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不良債権ダンジョンと借金三千億年から始まる魔王討伐記  作者: 伊阪証


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断頭剣

処刑場跡は、地図で見たよりも狭かった。王家の争いに関わる場所というから、もっと大きな広場か、石の壁に囲まれた正式な刑場を想像していたが、実際には墓所の外郭へ張りついた、半分沈んだ石畳の中庭に近かった。中央に処刑台の残骸があり、台の左右には低い石壁が残り、床には古い溝が走っている。血抜きのためのものだろうと、解剖医は着いてすぐに言った。水は流れていない。溝の底には土と枯葉が詰まり、ところどころに黒ずんだ石が覗いている。風化で色が変わったのか、別のものが染みて残ったのか、メイドには見ただけでは分からなかった。ただ、足を置き間違えれば滑る。滑れば姿勢が死ぬ。その程度のことは、処刑台へ近づく前から分かった。

探偵は外郭の壁を見ていた。王国の封鎖は雑だった。札はある。立入禁止の印も残っている。だが、新しい足跡は少ない。誰も見たがらない場所は、警備を厚くしなくても人が寄らない。王家の古傷、処刑場、騎士の慰霊、主従の残骸。そういう言葉が重なるだけで、普通の人間は遠回りを選ぶ。魔族が潜む場所より、過去の王家が残した場所の方が人の足を鈍らせることがある。探偵はそれを知っている顔で、封鎖札を指で撫でただけで何も言わなかった。

「足場は悪い。溝には入るな。枯葉の下が抜けてるところもある」

解剖医が短く言った。彼は戦闘を見に来たわけではない。戻った後、傷と場所を一致させるために来ている。そういう目で床を見ていた。処刑台の後ろには、搬出用の低い通路がある。死体を外へ出すための道だろう。礼拝用の正面通路とは別で、人の目に触れにくい。後から墓所として体裁を整えた時、祈る者の動線と、処理する者の動線を分けた形だった。

メイドは中央へ進んだ。スカートの裾が低い石壁に擦れる。戦闘には向かない服だ。だが今さら変える気もない。メイド服は彼を隠す。男としての輪郭、勇者としての名残、借金と首輪と屋敷の屈辱、その全部を一枚で曖昧にする。戦うには邪魔で、隠れるには便利で、殺すには案外悪くない。布の重さと裾の流れを身体が覚えてしまっているのが、少し腹立たしかった。

処刑台の向こうに、それは立っていた。

鎧は黒くない。銀でもない。鉄が古くなった色だった。錆び切ってはいないが、磨かれてもいない。胸甲は厚く、肩の装甲は不自然なほど丸く盛り上がり、首があるべき場所には空白がある。兜を小脇に抱えているわけでも、首を掲げているわけでもなかった。ただ、首のない鎧がそこに立ち、右手に断頭剣を持っていた。刃は大きい。騎士剣としては幅がありすぎ、斧というには真っ直ぐすぎる。人を斬るための剣ではなく、首を落とすという作業を繰り返すために形を削られた道具に見えた。

柄を握る右手は、剣を構えるというより、逃がさないために握っていた。そこが最初に目に入った。武器を扱う者の手ではない。武器を守る者の手だった。騎士なら剣先で間合いを作る。相手の視線を奪い、踏み込みを縛り、正面から圧を置く。だが目の前の鎧は違った。断頭剣を身体の近くに抱え、いつでも振れる形を作っているのに、見せるためには差し出していない。奪われることだけを最初から拒んでいる。

「話はできると思うか」

探偵が外郭から言った。

「必要ならしている」

メイドは短く返した。デュラハンは名乗らなかった。騎士ならば、たとえ死んでいても名乗りの残骸くらいはある。主の名、家の名、剣の名、守ったもの、失ったもの。けれど、そこに立つものは一切口を開かない。首がないからではない。語る役目を持っていないから、語らないのだと感じた。

石壁の影に、王女がいた。

来ていた。こちらが連れてきたのではない。探偵が把握していた経路の外から、彼女は処刑場跡へ入っていた。外套を被り、顔を隠しているが、立ち方で分かる。王族としての癖は、隠しても消えない。膝を少しだけ固め、逃げるには遅く、進むには浅い位置にいる。彼女の視線はメイドではなく、デュラハンへ向いていた。知っている目だった。恐れているだけではない。忘れられないものを見ている目だった。

メイドは王女を責めなかった。まだその時ではない。処刑台の周囲で足場を確認し、断頭剣の重心を見て、鎧の肩と腕の角度を測った。勝ち筋はまだない。フリートの話では、断頭剣は相手自身に対しても危険で、反動を作れれば付け入る隙がある。だが、見ただけでどうこうなるものではなかった。鎧は厚い。外から叩いて通るとは思えない。腕を狙えば肩で流されるだろう。剣を直接奪えば、そのまま身体ごと持っていかれる。

デュラハンが動いた。

速い。だが、騎士の踏み込みではなかった。正面から圧を置くのではなく、最初からメイドの足を止める位置に刃が来た。首や胴ではない。右足の置き場。踏み替える前の石畳へ、断頭剣が斜めに落ちる。メイドは半歩引いた。引いた先に、低い溝があった。足裏が滑りかける。刃は空を切ったのではない。メイドをそこへ追い込むために落ちていた。

「騎士じゃない」

思わず、声が漏れた。

次が来る。デュラハンは大振りに見える軌道で剣を上げたが、狙いは首ではなかった。肩口から入るように見せて、肘の逃げ道を潰す。受ければ腕が止まる。避ければ処刑台の角に背をぶつける。メイドは受けず、処刑台の残骸へ片手をつき、身体を横へ抜いた。裾が石に引っかかる。布が裂けた。その裂け目を、断頭剣の刃が遅れて通った。ほんの指二本分、遅ければ膝から下の動きが死んでいた。

メイドは反撃した。短剣ではなく、持ち込んだ硬い鉄棒を鎧の胸に叩き込む。音は重い。だが、通らない。衝撃が表面で逃げる。中に肉がある相手なら、肺や肋へ響いたかもしれない。骨のある相手なら、ひびくらいは入ったかもしれない。だが、鎧の内側はそういうものではない。叩いた感触が戻ってこない。殴った相手がそこにいるのに、内側に届いた手応えがない。

デュラハンの左手が動いた。掴みに来る。騎士の組み付きではなく、処置台に押さえつけるような手だった。メイドは肘を引き、手首を外へ逃がす。指が袖を掠めた。布が裂ける。そこから断頭剣が落ちる。掴み、固定し、切る。その順番だった。斬り合いではない。身体を止めてから落とす動きだ。

メイドは処刑台の縁を蹴って距離を取った。石が欠ける。欠片が溝へ落ち、乾いた音を立てた。息は乱れていない。だが、呼吸の逃げ道を一つずつ塞がれている感覚があった。デュラハンは追う。速さで圧倒しているのではない。こちらが次に逃げる場所へ、先に刃を置いてくる。まるで身体の構造を知っている相手に、逃げ方だけを先回りされているようだった。

「メイド!」

解剖医の声が飛んだ。

メイドは返事をしなかった。振り向く余裕もない。だが、解剖医が何を見ているかは分かった。傷だ。まだ深く斬られてはいない。だが、布が裂けた位置、肌を掠めた位置、動きが止められた箇所。その全部が、致命傷とは少しずれている。殺すための攻撃なら、もっと単純に急所へ来る。勝つための攻撃なら、武器か脚を潰しに来る。これは違う。動けなくなる順番を知っている。

デュラハンが踏み込んだ。石畳が沈む。断頭剣が横に払われる。メイドは剣の腹へ鉄棒を当て、受け流そうとした。受け止めるつもりはない。止めれば潰される。刃の進む方向をほんの少しずらすだけ。だが、重さが予想より深かった。鉄棒が軋み、肩へ衝撃が抜ける。メイドは踏ん張らず、あえて身体を流した。流した先で背中が石壁に当たる。肺から空気が押し出された。

断頭剣は壁を削った。石が裂ける。刃は止まらない。止まらないまま、デュラハンの腕へ反動が返った。ほんのわずかだった。肩の鎧が一瞬だけ鳴る。首のない空白のあたりに、見えない線が揺れた気がした。

メイドはその揺れを見た。

まだ使えない。浅い。鎧に傷すら入っていない。だが、反動はある。普通の剣ではない。断頭剣はデュラハン自身にも干渉している。ただ、相手はそれを制御している。なら、制御できない角度にしなければならない。

次の一撃は上から来た。処刑台の上で首を落とす動きに似ていた。だが、狙いは首ではない。メイドの左肩を落として、身体を処刑台の方へ沈める軌道だった。メイドは前へ出た。逃げれば台へ追い込まれる。なら、逆に入る。剣の根元へ身体を寄せ、刃の速度が乗り切る前に鉄棒を当てる。肩が悲鳴を上げた。鉄棒が折れかける。だが、刃は少し外れた。処刑台の石角へ当たり、火花が散る。

デュラハンの右腕が揺れる。今度はさっきより大きい。肩の鎧の奥で、何かがきしんだ。だが、デュラハンは剣を離さなかった。むしろ、さらに強く握った。指の装甲が柄へ食い込むように動く。アンデッドとしての単純な身体能力で、反動を押さえ込んでいる。自分を殺せる武器を、自分の力で制御できると信じている。

メイドは後ろへ跳んだ。足が溝の縁を掠める。滑る。体勢が少し崩れた。そこへデュラハンが来る。速い。今度は剣ではなく、身体で押してきた。鎧の質量そのものがぶつかる。メイドは横へ逃げるが、肩が処刑台に当たる。痛みが走る。断頭剣が続く。防げない角度だった。

王女が動いた。

一歩だけだった。石壁の影から、ほんの一歩、前へ出る。足音は小さい。だが、デュラハンは反応した。刃が止まる。完全には止まらない。だが、軌道が揺れた。首のない鎧が、王女の方へ向いた気がした。そこに首はない。目もない。だが、確かに見た。

メイドはその瞬間を見た。

王女が声を出せば、止まるかもしれない。名前を呼べば、剣が下がるかもしれない。主だった人間が、ここで一言でも何かを命じれば、この戦闘は変わるかもしれない。少なくとも、デュラハンは反応した。反応してしまった。

王女の唇が動いた。

声は出なかった。

王女はそのまま止まった。外套の下で指が震えている。前にも出ない。逃げもしない。声だけが出ない。メイドは一瞬だけそちらを見る余裕を持った。持ってしまった。その一瞬で、デュラハンの断頭剣が戻る。

メイドは鉄棒の残りを捨て、腰の短剣を抜いた。受けるには軽すぎる。鎧には通らない。分かっている。だが、今は距離を作るしかない。刃をデュラハンの手首に当てる。やはり通らない。火花だけが散る。デュラハンは構わず押してくる。短剣が弾かれ、メイドの手首に痺れが走る。続く断頭剣を、身を沈めて避ける。髪の先が数本落ちた。

探偵が外郭から何かを投げた。小さな金属片だ。デュラハンの足元へ転がり、石畳で跳ねる。注意を逸らすためではない。足の位置をずらすためのものだった。デュラハンは踏まない。踏む前に避けた。人間なら見落とす程度の小片を、足元の危険として処理した。騎士の反応ではない。処置台の周囲で器具の位置を知っている者の反応だった。

「足元も見てる」

探偵が低く言った。

「見ているんじゃない」

解剖医が返す。

「置いてある物の危険を知ってるんだ」

メイドはその声を聞いた。やはり、違う。戦場の騎士ではない。名誉や間合いや剣筋ではなく、身体と器具と足場を見ている。処刑場という場所を使い慣れている。相手を殺すより先に、相手を動けなくする。そうすれば首は落とせる。そういう順番だ。

デュラハンの剣がまた落ちる。今度は斜め下から跳ね上げる軌道だった。メイドは左へ逃げる。逃げ道に溝がある。溝を越えようとした足元へ、デュラハンの左手が来た。掴まれれば終わる。メイドは飛ばず、溝の縁を蹴って身体を低く回した。裾が泥を払う。左手の指が布を掴む。布が裂ける。身体は抜けた。

抜けた先に、断頭剣の柄が来た。

刃ではない。柄頭で肋を打たれた。メイドの身体が横へ飛び、処刑台の低い階段へ背中から落ちる。肺が止まる。視界が白く跳ねる。骨は折れていない。だが、息が入らない。デュラハンが近づく。断頭剣を振り上げる。今度は本当に落とす動きだった。首ではなく、動けない身体を処刑するための動き。

メイドは階段に手をついた。指の下に、古い溝の縁があった。血を流すための溝。そこへ短剣の柄を差し込み、身体を無理やり横へ引いた。断頭剣が階段を割った。石が砕け、破片が顔に当たる。刃は外れた。だが、反動が大きい。階段の角度が悪かったのだろう。デュラハンの右腕が一瞬だけ跳ね上がり、肩の鎧が鋭く鳴った。

今のは深かった。

メイドはそれだけを覚えた。起き上がりながら、肩と腕の接続を見る。亀裂はない。だが、音が違った。正面からぶつけるのではなく、処刑場の硬い石へ刃を落とさせ、跳ね返りを腕へ戻す。これなら使えるかもしれない。まだ足りない。もっと角度が要る。もっと強く振らせる必要がある。だが、道は見えた。

デュラハンはすぐに姿勢を戻した。剣はまだ右手にある。握りは緩んでいない。むしろ、先ほどより執着が増したように見える。右腕の装甲が柄を抱え込む。絶対に手放さない。自分を殺す剣を、誰にも渡さない。その意思だけが、首のない鎧からはっきり伝わってきた。

王女はまだ動いていなかった。

一歩出た位置で止まり、声を失ったまま立っている。デュラハンはもう彼女を見ていない。メイドへ戻っている。戻ってしまった。あの一瞬は過ぎた。王女が持っていたかもしれない解決は、声にならないまま消えた。

メイドは階段から降りた。呼吸が戻る。肋が痛い。肩が重い。左手の握りが少し鈍い。短剣は鎧に通らない。鉄棒はもう使い物にならない。探偵の小細工は足止めにもならない。解剖医の助言は戦闘中には届ききらない。

それでも、完全に詰んではいない。

デュラハンは断頭剣を離さない。鎧は通らない。騎士の戦い方ではない。身体を止め、処理し、首を落とす側の動きだ。なら、こちらも騎士として戦う必要はない。勝つのではなく、相手の処理の流れを逆に使う。振らせる。石へ当てる。反動を戻す。鎧の一点を鳴らす。まだ見えただけだ。割れてはいない。だが、ただ防いでいるだけの時間は終わった。

デュラハンが再び剣を構えた。構えと呼べるほど綺麗ではない。刃を身体の近くに置き、右腕を守り、左手で相手の動作を止める準備をしている。首のない鎧は黙っている。だが、処刑場全体がその手足になっていた。溝、台、階段、壁、搬出路。ここにあるものは、全部デュラハンの側にある。

メイドはそれを認めた。

この場所では勝てない。少なくとも、このままでは。

「退く」

メイドが言うと、探偵は即座に動いた。無駄な確認はない。外郭の壁際に煙玉ではなく、乾いた粉を撒く。処刑場の土と石粉を混ぜた、目を潰すためではなく、足跡を乱すための粉だ。解剖医は王女の方へ動きかけたが、王女は自分で後ずさった。まだ声はない。メイドは最後までデュラハンから目を離さない。

デュラハンは追ってこなかった。

処刑台の周囲から出ない。いや、出られないのか、出ないのかは分からない。ただ、メイドたちが外郭の通路へ引いても、断頭剣を持った鎧は処刑台の傍に残った。剣を下げない。手放さない。首のないまま、そこに立ち続ける。

外へ出る直前、メイドは王女を見た。

王女は俯いていた。顔は見えない。手だけが震えていた。さっき、一歩だけ出た。その一歩で全てが変わる可能性があった。だが、そこから先はなかった。

メイドは何も言わなかった。

言葉を使うには早い。まだ断頭剣も取っていない。デュラハンも止めていない。王女の沈黙を責めるには、こちらもまだ何一つ果たしていない。

処刑場跡を離れると、風が少し冷たくなった。肋の痛みが呼吸に遅れて戻ってくる。肩の奥も重い。短剣の刃は欠け、鉄棒は処刑台の近くに置いてきた。得たものはほとんどない。断頭剣はまだデュラハンの手にある。鎧は砕けていない。腕も落ちていない。

だが、反動は見た。

処刑台の石に当たった時、右肩の鎧が鳴った。

階段を割った時、腕が跳ねた。

王女に反応した時、剣の軌道が揺れた。

その三つだけが、次に繋がる。

メイドは痛む肋を片手で押さえ、振り返らずに歩いた。後ろには、処刑場と、動かなかった王女と、自分を殺せる剣を握り続けるデュラハンが残っている。

次は、防ぐだけでは済まない。

あの剣の反動を、鎧が耐えられないところまで戻す。

そのために、まずは相手が騎士ではない理由を掴む必要があった。


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