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不良債権ダンジョンと借金三千億年から始まる魔王討伐記  作者: 伊阪証


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26/30

鬼畜の為の所業

地下に植物が入ってから、拠点はほんの少しだけ息をするようになった。湿気が消えたわけではないし、寝床が柔らかくなったわけでもない。壊れた棚は壊れた棚のままで、断頭剣は相変わらず近づく者を選ぶように仮置きの台で沈黙し、王女は人の声が多い場所を避けて奥の壁際にいる。それでも、水場の足元に根が張り、通気穴の周りに蔦が薄く絡み、寝床の周囲に匂いの少ない葉が置かれるだけで、地下はただの石穴から、人が無理をすれば何日か居られる場所に変わった。青年は壊れた棚を削って角を落とし、女は水場の草を何度も抜き差しして湿り方を見て、少年は通気穴へ伸びる根を指先で止めるように撫でていた。三人とも、まだ戦力ではない。剣を持たせるには早い。敵の前に立たせるにはもっと早い。だが、逃げてきた者が逃げ場を直すという一点だけは、どの訓練より先に必要だった。

フリートはその様子を見ながら、紙の項目を増やし続けていた。植物管理区画、湿気調整、通気穴偽装、地上荒廃維持、根の侵入制限、虫害監視。書けば書くほど仕事が増えるので、彼女の顔は明るくない。けれど、書かずに放っておけばもっと増えることも分かっているらしく、文句を言いながらも手は止めなかった。探偵は地上を二度見に行き、外から見て人の手が入ったように見えないかを確認した。解剖医は植物が水場の腐敗を遅らせるか、逆に虫や病気を呼ぶかを見ている。メイドは肩の傷と肋の痛みがまだ残っているせいで、力仕事には入れなかった。入ろうとすると解剖医に止められるし、口を出すとフリートに紙を増やされる。仕方なく、仮置きの台に肘をつき、地下が勝手に改造されていくのを見ていた。

「それで、鬼毒とは何だ」

メイドが言うと、フリートは紙から顔を上げた。昨日の終わりに自分で書いた項目だ。誤魔化すつもりはなかったらしく、彼女はすぐに別の紙を引いた。そこにはまだ何も書かれていない。フリートは少し考え、最初に「鬼」と書き、その横に「凶暴化」「脱力」「桃」と並べた。

「鬼を狩るための木刀です」

青年が棚板を削る手を止めた。

「木刀で鬼を?」

「はい。ただし、殺すための決定打ではありません。鬼毒は鬼の不死性を貫通しません。防御を弱めるわけでもありません。断頭剣のように、残り一を零へ落とす武器ではないです」

「じゃあ何に使うんだ」

「鬼の凶暴さを鎮めます。脱力させる。暴走を落とす。鬼を鬼のまま正面から止めるのではなく、狩れる状態へ下げる道具です」

メイドは断頭剣の方を見た。あれは首の繋がりを断ち、心臓まで通して停止させる武器だった。鬼毒は違う。鬼を殺す武器というより、鬼を殺せる状態にする武器。派手な一撃ではなく、条件を作る道具。そういう武器は面倒だ。効果があるのに、勝ちが分かりにくい。持っていても即解決しない。しかも木刀という時点で、嫌な予感がした。

「材は」

「桃の木です」

その場の空気が一瞬止まった。青年は首を傾げ、女は手に持っていた草の根を見た。少年だけは反応が遅れた。桃が何なのか、こちらの世界の認識と前世の記憶が噛み合っていない顔だった。

メイドはフリートを見た。

「この辺りに桃はあるのか」

「ありません」

「王国には」

「ありません」

「魔族領には」

「確認された範囲では、ありません」

「じゃあ木刀も作れないだろ」

「はい」

フリートは当然のように答えた。メイドは少しだけ目を細めた。効果を説明した直後に、素材が存在しないと言う。悪魔族の情報は大体こうだ。役に立つと言った直後に、使えない理由を山ほど積んでくる。だが、そこで止めないから厄介でもあり、使える。

「木だけあればいいのか」

「いいえ。木刀にした後も、新鮮な桃を刃に一度一度塗り込む必要があります」

青年が口を開けた。

「毎回?」

「毎回です。桃の木で作るだけでは鬼毒として安定しません。刃に新鮮な桃の汁と果肉を擦り込むことで、鬼の凶暴性を抜く効果が出ます。古いものでは落ちます。乾いたものでも落ちます。加工品ではまず無理です」

「めんどくさ」

青年が素直に言った。フリートは頷いた。

「はい。かなり面倒です。効果はありますが、維持が難しい。一本作れば終わりではありません。木材、果実、継続供給、保管、塗布手順、使用後の管理、全部必要です」

メイドは痛む肋を軽く押さえた。断頭剣は持ち主が最悪だった。鬼毒は素材が最悪だった。武器そのものが手に入らないだけではなく、手に入れた後も使うたびに新鮮な桃が要る。桃がない世界で、桃の木刀を作り、新鮮な桃を塗り続ける。馬鹿げている。だが、こういう馬鹿げた条件ほど、必要な時には代替が効かない。

女がゆっくり手を上げた。

「桃って、果物の桃ですよね。前の世界の」

「そうです」

「木から育てるんですか」

「そこを相談するために、あなたたちの植物管理を見ました」

フリートが答えると、女は明らかに嫌な顔をした。

「植物を地下でちょっと動かすのと、果樹を育てるのは別です」

「説明を」

メイドが言うと、女は草の根を一度置き、手についた土を布で拭いた。そこから口調が少し変わった。さっきまで水場の湿気を見ていた時より、ずっと慎重だった。

「まず、種がないと始まりません。桃の木が存在しないなら、種か苗か枝を手に入れる必要があります。種から育てる場合、同じ性質になるとは限りません。前の世界でも、果物は種から育てれば同じ実が取れるわけじゃないです。良い実を取るなら接ぎ木とか、品種を維持する方法が必要です。私は専門家じゃないですけど、そのくらいは分かります」

「枝がいるのか」

「枝か苗があれば早いです。でも桃そのものがないなら、枝も苗もない。種だけで始めるなら、発芽させて、育てて、実がなるまで待つ必要があります。しかも一本だけじゃ不安定です。受粉もあります。水も光も土も必要です。地下で根を動かすのと違って、果樹は時間がかかります」

青年が棚板を抱えたまま口を挟んだ。

「勇者の力でぱっと育てられないの?」

女は青年を睨んだ。

「ぱっと育てた木から、ちゃんとした実が取れる保証がない。早く伸びるのと、実を作れるのは別。根が弱かったり、枝だけ伸びたり、病気になったりする。あと桃は湿気が多すぎても駄目だと思う。地下はたぶん向かない」

「じゃあ外か」

探偵が言った。

「外に果樹園を作れば、神殿偽装が死にます」

フリートが即座に返す。

「だから外でも隠す必要があります。荒廃偽装の中に混ぜるとか、裏手で小さく試験するとか。けど、桃が普通にこの世界にないなら、葉や花や実が見られた時点で怪しまれます。そもそも桃を知っている人がいないなら怪しまれないかもしれないけど、未知の果樹が急に出るのも駄目です」

少年が通気穴の根から手を離し、静かに言った。

「地上に出すなら、最初は実をつけさせない方がいいです。葉も目立たないように、他の蔦や低木の中に紛れさせる。木として育てる場所と、実を取る場所を分けた方がいいと思います」

女がすぐに頷いた。

「そう。あと、土を作らないと駄目です。廃村の畑の土を持ってきても、桃に合うか分からない。水はけが悪いと根が死ぬ。水が足りなくても駄目。光も足りない。神殿周りは日当たりが悪い場所があるし、見える場所に植えるわけにはいかない。もしやるなら、まず小さな栽培区画を作って、そこで種を発芽させて、苗にして、外へ移す。実を取るのはずっと先です」

「ずっと先とは」

メイドが聞いた。

女は少し言いづらそうにした。

「普通なら年単位です」

地下が黙った。青年が「年」と小さく繰り返した。メイドは肋から手を離し、仮置きの台へ指を置いた。

「待てない」

「ですよね」

女はすぐに答えた。

「でも、完全に無理ではないです。種か苗があれば、まず生かすことはできます。早く実を取りたいなら、枝や苗を優先した方がいい。種だけなら数を確保した方がいい。果実も持ち帰れるなら、果肉や種の状態を見られます。あと、もし現地に桃の木があるなら、土や周囲の植物も少し欲しいです。環境ごと持ってこないと、育たないかもしれない」

解剖医が顔を上げた。

「土を持ち込むなら病害も来る」

「はい。そこが怖いです。見たことがない植物なら、見たことがない病気や虫もあるかもしれない。逆にこの世界の虫が桃につくかもしれない。だから、隔離して育てる場所がいります。地下の水場近くは駄目です。湿気が強いし、病気が出たら全部に回ります」

フリートは猛烈な勢いで書いていた。発芽、隔離、土壌、光量、水はけ、病害、苗、枝、果実、種、偽装。書くほど項目が増え、顔が暗くなる。

「鬼を狩る木刀を作る前に、果樹園の管理表が必要ですね」

「嫌そうだな」

メイドが言う。

「嫌です。ですが、嫌でも必要です。鬼毒は木刀本体より、桃の供給線が本体です。一度作って終わる武器ではありません」

探偵が腕を組んだ。

「なら、桃の場所を探す方が先だな。育てるのは後でいい」

「場所があればな」

メイドはフリートを見た。フリートは書く手を止めた。こういう時、彼女はすぐに否定しない。手元の情報を一度並べて、そこから不愉快な答えを出す。

「人間圏にはありません。王国の交易記録にも、果実としての桃は出てきません。薬草記録にもありません。魔族領で確認された主要植物にも出ません。ですが、可能性がある場所はあります」

「フェアリーか」

フリートは頷いた。

「はい」

女が顔を上げた。

「妖精の?」

「可愛いものを想像しないでください。死にます」

フリートの返事は速かった。青年が半笑いになりかけ、解剖医に見られて黙った。

「フェアリーは魔王軍に取り込まれた被害種族ではありません。優秀だから、魔王が直接スカウトしたような種族です。他の魔族からも生贄が回ることがあります。維持コストを払う価値があるからです」

「生贄?」

青年が顔をしかめた。

「はい。フェアリーは雑食です。人も食べます。魔族も対象になります。病に強く、死体処理に優れ、腐敗や感染を残しにくい。小さなコロニーで成立するので、見つけにくい。油断も誘えます。戦闘で正面から強い種族というより、存在するだけで周囲を処理していく種族です」

女の顔が引きつった。

「それ、植物管理と関係ありますか」

「あります。植物管理、環境循環、死体処理、病害抑制が一体化している可能性が高いです。外界に無い果樹を維持していても不思議ではありません。桃があるとすれば、そこです」

「そこに取りに行くのか」

少年が言った。声は落ち着いていたが、指先がわずかに固まっている。

メイドは答える前に、フリートを見た。

「エルフは」

「無関係です」

即答だった。

「エルフは社会が面倒です。差別と規範と序列が強い。ステレオタイプの極みみたいな連中です。ですが、フェアリーとは同居していません。領域も文化も別です。桃の可能性があるのはフェアリー側で、エルフに行く理由はありません」

「エルフが植物得意そうだから、みたいなのは」

「時間の無駄です。しかも不快です」

フリートは言い切った。メイドはそれ以上聞かなかった。エルフは別。フェアリーは別。混ぜない。桃はフェアリー。単純でいい。

探偵が紙を覗き込んだ。

「フェアリーの場所は分かるのか」

「候補は絞れます。人が消える森、動物の死骸が残らない谷、病が広がらない場所、腐敗臭がしないのに生物の気配が薄い場所、魔族が定期的に何かを置いていく場所。探偵なら情報を拾えるでしょう」

「拾えるが、近づくのは別だ」

「近づかない方がいいです。フェアリーは殺しに来るというより、処理しに来ます。血を出せば寄る。弱った者を素材として見る。死体だけではなく、生きていても処理対象にする可能性があります」

解剖医が静かに頷いた。

「死体が残らない場所は危ない。腐敗しないのではなく、腐敗する前に片づけられている」

「その通りです」

フリートは解剖医へ目を向けた。

「ただ、フェアリーは処分が難しい。コロニーと環境が絡んでいます。正面から潰すと被害が大きい。しかも存在するだけで魔王軍の管理にも負担をかける。殺し切るより、生かして別の魔族の住処へ押し付けた方が得です」

メイドはそこで少し身を乗り出した。肋が痛み、解剖医に睨まれたが無視した。

「押し付ける」

「森を燃やせば、少なくともそのコロニーは居座りにくくなります。殲滅ではなく、移動を促す。フェアリーは処理能力が高く、有用ですが、他の魔族の管理に入ると犠牲が出ます。食料、死体、病害処理、住処の秩序、全部に干渉する。つまり、敵に抱えさせる負担になります」

探偵が小さく笑った。

「自分の問題を、魔王軍の別の住処に流すわけか」

「はい。フェアリーは倒す敵ではなく、敵に押し付ける負担として扱う方が効率的です」

青年は顔をしかめた。

「森を燃やすって、桃も燃えない?」

女がすぐに言った。

「燃やし方次第です。全部燃やしたら駄目です。種や枝を取れる場所まで燃えたら意味がない。でも、コロニーの外側や逃げ道を燃やして、居場所をずらすなら……いや、簡単に言うことじゃないですけど」

少年も頷いた。

「火を入れる場所を間違えると土が死にます。桃があるなら、根元を焼いたら終わりです。煙で追うのか、外側を焼くのか、乾いた下草だけを燃やすのか、見ないと分からない」

メイドは三人を見た。昨日来たばかりの勇者たちが、もうフェアリーの森を燃やす話に口を出している。戦力ではない。だが、こういう時には必要な知識を出す。逃げ場を直した流れが、そのまま桃の種へ繋がっている。

「今すぐ行くわけではない」

メイドが言った。

「まず場所を探す。次に桃があるか確認する。種、果実、枝、苗の優先順位を決める。フェアリーは殺し切らない。森を焼いて移動させる。移動先で魔王軍の管理に負担をかける。桃だけ取る」

フリートはその言葉を紙にまとめた。探偵はすでに、外で拾うべき噂を頭の中で並べている顔だった。解剖医は火傷、煙、毒草、病原、死体処理の痕跡を考えている。女と少年は、火を入れても種を残す方法を考え始めている。青年は棚板を抱えたまま、少し困った顔で言った。

「俺は何をすればいい?」

「棚を削れ」

メイドが言った。

青年は少し不満そうだったが、解剖医が「角を落とし切っていない」と言うと、黙って作業に戻った。

鬼毒はまだ木刀ですらない。桃の木もない。桃の実もない。種もない。あるのは、存在しない果物を必要とする面倒な武器の情報と、その果物があるかもしれない危険なコロニーの話だけだった。それでも、地下の空気は前へ進んでいた。断頭剣の時のように、持ち主が最悪な武器を奪いに行くのではない。今回は、武器になる前の種を探す。木になるかも分からないものを、鬼を狩る未来のために取りに行く。

メイドは壁に這う蔦を見た。昨日までは偽装にすぎなかった緑が、今は別の意味を持ち始めている。逃げ場に根が入った。その根の先が、桃の種へ伸びようとしている。

「探偵」

「動く」

探偵は短く答えた。

「フェアリーの森を探せ。人が消えて、死体が残らず、病が出ない場所だ。魔族が何かを置いているなら、それも拾え」

「燃やす前提か」

「移す前提だ。殺し切るより生かして押し付ける」

探偵は頷いた。フリートが紙に大きく線を引き、最後にこう書いた。

桃種確保。

フェアリー移動誘導。

鬼毒素材育成開始。

その三行を見て、メイドは少しだけ息を吐いた。仕事は増えた。戦う相手はまだ遠い。だが、やることは決まった。

桃のある場所は、フェアリーの領域。

そしてフェアリーは、敵に押し付けるために生かす。

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