第15話 不変の事実
ホフシェダットに着いてから、早くも1週間ほどが経とうとしていた。あれ以来マルコはすっかりエメットを慕うようになり、事あるごとに捜査に協力しようと声をかけてきた。
ロザリーは眠い目をこすりながら自室から出て、炊事場に用意されている自分用の朝食をとる。そして顔を洗い髪に櫛を通し、従士服に着替える。そんな朝は、もはや日常になりかけていた。
その日はマルコが非番だというのでどうしても剣の稽古をつけて欲しいと話があり、エメットは兵舎の訓練所に赴く事になっていたので、ロザリーも一足遅れて向かう事にした。
大通りに一旦出て、坂を登る。子供達が元気よく坂を走り下っていくのをすれ違いながら、ロザリーは改めてこの町の活気を実感した。と、同時に、この町の行政を司っているドゥイシェルの顔と会食の事が思い出されて、ロザリーは取り留めなくあれこれ考えを巡らせた。
街の出口近く、馬車の停留所の向かいに兵舎があった。既に木剣の打ち合う音が鳴り響いていたので、門衛に挨拶を通すとロザリーはその音を追って建物の裏手へ向かった。
「……!」
ロザリーは息を呑んだ。兵舎の裏手は訓練場になっており、そこではエメットとマルコが木剣で練習試合を行っていた。遠目に兵士が5〜6人見守っているが、試合はあからさまに一方的であったからだった。
「ハッ……ハアッ! ……くっ!」
「……。」
マルコは全力でエメットに打ち込むが、その攻撃は全て躱されるかいなされていた。しまいには、振り下ろした力を逆に利用されて体勢を崩され地面に転がされていた。
「……はぁっ! まい……参りました!」
その瞬間、見守っていた兵士たちから拍手が上がった。やれ次はお前が揉んでもらえだの、王都の騎士はレベルが違うだの、隊長でも伍して組めるかどうかなどと感嘆の声を並べていた。
「……マルコさん。なかなか筋がいいですが、やや前のめりに力みすぎです。」
「……はぁ……はぁ……はひ。」
エメットは仰向けになったマルコに近寄りながら、木剣を腰に差し直した。
「正直に打ち込むだけでなく、フェイントを混ぜないと相手は動いてくれません。ただ、貴方の場合は却って突進を磨いたほうが性に合っているかもしれませんね。」
エメットはマルコの手を取って、ぐいと引っ張って立たせた。
「つまり、どっちつかずでは貴方の良さが出ないと言えるでしょう。」
そして、肩を叩いて健闘を称えた。
「先輩……! ありがとうございました! 一から鍛え直します!」
マルコは汗だくになりながら、見守る兵士たちの方へふらふらと歩いて行った。
「早いですね、ミス・エイプリル。」
エメットは軽く額の汗を拭きながら、ロザリーの元へ歩み寄った。
「……先生、剣もできるんですね。」
「これもやっているだけ……と言いたいところですが、剣術ばかりは父にとことん叩き込まれましたからね。お前は騎士として、託されるべき責務があるのだからと。」
そして、木柵にかけられたカバンに手布をしまって肩にかけた。
そこへマルコが走り寄ってきて、改めてエメットに元気よく礼をした。
「先輩! 今日は本当にありがとうございました! またお立ち寄りの際には、稽古をつけていただけますか?」
「ええ、もちろん。私も久しぶりにいい汗をかきました。次までに、貴方なりに課題に取り組んでみてください。」
「はい!」
そしてマルコはロザリーに気付き、ふと、エメットに質問した。
「補佐官も、剣はお手のものなんですか?」
エメットは軽く首を横に振った。
「私とミス・エイプリルを比べないでください。それはさすがに月とすっぽんです。」
「すっぽんで悪かったですね!」
エメットはきょとんとし、マルコはバツが悪そうに微笑んだ。
◆
ホフシェダットからは明日の朝に引き揚げると、ロザリーは帰り道に告げられた。
事務所に戻ると、せわしなく動く事務員たちを横目に2人はそれぞれの部屋に入った。
ロザリーが部屋で私物をまとめていると、エメットとマルコの稽古が頭の中にふわふわと湧き上がってきた。
楽しそうなエメットの顔、気さくに励ました右手。化粧台の鏡が目に入ると、なんだか自分が際立って未熟なように感じられてしまい、ロザリーは少し寂しさを感じてしまった。
ロザリーはまた無意識に羽箒を触っていた。そしてぎゅっと目を瞑って自分の頬を挟んで叩くと、すぐに気分を立て直した。
(……すっぽんらしく、どこまでも食らいついてやる!)
荷物の整理と部屋の掃除を終えた二人は、平服に着替え夕方の港町へ繰り出した。
エメットは素朴な上下。ロザリーは落ち着いた色のワンピースドレスに身を包んでいた。
夕日を浴びながら、2人は大通りから一本入った横道を登る。途中でロザリーは、エメットの背中に声をかけた。
「……先生?」
「はい。何でしょうか。」
「ドゥイ……あっ、例の開拓船。やはり噂は本当なのでしょうか。」
エメットは一瞬だけ間を置いて、ゆっくり語り始めた。
「確たる証拠があるわけではありませんが、それを疑う事のできる傍証はいくつかあるでしょうね。」
ロザリーは夕日に赤く染まる雲を見上げながら、話を続けた。
「開拓団というのは、そんなに夢のある話なのでしょうか。」
「そうですね……私も詳しい訳ではないのですが、経済の中心が王都から北の都に移って久しい今日では、王国内にもどかしい閉塞感が漂っている事は間違いないでしょう。そこへ、今まで隔絶されていた東方大陸への本格的な移住話や開拓の計画が出てくる事は、至極自然の事のように思われます。」
「……貴族の世界というのは、もうお役御免なのでしょうか。」
エメットは横目にロザリーを振り返って、語りかけた。
「貴族の世界、とすれば……確かにそうなっていくのかもしれませんね。ただ、ミス・エイプリル。これだけは覚えておいてください。」
そしてふと立ち止まり、体を正面にして凛と告げた。
「貴女がこの世界から必要とされなくなる訳ではない。それは不変の事実です。」
ロザリーにはエメットのその声が、いつもより少しだけ優しいように思われた。
2人は道の奥、港を一望できるレストランに着いた。エメットが給仕係に話を通すと、ほどなく席に案内された。そこは潮風を感じられるテラス席であった。
ロザリーは夕日が滲む海面を見渡しながら、思わずため息をついた。そして、エメットが引いた椅子に座った。
「ミス・エイプリル。魚料理は白身と手長海老のどちらかから選べるそうです。貴女の鋭敏な嗅覚はどちらを指していますか。」
「……そうですね……海老をいただけますか?」
ロザリーはふっと笑いながら答えた。従士服は良くも悪くも緊張と共に着るものなのだろうと、そこで不意に気付いたのである。今ここに座っているのは、ただの海老好きのロザリーなのだと。
「葡萄酒はどうしましょう。そのままですと、もちろん白と赤が一杯ずつですが……。」
「はい。そのままお願いします。」
エメットは軽く頷き、給仕係にそれらを伝えた。給仕係は微笑んで頷くと、颯爽と厨房へ戻って行った。
「……今、王国のあちこちではこんな店が増えているそうです。今までは貴族だけが楽しんでいた料理を、平民相手にも出している。どう感じますか、ミス・エイプリル。」
エメットは微笑みながらそう言った。ここまでの道で交わした話に、そのまま呼応しているような質問だった。
「……素敵だと思います。うまく言えないんですが。」
「……奇遇ですね。私もです。」
ロザリーとエメットは、揃って海に視線を移した。
給仕係が一足早くテーブルを訪ね、照明用のランタンに火をつけた。そして白葡萄酒をグラスに注ぐと、2人は静かに乾杯した。
◆
次の日の朝。ロザリーとエメットはそれぞれの制服に着替え、物流事務所の所長に丁寧に挨拶を終えた。
大通りを登り、馬車の停留所を目指す。その途中で小物屋に目をつけたロザリーは店先に走り寄り、碇の形のチャームを1つ買う事にした。
「思い出作りですか。」
「……そうかもしれません。何となくです!」
ロザリーはチャームを上着の内側にしまうと、エメットの後を追った。そして既に準備が済んでいる馬車が目に飛び込んできた。その傍らにはマルコがいる。
「あっ! 先輩! お疲れ様です!」
マルコは走り寄ると、エメットに向かって両手を差し出す。荷物を持ちます、という意味だったのだろう。エメットは彼に自分の荷物を預けて、ロザリーの荷物はそのまま自身の手で馬車に積んだ。
「マルコさん。落ち着いたら手紙を出します。」
「ありがとうございます! 色々先輩にはお話ししたい事があって……俺、嬉しいです!」
エメットと硬い握手をしたマルコは、ロザリーにも手を差し出した。
「補佐官からも、先輩をよろしくお願いします!」
「……はい。」
ロザリーは猫の目のようにマルコをジロリとみて、彼女にしてはかなり力強く握手を返した。
2人が乗り込むと、馬車はすぐに出発した。視界から完全に消えるまで、マルコは元気よく手を振り続けていたのであった。
馬車が街道を本格的に走り出すと、おもむろにエメットが切り出した。
「ミス・エイプリル。魔法留学を考えていたベンさんの事ですが。」
「……ええ、はい。郵便屋のベンさんですね!」
ロザリーは手帳に手を伸ばしかけたが、瞬間、頭の中に郵便局長の寂しそうな顔が浮かび、ベンの事を思い出した。
「……稽古中にマルコさんに聞いた話なのですが、来年にも王都に魔法学校が創立されるそうです。彼がこの話を聞いていた可能性がありますが、この話題は私も盲点でした。」
「魔法学校……ですか。あれ、前から学校ってありませんでしたっけ?」
「魔法アカデミーとそれに類する学術施設、研究施設はありますね。ここで大事なのは、貴族や神官などの上流階級のための学校という点です。」
ロザリーは目を一旦空中に泳がせ、改めてエメットを見つめながら聞いた。
「つまり……新たに創立するのは、平民用の魔法学校という事ですか?」
「そうです。そして大事なのは、王立ではないという事です。」
ロザリーはエメットの言い方に、霞がかかり出した事を聞き逃さなかった。
「……どなたが……創立者なのでしょうか、先生。」
エメットは息を整えて、告げた。
「シモン・ドゥイシェルです。」
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