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第10話 消えていく銀貨

 ロザリーとエメットは、王都の西部大神殿を訪れていた。都に二つ鎮座する大神殿のうちの片割れであり、行政、総務、雑務を回している公的機関でもある。

 エメットを先頭に、その大神殿の大廊下を二人は闊歩していた。石壁にはかけ布や照明がかけられ、廊下は絢爛な絨毯がまっすぐ走っていた。案内役の神官が、横目にエメットへ話しかけた。

 「男爵がお越しになるとは……やはり一連の事件は、一筋縄ではいかない代物でございますか。」

 「ええ、まさしく。あらゆるものを疑い、あらゆる書類をひっくり返す必要がありそうです。」

 ロザリーは初めて見る光景に萎縮しつつも、エメットにおずおずと聞いた。

 「……特任調査官って、こんなとこまで入れるんですか?」

 「元を正すと、乱れた市政などを検分し報告するため国難の際に創られた役職ですからね。」

 二人は神官に先導され、書庫に通された。夥しい数の書籍が床から天井までを埋め尽くし、そういった本の壁がずっと奥まで続いていた。

 「書類をひとしきり取って参りますので、お二方はどうぞお座りを。」

 エメットは大きな共用机の角の椅子を一つ引き、ロザリーを座らせた。そして自分は、同じ角の別の椅子に座った。

 「……ここに、ドゥイシェル……さんの手掛かりがあるんですか、先生?」

 「ドゥイシェルは、シモン・ドゥイシェルと言います。複数の教区を束ねているので、司祭長もしくは教区長になりますね。ざっと、猊下(げいか)とお呼びしても良いかと思います。」

 「な……なるほど?」

 エメットは少しテーブルに目を留めた。

 「家名が非常に有名な方ですし、貴族や神官階級に対して、先入観ない無垢な視野をお持ちの貴女からは、ドゥイシェル様でよろしいかと。」

 「……お心遣い感謝いたしますわ!」

 そこまでの応酬があったところで、神官が書類の束を持ってきた。

 「お待たせしました。こちらが王都で今年行われた慈善事業、奉仕事業の報告書です。検分いただいている間に、過年度の物を揃えて参りますね。」

 書類が置かれると、その重みで重厚な木机が少し揺れた。

 「ありがとうございます。では、ミス・エイプリルはこちらを。私はその他に目を通します。」

 ロザリーはその山の高さに圧倒されてしまった。だが、自分の山の2倍はあろうかという書類の束をエメットが持っていったので、文句の言い出しようも無かった。

 「……先生、これは何を見れば良いのでしょう。」

 「はい。どの事業にドゥイシェル様が参画されているか、を見てください。書類によっては冒頭に署名がある場合もありますし、末尾にある場合もあります。単独の場合も、連名の場合も考えられるでしょう。」

 ロザリーは頭の中の情報と目の前の書類を見比べて、頭がこんがらがり始めた。

 「ホフシェダット施薬院、と書いている場合も対象に含まれます。ドゥイシェル様と同義ですから。」

 エメットは頭から煙を出し始めたロザリーを見て、軽く息を吐いてから言い直した。

 「……これから目を通す書類に、ドゥイシェルかホフシェダットと書かれていたら報告をお願いします。」

 「わ……わかりました。」


 ◆


 調査は夕方まで延々と続いた。都合、3年分の書類に目を通したエメットは最後の1枚を束に戻し、深呼吸をした。

 そして別の山に仕分けられた書類の束を机の上でトントンと揃え、紐でしっかりと縛り留めた。その後、すやすやと机の上に突っ伏しているロザリーから自分の上着を剥がして袖を通し、声をかけた。

 「ミス・エイプリル。そろそろ戻りますよ。」

 「……。」

 エメットは軽くため息をついて、ロザリーの肩を揺すり始めた。

 「ミス・エイプリル! 戻りますよ!」

 「……ふぁ……ふぁあい。」

 ロザリーは目をしぱしぱとさせながら、平静を必死で装いつつ立ち上がった。

 「……随分と集中しておられたようですね。座っていて良いですよ、書類の件を神官に伝えてきますから。」

 「だい……大丈夫です。」

 ロザリーは自分の頬を軽く叩きながら答えた。

 「……そうですか。外も暗くなっているはずですから、気をつけて帰りましょう。」

 2人は持ち場に戻っていた神官に報告をし、書類の一部を持ち帰る事を伝えた。残された書類の山をどうするかという話になったが、また追加で調査をするかもしれないという事になり、良いように神殿で保存しておきます、と話がまとまった。

 ロザリーは神殿から出ると大きく伸びをして、強張った体をほぐした。エメットは封筒に入れた書類を脇に抱え、少し先を歩き出した。

 「……先生。すみませんでした。」

 エメットはきょとんとした顔で振り返った。

 「……私、30枚目くらいまでは記憶があるんですが……。」

 エメットは涼しい顔で答えた。

 「睡魔に負ける、とは言いますが私は悪い事とは思いませんよ。」

 エメットは背中を向け、また歩き出した。

 ロザリーは慌てて後を追う。

 「寒さで震えている時は、コートを羽織れば良い。腹が鳴ったら、パンを齧れば良い。それと同じ事です。特に、貴女は人間の本能という物を常に追求し体現しているのですから。」

 「すいませんでした!!」

 夕方の貴族街に、ロザリーの声が響き渡った。


 ◆


 ウィンター邸に戻った2人は、1日の疲れを湯浴みで落とした。

 部屋着に着替えてマーガレットの用意した夕食を取った。夕食はカボチャのスープに、白身魚のソテーが供された。

 夜もいい加減遅くなってしまうというので、エメットはマーガレットを帰した。皿は自分たちで片付けるからと言って、渋る彼女の背中を押した。

 炊事場でエメットが、"懇切丁寧に"皿の洗い方を教えると、ようやくその後になって2人は客間の机にそれぞれ着座した。

 「これが、本日集められる限りで集めた……ドゥイシェル様に関する資料です。」

 エメットはそう言うと、縛られた書類の紐を解いた。そこには100枚近くになろうかという紙束があった。

 「うわ……すごいですね。これを今から見ていくんですね?」

 「? もう見ましたよ。さっき。」

 「え。」

 ロザリーは絶句した。自分を熟睡の世界に手招きしたこの書類の山も、エメットにとっては軽く目を通すだけで十分なのかと、感心したのである。

 「……先生、覚えてるんですか。凄い。」

 「覚えてませんよ。」

 ロザリーは頭痛に襲われた。そういえばこういう男なのだったと、改めて思い知った。

 「もー……じゃあ何するんですかここから。」

 エメットは何枚かの紙を取り上げ、読み上げ始めた。

 「……炊き出し会における月締め報告書。6月の炊き出し会は規定日に開催され、前月比で300人ほど増加した。今般までの傾向を考慮すると、年末には前年比で2000人ほどの増加もあり得るかもしれない。王都からの富裕層の流出が激しく、それによって雇用が減少していると考えられる。主催は第5教区教会長イシュトル。協賛は、ハーブル施薬院。ホフシェダット施薬院。」

 「……ホフシェダット……ドゥイシェル様の施薬院ですね!」

 エメットは軽く頷いた。そして次の書類を読み上げ始めた。

 「東部大神殿の天清祭(てんせいさい)の公費精算書……これは文章が書いてある物ではないので、端的に報告します。前々年、前年と今年を比べた際に公費の規模が縮小しています。つまり開催費の割り当てが小さくなっているという事です。そのため、去年からここに各地の教会関係者や大教会が次々共催として名前をつらね始めました。その中にはもちろんドゥイシェルも。」

 「えーっと……その……?」

 エメットは書類を机の上に静かに置いた。

 「ここで分かる事は……なんでしょうか。ミス・エイプリル。」

 「……炊き出し会は参加者が増えた。一方で、教会の大きな祝祭の参加者は……減った、でいいんでしょうか。」

 「まあ、そういう事で良いでしょうね。」

 ロザリーは2枚の書類を手繰り寄せ、それらを睨みつけた。

 (……どちらも同じ教会の催し物……一方は参加者が増えて……もう一方は……。)

 ロザリーの頭から煙が立ち始めた。

 「……ぐ……うぐぐぐ……。」

 「大丈夫ですか、ミス・エイプリル。」

 エメットが心底心配そうな目でロザリーを見つめる。

 「……わ……わかりませんっ!」

 ロザリーは悔しさのあまり、両手を机の上で握り込んだ。

 「ミス・エイプリル。2つの催しは、それぞれ誰に向けてのものでしょうか。」

 「え? えーっと……炊き出しは貧民ですよね。天清祭(てんせいさい)は、大神殿の祈年祭ですから……貴族や神官向けですか?」

 「そうです。となると?」

 ロザリーは少し唸って、ぼそりと自信なさげにつぶやいた。

 「……王都からお金を持った富裕層が減っている……?」

 「正確にいうと、王都から税収が減っているという事ですね。富裕層はいなくなり、雇用も減れば納税者が減りますから。」

 エメットは書類をささっと束ねて、紐で縛った。

 「私の予想よりも10秒ほど長く思慮されていた事は、率直に言って評価に値しますよ、ミス・エイプリル。」

 「……。」

 ロザリーは先の2倍程の握力で拳を握りしめた。

 「……明日は馬車を調達しましょう。朝早くから当たれば、どこかの公用車は貸してくれるはずです。」

 ロザリーはそこで、怒りを忘れて立ち上がった。

 「馬車! 遠出でしょうか、先生!」

 エメットは書類を持ち上げながら、さらりと答えた。


 「ホフシェダットへ。ドゥイシェル様に話を聞きに参りましょう。」


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