第5話 指の模様
ロザリーとエメットは邸宅兼事務所で昼食を済ませ、客間の椅子に一旦腰を落ち着かせ始めた。そこで、エメットはおもむろにロザリーに言葉をかけた。
「……先ほどの件ですが、ミス・エイプリル。」
ロザリーは驚いて、探りながら答えた。
「はい!? ……えーっと、はい。……何でしたっけ?」
エメットは額に手を当てて、少し俯いた。そして軽くため息を吐きながら顔を上げた。
「被害者が全員、うつ伏せだったのかどうかという事です。」
「あ! ……そうでした!」
エメットは改めて話を切り出した。
「極めて揮発性が高い記憶力を持つ貴女にも分かりやすく説明しましょう。」
ロザリーは恥ずかしさとちょっとした怒りから軽く咳払いをした。
「……先生、お願いします!」
「まず、結論から言いますと仰向けかうつ伏せかはバラバラでした。一人目はうつ伏せ、二人目は仰向け、三人目はうつ伏せです。」
ロザリーは少し背筋を伸ばし直した。
「参考までに、なぜこの質問を思い立ったかお聞きしてよろしいですか、ミス・エイプリル。」
ロザリーは髪の毛を耳に掛け直し、単刀直入に答えた。
「なんとなく……です! 三人とも共通している点を、他に探せないかと。」
エメットは足を組み直して、手帳のページを巡り始めた。
「……大嵐の合間に現れる天の光のような霊感ゆえ、という事ですね。」
「先生、それ褒めてるんですよね?」
「はい。褒めています。」
エメットは手帳のあるページで手を止め、指をなぞりながら話を続けた。
「被害者の倒れ方、というのは実際のところ考慮したい部分もあります。例えば仰向けなら、犯人に正面から襲われたかもしれない。うつ伏せなら逃げようとして倒れ込んだのかもしれない。ただ、それはあくまで予想の範疇を脱しきれません。より正確に考えるならば、致命傷がどちらから付けられたか……が重要ですね。」
エメットはほんの少し目を細めた。
「一人目は前と後ろから複数回。二人目もです。三人目だけは、頭の後ろから数回。ここでも三人目だけが違う、という結論に変わりはないかと。」
「……はぁ〜……なるほど。」
ロザリーは、ふと、銀貨の事を思い出した。
「先生、銀貨はどうだったのでしょう。」
「どうだった、とは?」
ロザリーはもどかしさで足踏みをしながら、補足した。
「……何か、異常なところなど無かったのでしょうか。」
「はい。正確に言うと、実際に流通しているままの銀貨であり、何かの改造が施されているような代物ではありませんでした。リギリア銀貨ではなく王国銀貨……まあ、簡単に言うと旧貨幣の方です。」
エメットは手袋をつけたあと、懐から取り出した布袋を開けて2枚の銀貨をテーブルの上に並べた。
「旧銀貨の普及率はそこまで高くありません。今では質の良いリギリア銀貨にとって変わられており、状態によっては計数貨幣の役割を果たしていないものさえあるほどです。」
「け……けいすう?」
「額面通りの価値がなくなってきているという事です。」
エメットは上着の内側から、小さな羽箒を取り出した。
「ミス・エイプリル。魔法の心得はありますか。」
エメットの突然の質問に、ロザリーは言葉に詰まった。
「……え? ま、魔法……ですか? いえ。」
エメットは羽箒を銀貨の上にかざした。
「……調査官は鑑識魔法を操ります。まずは知識だけで良いので、しっかりご覧になっていてください。」
羽箒が淡い光に包まれ、エメットがゆっくり動かすと魔法の粉のような光が銀貨に降り注いだ。
「……わぁ……。」
そして、銀貨がその光の粒を受けて淡く光り始めた。一枚は強く輝き、もう一枚は少しくすんだ光を放っていた。
「……銀は魔力をよく通します。この光の強さからわかる事は、銀の含有率が明らかに2枚で違うという事実です。」
「……えーっと、つまり、偽物を見破る魔法ですね!」
エメットは羽箒を上着にしまうと、銀貨を手に取った。
「本物同士でも、銀貨にはそれぞれ違いがあるという事です。」
「なるほど……?」
エメットは銀貨を布袋にしまい、口を閉めた。そしてそれを懐に戻した。
「他にどんな鑑識魔法があるんですか、先生。」
エメットは一瞬考え、改めて羽箒を取り出した。
「そうですね、一通り知っておいていただきましょうか。」
そしてロザリーの椅子に近づき、肘掛けに魔法の細かい粒子をふりかけた。
「うわっ、な、何するんですか先生。」
「……見えますか、ミス・エイプリル。」
途端に、肘掛けに青白い手の跡、指の跡が浮かんだ。
「うわわっ、なっ、なんですかこれ!」
「あなたが肘掛けに手をつけた跡です。例えば椅子などの調度品であれば木製かどうか、素手だったかどうかでまったく残存率は変わってきます。」
「……これ、私の指の模様ですか?」
「指紋、と言います。これは一人一人で全く違うものですので、専門家が見れば個人を特定する事ができます。そうですね……魔力を通しやすい銀。または、木や紙、布といった植物や動物由来の品物には数ヶ月残る事もあります。魔法の心得があろうがなかろうが、無意識に残ってしまう……いわば、魔力の残り香ですね。」
「えーすごい!」
エメットは手袋をはめたままの右手を目線の高さに上げた。
「鑑識魔法の使い手にとって、この指紋を自分のもので上書きしたり混在させる事は言語道断です。そのため、慎重な捜査が必要な場合は手袋を使う……この事はしっかり覚えておいてください。」
「……わかりました。これって足跡とかもわかるんですか?」
エメットは頷いてからしゃがみこみ、同じように羽箒で魔法をかけた。
すると、ほんのごく薄く、足跡が浮かび上がった。
「これは今つけられた足跡だからなんとか見えますが、足跡は非常に消えやすいです。それこそ素足で床を歩いたのであれば、多少は拾いやすいとは思いますが。」
そして、エメットは客間の暖炉の上に置かれていた長細い木箱を取り、それを持ってロザリーの元へ戻ってきた。
「補佐とはいえ、あなたも一本持っておいてください。これから毎日魔法の訓練です。簡単な魔法くらいは貴女にも使えるようになっておいてもらわないと困りますからね。」
木箱を開けると、そこには小さな羽箒が入っていた。白い羽毛に銀の土台……という代物だった。
「うわ……すごい……綺麗。」
「手の跡を調べる鑑識魔法から使えるようになっていただきましょうか。頻度も重要度も高いですからね。こればかりは、私がお教えしましょう。」
「……。」
ロザリーはその真っ白な羽箒に見惚れていた。そして、ふとエメットに質問した。
「他に見えるものとかあるんですか。」
「後は血の跡ですかね。血は残りやすく、1週間くらいは残った例もあるそうです。」
「……うえ。」
ロザリーはそこで、聞くべきではなかったと後悔した。
「ただ、万能ではないですよ。ミッシェル様の所に赴いたように、専門的な器具と熟練の魔術師によってでないと分かりかねる事も多い。あくまで我々調査官が扱う鑑識魔法は、現場をより正確に捉える程度のものだと思っておいてください。」
「……はい。」
エメットはそういうと、ロザリーに背を向けて自室に戻り始めた。
「ああ、そうです。ミス・エイプリル。」
「はい! なんでしょう先生。」
エメットは半身を部屋の外に出しながら、丁寧に言い渡した。
「明日は、一人目の被害者の家を訪ねます。今日はしっかり休んでおいてくださいね。」
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