3話 王太子クリストファー
「……今日は、形式のためだけに来たわけではない。君がこれからどうするつもりなのか——それを直接聞きたかった」
深い青色をした瞳が、ジェルミを真っ直ぐに見つめていた。
その言葉が向けられたのは、王太子が屋敷を訪れた、その日の午後のことだった——。
――――――
階段を降りたジェルミは執事に近付いて聞き返した。王太子殿下が自ら屋敷に来たなんて、にわかには信じられなかった。
「弔意訪問に来られると……昨夜、お話を受けておいでだったでしょう?」
執事が困り顔で、言葉を選びながらも答える。
そうだっただろうか。
ジェルミは無意識に喪服の袖口を握りしめていたことに気づき、そっと指を離した。
使者の声も、昨夜のやり取りも、はっきりと思い出せない。それでも——ここで立ち止まるわけにはいかなかった。
「……王太子殿下をお迎えできる準備は、整っています。応接室へご案内ください」
ジェルミは襟を正しながら応接室へと向かう。執事は一礼すると玄関ホールへ歩みを進め、門の前で待つ馬車まで王太子を迎えにいった。
ジェルミは応接室に佇んで王太子の来訪を待っていた。
不安を隠すように両手を前で組む。当主としては子どもじみた仕草だと分かっていながら、左手の指先を掴むのをやめられない。ジェルミは最後に深く息を吸った。
ゆっくりと開かれるドアの隙間から、裏地の青い外套の裾が見える。黒の正装に身を包んだ王太子が、姿を現した。
「——ジェルミ・リュシアン」
低く、優しい声色で名前を呼ばれる。王太子は手を自身の胸に添えると言葉を続けた。
「この度は、ご両親を失うという不幸に見舞われた。王家を代表し、心より哀悼の意を表する」
「……お忙しい中、わざわざお越しいただき、ありがとうございます。クリストファー王太子殿下」
ジェルミは姿勢を正したまま、勇気を振り絞って続ける。
「……このような折に、王太子殿下みずからお越しくださったこと、身に余る光栄と存じます」
最後まで言い切るのに、ほんの一瞬の間があった。ジェルミはクリストファーの様子を伺う。
一拍の沈黙のあと、ジェルミは小さく息を整えた。
「……どうぞ、お掛けください」
クリストファーはわずかに目を細めると、静かに頷く。白金色の髪が柔らかく跳ねて揺れた。
彼は美しい所作で腰掛けると、机の上に書類を広げ始めた。
「まず、事実から話す」
クリストファーは1番上の書類を指さす。
そこにはグラシエ渓谷で崩落した橋についての報告が記されていた。
「グラシエ橋の中央部分が崩落し——ご両親の乗っていた馬車は、客室ごと谷底へ転落した」
死者2名。重軽傷者は5名。
御者は橋の上に投げ出され、命だけは助かったと記されている。
ジェルミは息をするのも忘れ、クリストファーの言葉を待った。
「……次は、君のご両親が担っていた職務についてだ。現在、王政府で整理が進められている。責任が君に及ぶことはない」
家名、屋敷、領地は維持される。経済的にも、ジェルミが困窮することは決してないことを証明する書類を差し出される。ジェルミは硬く握っていた手をほどき、指先の感覚を確かめるようにして証明書類を受け取った。
「——ただし」
クリストファーの淡々とした声にジェルミは視線を彼へと戻す。クリストファーはジェルミを見据えたまま告げる。
「当面の後見体制は、まだ決まっていない」
指先に力が入り、書類の端がわずかに歪む。それを隠すように、ジェルミは書類を机に置き直した。
「……そう、ですか」
暖炉の薪が音を立てて崩れる。揺らめく炎の明かりが、ジェルミの薄茶色の瞳に映り込む。幾ばくかの沈黙の末、クリストファーは身を少し前に出しながら唇を開いた。
「選択肢はいくつかある」
彼は続けた。
「王宮で保護を受ける道。親族、あるいは他の貴族が後見につく道。そして——学びの場を変えず、今の生活を続けるという選択もある。……どれを選んでもいい」
そして、少しだけ声を落とす。
「選ばない、という選択も含めてだ。今すぐ答えを出す必要はない」
ジェルミの瞳がわずかに揺れる。後ろに控える執事の息遣い、別室で待機している使用人たちの気配を感じ取りながら、ジェルミはただ背筋を正し直すしかできなかった。
ふと、クリストファーの表情が和らぐ。彼はジェルミの顔を覗き込むようにしながら、ゆっくりと語り始めた。
「……今日は、形式のためだけに来たわけではない。君がこれからどうするつもりなのか——それを直接聞きたかった」
深く青い瞳が、真摯にこちらを見つめている。
「昨夜は……少しでも眠れたか?」
温かな声で問いかけられる。ジェルミは戸惑いながら、曖昧に首を振った。
「食事はどうだ?……無理に量を取る必要はないが、少しでも口にするといい」
ジェルミの反応を確かめるように、クリストファーは間を置きながら尋ねてくる。
そして最後に、はっきりと言い切った。
「気丈に振る舞う必要はない。君は、もう十分に耐えている」
ジェルミはその言葉を、どう受け取ればいいのか分からなかった。返事を探そうとして、言葉が見つからないまま視線を落とす。
不安を押し隠そうと気丈に振る舞っている自覚はあった。自分が努めて平静であろうとする姿を、周りの大人には見透かされているだろうことも、分かっていた。けれど誰も指摘などしなかった。使者は事実のみを述べて去っていき、使用人たちは気遣いながら言葉を飲み込んでいた。
クリストファーだけが、真正面からジェルミを見つめて、本心を確かめようとしている。
彼は今もなお、ジェルミの答えを急かすことなく、ただ待っている。その事実にジェルミは心が追いつかない。悲しみでも、安堵でもない。ただ、張り詰めていた何かが、音を立てずに緩んでいく感覚がした。
ジェルミはゆっくりと顔を上げる。
深い青の瞳が、変わらずそこにあった。




