第11話 軽薄な噂
王都から、公用馬車が走り出た。まだ鳥の囀りも聞こえない早朝にあって、王都から雄大に伸びる石橋には蹄と車輪の音が心地よく響き渡っていた。橋の下には大きな川が流れており、そのせせらぎは雑念をそそぎ払ってくれるかのような清らかさであった。
「……先生、私、ホフシェダットは初めてです!」
「そうですか。物流の要衝でもありますから、非常に賑やかな町ですよ。」
エメットは本をめくりながら答えた。
「賑やかさで言えば、貴女にも勝るとも劣らない程かと。」
ロザリーはジトっとエメットを睨みつけた。
「……褒めてくれてるんですよね。」
「? はい。」
ロザリーは窓の外に視線を移した。外には色めいた小麦畑が広がり、点々とカカシだけが姿を見せていた。
「……ドゥイシェル様とは、どんな方なんですか。」
エメットは本をめくる手を止め、ロザリーを軽く見つめた。そして視線を窓の外に向けながら話し始めた。
「ドゥイシェル様は、いえ、ここではドゥイシェル家と言いましょう。この家は、元々は高位の神官家というわけではありませんでした。」
エメットは膝の上に本を閉じ、その上から両手を組んで重ねた。
「ドゥイシェル家が一躍有名になったのは……先代の雇用改革による所が大きいでしょうね。」
「雇用改革……?」
「王国の政治も都市の自治も、詰まるところは書類の山をどう片付けるかという事に最大の苦心をします。そのため、下級貴族たちは指先にインクが滲むほどの激務を任されてきた歴史があります。」
エメットはロザリーに視線を送った。
「そこで、先代のドゥイシェル家当主は施薬院の貧民たちに徹底的に教育を施しました。文字を、叩き込んだのです。」
「文字……ですか。」
エメットは持っている本を片手で少し上げた。
「極めて高い識字率を誇ったドゥイシェル家肝入りの貧民たちは、聖典の写本作りから市政の書類作成まで、活躍の場を広げていきました。正に革命です。下級貴族より安く済む労働力が大量に投入されたのですから。」
「はぁ……なるほど。頭良いですね。」
エメットは本を横に置いた。
「本来はここで、仕事が奪われた下級貴族の反感を買いそうなものですが、先代当主はそこでもう一つの事業を始めました。学校です。」
「……学校……ですか?」
「ええ。下級貴族が昇進をするための試験……その受験勉強を教える学校です。」
「えっ! 凄い! ……でも、なんかまんまと手の中で転がされているような……。」
「それは見方によると思いますが……ともあれドゥイシェル家がここで事業家として全盛を極めたのは確かですね。そして当代のシモン・ドゥイシェルは、その学校で教鞭を取っていた頭の良い方でした。」
ロザリーは大きく息を吐いた。
「……なんだか、壮大な話ですね。」
「人を見抜き、導き、良き労働を与える。そしてそれによって経済まで回す。少なくともその功績は、非常に高い評価を受けている事はまごう事なき事実です。」
ロザリーは再び窓の外を見た。
「……その名誉ある方が、王都の貧民に声をかけた。」
馬車はその間も、まっすぐ走り続けていた。
◆
その後も2人の旅程は続き、宿場に泊まりながら進む事2週間ほど。
ホフシェダットへの到着は昼頃だった。見事な大門を抜けると、途端に馬車の中にも潮風が飛び込んできた。その香りに当てられてロザリーが顔を出すと、そこには赤煉瓦の家が軒を連ね、鉄柵と花壇がずらりと並ぶ街路がまっすぐ海まで伸びていた。
「うわあ……綺麗!」
馬車はそのまま道を外れて公用厩舎に入り、2人はそこで下車した。
ロザリーは小走りに大通りに戻って、先ほどの眺めを再び味わった。視界には海と花とが広がっていた。
「すごい眺めですね、何かのお祭りでもやっているんでしょうか。」
「私も祝祭には疎いですが……この時期は何も催されてはいないんじゃないかと。」
エメットも、家々に目を配った。
「さしずめ、民家がここまで綺麗だという事は、この町の色んな事が上手く回っている……という事なのかもしれません。」
ロザリーは、そのエメットの声に心なしか微かな解放感があったように感じられた。
この時ばかりはロザリーが先を進み、2人分の荷物を軽々と持ったエメットがその背中を追って、一路、宿を目指した。
しばらく街並みを進んだ2人は、港の物流を管理する事務所に辿り着いた。
「……先生? まさか宿というのは。」
「まさか、が何を示しているのかは分かりませんが……少しの間、ここにお邪魔させていただく事になっています。」
「……。」
エメットはロザリーの沈黙に差し込むように言葉を重ねた。
「王立諮問院特任調査官とは……。」
「いわゆる下っ端! ですよね! 覚えてますよ!」
ぷんぷんと怒りながら、ロザリーは事務所のドアをノックした。
事務員の案内で中に通された2人は、すぐに奥の間に通された。書類や資料が壁一面に収納された小部屋に、すぐ事務所長が訪れた。
「いや、男爵! 大変お待たせしました! お部屋はご用意してございます、さ、どうぞこちらへ……。」
白髪の混じった小柄な所長の案内で、2人は事務所奥の小部屋に通された。ロザリーに一室、エメットに一室である。ロザリーがふとエメットの部屋を覗くと、気持ち広めで窓のある部屋だった。
「……。」
ロザリーは羨ましげに自分のあてがわれた部屋と見比べた。
「……貴女は熟睡の名手なのですから、集中できる窓のない部屋の方が良いかと。」
「なっ! 何にも言ってないじゃないですかっ……!」
ロザリーは恥ずかしさを押し隠すようにエメットから荷物を受け取り、自分の部屋に無造作に置いた。一部始終を見ていた所長が、申し訳なさそうに言葉を付け加えた。
「すみません。紳士淑女のお二方にこんな部屋を……。」
「いえ、お気遣い感謝します所長。我々には過ぎた部屋です。」
エメットはそう言うと、自分の荷物を部屋に丁寧に置いた。
「では、これがそれぞれのお部屋の鍵です。くれぐれもお無くしになりませんよう。もしもの時はすぐおっしゃって下さい。事務所自体の鍵は、男爵にも一本お渡ししておきます。ええと後は……あ、そうだ。土日は事務所に誰もいなくなりますので、ご入用の際はお早めにお申し付けください。」
「分かりました。何から何まですみません。」
エメットは早速自分の部屋に鍵をかけた。ロザリーもそれを真似るように、自室を施錠した。
「後は炊事場や、湯浴み場などをご案内しましょうか。」
2人はその後、事務所の設備や一通りの部屋を見て回った。その間も、表の事務所からは慌ただしい話し声や、どたばたとドアが開閉する音が聞こえてきた。
事務所を一周したあたりで、エメットは所長に尋ねた。
「……所長、いつもこんなにご多忙なのですか?」
「まあ、そうですね。王国の物流がすっかり変わりましたから、大忙しです。この前も交易船の立ち会いを行ったのですが、見た事もない果実が木箱にぎっしり入っていましてね。これは何だと聞いたら、船員たちなんて言ったと思います?」
エメットは微笑みながら首を振った。
「見当もつきません。」
「船員たちはね、口を揃えて"知らない。俺たちは運べと言われただけだから。"ですよ! そりゃまあ、ちょっと考えればそうなんですがね!」
所長は廊下を先行しながら、大笑いした。
「いやしかしね。一段と最近は忙しなくなりましたよ、この港町にもうひと事業起こそうという動きがあるらしく、しきりに新しい書類がウチの事務所にも届きますからね。」
そこで、エメットの目には鋭さを帯びた。
「ひと事業……ですか。」
「そう! 何やら中身は分からんのですが、町の富豪や権力者連中がこぞって人を集めているようでしてな!」
エメットとロザリーは思わず目を合わせた。
所長は嬉しそうな顔で、わざとらしく手を添えて内緒話をするかのようなジェスチャーをとった。
「軽薄な噂では、各地の貧民連中にまで布告を打って人集めをしているそうですよ!」
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