4話 責任
その夜、王宮の会議室には沈黙が満ちていた。
クリストファーの前に置かれた報告書は、橋の崩落事故についての詳細を記したものだった。事故発生から、すでに半日が経過している。
報告書を手に取ると、被害者欄に記された二つの名が、まず目に入った。
リュシアン侯爵夫妻。
クリストファーはその名を知っていた。
何度か、式典で挨拶を交わしたことがある。
穏やかで、過度に権威を振りかざさない、良識的な貴族夫妻。
やるせなさに唇を引き締めながら、次の文を追う。
遺族。嫡子一名。
ジェルミ・リュシアン。十歳。
クリストファーの視線が、そこに留まったまま動かなくなる。年齢を示す数字が、やけに小さく見えた。
窓からは半分に欠けた月が覗き始めている。彼は静かに息を整えると、次の頁をめくった。事故原因の項目が羅列している。
崩落したグラシエ橋は、築二百年となる石造アーチ橋だった。王都とノクシア地方を繋ぐ象徴的な美しい橋で、避暑地でもあるノクシア地方を訪れる際には必ず通る名所でもあった。
石造のアーチ橋は通常、数百年は保つ。老朽化は把握されてはいたが、予算や迂回路の距離、交易への影響を鑑みて、橋の全面架け替えは先送りとなっていた。
その会議に、クリストファー自身も参加した覚えがある。交通量の増える夏季が来る前に補修工事を行うことで決議していたはずだ。
橋梁の老朽化、過去の補修履歴、最後の点検日。
いずれも、記録上は「問題なし」と処理されていた。崩落の大きな原因は、例年よりも長く続いた雨の影響が大きいと報告書には記されている。
補修工事を行ったことで完全崩落を防げた、崩落時期を遅らせたとの見方もできるだろう。
だが——。
クリストファーは眉を寄せ厳しい表情で、もう一度報告書を読み返し、確信する。
「……これは、人災だ」
漏れ出た声に、その場にいた王や高官たちの視線がクリストファーに集まった。
この事故は、偶然とは言えない。クリストファーは重いため息をつくと報告書を閉じ、顔を上げた。
「私が、弔問に向かう」
その言葉に、会議室の空気がわずかに揺れる。向かいの席で、第二王子であるレオナルドが眉をひそめた。
「……兄上」
レオナルドは慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「それは、王太子が自ら動く案件なのでしょうか」
彼の言葉に、近くの高官が頷く。王は黙って、クリストファーが語り始めるのを待っていた。
「……私は、この橋の補修方針を決めた会議に出ている」
クリストファーは指先を強く握りしめながら、レオナルドを見つめ返した。
「事故は王政府の判断の積み重ねで起きた。その当事者が、顔を出さずに済むと思うか?」
「これは不幸な事故です。代理人を立てても王族の面子は崩れない。護衛や随行の負担も考えているのか?」
レオナルドは畳み掛けるように言った。
弟の正しい指摘に対して、クリストファーはすぐには答えなかった。一度、息を整えるようにしてから、静かに口を開く。
「分かっている。代理を立てる方が、安全で、合理的だ」
それでも、と続けるように視線を上げる。
「だが今回は、合理的で済ませてはならない」
彼は報告書に指を置いた。深い青の瞳は揺らがない。
「代理人が伝えられるのは、哀悼の言葉までだ。だが——責任を引き受ける姿勢は、当事者にしか示せない」
クリストファーの覚悟に、レオナルドはそれ以上言葉を継がず、唇を噛み締めた。
会議室に、再び沈黙が落ちる。
やがて、王がゆっくりと口を開いた。
「……護衛は最小限に抑えよ。一人の、責任ある者として行け」
その場にいる全員が息を呑む。王の言葉を受け、クリストファーは静かに立ち上がると、深く一礼した。
逃げない。見届ける。背負う。
それが、自分に課された役目だと疑うことはなかった。クリストファーは力強く、一歩を踏み出した。




