第2話 銀貨事件
平民街の外れ。古びた家が立ち並ぶ街路には、ジャン=ジャック通りと名が付けられていた。それはかつて街角にて説法を説き続け、時代の王までも薫陶を受けたと言われる修道士の名である。
一角にある赤い家を窓から覗くと、そこには長身の端正な男……エメット・ウィンター男爵が椅子に砕けて座っていた。男爵は、向かい合わせに座ったロザリー・エイプリルと話し合っているところだった。
「……王立諮問院特任調査官。それが男爵のお役目なんですね。」
「そうです。」
エメットは肘掛けに置いていた両手を膝の上に寄せ、指を組んだ。
「王都だけでなく国内のあらゆる都市を対象とし、魔術、呪術、怪奇現象、果ては魔物の仕業が疑われる事件の捜査を国家より拝命し、各所領への一定度の越権を許可されている役職です。」
「……えーと……あの、つまり……?」
「怪事件担当の下っ端という事です。」
エメットはおもむろに立ち上がり、テーブルの上から一枚の書類を取るとロザリーに手渡した。
「ミス・エイプリル。本日より貴女は、王立諮問院特任調査官補佐として任命されました。この仕事は向き不向きがありますし、私は一人でも十分ですが。とにかく、よろしくお願いします。」
ロザリーは立ち上がり、指に怒りを込めながら笑顔で書類を受け取った。
「……ありがとう……ございます。」
エメットはロザリーを仕草で座らせると、再び自分の椅子へ戻った。ロザリーは気持ちを落ち着かせ、エメットに尋ねた。
「……私はどのような、お役目になるのでしょうか。」
「そうですね。いくらなんでも先程の説明を忘れているわけはないという前提で話を進めますが、調査官補佐とは上官ほどの権限を持っているわけではありません。越境や物品の持ち運びに関しては上官と変わらぬ特権がありますが、単独で捜査を行う事は許されていません。調査官の業務を円滑に進めるために、委任を受けた代行を主として任じられています。」
「……つまり?」
「下っ端の使いっ走りという事です。」
ロザリーは椅子から転げ落ちそうになったが、なんとか持ち直すと天井を見つめた。こんな男の使いっ走りになるという事実を、どう受け止めた方が良いものかと困惑していた。厚遇を期待していたわけではなかったが、どういった命運にあっての仕打ちなのかと天に尋ねたかったのかもしれない。
「ミス・エイプリル。」
エメットの決然とした声に、ロザリーは思わず背筋を伸ばした。
「はい!」
「……早速、最初の仕事です。ついてきてください。」
「……はい!」
◆
エメットとロザリーは、客間の奥の小部屋に並んで立っていた。エメットは落ち着いた様子で、丁寧に説明をし始めた。
「まず、この棚から袋を一包み下ろします。」
「はい!」
「袋は左から順番に使う事を忘れないでください。」
「はい!」
「今日は私が用意してしまいましたが、これを。」
エメットはロザリーにティースプーンを一本手渡した。
「袋を開いて。」
「……はい。」
「スプーンをすり切りながら、ポットに十分量を入れます。」
「……はい。」
「湯を注ぎましょう。あまりに高くから入れすぎて跳ねてはいけませんが、少しだけ高さは意識しましょう。湯の流れを作ってあげたいのです。」
「…………はい。」
「砂時計を仕掛けて。その間に余った湯をカップに入れて温めましょう。」
「…………。」
「ここまで来たら、あとはミルクを用意して……。」
「…………男爵!!」
エメットはゆっくり顔を向けて、意外そうな口ぶりで返事した。
「なんでしょう?」
「これって紅茶いれてるだけですよね!?」
エメットはますます意外そうな表情で答えた。
「? そうですが?」
「……もういいです、私が馬鹿でした。」
ロザリーは呆れ果てて、黙るしかなかった。
「……ミス・エイプリル。」
「…………はい?」
エメットは少し背をかがめて、哀れみの目を向けながらロザリーに囁いた。
「貴女は馬鹿ではありません。教養が不足していて、直情的かつ短絡的なだけです。気を落とす事などありませんよ。」
ティーポットがみしりと軋んだ。
◆
ウィンター邸を訪ねる人影があった。身なりからして王国騎士のようだった。騎士は少し様子を探りながらドアをノックした。慌ててマーガレットが走り寄り、ドアを開けていくつかの言葉を交わした。そして騎士を客間に通し、丁寧にお辞儀をするとウィンターを探し始めた。
「ああ、ご主人様。お客様にございます。なんでも、調べて欲しい事件があるとの事で。」
「ありがとう、マーガレット。紅茶を見ていてもらえますか。」
エメットはそう言うと、客間に引き返していった。
マーガレットはロザリーの表情とテーブルに並んだティーセットの様子を見て、すぐに状況を察した。
「……ご主人様、何か失礼な事を仰ったでしょう。」
「そうなんですよ! 聞いてくださいマーガレット!」
マーガレットは、けらけらと笑いながらもロザリーを優しく抱き寄せた。
「……ご主人様は素直なお方です。最初はなんて人だと思われるでしょうけど、言葉を重ねるうちに分かってきますよ。」
「……そうでしょうか。」
ちょうどそこで砂時計の粒が落ち切った。ロザリーはマーガレットに促されながら、ポットから紅茶を注ぎ始めた。エメットが砂糖をたっぷり入れる事。ミルクは少なめが好きな事を教わりながら、恐る恐る用意した。
マーガレットと手分けして紅茶を運ぶと、客間にはエメットと騎士が座っており、なにやら真剣な様子で話をしていた。エメットは数枚の書類を受け取り、順に目を通してはまた最初の書面に戻り……と言った様子で、何回も何回も確認をしているようだった。
「……というわけです。我々には手に余り、男爵にこの件お任せできないかと。」
「……もちろんです。できるだけ早いうちに、関係資料をいただけるでしょうか。」
「わかりました。明日にでも書類をお持ちできると思います。」
そこでエメットが、ロザリー達に気づいた。
「ああ、そういえばちょうど良い所でした。紅茶を一杯いかがですか。ディーズリー領の茶葉で、追熟させた逸品が届きまして。」
「これは却って申し訳ない! 不躾な時に……失礼をいたしました。」
「いえ、良いのです。茶を淹れる練習をしてもらっていた所ですから、お気にされる事はございません。」
騎士はそこで、ロザリーに気づいた。
「……こちらのお嬢様は。」
「ミス・エイプリル。カップはこちらに置いていただいて、ぜひご挨拶を。」
ロザリーはサイドテーブルに茶器を置き、少しだけぎこちない手つきでスカートを捌き一礼をした。
「ロザリー・エイプリルでございます。王立諮問院特任調査官補佐でございます。」
「……エイプリル……あ、ああ、これは丁寧なご挨拶を!」
騎士は立ち上がり、返礼した。
「王国警備兵、ピエール・モンジューです。十人長を拝命しております。」
「十人長、どうぞお座りください。」
マーガレットが茶器をピエールのそば、サイドテーブルに置いた。そしてその瞬間、芳醇な果実のような香りが部屋を包んだ。
「……おお……素晴らしいですな。」
「……。」
エメットはカップを鼻のそばに寄せ、軽く頷いてから紅茶を楽しんだ。
◆
騎士が去って茶器を片付けた後、ロザリーは客間に座るようエメットから指示された。エメットは何やら階段を登っていき、数分後に大量の書類を抱えて戻ってきた。そしてそれを、自身の椅子の横のテーブルに置いた。
「……本日、ピエール十人長が私を頼られたのはもちろん公務の事です。」
ロザリーは、これまでとは違うエメットの様子に固唾を飲んだ。
「今朝方、平民街で一人の下民が殺害されていました。頭からは出血しており、他に目立った外傷がない事、腕や足に縛られた跡などがない事から……不意打ちに近い形で襲われたのではないかとの事です。」
「……ひどい。」
「同感です。ただ、ここまでなら失礼な話ながらも普通の事件と言えなくありません。しかし被害者は裸足で、足の裏には砂一つついていなかったそうです。」
「……砂一つ。」
エメットはロザリーをまっすぐ見つめて、重々しく言った。
「改めて、ここから貴女は特任調査官補佐です。いざという時は、自分の身を守る事を最優先としてください。」
「……はい。」
ロザリーはそこで、はっと気づいた。
「男爵は……何とお呼びしたらいいでしょう。調査官、というのも不思議な気がしますが……。」
「私の事など好きに呼んでいただいて構いませんが。それで何かが変わるわけではないでしょうし、貴女の好みで。」
ロザリーは少し考え、ぱぁっと微笑んだ。
「先生……はどうでしょう! なんか偉そうですし!」
「……私の許可を取る必要はありません。」
エメットは書類を1枚取り上げて、話を続けた。
「殺された下民ですが、不可思議なのはそれだけではありませんでした。」
ロザリーは椅子に深く座り直した。
「……1枚の銀貨を固く握りしめていたそうです。」
「銀貨を……下民が?」
エメットは書類を食い入るように見つめた。
「……銀貨を持った被害者は、これで3人目です。」
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