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第16話 ロストフェル子爵

 「お嬢様! 朝でございます! そろそろ起きてくださいませ!」

 ロザリーは慣れたベッドで目を覚ました。そしてむにゃむにゃと何らかの返事を返すと、マーガレットの足音はそのまま階段を降りて行ったようだった。

 落ちる瞼と闘いながら、ロザリーはクローゼットから従士服を取り出しもぞもぞと袖を通した。そして半分寝ながら髪に櫛を通し、あくびと共に部屋を出た。階段を降りると炊事場と客間にそれぞれマーガレットとエメットがいた。

 「……おはようございます。」

 「おはようございます、お嬢様!」

 「おはようございます、ミス・エイプリル。」

 ウィンター邸の日常がそこに戻ってきていた。ロザリーは炊事場のテーブルに座ると、頭をこくりこくりと傾けながらパンとチーズを頬張った。そして、朝食を終えると客間に移動した。

 「ミス・エイプリル。支度は手短に済ませてくださいね、今日の訪問先には特に失礼があってはいけません。」

 「はい……。」

 ロザリーは目をこすりながら聞いた。

 「今日はどちらへ行くんですか?」

 「ロストフェル子爵邸です。」


 ロザリーとエメットが玄関の扉を開くと、表には既に馬車が停まっていた。エメットは御者と少し言葉を交わし、行き先の確認を行なった。ロザリーは先に馬車に乗り込み、間をおかずにエメットも乗り込んだ。

 「先生。今日は馬車なんですね。」

 「はい。子爵は特に貴族文化を重んじられるお方。ご邸宅に歩きで参るわけにはいきません。」

 馬車が動き始めると、ロザリーは手帳を取り出した。

 「ロストフェル子爵はどのような方なのですか?」

 「そうですね……やはりこれも、家の説明からしましょうか。ロストフェル家は山岳都市にルーツを持つ歴史ある貴族家の一つです。」

 エメットは軽く目を瞑った。

 「運輸管理に長じた一家であり、物流で論功を上げました。戦功でもなく、普請功でもない、中々に異例の実績を上げた事で有名です。」

 「普請功……。」

 「道や建築物の工事請負で褒められるという事です。」

 「なるほど……。」

 ロザリーはそこでふと少し気になって、尋ねた。

 「ロストフェル邸は……王都でしょうか?」

 「はい。さらに言うと、歩きで10分程度の区画です。」

 ロザリーは自分の座っている馬車を一瞬見下ろした。それに気づいたエメットが、言葉を付け加えた。

 「……貴族にまだまだ威厳を求める方も多いという事ですよ。」


 ◆


 馬車は貴族街を往く。閑静な邸宅の並びを優雅に歩き、そのうち徐々に歩みを緩めて停車した。御者から到着を告げられると、エメットに次いでロザリーは馬車から降りた。拍子抜けしてしまうような乗車時間だった。

 そこは、ロストフェル家の邸宅前。ロータリーのように円環を描く私道だった。ロザリーは敷地をひと眺めすると、背丈の高い植木の向こう側に庭園が見えた。東屋には蔦がからまっており、池は泥水で少し濁っているようだった。

 すると、人気を感じ取ったのか使用人が屋敷からゆっくりと姿を現した。黒髪を後ろにきっちりと流し、単眼鏡(モノクル)をかけた痩せ型の男である。

 「お待ちしておりました。ウィンター男爵、エイプリル補佐官。どうぞこちらへ。」

 邸宅の扉がまず半分。そして使用人はもう半分も開き、ロザリー達を迎え入れた。


 ロストフェル邸に入ると、天井の高さが目に飛び込んできた。大きめのエントランスホールには甲冑や絵画が飾られ、いかにも貴族のお手本のような誂えだった。

 使用人は都度後ろを気にしながら、2人を案内し出した。

 「本日はお越しいただき、ありがとうございます。子爵は病を得るまではご来客と楽しまれるひと時を何よりの楽しみとされておられましたから、こうして外の空気を持ってきていただける事は、侍従として大変嬉しく思います。」

 使用人は背も高く、エメットより額一枚分くらいな頭が飛び出ていた。

 「……ここで働いて長いのですか? ……ええと、あ、申し訳ない。お名前を。」

 エメットが探り探り尋ねると、使用人ははっきりと静かな物言いで答えた。

 「パスカルでございます。かれこれ20年は勤めております。」

 使用人のパスカルは、1、2歩先に進んで、振り返って深々とお辞儀をした。そしてくるりと身を返すと、また廊下を歩き始めた。

 窓から中庭を覗きながら少し進むと、一際大きな扉が目の前に現れた。パスカルはその重厚な扉を少し強くノックし、大きめの声で部屋の中に声をかけた。

 「ご主人様! ウィンター男爵と補佐官をお連れしました!」

 「……おお、おお! どうぞ入ってくれ!」

 扉の向こうから、しわがれた声が答えた。パスカルはノブを両手で握りしめ、腰を入れて開いた。

 エメット達が部屋に入ると、正面を大きな鹿の剥製が出迎えた。上質なタペストリー、絵画、大きい暖炉、敷き詰められた細かい模様の絨毯。調度品は絢爛ではないものの、豪華なものである事は一目で見てとれた。

 「ウィンター男爵……お会いしたかった。さあどうぞ、どうぞお座りを。」

 椅子に座ったままの白髪の老人は喜びを抑えきれないといった声だった。枯れ枝のような指で客用の椅子を示し、歓迎の意を表していた。

 「ジャック・ロストフェルです。座ったままで申し訳ない。」

 ジャックは座りながら、軽く頭を下げた。

 「エメット・ウィンターでございます。この度のご快諾、改めて感謝申し上げます。」

 「なぁに、もう鬼籍に入りかけた老人など……こうして訪ねてくれる客人も久しい。断る理由などありません。」

 エメットの挨拶から一呼吸あって、ロザリーもお辞儀をした。

 「ロザリー・エイプリルです。調査官補佐をさせていただいています!」

 その挨拶を聞いたロストフェルは、空中を指でなぞりながら慎重に言葉を発した。

 「エイプリル……エイプリルと仰ったかな?」

 「……はい。ロザリー・エイプリルでございます。」

 ロザリーは微かに躊躇いつつ、再びお辞儀を行なった。

 「もしや、ベリーヒルズ領伯……エイプリル様のご令嬢でらっしゃいますかな……?」

 「……はい。今はベリーヒルズから離れておりますが……そのエイプリル家の者で間違いありません。」

 ロザリーは儚げな目で答えた。

 「いやいやこれは! 伯爵は聡明で有名なお方! まさかそのご令嬢が、特任調査をされておられるとは……いやはや、もはや我々老人達の時代は完全に終わりましたな……!」

 エメットはそこで、丁寧に話を切り落とした。

 「ロストフェル様。本日は正にその、時代の変わり目という話を伺いに参ったのです。」


 ◆


 そこからの話は取り留めなく続いた。ほとんど全ての話はロストフェルの思い出を一方的に聞くだけのもので、およそ事件には関わりのないものだった。

 ところが、ロストフェルの口ぶりには、違和感を覚えるものがいくつかあった。


 「男爵、私の自慢の庭園は見ていただけましたかな!」

 ロザリーとエメットは、木が伸び放題になっている泥水の庭園を思い浮かべた。その場はなんとか話を合わせたが、そのような話が2度3度続いた事はロザリーのペンを鈍らせた。

 一通りの話をし終え、ロストフェルが同じ話を何回か続けたところでエメットは丁重に挨拶をし、彼に別れを告げた。

 「久しぶりに社交界の風を感じられました……近くにお立寄りの際には、またぜひ顔を見せてください。」

 エメットとロザリーはロストフェルと固い握手を交わし、席を立った。そしてロストフェルは懐から財布を取り出し、銀貨を1枚、パスカルに見せた。


 「ベヌッチォに、お二方を丁重にお送りするよう申しつけておいてくれ。」


 パスカルと2人は客間を出て、廊下を無言のまま歩いた。

 不気味な静けさを纏ったままエントランスまで辿り着くと、エメットは元来た客間の方角を一瞥し、そしてパスカルに重く鋭い声で尋ねた。

 「……パスカルさん。事情を説明願えますか。」

 「……はい。」

 ロザリーも、この異常事態に固唾を飲んでいた。

 パスカルは遠く離れた主人を気遣うかのように、落ち着いた声で話し始めた。

 「ご主人様は……もはや記憶が混乱しており、本来は会話ができる状態ではありません。お屋敷の事も全く把握しておらず、どこに何があって、何人働いているのか……ご自身の財産すらも分かっておりません。」

 「……そこを貴方が1人で管理されている。」

 「はい。その通りです。」

 そこで、ロザリーはハッと気づいた。ここまでの大邸宅なのに、パスカル以外の人影がないのだ。人の声すらしない。よく見れば、燭台からは軒並み蝋燭が外されている。

 「ご主人様は古き良き貴族文化を愛しておられます。ですが跡取りもおらず、事業も衰退した当家にはそれを味わうだけの余裕などありません。」

 「そこで貴方は、自分以外の使用人に暇を出した。」

 「ご明察の通りです。こうして銀貨一枚すら、私がもういない使用人に渡した事にし、ご主人様の財布にこっそり戻している有様です。」

 「……その銀貨、手に取ってもよろしいですか。」

 ロザリーは、パスカルから受け取った銀貨を手の中で眺めるエメットの横顔を見た。それはいつも通りの表情に見えたが、より一層の真剣さが感じられる様子だった。

 エメットが銀貨を返すと、パスカルはしっかり握りしめて懐にしまった。

 「私は、ご主人様の最期までお側にいるつもりです。あの方が愛された景色は、私が守ります。たとえ蛇蝎の如く忌み嫌われる結末を……迎えようとも。」


 パスカルの覚悟の言葉が、ホールにぐわんと響いた。


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