第1話 探偵騎士エメット・ウィンター
太陽に祝福された偉大なる王国があった。その都は、かつてこの地を征服した王の名をとってレオニアといった。この王都は中央に堂々たる王城を構え、貴族街、平民街と工業区や商業区、そして兵舎や馬小屋、貧民街が連なる都だった。城壁は高く、見上げようとすると転んでしまいそうなほど聳え立っていた。
つまり、様々な身分の者がひとつの「町」に押し込められている事に他ならず、従って、路傍や街角、個人の邸宅や夜の酒場、果ては教会や宮廷に至るまで、揉め事や困りごとという悩みの種がひしめいているのだ。
平民街の一角に、人だかりができていた。人避けの護衛兵が何人も集まって人垣を作り、押し寄せる見物人を必死に押し留めていた。
「こら! 見せ物じゃない! 王国警備隊が調査を行っているんだぞ!」
人垣の奥では、数名の騎士達が大きな布に包まれた何かを囲んでいた。
目隠しの布を丁重に捲ると、そこには頭から血を流して突っ伏している一人の男の死体があった。服装からして下民のようだ。
「……下民とはいえ、酷いものだな。」
騎士は祈りを捧げて手袋をはめ、死体に触れた。検分をするためであったが、その時右手の中に何かを握り込んでいる事が目に留まった。
「?」
右手は力強く握られており、指を開くのにかなりの力を要した。そうして何とか手を開かせると、そこからは1枚の銀貨が現れた。
「……銀貨? なぜこんな下民が……!?」
そして騎士がよく見ると、男は裸足だった。不審に思って死体の足側に回り込んだ事で、疑念はより一層深まる結果となった。
「足の裏が全く汚れていない……。」
そこには泥汚れひとつ、土埃ひとつぶすらついていない様子だった。騎士は周りの建物をぐるりと見渡し、そして直感した。
「……おい、一つ連絡を入れてくれるか。」
そばにいた従士は、騎士に一歩近づいた。
「はい。どのような連絡でしょうか。」
「この事件はただごとではない。男爵をお呼びしたい。」
従士は少しの沈黙の後、騎士に尋ねた。
「……男爵、と申しますと?」
騎士は銀貨を手の中で転がしながら、呟くように答えた。
「特任調査官、エメット・ウィンター男爵だ。」
◆
この日の王城の一室では、何やら物々しい話し合いが持たれていた。部屋の中は見事な調度品で彩られ、壁の模様においてまで華美に彩られていた。中央の長机は5〜6人が座れる大きさだったが、距離を保つかのように3名の官吏達が椅子に座っていた。
中央には何枚もの書類や手紙が乱雑に置かれており、それはこの場での話し合いが紛糾している事を表しているかのようだった。
「……元をただせば、現王家に繋がる血筋です。やはりここは穏便に……。」
背の高い官吏は、ため息をつきながら探るように視線を動かした。
「卿の仰る事はごもっともですが、一方で所領を借財にするなどと……それこそ前代未聞です。高貴な者ほど、果たすべき責務にも高潔さが求められて然るべきでしょう。」
眼鏡をかけた官吏は、視線を合わさずに淡々と答えた。
「それは……その通りですが。とはいえ、爵位の褫奪ともなると、王国史上に類を見ません。それこそ反逆を画策した諸侯くらいのものです。」
そこへ、太った官吏が話に加わった。
「……要は今回の一件が、反逆に当たるのか。もしくは、それと同等なのかという事ですかな。」
3人の官吏達は、またそこで議論が行き詰まってしまった。太った官吏以外の2人にあっては、椅子から一旦立ち上がり、水差しを取りに行ったり、窓の景色を眺めに行く事で何とかこの息苦しさを解消しようと努めた。口を再び開いたのは、太った官吏だった。
「一旦、事の次第を仕分けしましょう。まずは借金を返せないのは個人の問題として、問題はその借財が所領だったという事です。これは明らかに、王国から諸領の寧亭を命ぜられている本分を蔑ろにしたと言わざるを得ません。」
他の2人も頷いた。水差しを持ってきた背の高い官吏は、自分の分だけでなく他の者の分まで水を注ぎ、それぞれ差し出した。
「そして次に、嫡子の不在です。王国法に則れば、当主が不在となった場合は直系から傍系に至るまで、最も近い男子が継承できるとありますが……。」
そういう太った官吏に続いて、眼鏡の官吏が言葉を足した。
「……男子がおらんわけですからな。伯爵位を継ぐものもいなければ、借金の責任を取るものもおらんというわけですな。」
そして背の高い官吏が話を合わせた。
「そうとなると……もはや、伯爵位という地位に責任を取ってもらわねばなりませんな。」
3人はため息をついた。もはや昼時が近づいている事もあって、すでに机上には妥協の二文字が踊り始めていたのである。そこで、眼鏡の官吏が声を大きくして言い放った。
「では、エイプリル家は家督の相続ができない。よって、今回の借金騒ぎの不始末を引責させる意味でも爵位の暫時停止を申し渡すのが妥当である……と上申しましょう。」
3人の官吏は、何度か軽く頷いて会議を終わりにした。終わり際、背の高い官吏はぼそっと呟いた。
「せめてロザリー・エイプリル嬢が……男子であったならな。」
◆
平民街の外れには鉄柵が設けられている。鉄柵の向こう側は貴族街になっており、垣根と組み合わせる形で境界線が定められているのである。と言っても、貴族街へ入る事に何の許可がいるものでもない。貴族街には警邏の兵士がいるので、わざわざ無用のまま立ち入って難癖をつけられる事に意味がなく、自然と貴族街へ立ち入る者がいないだけだ。
この境界線には資産家の平民、政治や王都の経済に関わる者など、いわば上級市民が家を構えているが、そこにはもう一種類の人間が含まれていた。下級貴族である。彼らは爵位を与えられているものの、すでに大貴族によって占有されている椅子に座れるはずもなく、むしろそう言った者達にとっての働き蟻であった。
その上級市民街に、小さな馬車が走っていた。舗装された石の歩道に蹄鉄の音が響き、小気味よく車輪の回る音が街中に響いていた。
時刻は昼前に差し掛かった頃だった。空は気持ちよく晴れていた。
馬車はゆっくり歩みを止め始め、やがて邸宅の並んだ街路に停車した。そこは、少し古めかしい家の並んだ通りであり、赤い石積みの家の目の前であった。
馬車が完全に停まると、御者は馬車の扉を開けた。そこからは、大きめの鞄を携えた赤毛の少女が降りてきた。髪を三つ編みにし、茶色の目は目に映るものをまっすぐ見つめていた。年の頃は、10代半ばといったところだろうか。身なりは質素だが、上品な仕立てであった。
「……ありがとうございます。」
少女は手を貸してくれた御者に礼を言うと、銅銭を手渡した。御者は帽子をとって礼をすると、銅銭を懐にしまい、馬車に乗り込んで足早に去った。
「……えっと。ウィンター邸、ここだ。」
少女は改めて赤い家を見上げた。横幅は広くなく、お世辞にも大邸宅という佇まいでは無かった。代わりに家は縦に伸びており、窓からして3階建てになっているようだった。
没落した自家の、遠縁にあたる当主が後見を引き受けてくれた。少女の胸の中の寂しさや悔しさは、大きな緊張で上書きされていたのである。
少女は家の扉に近づき、ノック用の金具を打ち鳴らした。
「……。」
家の中から反応がなかったので、少女はもう一度鳴らした。
少しすると、家の中から足音が聞こえ、ドアが元気よく開いた。中からは中年の恰幅いい女性が飛び出してきた。
「はぁい! ……あら!」
女性は、少女に目を留め、瞬時に理解したようだった。
「エイプリル様でございますね? お待ちしておりました!」
女性はおおらかに少女を迎え、鞄をひょいと片手で受け取った。少女は面食らってしまい、招かれるまま中へ入った。
玄関のドアが閉まったところで、少女は改めてスカートを捌き膝を折った。
「あの……ご挨拶が遅れてしまいました。ロザリー・エイプリルにございます。この度は後見のお取り計らい、感謝を申し上げます。」
女性は微笑んで、荷物を両手で持ちながらお辞儀を返した。
「わたくしこそご挨拶もせずに申し訳ございません。マーガレット・アバンソンです。当家で女中をさせていただいております。本日よりエイプリル様も、わたくしの事は手足と思ってお申し付けくださいね!」
「いえ……そんな。」
ロザリーはマーガレットの剣幕に気押されながら、玄関からすぐの部屋に通された。そこは深く座り込める椅子に低めのテーブルが用意された、客間だった。
「ご主人様を呼んで参りますね。お荷物は、エイプリル様のお部屋に先にお運びいたします。」
「あ、ありがとうございます。」
ロザリーは客間に一人取り残された。胸中は穏やかではなく、はっきり言って緊張していた。椅子に座る気分にもなれず、そわそわと部屋の中を歩いていた。
そのうち、足音が聞こえてきた。ロザリーは入り口の方へ体を向き直した。
「ご主人様をお連れしました。……ご主人様、エイプリル様です。」
マーガレットに次いで部屋に入ってきたのは、長身で胸板の厚く、引き締まったシルエットの男だった。髪は夜空のように黒く、目は駿馬の鬣のように淡い茶色であった。
(この方が……私の身元引受人。)
ロザリーの心臓が少し跳ねた。と、同時に、彼女は膝を折った。
「……ロザリー・エイプリルにございます。この度は後見のお取り計らい、感謝を申し上げます。」
ロザリーが顔を上げると、そこには男が仏頂面のまま立っていた。そしてそのまま、淡々と喋り始めた。
「エメット・ウィンターです。」
そしてエメットはくるりと背中を見せ、歩き去りながら言葉を付け加えた。
「子供の遊びのようなお辞儀でした。マーガレットに色々教わると良いでしょう。」
「……ご主人様!」
エメットはそのまま部屋を出ていき、マーガレットは慌ててその後を追った。
「……………………はぁ!??」
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