9話 誠意
応接室には、まだ午前の光が残っていた。
背の高い窓から差し込む淡い日差しが、磨かれた床と低いテーブルの縁を静かに照らしている。
ジェルミは背筋を正して椅子に座っていた。膝の上で組んだ手に、わずかに力が入る。指先が冷たい。
三度目だ。王太子が、この屋敷を訪れるのは。
視線を落としたまま、ジェルミは小さく息を吸った。
初めての訪問では戸惑い、二度目では緊張に身を固くした。そして三度目ともなると、もはや理由を考えずにはいられない。
ただの見舞いでも、視察でもない。何かを伝えるために来たのだと、嫌でも分かってしまう。
扉の向こうで、靴音が止まった。
次いで、執事の声が低く響く。
「——王太子殿下、御入室です」
扉が開く。
外套を脱いだクリストファーが一歩足を踏み入れ、応接室の空気が、ほんのわずかに張り詰めた。
変わらない立ち姿。端正な所作。視線の置き方一つにさえ、王太子としての自覚が滲んでいる。
ジェルミは立ち上がり、深く頭を下げた。
「お越しいただき、ありがとうございます。……クリストファー殿下」
その声は、思ったよりも落ち着いていた。胸の奥では、心臓が早鐘を打っているのに。
クリストファーが短く頷くのを合図に、二人が向かい合って腰を下ろす。応接室は再び静けさを取り戻した。
沈黙の中でジェルミは、前回の応接室を思い出していた。
あの問い。あの一瞬の逡巡。そして、自分の口からこぼれ落ちた言葉。
『……貴方が、そう望まれるなら』
あれは、投げやりな返答ではなかった。未来を考えられないほど絶望していたわけでもない。
ここまで誠実に向き合い、言葉を選び、他人の人生を尊重できる人が選ぶ道ならば、信じられる。その先を生きる覚悟は持てる。
今になって、ようやく分かる。あの言葉は、そういう想いからこぼれたものだった。
「……今日は」
沈黙を破ったのは、クリストファーだった。低く、慎重な声音。
「君に、改めて伝えたい話がある」
ジェルミは、ゆっくりと顔を上げる。胸の奥に、静かな緊張が広がっていく。
——逃げてはいけない。
そう思った。
相手が、三度も足を運んだ理由を。自分に向けられた誠意を。すべて受け止めるために、自分はここに座っているのだから。




