第18話 すすめられた酒
昼食を終えたロザリーとエメットは、客間で紅茶を囲んでいた。
話を聞き終えたエメットは、真剣な眼差しでロザリーに問いかけた。
「……犠牲者は3人だけではないかもしれない。なぜそう思ったか、お聞かせ願えますか。」
ロザリーは両手を膝の上でキュッと握った。
「はい。犠牲者は皆、銀貨を手にしていました。私たちは"銀貨事件"とも呼んできました。ですが、銀貨はロストフェル様がそうしていたように報酬として申し分ない貨幣です……。もしかしたら、その手から盗まれてしまった亡骸も……あったのではと。」
エメットはゆっくりと紅茶に口をつけ、カップを丁寧な所作で置いた。
「やはり、衣食足るというのは大事なのですね。」
「……なんか私、貶されてます?」
「褒められています。」
エメットは澄まし顔のまま、改めて口を開いた。
「可能性は無くもないでしょうね。実はまだ他にも犠牲者がいるという考えは、頭の片隅に置いておいた方がいいのは事実でしょう。」
「……先生、でも私思ったんですが、そんなのどうやって調べたらいいのかって……。」
「正にそこですね。もし実際に"銀貨事件"の犠牲者がいたとして、銀貨が高額なため第一発見者が抜き取ってしまったとしましょう。その場合、それはただの不幸な事件として処理され、私はおろか魔法鑑識すら通らない。」
「疑い出せば、王都の事件全てを調べなければいけなくなる……。」
「そういう事です。これまでの事件もここからの事件も、全てが捜査対象になります。それらを吟味するのは、不可能に近いでしょう。」
ロザリーはそこで脱力感を感じて、ため息をついた。
「……ですが、ミス・エイプリル。ここで大事な点がひとつ浮かび上がってきます。何だか分かりますか?」
「えっ……。」
エメットは淡く微笑んでいるように見えた。ロザリーは慌てて手帳をめくり、ページを行ったり来たりした。
「……。」
だが、これといってその質問に答えられるような話は、ロザリーには思い当たらなかった。ロザリーは悔しそうに答えた。
「……うー……分かりません!」
エメットは紅茶に再び口をつけ香気を味わうと、穏やかに語り始めた。
「ミス・エイプリルのご指摘の通り、銀貨は高価なものです。餞別としては最高格のものと言っていいでしょう。ところが、それゆえにここに"何故?"が生まれます。」
エメットはロザリーの目を涼しげに見つめた。
「なぜ犠牲者は銀貨を握っていたのでしょうか。そのような高額貨幣であれば、懐にしっかり入れて、なるべく人目に付かないようにするのが自然です。」
「……確かに。」
「……これは、一つの示唆を我々に与えてくれます。銀貨は犠牲者が持っていたのではなく、犯人が持たせたものなのではないかと。」
「犯人が……。」
ロザリーはそこで、一つの思いつきをぶつけてみる事にした。
「犯人からの……餞別、贈り物でしょうか。」
「そこはまだ分かりかねます。」
そう言ってエメットは立ち上がった。
「こういう時は、足を動かすのが鉄則です。準備はよろしいですか、ミス・エイプリル。」
「あっ、待ってください先生!」
ロザリーは自分のカップに注がれたままの紅茶を慌てて口に入れた。
「……あっちゃ!」
そして、その熱さに飛び上がった。
◆
ロザリーは急いで支度を整えて、ウィンター邸を飛び出した。先に街道に出ていたエメットは珍しく手帳を開き、考えを巡らせているところだった。エメットはロザリーに気づくと手帳を軽い手捌きで閉じ、くるりと踵を返した。
再び2人はベンの勤めていた郵便局の区画に赴き、今度は近くの露店の店主に声をかけた。
「すみません、ちょっとよろしいですか。私は王国の調査官で、彼女は補佐官です。この間、郵便配達員が刺殺された事件で捜査を行なっています。ご協力をお願いしたいのですが……。」
「……えっ! ……あ、いや……手伝うは手伝いますが……何でしょうか。」
平民にとっては、街中で騎士と従士の服装を着た者たちに話しかけられる事などそうそうないので、中年の男店主は一瞬固まってしまった。
「ありがとうございます。ここにお店を出されて、長いですか?」
「……5年ほどになりますね。」
「開店から閉店まで、どれくらい店を出しているんですか?」
「まあ、日の出過ぎから……昼頃までですかね。売ってるものが見ての通り、チーズなんでね。」
店棚には、小さい欠片から切り株のようなものまで、さまざまなチーズ塊が並んでいた。
「郵便屋はよく通りますか?」
「いや、あんまり記憶にないな、そう言われると。すぐそこに郵便局があるのは知ってるけど、こんな大通りは通らないんじゃないですか? 人出も多いし。」
「……。」
エメットはその言葉を、ゆっくり咀嚼しているようだった。
そこからは、平民街の店を虱潰しにするかのような泥臭い聞き込みが始まった。夕方の鐘の音が鳴るまで、隣りの区画と行ったり来たり、街路に至っては隅々まで目を配り、あらゆる平民に話を聞いた。
目ぼしい情報は何も得られず、日の入りを迎える時には郵便局の前で三度歩みを止めた。
「……先生、今日は……大変な一日でしたね。」
「ミス・エイプリル。今までの捜査が特殊だっただけで、本来の捜査とはこういうものですよ。」
そこで、ちょうど局長が郵便局に鍵をかけて帰宅するところに出くわした。
「あっ、局長! お疲れ様です!」
ロザリーは元気よく走り寄って、局長に声をかけた。
「おお! ご苦労様です!」
「退勤時にすみません、局長。」
エメットはゆっくりと歩きながら挨拶を返した。
「……いかがですか、何か……分かりましたか。」
「まだまだ調べなければならない事だらけです。」
局長は肩を落とした。
「……そうですか。よろしければ、また見かけたら声をかけていただけますか。あなた方が訪ねてきてくださると……忙しい毎日の中でも、彼を思い出す事ができる気がするんです。」
「……。」
「……。」
2人は、その言葉に優しさや寂しさが同居しているように聞こえた。
「……局長はこれからお帰りですか?」
ロザリーは空気を明るく変えようと、世間話に振り子を振った。
「いや……これは……お恥ずかしいのですが、明日は非番でして……。そんな時は、一杯呑んでから帰る事にしてるんです。かみさんには、内緒でお願いしますよ。」
局長は手で杯を作って飲むふりをして、笑った。
「素晴らしい習慣ではないですか。」
「そうだ。どうですか、お二人も! いい店を知ってるんですよ! 一杯だけお付き合い願えませんか?」
ロザリーとエメットは軽く顔を見合わせた、そして阿吽の呼吸で断る事にした。エメットが口を開く瞬間、局長が付け加えた。
「その店は酒というより料理がうまくてですな、ハーブを練り込んだ腸詰めが絶品でして!」
「行きましょう! 先生もほら!」
ロザリーは鼻息荒く、局長の側についた。
「……。」
エメットもこの時ばかりは、ロザリーの後を追ったのだった。
ロザリーと局長は食べ物の話ですっかり盛り上がり、いい料理があってこそ酒が進むとか、酒に銀貨数十枚払うやつの気がしれないとか、既に素面ではないかのような熱気で論を交わしていた。
エメットは一歩後ろを歩きながら、このとめどない空気を味わっていた。
だが、そこでエメットは一瞬歩みを止めた。そしてぐるりと景観を一瞥すると、またロザリーと局長に追いつくよう早足で歩き出した。
一行が進めば進むほど、エメットの顔には真剣さが溢れていった。そして、局長が行きつけの酒場に到着すると、彼の背筋はすっかり伸び切っていた。
「……ミス・エイプリル。」
「はい、なんでしょう先生!」
「我々はこの酒場に、見覚えがありますね?」
そこでロザリーはふと辺りを見回し、酒場の看板に目を止めた。
「あれ……ここ……もしかして。」
「……ベヌッチォさんが勤めていた酒場です。」
2人が立ち止まってしまったので、局長が心配そうに駆けつけてきた。
「どうしましたか、お二人とも。」
「あ、いえ! 実は……。」
「実は、前々から気になっていた酒場だったのです。局長は卓越した審美眼をお持ちのようですね。」
局長はすっかり色めきだって声を上げた。
「それはなんと奇遇な! そうでしたか!」
そして2人を手で招きながら、酒場に向かってゆっくり歩き出した。
「今日は私に持たせてください! この酒場ではね、貴族も平民も身分を忘れて飲むのがルールなんですよ。」
局長は少し寂しそうに微笑みながら2人の方を振り返った。
「ベンの奴も、よくこうして連れてきたんですよ。」
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