。銀河鉄砲、撃墜王、粉骨斎。いずれも万能ではなく、相手を選び、使い方を選び、準備を要する。その不便さゆえに捨てられ、その不便さを理解した者だけが残したのだろう。
「私が使用人として入ります。戦闘経験を求めているなら、隠す必要もありません。勇者であることまで明かすかは、地主の反応を見て決めます。」
「一人で行くつもりですか。」
砲兵の問いに、メイドは彼の前へ撃墜王の図面を滑らせた。
「あなたを護衛として借ります。試射音、火薬量、砲台の位置を見てください。私には銃声の種類までは分かりません。」
砲兵は図面と地図を交互に見た。選ばれたことを喜ぶより、必要とされた仕事の重さを先に測っている顔だった。しばらくして、彼は黒パンの残りを口へ運び、水で流し込んだ。
「分かりました。ただし、潜入中に一人で工房へ入らないでください。火薬庫で剣を抜かれたら、敵より先に全員が吹き飛びます。」
「剣を抜く前に殺します。」
「それを一人でやるなと言っています。私が音を聞き、あなたが中を見る。分けられる仕事は分けましょう。」
メイドは即答しなかった。敵がいるなら自分で近づき、自分で首を落とす方が早い。その考えが消えたわけではない。だが、銀河鉄砲の火薬量も、撃墜王の投擲距離も、自分一人では測れない。粉骨斎の鎖が何人分の間合いを奪うのかも、実際に振るう者の目が必要だった。
「では、あなたが音を見てください。私は人を見ます。」
「音は見えません。」
「見えるように調べるのが、あなたの仕事でしょう。」
砲兵は一度目を瞬き、それから堪え切れずに笑った。メイドは笑わなかったが、言い直しもしなかった。探偵は二人の間へ灰砲領の雇用証明を置き、フリートはいつの間にか用意していた旅支度の一覧を卓の端へ滑らせた。
「出発は明朝になさってください。今夜のうちに衣服と身分証を整えます。灰砲領は煤と火薬で布が傷みますから、替えの襟も用意いたしますわ。」
「襟は一枚で足ります。」
「一日で血を付けない保証がおありで?」
「ありません。」
「でしたら二枚です。」
フリートは勝ち誇るでもなく、当然の手順として書き足した。メイドは反論を諦め、地図を折って懐へ入れた。髪留めが首の後ろで僅かに重さを持っていたが、抜かなかった。外見を整えることに意味を見出したわけではない。ただ、灰砲領へ入り、三つの武器を取り戻し、消えた者を見つけ、売ろうとしている者がいるなら殺す。そのために必要なものを、必要だから身に付けるだけだった。
それでも、食堂を出る直前、磨かれた食器の縁へ自分の顔が小さく映った時、メイドはほんの一瞬だけ歩みを緩めた。乱れた髪も、曲がった襟もなく、以前より少しだけ女らしく見える姿が、歪んだ銀面の中に立っている。
彼女はそれを見なかったことにして、次の奉公先へ持ち込む武器の一覧を取りに、地下の奥へ歩いていった。




