10話 望み
応接室では、暖炉の火が静かに揺れていた。冬を迎える前の冷えた空気を押し返すように、赤い炎が低く音を立てている。
壁には淡い色調の風景画が掛けられ、壁際の小さなキャビネットの上では置き時計が、一定の間隔で刻みを告げている。
クリストファーは深く青い瞳をまっすぐにジェルミに向けたまま、唇を開いた。
「結論から言う」
一度だけ、言葉が区切られる。それだけで、空気が張り詰めたのが分かった。
「君を……私の側近として、王宮に迎えたい」
決意の込められた声が、ジェルミの耳に届く。だが意味が、すぐには形にならなかった。
側近。
王宮。
頭の中で言葉をなぞってみても、それらが自分自身と結びつく感覚が、どうしても追いつかない。まるで、遠くの景色を無理に近くへ引き寄せようとしているようだった。
暖炉の薪が、ぱちりと小さく弾ける。置き時計の針が進む音が、やけに大きく聞こえた。
ジェルミは膝の上で組んでいた指に、知らず力を込めていた。視線を上げようとして、ほんの一拍遅れる。
「……ぼくを、王宮に……?」
問いというより、確認に近い声だった。
自分の人生が、今この瞬間に動かされようとしていることだけが、遅れて胸に落ちてきていた。
応接室は再び静まり返った。机に置かれたティーカップからは湯気が細く立ち、紅茶の表面に小さな波紋が広がっては消えていく。
クリストファーは、すぐには言葉を重ねなかった。戸惑いを隠しきれていない少年の表情を、正面から受け止めるように見つめている。
「……唐突だと感じるのは、当然だ」
ようやく口を開いた声は、低く、落ち着いていた。
「だが、思いつきではない。君にあの問いを投げかけた日から、私はずっと考えてきた。……君の人生に、責任を持つと」
視線を逸らさずに、クリストファーは続ける。ジェルミは、息を呑んだまま動けずにいた。覚悟の重さが、言葉の端々から伝わってくる。
「制度は、整えてある」
クリストファーは静かに告げた。
「側近といっても、まずは“見習い”として迎え入れる。正式な任に就くかどうかは、君自身が学び、考え、選んだ先で決めればいい」
一拍、間を置く。
「王宮にいる間、身分は侯爵家の嫡子として扱われる。教育官もつける。ご両親が担っていた職務は、君が育つまで王政府で代替する」
まるで、積み上げてきた石を一つずつ並べ直すような口調だった。急かさない。押しつけない。だが、退く気もない。
「私は——」
その声が、わずかに低くなる。
「君を、守ると決めた。だが同時に、君が自分で立てるようになる未来も、奪いたくはない」
クリストファーはそこで言葉を止めた。判断を委ねるように、しかし逃げ道を作らないまなざしで、ジェルミを見る。
「……これが、私の望みだ」
暖炉の火が、ひときわ強く揺れた。




