第6話 ウィンター邸の朝
朝、日の出よりも前にウィンター邸をマーガレットが訪ねる。というよりは、出勤してくるという方が正しいだろう。彼女は合鍵で入り口から入り、玄関で小さな箒を使って服の塵や砂を落とす。
マーガレットはそのまま小部屋に入り、仕事着に着替える。そして炊事場で湯を沸かし始め、その間に客間のテーブルを拭き、中くらいの箒で部屋を掃除し始めた。
そして毎朝そのタイミングで、屋敷の主人が2階から降りてくるのだった。そしてちょうど客間の掃除が終わったタイミングで、マーガレットとすれ違いながらよく通る声で挨拶をした。
「おはよう。マーガレット。」
「おはようございます、ご主人様。」
エメットは上着を玄関のコート掛けに吊ると、客間に入り椅子に腰を下ろした。そして手帳をパラパラとめくり始めた。
「あら、いけない。お嬢様を起こして参ります。」
「……マーガレット。止めるわけではないが、過保護ではないですか。」
「ご主人様のご意向は分かっているつもりでございますが、お嬢様はお嬢様で……きっと慣れない環境にご心労がたたっておられるのですよ!」
エメット邸の2階は、細い廊下が伸びていた。部屋は2つあり、窓側をエメットが使い奥側がロザリーに割り当てられていた。ロザリーはまだ荷解きをしていない荷物に囲まれ、質素なベッドの上で上半身と下半身がねじれるような体勢ですやすやと寝ていた。
「……うへへ。やったあ……双子の目玉焼きだあ……。」
ロザリーはなんらかの、幸せな夢を見ているようだった。
「お嬢様! 朝でございますよ!」
「……ふええぇ……。」
ロザリーは何度目かのモーニングコールで、目をこすりながら起床した。
そしてマーガレットから手渡された新調した服に袖を通した。その服は、気品を纏いながらも動きやすく、ロザリーの溌剌さをあらわしたかのような従士服だった。
「わ……かっこいい。」
「よくお似合いでございますね! ご主人様と並んだら画になりますわ!」
あの男と並んだら……とロザリーは目をじっとり落としたが、首を振って、マーガレットに礼を伝えた。そして階段を元気よく駆け降りていった。
「おはようございます! 先生!」
「おはようございます、ミス・エイプリル。しっかりと体力を蓄えたようですね。」
「はい!」
ロザリーは嬉しさの勢いに任せ、エメットの皮肉をすっぱりと切り伏せた。
そしてそのまま、エメットの前でくるりと一回転して元気よくお礼をした。
「先生! 従士服をありがとうございます! これ、すっごく似合ってないですか?」
エメットは紅茶を一口飲んで、ロザリーを一瞥した。そしてゆっくりと答えた。
「そうですね……。従士服を着るという事の重み、これからゆっくりと学んでいってください。」
「……なんで素直に褒めてくれないんですかっ!」
ロザリーはツン、と顔をそらして炊事場の方へ向かった。
客間に残ったエメットは、改めて紅茶のカップを口に運んだ。
◆
最初の被害者、平民街の郵便局に勤める配達員は名前をベンと言った。ベンの生家は平民街のはずれにひっそりと立つ、長屋の一区画だった。
見た目は王都によくある石と木造りそのものの家屋で、築年数はかなりのものを感じさせた。エメットは大家から借り受けた鍵を使い、小さなドアを開けた。
ドアの向こう側はすぐ階段になっていた。少し急な階段を慎重に登った先にもう一つドアが待ち構えていた。ベンの部屋である。
ドアを開けると、そこは一部屋だけの間取りになっていた。ベッドが一台。窓際には小さなテーブルと椅子とがあり、壁には風景絵がかけられていた。額縁も有り合わせのもののようで、高額な絵には思えないが、落ち着いた筆使いはこの部屋の雰囲気に妙に合っていた。
「……この部屋の持ち主は、もういないんですね。」
「……ええ、そうです。」
エメットはおもむろに机に向かっていき、上着の内側から手袋を取り出し、はめた。
「ミス・エイプリル。上着の内側に手袋が入っているはずです。はめておいてくださいね。」
「え? ……あ、本当だ。はい先生。」
「昨日見せたように、人間が触れた場所には意図せず魔力が残ってしまいます。我々が無闇にあれこれ触って、万が一の証拠を逃してしまう事は許されません。」
そして、机の引き出しを慎重に開けながら隅々まで調べ始めた。引き出しを取り出し、その奥までしっかりと目を通していく。
「……先生、何をお探しになっているんですか。」
「……ミス・エイプリル。今まであなたが勉学において難問に直面した時、採点役の講師が答えを持ち合わせ導いてくれた事は何度もあるでしょう。しかし、我々が目の当たりにしているのは、時間という悪魔が刻一刻と答えを密かに持ち去っている、そういう類のものです。」
エメットは涼しげに振り返り、ロザリーの目を見て真剣に答えた。
「”事実”です。我々は、事実を探しにきました。その隠し場所は、誰も教えてくれません。ひょっとしたら、今まさに我々の目の前にあるのかもしれません。」
ロザリーはその迫力に、思わず息を呑んだ。そして拳をぎゅっと握りしめた。
「……手分けして探せという事ですね!」
「いえ、そうではありません。地面から芽を出したばかりの貴女が何かを見つけたとして、それに気づける確率は高くないのですから、私と同じ場所を探してください。何か意見が欲しい時は、私から尋ねます。」
そう言うと、エメットは再び背を向けて机の引き出しを戻し始めた。
「そ……そおでございましたか……ごめんあそばせ!?」
ロザリーは頭から湯気を出しながら、エメットの近くに進み寄った。
それから1時間ほど、二人は隅から隅まで部屋を探索した。
その結果、彼の手帳やいくつか残された品々が二人の目の前に置かれた。
「……手帳。大きめの鞄。初心者用の魔導書。ほぼ使っていないであろう外套。その他は普段の生活に使っているであろうものですね。」
エメットは声に出して品物を確認すると、手帳を軽く持ち上げパラパラとめくった。
「手帳には未使用のページがたくさん残されています。ざっと見て、まるまる1年分は日程のメモに使えそうですね。大きめの鞄は、常用ではなく旅行用とする方が正しそうです。」
ロザリーは魔導書を手にとってめくった。
「初心者用なんですね、これ。全然わかんないや……。」
「ちょうどいいものを手に取っていただきました。ミス・エイプリル、何かその魔導書について気づく事はありますか?」
「……え?」
ロザリーは改めて魔導書の表紙を見た。そして中身を見た。裏表紙や背表紙まで見て、ページを無作為に何回か開いてみたが、気づく事など思い浮かばなかった。
「なんかあるって事ですよね? ……すみません、分かりません。」
エメットはゆっくりロザリーに近づき、本を閉じさせた。そして、ページの束を少し角度を見るように手で示した。
「えっ、えっ、どういう事ですか?」
ロザリーが言われるがままにページを上から見ると、ほんの少しの違和感が見てとれた。最初の10ページだけ、少しよれていた。よく見ると、折り癖などもついているようだった。
「あー……なんか最初の方だけ、ページが使い込まれてます。」
「やっとお気づきになりましたか。」
そして魔導書をいざ開くと、そこには何も書かれていなかった。
「あれ? なんかこう……綺麗じゃないですか? 魔法の勉強って、あんまり書き込みとかしないんですか?」
「これは魔法の理論書です。初級であるとはいえ、書き込みをせずに修められるようなレベルの勉強ではない事は確かでしょうね。」
「え? え? どういう事ですか? 先生?」
エメットは一通りの品々を布でくるみ、鞄の中にしまい始めた。
「まだまだ調べなければならないものだらけ、と言う事です。」
◆
二人が次に訪れたのは、ベンが勤めていた郵便局だった。市井の人々に日々の手紙を届ける、ごくごく普通の郵便局だ。
エメット達は局員の一人に事情を話すと、会議室に通された。少しして、郵便局長が奥から現れた。眼鏡をかけたごく普通のベテラン事務員といった風貌だった。
「調査、ご苦労様です。私が協力できる事なら……なんでも。」
局長はエメット、ロザリーと握手をかわすと、会議室の椅子に腰掛けた。エメットはさっそく話を切り出した。
「……ベンさんは、最近どのような様子でしたか。」
「そうですね……申し訳ない事に、至って普通でした。時間は几帳面に守るタイプでしたし、事件の日も至って時間通りで。」
局長は指を組み、眉を寄せながら振り絞って答えた。
「ベンは……ベンとは彼が10の頃からの付き合いになります。最初は、病床の母親を助けるため働かせてくれと……。数年後には、その母親の葬儀に私は参列しました。彼は私にとって……親族のように思えた男でした。」
ロザリーは膝の上で手に力を込めた。
「……そうだったのですね。」
「……。」
エメットの眼差しが一段と真剣になる。そして局長は、取り出したハンカチで目を押さえながら話を続けた。
「すみません。……そうだ、ベンは仕事を辞めるつもりでした。」
「えっ!?」
ロザリーは思わず声を跳ね上げた。局長は目を拭うと、努めて明るく補足した。
「ああ、話の順序を入れ違えてしまいました。ベンは少し前に、”北方で魔法の勉強をしたい。郵便配達が嫌いなわけじゃないが、夢を追いかけたい。”と相談に来たんです。なんでも、貯金がまとまってきたので……つまり留学を考えているから、あっちに詳しい人が近くにいないかという相談で。」
ロザリーは手帳を取り出して、この話を必死に書き留めた。
「ベンがいなくなると裏道をよく知る配達員がいなくなるって……みんな寂しがってましたよ。彼ほど道に詳しいものは、そうそういませんでしたからね。」
郵便局を後にした二人は、大通りに出た。昼時が近づいていたので、往来には少し賑やかさが目立ち始めていた。
今日は予め外食で済ますとマーガレットに伝えていたので、ロザリーが選んだ手近な路傍のカフェに二人は座った。席は外に張り出したオープンシートである。
給仕に注文を済ませると、ロザリーは街並みを見ながら切り出した。
「……あの魔導書はそういう意味だったんですね。」
「……はい。ただ、それ以上に分かった事がありますね? ミス・エイプリル。」
ロザリーは虚を突かれて、数秒固まってしまった。
「え? どういう事ですか、先生?」
エメットは足を組んで、少し砕けた姿勢を見せて答えた。
「この事件、やはり銀貨は犯人がわざと持たせたものだという事です。おそらくですが。」
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