8話 決意
王宮の大玄関ホールは、朝の光に満ちていた。
高い天井から吊るされたシャンデリアが淡く輝き、磨き抜かれた大理石の床に反射していた。柱に施された金の装飾も、壁に掛けられた歴代王の肖像画も、すべてが変わらぬ威厳を保ったままだ。
その静けさを、遠くから近づいてくる馬車の音がかすかに震わせていた。規則正しい響きで、蹄鉄が石畳を打つ。
クリストファーはホール中央に立ち、外套を肩に掛け直した。濃紺の布地に刺繍された王家の紋章が、光を受けて控えめに浮かび上がる。侍従から差し出された革手袋を受け取り、片方ずつ、確かめるように指を通した。留め具を締めるその仕草に迷いはない。
「……兄上」
背後から靴音が響いた。
両翼に広がる大階段から、レオナルドが急くように降りてくる。呼び止める声は低く落ち着いていたが、感情を完全に隠しきれてはいなかった。
クリストファーは振り返らない。ただ、手袋を嵌め終えた手を静かに下ろす。
レオナルドは数歩距離を保ったまま立ち止まった。彼の視線は外套でも紋章でもなく、今にも扉を越えようとしている兄そのものに向けられていた。
「例の少年を、側近として迎え入れるだなんて……正気か?」
苦々しく顔を歪めながらレオナルドは続けた。
「王が許可を出したことは承知している。だが……王太子自らが、これほど短期間に同じ家を三度訪れる前例はない」
責める調子ではなかった。
だが、そこには明確な警告が含まれていた。
「その上、側近として迎えてみろ。その行動は“保護”ではなく“特別扱い”として受け取られる可能性が高い」
ホールの奥で、大扉がわずかに軋んだ。外気が流れ込み、朝の冷たい空気が床を撫でる。馬車の停まる音が、今度ははっきりと響いた。
「代理人を立てるべきだ。いや、迎える体制自体、もっと形式的なものに——」
そこまで言って、レオナルドは言葉を切る。
政治的に正しい選択肢はいくらでもある。問題は、クリストファー自身がそれを選ばないと気づいていることだった。
「……分かっている」
声は低く、穏やかだった。
クリストファーは振り返ると、レオナルドをまっすぐに見据えた。その瞳には、王宮の光も歴代の王の威厳も映っていない。ただ一つ、遠く離れた屋敷と、そこに残された幼い少年の影だけがあった。
扉の向こうで、御者の声が短く響いた。出立の合図だ。
一度、息を吸う。そして、決意を固めるように足を踏み出した。
レオナルドの言う通り、ただの王家預かりとして迎えた方が合理的だと理解している。
けれど、その選択で守られるのは彼の生活だけだ。それでは誰も、彼の不安や迷い、日々の変化を拾い上げはしない。
目の届く場所で、手を差し伸べられる距離で、ジェルミの人生に責任を持つ。彼が、自分自身で未来を選べる日が来るまで。
それは贖罪に近い決意だった。
「——それでも、私が行く」




