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サービス終了したゲーム世界から、元部下たちが現実へ帰ってきた  作者: てへろっぱ


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第68話 もう一人の俺が自分の名前を選んだら、ゲーム運営から「修正すべき不具合」と判定された

 自分の名前を、自分で決めてもいいと思う?


 EARTH/BのREGNAから届いた最後の質問を読み返しながら、俺は妙なところで考え込んでいた。


 もちろん、決めていいに決まっている。名前なんて本人が好きなものを選べばいいし、今まで使っていた名前をこれからも使いたければ、それでも構わない。


 問題は、どうして彼がわざわざ俺に許可を求めたのかということだった。


「……俺、そんなに偉い人間じゃないんだけどな」


 思わず呟くと、隣にいたリゼルが少し困ったように微笑んだ。


「蓮さんがそうお考えなのは存じております。ですが、あちらの方にとっては、ご自身が生まれるきっかけとなった方と同じ立場の人間ですから」


「だからって、名前を決める許可まで俺が出すのは違う気がする」


「はい。私もそう思います」


 リゼルはそこで一度言葉を切り、画面に残された文章へ視線を戻した。


「ただ、あの方は許可が欲しいのではなく、誰かに『それでいい』と言ってほしいのかもしれません」


 その言葉には、少しだけ胸を突かれた。


 十一年間、地球の蓮がいない時間を埋め続けてきた男。


 自分が別人だと気づいてからも、誰にも打ち明けず、レグナという名前で国を治めてきた。


 その男が、初めて自分だけの名前を持とうとしている。


 きっと、名前を変えること自体が怖いのではない。


 今までレグナとして生きてきた十一年間を、自分で否定するような気がしているのだろう。


「セレフィナはどう思う?」


 俺が尋ねると、セレフィナはしばらく考えてから答えた。


「私としては、名前を変えることと、過去の人生を否定することは別だとお伝えしたいですね。あちらのREGNA様が国のために行ってきた判断も、四人と過ごされた時間も、名前を変えたからといって失われるものではございません」


「確かに、名前が変わったら昔の仕事が全部なかったことになるわけじゃないもんな」


「むしろ、そうなっては困ります」


 セレフィナが真顔になった。


「十一年間の行政文書をすべて無効にされては、あちらの国が混乱いたしますので」


「急に現実的になった」


「宰相ですので」


 そこは三百年経っても変わらないらしい。


 ノアも自分の端末を操作しながら会話へ加わった。


「名前は好きにすればいい。でも、ゲーム内のキャラクター識別子は今すぐ変えない方がいい」


「そこは別なの?」


「別。本人が何と名乗るかと、WORLD COREやゲームが何を認証するかは違う。いきなり識別子を書き換えたら、どこへ影響が出るか分からない」


「じゃあ、人間としては好きに名乗ってもらって、システム上は安全が確認できるまでそのまま?」


「そう。それがいい」


 最後にミーナを見ると、彼女は小さく頷いた。


「私は、今すぐ決めなくてもよろしいとお伝えしたいです」


「決めなくても?」


「はい。明日の朝食までに決めなければならないものではございませんから」


 また朝食だった。


 けれど、それが妙に納得できた。


 十一年間も誰かの代わりを続けてきた人間が、数時間で新しい自分を決める必要なんてない。


 気に入らなければ、後で変えたっていい。


「……よし」


 俺は王権端末の返信欄を開いた。


 今度は、そんなに長い文章にはならなかった。


《名前を決めるのに、俺の許可はいらない。》


《今までREGNAとして生きてきた十一年間も、全部あなた自身の人生だと思う。名前を変えたからといって、その時間まで誰かのものになるわけじゃない。》


《今の名前を使い続けてもいいし、新しい名前を決めてもいい。途中で変えても構わない。》


《ただし、ゲームやWORLD COREが使っている識別情報は、安全を確認するまで変更しない方がいいそうです。》


《それと、もし新しい名前を決めたら、教えてもらえると嬉しい。》


《俺は、あなたのことをちゃんとあなたの名前で呼びたいから。》


 最後に署名を入れる。


《EARTH/A 如月蓮》


 四人と地球側の担当者にも文面を確認してもらい、これまでと同じ一回限りの文字通信で送信した。


 通信路が閉じたことを確認してから、俺は椅子へ背中を預けた。


「……これでいいかな」


「はい」


 リゼルが頷く。


「きっと、伝わると思います」


 俺は画面を閉じた。


 向こうの男がどんな名前を選ぶのか。


 少し楽しみだった。


     ◇


 返事が来たのは、こちらの時間で十八分後だった。


 二つの地球の時間差を考えると、向こうでは四時間以上が過ぎている。


 四人との相談もできただろうし、何なら夕食を挟んでいたかもしれない。


 ただ、届いた文章を開いてみると、予想していたものとは少し違っていた。


《名前、決めました。》


 そこまでは普通だった。


《でも、思ったより大変なことになっています。》


「……何かあった?」


 俺が眉を寄せると、ノアが横から画面を覗き込んだ。


 続きを読む。


《四人に、新しい名前を使いたいと話しました。》


《リゼルは喜んでくれました。ミーナも、好きな名前で呼ぶと言ってくれました。ノアは、ゲーム側の識別子には触らない方がいいという意見でした。》


「向こうのノアも同じこと言ってる」


「当然」


 こちらのノアが少し得意そうに答える。


 けれど、次の一文で俺は笑ってしまった。


《問題はセレフィナです。》


《名前を決めるだけのつもりだったのに、国の記録制度を改訂する話になりました。》


「……セレフィナ?」


 俺が隣を見ると、本人は少し考え込んでいた。


「おそらく、必要な対応だと思います」


「まだ内容見てないよ?」


「それでも、既存の制度では二人のREGNA様を正確に区別できない可能性があります。公的な記録を扱う立場としては、放置できないでしょう」


 やっぱり同じなのかもしれない。


 向こうのセレフィナ。


 こっちのセレフィナ。


 三百年以上違う人生を送っているのに、似た問題を見ると似た方向へ走り出すらしい。


《セレフィナが言うには、これまでの王宮記録には重大な欠陥があったそうです。》


《地球の俺がログインしている時も、ログアウトしている時も、署名者が全部REGNAになっている。》


《でも、実際には別の二人が判断していた。》


 俺はそこで、続きを読む手を止めた。


 確かに。


 こちらでも昔はそうだった。


 俺がゲームで承認した書類も、留守番が向こうで署名した書類も、すべてレグナの名前で保存されていた。


 だからこそ、後から二人の記憶を照合する時に苦労した。


 同じ名前で記録されているのに、一方は覚えていて、もう一方は覚えていない。


 その理由を、三百年以上経ってから知ったのだから。


《セレフィナは、これからの記録では二人を区別すると決めました。》


《俺がログインしている時の判断と、もう一人が行った判断を別々に残すそうです。》


《ただし、昔の書類は無理に書き換えません。》


《今までの決定を無効にしないためです。》


「ちゃんとしてるなあ……」


 思わず感心した。


 しかも、それを向こうのセレフィナ自身が考えている。


 俺たちが命令したわけではない。


 こちらの制度をそのまま移植したわけでもない。


 向こうの国で起きている問題を、向こうの人間が自分で解決しようとしている。


 それが嬉しかった。


 そして文章は、ようやく本題へ戻った。


《新しい名前は、アサギにしました。》


「アサギ……」


 俺は声に出してみた。


 短くて、呼びやすい名前だった。


《王城の裏庭に、昔、自分で植えた花があります。》


《地球の蓮は知らないそうです。あいつがログアウトしている間に、俺とミーナで植えたものだから。》


《名前の分からない青緑色の小さな花で、俺は勝手にアサギ草って呼んでいました。》


《その花が好きだったので、そこから取りました。》


 俺はしばらく、その文章を見つめていた。


 自分で植えた花。


 地球の蓮が知らない花。


 その男だけが覚えている、十一年間の中の小さな出来事。


 世界を救った偉業でもない。


 国家を治めた記録でもない。


 ただ、ミーナと一緒に植えた花。


 そこから自分の名前を選んだ。


「……いい名前だね」


 ミーナが微笑んだ。


「はい。とても素敵だと思います」


 リゼルも頷いている。


 ノアは少し考えてから、


「覚えやすい」


 と言った。


 彼女なりの褒め言葉なのだろう。


 ただし、セレフィナだけは別の部分が気になったらしい。


「その花の正式名称を調べる必要がございますね」


「何で?」


「もし将来、名前の由来について正式な記録を作成されるのであれば、植物の分類を――」


「作らなくていいよ」


「ですが、歴史資料としては」


「向こうのアサギさんが好きな花から取った。それで十分じゃない?」


 セレフィナは少しだけ黙った。


 それから、困ったように笑った。


「……そうですね」


 珍しく、素直に引き下がってくれた。


 文章の最後には、アサギ本人からの短い伝言が付いていた。


《地球の蓮へ。》


《俺は、アサギにした。》


《これからもレグナとしてやらなきゃいけない仕事はあるし、急に全部を変えられるわけじゃない。》


《でも、朝起きた時くらいは、誰かの代わりじゃなくてアサギとして飯を食いたい。》


《それでいいと思ってる。》


 俺は小さく息を吐いた。


 いいと思う。


 それどころか。


 そういう人生を、もっと早く選べてもよかったはずだ。


 ただ、その言葉を俺が言うのは少し違う気がした。


 十一年間、誰かの代わりを生きてきたことだって、本人の人生なのだから。


「……よろしく、アサギ」


 俺は画面へ向かって呟いた。


 届くはずのない言葉だったが、それで十分だった。


     ◇


 ところが、向こうの名前の問題は、それだけでは終わらなかった。


 約三十分後。


 再びEARTH/Bから通信要求が届いた。


 今度は名前の報告ではなく、国家運営に関する相談だった。


《アサギと話して、国の仕事を整理し始めました。》


《まだ全部は無理ですが、セレフィナが最初に二十八種類の業務を選びました。》


《今まではREGNAの承認が必要だったものです。》


 俺は画面を読む。


 道路修繕。


 小規模な水路改修。


 倉庫の備蓄品配分。


 近衛騎士団の通常訓練計画。


 公共施設の軽微な修理。


 国王が毎回承認しなくても、本来なら各部署で処理できそうなものが並んでいた。


「これ、向こうのゲームでは全部プレイヤーの承認が必要だったんだ」


「ゲームとしては普通」


 ノアが答える。


「国を動かすゲームなら、プレイヤーがボタンを押す仕様になる。でも国としては不便」


「だよね」


 俺にも覚えがある。


 水路を直すために画面を開き、必要な資源を確認して、工事開始ボタンを押す。


 ゲームだから面倒だとは思わなかった。


 むしろ自分で国を動かしている感覚があって楽しかった。


 でも向こうでは。


 水路が壊れても、俺がログインするまで工事が始められない。


 それが現実だった。


《セレフィナは、二十八種類の業務について、国王の承認が必要かどうかを一件ずつ検討すると言っています。》


《アサギも賛成しています。》


《俺も、自分がログインしていない時に国の仕事が止まるのはおかしいと思いました。》


 俺は続きを読んだ。


《そこで、最初の一件を試しました。》


 内容は、王城南側にある古い配水弁の修繕だった。


 既に技師が状態を確認し、必要な部品も揃っている。危険な工事ではないし、予算も通常の維持管理費の範囲内だった。


 ただし、これまでの制度では国王の承認が必要だった。


 向こうのセレフィナは、法律と予算の範囲を確認したうえで、その権限を水路管理局へ委譲することを提案した。


 地球側の蓮も了承した。


 アサギも了承した。


 そして、二人がそれぞれの立場で同意した記録を残し、水路管理局が修繕を実施した。


《その間、俺はログアウトしていました。》


《戻ってきたら、配水弁の修理が終わっていました。》


《ゲーム画面には、いつものように「建設完了」と表示されていました。》


《でも今回は、俺がボタンを押していません。》


 俺は少し笑った。


 何でもないことに見える。


 たった一つの配水弁。


 国家全体から見れば、小さな仕事だ。


 でも。


 国王の命令を待たずに。


 国の人間が、自分たちで判断して修理した。


 それは、こちらのアステリアが三百年をかけて積み重ねてきたことの、最初の一歩に似ていた。


「いいじゃないか」


 俺が言うと、セレフィナも頷いた。


「ええ。しかも、向こうの制度に合わせて自分たちで処理されています。私たちの過去の制度を無理に適用するより、ずっと健全です」


「一件だけだけどね」


「最初の一件がなければ、二件目もございません」


 確かに。


 俺はその言葉を覚えておこうと思った。


 文章は続いていた。


《まだ自律維持率は九十七・八パーセントのままです。》


《一件直しただけでは、数字は変わらないみたいです。》


《でも、アサギが笑っていました。》


《「俺がいなくても、配水弁は直るんだな」って。》


 その一文で、俺は少しだけ胸が温かくなった。


 世界を救う。


 そんな大きなことを考えなくても。


 自分がいなくても、何かがちゃんと動く。


 それを喜べるようになる。


 向こうのアサギは、もうその場所まで来ている。


     ◇


「しかし、二十八件ではまだ足りないでしょうね」


 セレフィナが資料を整理しながら言った。


「うん?」


「向こうの世界が三年以上の時間を使えるとしても、地球側から見れば二日弱です。今後の作業をすべてこちらと相談しながら進めるのは、現実的ではありません」


「確かに」


 地球側の蓮たちは、向こうの世界で三年以上の時間を使える。


 けれど俺たちは、二日足らずでそれを見届けることになる。


 こちらで一時間会議をしている間に、向こうでは十五時間。


 そのたびに確認を求められていては、向こうの仕事が止まってしまう。


「だったら、もっと向こうに任せた方がいいんじゃない?」


 俺が言うと、セレフィナが頷いた。


「はい。私も同じ意見です。こちらからは、三百年間の経験で得られた注意点を提供する程度に留め、個別の行政判断は向こうへ任せるべきでしょう」


「例えば?」


「権限の移管先を決める際には、責任の所在を明確にすること。非常時と通常時で承認条件を分けること。移管した後も監査できるようにすること。そして、制度がうまく機能しなかった場合に修正する手続きを設けることです」


「……いきなり本格的だな」


「三百年間、何度も失敗しておりますので」


 セレフィナは苦笑した。


「最初から正しくできたわけではありません。むしろ、失敗した事例の方が参考になるかもしれませんね」


 俺は少し考えた。


「じゃあ、成功した制度だけじゃなくて、失敗した記録も送ろう」


「よろしいのですか?」


「隠しても仕方ないでしょ。向こうには向こうの国があるんだから、使えるものだけ使ってもらえばいい」


 ノアがその場で資料の形式を検討し始めた。


 ただし、第三境界を含めた世界間通信は、まだ文字だけの一回限りの方式で運用している。大量の資料をそのまま送りつけることはできない。


 だから、まず資料の目録と要点だけを整理する。


 向こうが必要だと判断したものを、安全な経路で少しずつ渡す。


 それでいい。


「それにしても」


 水城さんが少し笑いながら言った。


「EARTH/Bの国家運営を支援するために、アステリアの三百年分の行政改革史を参照することになるとは思いませんでした」


「俺もです」


「如月さん、元々はゲームをしていただけなんですよね」


「そうなんですよ」


「それが今では、人口三億人規模の国家の行政史が、別世界の国家改革の参考資料になる」


「言葉にしないでください。急に規模がおかしく感じるんで」


 水城さんが笑った。


 セレフィナは真面目な顔で、


「正式な協力要請があれば、王国側で専門の調査班を設置できますが」


 と言った。


「待って。専門の調査班って何人くらい?」


「規模によりますが、まずは百名程度から――」


「多い!」


「三百年分の行政記録を整理するのであれば、むしろ少人数です」


「国の人口が三億人だからって、何でも百人単位にしなくていいからね」


 セレフィナは少し残念そうだった。


 その横でノアが、


「技術班は別」


 と付け加える。


「増やさないで」


「まだ人数言ってない」


「言いそうな顔してた」


 リゼルが口元を押さえて笑っていた。


 世界を越えた国家改革の話をしているのに、いつの間にか元部下たちの人員増強を止める会議になっている。


 それでも。


 こうして笑っていられるうちは、まだ大丈夫だと思えた。


     ◇


 午後十一時を回った頃。


 そろそろ俺も帰ろうとしたところで、EARTH/Bから新しい通信要求が届いた。


 今度は、いつもより少し長い間隔が空いていた。


「向こうでは?」


 ノアが計算する。


「前の連絡から、だいたい一日近く」


「もう一日?」


「うん」


 時間差には、まだ慣れない。


 こちらでは数十分。


 向こうでは一日。


 アサギという名前を決めたのがついさっきのことなのに、本人はもうその名前で一日近く過ごしている。


「また何か進んだのかな」


 俺が言うと、ノアが受信要求を確認した。


「送信元はREGNA。地球側のプレイヤーから」


「内容は?」


「まだ。安全確認する」


 これまでと同じ手順で、一通だけを隔離領域へ受け取る。


 内容検査。


 問題なし。


 表示。


《すみません。少し困ったことになりました。》


 俺は眉を寄せた。


 続く文章を読む。


《あなたたちに相談する前、運営へNPCの自動行動について問い合わせていました。》


《その時は、ただのゲームだと思っていたので、ログアウト中の行動記録がおかしいことを報告しました。》


 ああ。


 覚えている。


 最初の手紙にも書いてあった。


 向こうの蓮は、NPCが勝手に行動していることを不審に思い、ゲーム運営へ問い合わせていた。


 その時点では、世界が本当に存在しているなんて知らなかったのだから、普通の行動だ。


《今日、その問い合わせへの正式な返答が来ました。》


 俺は続きを開く。


《運営は、ログアウト中のキャラクター行動について、データ整合性の問題を確認したそうです。》


「……データ整合性?」


 ノアが画面へ近づく。


《アカウントの異常な行動履歴を修正するため、自動修復を実施すると書かれていました。》


 俺の手が止まった。


 修復。


 その言葉自体は、ゲームでは珍しくない。


 壊れたデータを直す。


 不正な状態を戻す。


 ログインできなくなったアカウントを復旧する。


 普通の話だ。


 でも。


 今。


 向こうのREGNAには、アサギという名前がある。


 俺とは別の人間として、十一年間生きてきた男がいる。


「ノア」


「うん」


「これ、何を修復するって意味?」


「まだ分からない。でも、かなり嫌な名前」


「アサギに何か起きる?」


「可能性はある」


 ノアは言葉を選んでいた。


「ゲーム側から見れば、地球の蓮がログアウトしている間に、キャラクターが勝手に行動してる。その異常を直すなら、ログアウト中の動作を止めるか、通常のゲームデータへ戻す処理になると思う」


「それをやったら……」


「まだ断定できない。運営が扱っているのが、ただの表示ログなのか、向こうの実際の人格継続機構なのか分からない」


 だからこそ。


 怖かった。


 こっちの世界では、ゲーム側の操作がアステリアの現実に反映されていた。


 もし向こうでも同じなら。


 ゲーム運営が「不具合を修正する」つもりで。


 一人の人間を。


 元の状態へ戻そうとしている可能性がある。


「止められないの?」


 俺が聞くと、水城さんがすぐに答えた。


「まず、EARTH/B側の蓮さん本人から運営へ修復の延期を申し入れてもらうべきです。現時点で、こちらから運営へ直接連絡する経路はありません」


「それならすぐ伝えよう」


「同時に、向こうのWORLD COREが、この修復命令をどのように扱うのか確認する必要があります」


 セレフィナも動いていた。


 既にアステリア側の技術担当者へ連絡し、旧ゲームのデータ修復処理に関する記録を照会している。


 リゼルは俺の隣に立ったまま、いつになく厳しい顔をしていた。


「蓮さん」


「うん」


「私は、あちらのアサギという方を存じません。お会いしたことも、お話ししたこともございません」


「そうだね」


「ですが、その方が十一年間生きてこられたことは、先ほどまでの記録から分かります」


 リゼルは画面に残された《未承認人格継続処理》という文字を見つめた。


「その十一年間を、ゲームの不具合として処理してよいとは思いません」


「……俺も」


 俺は答えた。


 地球の蓮も、きっと同じだろう。


 向こうの男は、ようやく自分とは別の人間としてアサギを知ったばかりなのだから。


     ◇


 俺たちは、すぐにEARTH/Bへ短い返信を送った。


 まず修復の延期を運営へ申し入れること。


 処理が実施される前に、修復内容の詳細を確認すること。


 アサギ本人と四人にも知らせ、向こうのWORLD COREへ影響を調べてもらうこと。


 そして、こちらの記録と照合するまで、キャラクター識別子や管理者権限を変更しないこと。


 文章は長くしなかった。


 向こうでも急いでいるはずだ。


 全員で確認し、送信する。


 通信路が閉じる。


 俺は椅子へ深く座り直した。


「……なんで、こうなるかな」


 誰へ向けたわけでもない言葉だった。


 世界を守ろうとしている人間がいる。


 自分の名前を選んだ人間がいる。


 国の仕事を少しずつ自分たちの手へ戻そうとしている人間たちがいる。


 それなのに。


 ゲーム運営から見れば。


 彼らはまだ。


 NPCやキャラクターデータなのだ。


 七年前の俺と同じように。


「蓮様」


 セレフィナが静かに声を掛けてきた。


「今回の問題は、私たちが過去に経験したものと少し異なるかもしれません」


「どういう意味?」


「私たちの世界では、サービス終了そのものが予期せぬ世界停止を引き起こしました。ですが、向こうではサービス終了前に、運営側が自らの判断でデータを修正しようとしています」


 俺は頷いた。


 確かに。


 今回の危険は、世界の自律維持率だけではない。


 向こうの地球にあるゲーム運営が、アステリアをゲームだと思っていること自体が問題になっている。


「なら、運営にも知らせる必要がある?」


「最終的にはそうなるかもしれません。ただし、証拠も安全性の確認もないまま、いきなり異世界の実在を主張することは勧めません」


「信じてもらえるかも分からないしね」


「はい。まずは相手が何を修復するつもりなのかを確認するのが先決です」


 ノアが端末から顔を上げた。


「こっちでも調べられることある」


「何?」


「昔の《エルグランド・サーガ》に、同じ種類の修復命令があったかどうか」


「元運営の人に聞く?」


「うん。こちらの地球にも最終版の記録が残ってる。仕様が近いなら参考になる」


 水城さんがすぐ連絡を始めた。


 今度ばかりは、明日の朝まで待てる話ではない。


 それでも、俺一人が徹夜して何とかする必要はない。


 元運営担当者。


 地球側の技術班。


 アステリア側の魔導技師。


 三百年分の世界管理記録。


 使えるものは、全部ある。


「……よし」


 俺は四人を見る。


「調べよう。向こうの人たちが自分で判断できるように、必要な情報を集めよう」


 リゼルが頷き、セレフィナは担当部署の調整へ戻った。ノアも解析端末へ向かい、ミーナは俺の前に置いてあった冷めかけのお茶を、新しいものと取り替えた。


「蓮様。今夜は少し遅くなりそうですね」


「そうだね」


「でしたら、皆様の夜食も用意いたします」


「お願い」


 ミーナは嬉しそうに微笑んだ。


 世界がいくつあっても。


 人間がやることは、案外変わらない。


 誰かを助けたいなら、まず自分たちが倒れないようにする。


 その当たり前のことを、俺は今も元部下たちから教わっている。


 そして。


 その時だった。


 ノアの端末へ、新しい解析結果が表示された。


「蓮」


「何?」


「見つけた」


 画面には、こちらの地球で七年前まで運営されていた《エルグランド・サーガ》の古い技術資料が映っていた。


 ゲーム運営が使用していた、キャラクターデータ修復機能。


 その中に、向こうから送られてきたものと同じ分類がある。


《UNAUTHORIZED PERSONA CONTINUATION》


 未承認人格継続処理。


「……同じだ」


「うん」


 ノアが資料を開く。


 そこには、修復処理の目的が記載されていた。


 ログアウト後に残留したキャラクター行動状態を、標準のNPC制御状態へ戻すための処理。


 そして。


 修復対象に含まれる情報。


 行動履歴。


 意思決定差分。


 独立経験領域。


 人格継続状態。


 俺は最後の項目を見て、息を止めた。


「これ……」


「うん」


 ノアが低い声で答える。


「もし向こうでも同じ仕様なら、アサギが十一年間積み重ねてきた独立した経験を、修復対象として扱う可能性がある」


 俺は画面を見つめた。


 向こうの男が、ついさっき決めた名前。


 アサギ。


 ミーナと一緒に植えた花から取った名前。


 その花を植えた記憶さえ。


 ゲーム側から見れば、消してもいい余分なデータなのかもしれない。


 そして、資料の最後に。


 もう一つだけ記載があった。


《修復対象の人格状態が独立性を獲得している場合》


《統合後の人格継続は保証されません》


 俺はしばらく、その文章から目を離せなかった。


 三百年前。


 留守番は、人格が継続する保証のない管理者権限を引き受けた。


 向こうのアサギは。


 今度こそ、そんなものを引き受けずに済むかもしれないと思っていた。


 それなのに。


 今度は本人の意思とは関係なく。


 ゲーム運営が。


 アサギを、ただのキャラクターデータへ戻そうとしていた。


 しかも。


 実施まで、EARTH/Bの時間で七十二時間。


 こちらの時間では。


 あと五時間もなかった。

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