第14話 もうひとり
ロザリーは再び自室を出て、エメットの部屋前に立った。手に白い羽箒を持って。そしてそれを優雅な手捌きで振り、魔力の鱗粉を空気中に漂わせた。
「……。」
光の粒が緩やかに床に落ちると、そこで強い光の筋が一本浮かび上がった。
「……出た!」
ロザリーは光の筋を辿り、その先の部屋で再び足跡の魔法を使った。強い光の筋を追い、その先の廊下でまた魔法を使う。それを繰り返していると、炊事場にたどり着いた。
「……やっぱりついさっきまでここにいたんだ……!」
炊事場で足跡の魔法を使うと、光の筋は別の部屋に向かっていた。ロザリーは早足でそれを追う。すると、軌跡は細い廊下を通ってロザリーの部屋に繋がっていた。
そこでロザリーに考えが巡り、彼女はふと気がついた。
「あれ……? この足跡って……私のもの?」
ロザリーは頭を乱暴にかきむしった。
「ぐわあああ!! アホか私は!!!」
ロザリーはそこではっと、ベヌッチォの部屋に行った時の景色を思い出した。確かにあの時、エメットは部屋の入り口で立ち止まって魔法をかけた。あれは、より強い足跡で部屋の中が上書きされてしまう事を防いでいたのだと、やっと理解できたのである。
ロザリーは大きくため息をついて、項垂れながら事務所の入り口に向かった。エントランスに着いたところで、入り口のドアがガチャガチャと音を立てて開いた。
「おや、ミス・エイプリル。身支度はお済ませのようですね。」
エメットはぎっしり食材の詰まった買い物カゴを抱えていた。
「……買い物かい。」
◆
エプロンをつけ袖捲りをしたエメットは、てきぱきとコンロに火を入れ始めた。そしてさっとパンを炙って、皿に乗せた。
炊事場のテーブルにそのまま座ったロザリーは、その皿を引き寄せるとちぎって食べ始めた。
「……先生って料理もできるんですね。」
「できませんよ。やっているだけです。」
そう言いながらベーコンをフライパンに落とし、適度にゆすって油を滲み出させると卵をそこに割り入れた。
「貴女も、その懇々と立ち上る湧水のような食への好奇心を満たせるように、料理の練習をされると良いのでは。」
エメットは脇目も振らずに淡々と声をかけた。
「……検討しておきます!」
ロザリーはパンを食べ切って、空いた皿を横にどけた。
二人がひとしきり朝食をとり終えると、ロザリーは紅茶をゆっくり飲んでいるエメットにおもむろに尋ねた。
「そういえば、先生。食材って買い忘れてたんでしたっけ。朝に買い物行かれてましたよね。」
エメットは不思議そうな顔をして、少し考え込んでしまった。そして、紅茶を飲み干すと立ち上がり、食器を下げ始めた。
「……一つ、貴女の特技を垣間見た気がします。」
エメットは自室に引き上げていった。
「……どういう事?」
ロザリーは眉間に眉を寄せて、テーブルの上に頬杖をついた。
騎士服に着替えたエメットが戻ってくると、2人は事務所を出た。潮風がふわっとロザリーの横を通り過ぎた。気持ちの良い快晴であった。これが自由気ままなバカンスだったら、という思いが一瞬よぎるほどの日和だった。
「……今日も港に行きます。万が一、この間の手合いがいたら”たっぷり念入りに"話をつける事にしましょう。」
ロザリーは海に落ちた酔っぱらいを思い出し、可哀想だったかなと思いつつふっと微笑んだ。
2人は下り坂をゆっくり降りていきながら、街並みに視線を寄せた。そこでは花屋に色とりどりの花が並び、雑貨屋にもさまざまな道具が並んでいた。行き交う人々の服装も、時々目を引くような色やデザインの物が見られた。
「……おしゃれな町ですよね。」
「今日は正にその部分の捜査と言えるでしょう。局長から物流船に関する立ち入り捜査許可をもらっていますので、積荷を洗います。」
「はい!」
ロザリーは元気よく答えた。港には、昨日のものとはまた違った顔ぶれの帆船が並んで停泊していた。
◆
一隻目は、貨物船だった。布や糸といった裁縫材、鉄片や銅片などの金属材、割れた瓶やガラス片などの雑材が木箱にぎっしりと詰め込まれていた。船長の申告によれば、これは王都まで運ばれてそれぞれの職人ギルドへ納品されるものだという事だった。
二隻目は、酒船だった。白葡萄酒と赤葡萄酒の酒樽が船室にずらりと並び、これも王都へ回すためのものであるとの事だった。船員たちは口々に、今回の船は荒波を乗り越えたから酒もよく揉まれて旨くなっているだろう、とうそぶいていた。
三隻目は、施薬院への納品業者の船だった。エメットは船員づてに船長を捕まえると、船長は辺りを気にしながらおずおずと答えた。
「……いえ、あの。男爵様に背くわけじゃないんですが……そ、その。」
「特任調査官の捜査は、王国の勅令です。これに従わない場合は……。」
「わ、わかりました! わかっております!」
船長はひどく困った様子で、甲板を行ったり来たりした。
「はい……この船の積荷ですよね。この船は、主に乾物の食料や果物を運んでおりました。それと、衣服や毛布など……日用品ですね。あとは、中古の農具なんかも。」
「……初回ではないのでしょうか。」
「私自身は初回ですが、何隻かは動いているようです……。私も、この1ヶ月くらいでもらった仕事でして……。」
船長はしきりに港の方を気にしていた。遠巻きではあるが、数人の船員がその様子を心配そうに眺めている。
と、そこへ、町の警備兵が駆けつけてきた。板梯子を乱暴に走り登ると、勢いそのままに甲板まで走り込んだ。警備兵は肩で息をしながら、よく通る声でエメットに詰問した。
「……ハァハァ……ちょっと! 困りますよ、勝手に船に乗り込まれちゃ!」
その後ろから、この船の船員らしき男が追いかけてきていた。どうやらその男が警備兵を呼びに走り、こうして船に戻ってきたという事らしい。
「……。」
エメットはちらりと警備兵を見て、構わず船長に話しかけようとした。だが、そこを警備兵の元気良い声が寸断した。
「はいはい! まず、あなた! お名前教えてください、どなたですか! この帆船はですね、ガダルマ商船組合の持ち物なんですから……船員以外の許可がない人間は、立ち入り禁止ですよ!」
「……エメット・ウィンターです。」
「……ロザリー・エイプリルです。」
「エメットさんと……ロザリーさんね……。」
船員も、警備兵のその雰囲気に飲まれていた。
「えー記録は私、マルコ・ゼットーリオがつけます。時刻は昼の点鐘前。天候は晴天で……。」
「……警備兵としての状況記録には、連署をするべき王国認可の立会人が必要ではないですか、マルコさん。」
「……えっ! いや……まあ、そうなんですが……ど、どういう事ですか。」
警備兵のマルコは動揺して、少しエメットから距離をとった。
「……マルコさん。もうお一人はどこですか?」
「も……もうひとり……。」
マルコはたじろぎ、顔が引き攣ってしまった。ロザリーと船員は状況が飲み込めず、頭の中に疑問符が浮かんでしまっていた。
「……王国内の都市警備兵に限らず、治安の維持保全及び改善に努める実行力をもった武官においては、現場にてその職務を行う際には必ず2名以上の人員をもって公的効力の保証を行う義務を負うものとする。そうですよね、マルコさん?」
「……。」
マルコはすっかり沈黙してしまい、額に脂汗を滲ませていた。
「……私がその”2人目"を担当いたしましょう。申し遅れましたが、王立諮問院特任調査官エメット・ウィンターと申します。爵位は、男爵を拝しております。」
◆
「先輩! あと俺は何をしましょうか!」
ロザリーと船員たちは、完全に沈黙を守っていた。警備兵のマルコはものの数分も経たないうちに、すっかりエメットに懐いていたからである。その様子は、まるで骨を与えられた子犬に等しいものであった。
「そうですね……。あらかた捜査はし終えましたから、失礼をしましょうか。停泊中とはいえ、帆船は多忙ですから。」
「はい!」
マルコは嬉しそうに吠えた。エメットは気にせず、淡々と略礼を済ませ始めた。
「船長。ご多忙のところご協力をありがとうございました。」
「い、いえ……ご公務ですから。また、何かあれば……。」
そしてすっかり立ち位置を変えたマルコは、腰を直角に曲げるほど一礼した。
「ありがとうございました!!」
エメットとそれをぴったり追うようにマルコが下船すると、ロザリーはそこではっと我に帰り、走りだした。
「あ、ありがとうございました!!!」
エメットを筆頭に、不思議な一行となってしまった3人組は埠頭を賑やかに歩き出した。
その様子を、高台の馬車が見下ろしていた。
港を一望する眺望を眼下にした、その黒塗りの馬車の窓から見えるのは老人の鋭い眼光だった。帆船の一部始終を見るには困難な距離ではあったが、その視線は明らかにエメットたちを捉えていた。ドゥイシェルである。
「……。」
ドゥイシェルが手で合図をすると、馬車はゆっくりと市外を目指した。
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