夢の記憶
次の日の朝、維月は気だるげに起き上がった。昨日は、懐かしいような夢を見た。しかも、その夢はとてもはっきりとしていて、こうして目が覚めた後もまるで昨日実際に起こった事のように鮮明に覚えていた。自分が、月になって間もない頃のことだった。
すると、十六夜が気遣わしげに維月の顔を覗き込んだ。
「どうした、維月?気分でも悪いか。」
維月は、無理に微笑むと、首を振った。
「いいえ。何だか、夢を見たの。しかも、はっきりとした夢で…まるで、本当に起こったことみたい。でも、あれは私の記憶ではなかったわ。だから、勝手に見た夢なんだろうけど。ほら、前世に人から月になった頃のことよ。まだ十六夜も蒼の力を借りないと地上へ降りて来れなかった頃のこと。」
十六夜は、慎重に頷いた。
「ふーん。でも、どうしてそれが勝手に見た夢なんだ?お前の記憶を掘り起こしてるだけじゃねぇのか?」
維月は、十六夜を見上げて首を振った。
「いいえ、記憶じゃないわ。だって、前世は十六夜と兄弟じゃなかったじゃない?それなのに、そこでは本当に兄弟の感じなの。恋愛感情なんて、無い感じ。お互いに。」
十六夜は、中継していたので知っていたが、わざと驚いたような顔をした。
「へえ?ま、いいじゃねぇか、夢なんだろう?前世を思い出したか?」
維月は、首をかしげた。
「うーん、どうかしら?何だかね、普通に生活してた夢だけなのよ。蒼と、まだ飛ぶことも出来なくて。有とか涼とかはまだ居なくて、きっと人世で暮らしているんでしょうね。そこだけよ。」
十六夜は、少しがっかりしたが、確かにあれだけだとそうだろう。なので、気持ちを切り替えて言った。
「ま、気にすんな。オレは、ちょっと行ってくらあ。なるべく早く帰る。」
維月も、夢を振り払うように微笑んで頷いた。
「行ってらっしゃい!待ってるわ。」
そうして、十六夜は飛んで行ったのだった。
十六夜が来たのは、地の宮だった。そこに、碧黎とダイレクトに話せる地点がある。十六夜が降り立つと、わらわらと鹿やウサギなどの神格化した侍女達が出て来て、十六夜に寄って来た。
「ああ、十六夜様!我が王が、お待ちでございます。」
十六夜は、眉を上げた。親父、人型になってるのか。
侍女について歩いて行くと、奥の居間の椅子に、碧黎が座っていた。十六夜は、その前にどっかりと腰を下ろしながら言った。
「親父、何で本体から出て来たんだ?あっちの方が、広く地を見渡せるって言ってたじゃねぇか。」
碧黎は、憮然として言った。
「だから昨日も言うた。陽蘭が寝ておるから、落ち着かぬのだ。主も本体へ維月と一緒に戻ったら分かるであろうが。自分の命の一部が混ざった感じですっきりせぬのだ。あれが居ると、何やら邪魔での。」
十六夜は、眉を思いっきり寄せた。
「邪魔ってなんでぇ。オレは、維月と一緒だったら落ち着くけどな。ま、いい。それより、昨日はどうしてあれで止めたんだ?時間の流れが違うから、寝ている間に数年とか見て来ることも可能だって言ってたじゃねぇか。」
碧黎は、真顔になって頷いた。
「確かにそうだが、少し様子を見た。何しろ、維心は優秀な神だ。気取る可能性があるからの。なので、短めに済ませたのだ。案外に二人ともあっさり夢として受け入れておったようではないか。実際は、パラレルワールドで起こっている、別の自分達の事を見ておるのにの。」
十六夜は、頷いた。
「ああ。維月もすっかり夢だと思ってるよ。だが、昨日の感じじゃまだ駄目だったけどな。」
碧黎が、頷いた。
「維心もそうよ。己の昔の生活を懐かしんでおっただけよな。ま、今夜からは一気に進めるつもりでおるし、主も維月と戯れたいなら今夜までにの。何やら温泉とか言うておったのではなかったか。」
十六夜は、慌てて立ち上がった。
「そうだった!夜には帰って来なきゃならねぇんだし、もう戻ろう。昨日維月を早く寝かせるために、温泉につれてってやるって言ったんだよ。」
碧黎は、気の毒そうに十六夜を見た。
「主も苦労するの。人が良いと申すか、別に放って置いても良いことなのに。」
十六夜は、飛び上がりながら言った。
「別に、あいつらが別れるのは構わねぇが、後で文句言われるのが面倒なだけでぇ。こっちとしちゃあ、出来る限りのことはしたって、言えるだけの事はする。じゃな、親父!また夜に!」
十六夜は、飛び立って行った。
碧黎は、そんな息子が健気に思えてかわいかった。
無事に温泉にも入り、隠れ里を堪能した維月は、機嫌よく十六夜と月の宮へと戻って来ていた。今日は、一気に進めると碧黎は言っていた…昨日の様子だと、自分達の前世とは違う事は明らかだ。十六夜は、変な結果になりませんように、と、それだけを望んで、維月と共に寝台へと入った。までは良かったが、維月は、まだ興奮して眠れないようで、里で見たあれこれのことを一人で十六夜に一方的に話してなかなか眠らなかった。十六夜も困ったが、気取られる訳にもいかず、黙ってそれに付き合ってうんうんと相づちを打っていた。維月は、実によく話していたが、そのうちに疲れて来て、ウトウトとし始め、月が空の真ん中を過ぎる頃、やっとぐっすりと眠りに落ちて行った。十六夜はホッとして、もう起きないなと頬を引っ張ったりして確めた。間違いなく寝ているのを見てから、十六夜はやっと眠ったと碧黎に念を飛ばした。
一方、維心の方も今夜はなかなかに眠らなかった。というのも、瑠維の輿入れが、明輪からのたっての希望で早まるようで、日程の調整の話を兆加に長々と聞かされていたからだった。維心にすると驚いたことに、瑠維も、早く嫁ぎたいらしい。持たせる物の事も、いつもなら維月の方が決めるのだが今は居ないため、全部維心が指示しなければならなかったのだ。
そして、兆加は去り際にこういい置いていた。…王妃様にも、婚礼の日には必ずやお戻りになって頂きますよう、よろしくお願いいたします…と。
維心は、気が重かった。ここで形ばかり戻って、どうなるのだろう。お互いに気まずい空気が流れて、更に良くない方向に向かうのではないのか。維明も、あれからおとなしいが、依然として大人びた様子が気にかかる。時に、今の維心より落ち着いているのではないかと思わせるほどだった。
だが、まだ離縁していない以上、確かに娘の輿入れに母親が不在なのはおかしかった。近隣の宮に、不仲を晒す訳にはいかないのだ。まして、一度離縁して大騒ぎをした前歴がある。これ以上、落ち着かない姿を神世に晒す訳にはいかなかった。
そんなことを考えて、維心は眠れなかったのだ。しかし、夜も更けた頃、やっと眠りについたのを気取った碧黎は、またあの玉を発動させた。
これほどに面倒をかけておるのだ。某かの結果は出してもらわねば割りが合わぬぞ…。
碧黎はそう思いながら、自分も先を知らないこの、パラレルワールドの維心と維月の動向を見守ったのだった。




