第69話 もう一人の俺が『不具合』として消されそうなので運営へ異議を申し立てたら、向こうの王国まで動き始めた
ゲーム運営が予定している修復処理によって、アサギという一人の人間が消えてしまうかもしれない。
その危険が判明してから、会議室の空気は明らかに変わっていた。
俺の目の前には、七年前にサービスを終了した《エルグランド・サーガ》の技術資料が表示されている。そこに記載された修復処理の対象には、行動履歴や意思決定差分だけでなく、独立経験領域と人格継続状態まで含まれていた。
ゲーム側から見れば、ログアウト中にキャラクターが勝手に動いていたという不具合を修正するだけなのだろう。けれど、その「不具合」は、十一年間もアステリアで生きてきた一人の男だった。
ついさっき、アサギという名前を選んだ男。
ミーナと一緒に植えた花を覚えていて、自分がいなくても配水弁が修理されたことを喜んでいた男。
その人生が、修復対象のデータとして扱われている。
「……あと、どのくらい?」
俺が尋ねると、ノアは二つの地球の時刻を照合してから答えた。
「現在の時間比が続けば、こちらの時間で四時間半くらい。ただし接続先の時間係数には小さな揺れがあるから、正確な残り時間として信用しないで」
「余裕があるようで、全然ないな」
「うん。でも急いで変なことしたら、もっと危ない」
ノアは端末を操作しながらも、こちらを見ずに続けた。
「先に言っておく。アサギの人格情報をこっちへコピーして避難させる、みたいなことはしないから」
「まだ何も言ってないよ」
「蓮が考えそうだから」
否定できなかった。
もし本人の記憶をどこかへ保存できれば、修復処理が実行されても助けられるのではないか。そんなことを一瞬考えていたのは事実だった。
でも、それでは根本的な問題は解決しない。
仮に記憶を完全に複製できたとしても、元のアサギが消えていい理由にはならない。そもそも記憶が同じなら本人なのかという問題については、俺自身が留守番との関係で何度も考えてきた。
「分かった。コピーして逃がす案は考えない」
「それでいい」
ノアが小さく頷く。
リゼルは俺たちの会話を聞いてから、静かに口を開いた。
「蓮さん。今回の件について、一つお願いがございます」
「何?」
「向こうのアサギという方が、何を望んでいるのかも確認していただけませんか」
俺はリゼルを見る。
「助かりたいかどうかってこと?」
「それもあります。しかし、それだけではございません」
リゼルは少し言葉を選んだ。
「もしアサギ様が、ご自身を守るために誰かが大きな危険を冒すことを望んでおられない場合、その意思も考慮するべきだと思います。逆に、ご本人が生きたいと望んでおられるのであれば、その願いを私たちの都合で軽く扱うこともできません」
その通りだった。
俺たちは、アサギを守ろうとしている。
でも、その話し合いにアサギ本人はいない。
彼が何を考えているのかも、まだ知らない。
「向こうの蓮へ聞いてもらおう」
「はい」
リゼルは頷いた。
「私たちは、あの方の上官でも主君でもありませんから」
そう言った彼女の顔には、三百年以上生きてきた騎士としての落ち着きがあった。
昔のリゼルなら、俺が助けたいと言えば、どんな危険があっても先頭に立ったかもしれない。
今は違う。
誰を守るのか。
その人は何を望んでいるのか。
何をしてはいけないのか。
そこまで自分で考えるようになっている。
俺がいなくても国を守ってきた三百年間は、決して待っているだけの時間ではなかったのだと思う。
◇
最初に動いたのは、地球側の元運営担当者たちだった。
水城さんの連絡を受け、かつて《エルグランド・サーガ》の保守に携わっていた技術者が、夜間にもかかわらず映像通信へ参加してくれた。
四十代くらいの男性で、こちらの最終版に残されていた修復処理の仕様を管理した経験があるらしい。
「まず、一つ訂正させてください」
男性は画面に表示された処理一覧を確認すると、そう切り出した。
「この処理は、いきなり人格データを削除するものとして設計されたわけではありません」
「そうなんですか?」
「はい。本来は、ログアウト時に残ってしまった不要な行動状態を整理し、次回ログイン時のデータを正常にする機能です。ただし、想定外の独立人格状態が存在した場合、どこまで影響するのか検証されていません」
「つまり、アサギがどうなるか分からない?」
「その通りです。だからこそ、実行して確かめるという判断はできません」
ノアが頷いた。
「同意」
男性はさらに資料を開いた。
「修復処理は、ゲームサーバー側で予約され、指定時刻に実行される仕組みでした。ただし、プレイヤーデータを大きく変更する作業ですので、異議申立てや調査中のアカウントに対しては、実行を保留できる設計になっています」
「止められる?」
思わず身を乗り出した。
「こちらの最終版では可能でした。ただし、EARTH/Bで稼働しているものは後の更新版です。機能が残っている保証はありません」
期待が膨らみかけたところで、すぐ釘を刺された。
「それと、私たちが直接止めることはできません。EARTH/B側の運営へアクセスする権限はありませんから」
「ですよね」
「向こうの如月さんから、正式に異議を申し立ててもらう必要があります。もし修復の停止が認められない場合は、アカウントのデータ保全を目的とした一時停止も選択肢になります」
「アカウントを止める?」
「はい。こちらの旧仕様では、保全対象として凍結されたアカウントに対して、自動修復処理を実行しない安全措置がありました」
俺はノアを見る。
「それなら……」
「まだ駄目」
ノアがすぐに首を振った。
「地球側のアカウントを止めたら、アステリア側へどう影響するか分からない。向こうのWORLD COREに先に聞かないと」
確かに。
EARTH/Bのアステリアは、まだ自律維持率が百パーセントに達していない。
地球側との接続を一時的に制限することが、別の問題を引き起こす可能性もある。
「じゃあ、まず確認事項をまとめよう」
俺が言うと、セレフィナは既に別の資料を作成していた。
「一つ目は、修復処理の延期または取消しが可能か。二つ目は、アカウント保全措置が利用できるか。三つ目は、その措置が向こうの世界へ与える影響。そして四つ目が、アサギ様ご本人の意思ですね」
「もうまとめてる……」
「時間がありませんので」
そう答えた彼女は、地球側の担当者から必要な説明を受けながら、送信文面を整えていく。
普段なら俺の知らないところで国家規模の解決策を作りかねない宰相が、今回は必要以上に話を広げていない。
むしろ、向こうの人たちが自分で判断できるよう、選択肢を整理している。
それがありがたかった。
「じゃあ、向こうへ送ろう」
俺たちは一回限りの文字通信を開き、必要な情報だけを送った。
もちろん、EARTH/Bへの接続ロックは維持したままだ。
使うのは、既に安全確認を終えている文字通信の経路だけ。
伝えたのは、こちらの旧仕様では修復処理を保留できたこと、ただし向こうでも同じとは限らないこと、そしてアカウント凍結を検討する場合には必ずWORLD COREへ影響を確認してほしいという内容だった。
最後に、俺自身の言葉を一文加えた。
《アサギにも、どうしたいか聞いてください。俺たちだけで本人の人生を決めたくありません。》
送信を終えると、通信路は自動で閉じた。
「……あとは向こう次第か」
俺が呟くと、セレフィナが頷く。
「はい。ですが、こちらでできる調査は続けましょう」
その言葉が終わる前に、ノアは既に次の資料を開いていた。
◇
それから十五分ほど経った。
向こうでは三時間以上が過ぎたことになる。
俺が何度目かの時計を確認したところで、ミーナが温かい飲み物を持ってきた。
「蓮様。少しお休みになってください」
「今はちょっと……」
「座ったままで結構ですので、せめてこちらを」
差し出されたカップには、蜂蜜を少し加えた温かいお茶が入っていた。
「ありがとう」
「皆様にもお配りしております」
見ると、ノアの机にも同じものが置かれている。
セレフィナは地球側の担当者と資料を確認していたが、カップを受け取ると一度作業を区切った。リゼルも警護担当者との通信を終え、こちらへ戻ってくる。
それぞれが別の仕事をしながら、必要なところで合流する。
俺一人の判断を待っている人間は、もうここにはいない。
「……ミーナ」
「はい」
「もし向こうのアサギが助かったら、何かしてあげたいことある?」
唐突な質問だったと思う。
それでもミーナは少し考えてから、穏やかに答えた。
「何もしないであげたいです」
「何もしない?」
「はい。ご本人が望まれるなら、普通に朝食を召し上がって、お仕事をして、お休みになっていただきたいです。誰かが助けたからといって、その後の人生まで特別なものにする必要はないと思いますので」
俺はしばらく彼女を見つめていた。
世界を救った英雄。
国を守った管理者。
誰かの代わりに生まれた存在。
そういう肩書きを、俺たちは留守番へ何度も与えてきた。
でも、本人が望んでいたのは。
案外、普通に暮らせることだったのかもしれない。
「……そっか」
俺はお茶を飲んだ。
少し甘かった。
◇
最初の返信が届いたのは、こちらで二十二分後だった。
送信元はEARTH/BのREGNA。
地球側の如月蓮だ。
安全確認を終えて開いた文章には、向こうでも既に対応を始めていることが書かれていた。
《運営へ修復処理の停止を申し入れました。》
《ただ、最初の回答は自動返信で、予定されている修復については変更できないと書かれていました。》
俺は眉を寄せた。
やっぱり簡単には止まらない。
《そのため、データ消失の危険があるとして再調査を申請しました。今は担当部署への引継ぎ待ちです。》
《アカウントの一時停止についても問い合わせています。》
《それから、アサギ本人にも話しました。》
そこで一度、文章が区切られている。
俺は背筋を伸ばした。
《アサギは、消えたくないと言いました。》
その一文を読んだ瞬間、少しだけ胸の奥が軽くなった。
勝手な話だと思う。
もちろん、生きたいと言ってくれるだろうとは思っていた。
でも、本人が何も言わないまま、俺たちが勝手に「助けなければ」と動くことには、どこか怖さがあった。
《ただし、自分を守るためにアステリア全体を危険にさらすことも望んでいないそうです。》
《だから、まず運営側の修復を止める方法を探してほしい、と。》
《それでも駄目なら、その時は自分も一緒に考えると言っています。》
俺はその部分を何度も読み返した。
アサギは、ただ助けてもらうのを待っているわけではない。
自分で考えている。
生きたいと思っている。
そのうえで、他の誰かへ危険を押し付けたくないと考えている。
「……ちゃんと、自分で決めてるな」
リゼルが頷いた。
「はい」
「よかった」
「ええ。本当に」
文章はさらに続いていた。
《向こうのセレフィナが、修復処理に備えて王国側の行政記録を整理し始めました。》
《ノアはWORLD COREと一緒に、地球側のアカウントを一時停止した場合の影響を調べています。》
《リゼルは、アサギが一人で何かしないように交代で付き添う体制を作りました。》
俺は少し笑った。
「向こうのリゼルも過保護だな」
「必要な措置です」
こちらのリゼルが即答する。
「本人が消える危険がある状況ですので、単独行動を避けていただく判断は妥当だと思います」
「うん。分かるけどね」
その横でノアが小さく呟いた。
「向こうの私も、ちゃんと仕事してる」
「そりゃそうでしょ」
「少し気になった」
俺はノアを見る。
三百年以上研究を続けてきた彼女にとって、まだゲーム開始から十五年しか経っていない向こうのノアは、ある意味では昔の自分に近いのだろう。
それでも、同じ人ではない。
だからこそ、向こうのノアが自分で判断して動いていることが嬉しいのかもしれない。
そして最後。
《ミーナは、アサギの部屋に泊まり込もうとしていました。》
《アサギが断ったら、「では朝食の時間だけはお約束してください」と言っていました。》
俺は思わず笑った。
「そこまで同じなの?」
こちらのミーナは少し恥ずかしそうに目を伏せた。
「朝食のお約束は大切ですので」
「理由まで一緒だった」
けれど、文章の終わりに書かれていたアサギ本人からの伝言を読んで、笑いは自然と静まった。
《地球の蓮へ。》
《俺は、まだ明日の朝飯を食いたい。》
《できれば来年も、再来年も。》
《だから、消えない方法を探す。》
《でも一人ではやらない。》
俺はゆっくり頷いた。
それでいい。
世界を救うために消えるのではなく、自分が明日も生きるために動く。
その方が、ずっといい。
◇
次の進展は、予想していなかったところから来た。
向こうのゲーム運営から、再調査申請への返答が届いたのだ。
ただし、今度は自動返信ではなかった。
EARTH/Bの如月蓮が転送してきた文章には、担当技術者からの説明が記載されていた。
《修復対象データに関する異議申立てを確認しました。》
《当該処理については、プレイヤーデータの保全措置が必要か確認を行います。》
《なお、アカウントの一時停止をご希望の場合は、修復予約との競合を避けるため、保全措置として実施可能です。》
「……できるんだ」
俺が呟く。
元運営担当者が画面へ身を乗り出した。
「少なくとも、EARTH/B側にもアカウント保全機能が残っているようですね」
「それを使えば止まる?」
「保全措置中の修復予約が実行されない仕様であれば、止まるはずです。ただし、まだ確定ではありません」
ノアが画面を確認する。
「向こうのWORLD COREは?」
続きを読む。
《WORLD COREにも確認しました。》
《地球側アカウントが一時停止されても、現在のアステリアが直ちに停止することはないそうです。》
《ただし、その間は俺がログインできなくなります。》
俺は黙った。
地球側の蓮がログインできなくなる。
つまり、その間はアサギが一人でアステリアを運営することになる。
ただし、向こうにはリゼルたちがいる。
既に二十八種類の業務を整理し、国王の承認がなくても進められる仕事を増やし始めている。
まだ完全ではない。
でも、以前とは違う。
《アサギは、それでも構わないと言っています。》
《セレフィナも、現在の行政体制で対応可能な期間であれば問題ないと判断しました。》
《ノアは修復予約が本当に止まるか確認してからにしてほしいと言っています。》
向こうでも、俺たちと同じような議論が行われていた。
そして。
《俺も、アカウントの一時停止を受け入れるつもりです。》
地球側の蓮が、最後にそう書いていた。
《十五年間、一日も欠かさずにログインしようとしてきました。》
《忙しくても、眠くても、少しだけはアステリアを確認していました。》
《でも今は、俺が入らない方がいいなら、入らないでおこうと思います。》
《その間のアステリアは、向こうの人たちに任せます。》
俺は、しばらくその文章を見つめていた。
十五年間。
俺も同じだった。
仕事で疲れて帰ってきても、パソコンを起動してアステリアを確認する。
資源が足りなければ補充し、建設が終わっていれば次の建物を選び、リゼルたちへ指示を出す。
自分がログインしなければ、国が止まると思っていた。
だから、最後まで続けた。
でも。
向こうの蓮は今、自分がいなくても国は続けられると考え始めている。
「……俺より先に、その選択をするんだな」
小さく呟く。
リゼルがこちらを見る。
「蓮さん?」
「何でもない。ちょっと羨ましいだけ」
七年前の俺には、そういう未来を選ぶ機会がなかった。
でも、向こうにはある。
同じ名前の別人だからこそ、俺と同じ道を辿る必要なんてない。
◇
アカウントの一時停止を実施するには、まだ確認すべきことがあった。
運営側がその措置を正式に受け付けること。
修復予約が確実に保留されること。
さらに、アステリア側で突然の管理権限変更や世界維持機能の停止が起きないこと。
EARTH/BのノアとWORLD COREが確認した結果を、こちらでも受け取る。
水城さんたち地球側の技術班が内容を精査し、アステリア側のノアも、こちらの世界で使われていた類似機能と照合した。
約三十分後。
ようやく、現時点で重大な危険が確認されていないという結論になった。
「絶対安全ではない」
ノアが念を押す。
「でも、予定されてる人格統合をそのまま受けるよりは、ずっと危険が少ないと思う」
「俺もそう思う」
「向こうへ最終確認を送る?」
「うん。ただ、決めるのは向こうの蓮たちだからね」
「分かってる」
短い返信を送る。
こちらの技術班でも照合したこと。
確認された範囲では、保全措置中にアステリアが直ちに停止する危険は認められなかったこと。
ただし不確実性は残るため、実行する場合は向こうのWORLD COREと技術担当者による監視を続ける必要があること。
そして最後に。
《地球側の蓮さんも、自分のアカウントをどうするか、自分で決めてください。》
《こちらは、あなたの代わりに決めません。》
送信。
今度は、少しだけ長く待つことになった。
◇
こちらの時間で四十分後。
EARTH/Bの地球では、十時間ほどが過ぎていた。
その間に、こちらの会議室も交代制へ移行していた。
地球側の技術者は夜間勤務の担当者へ引き継ぎ、アステリア側でも必要な人員だけが監視を続けている。
俺も一度、別室で短く休むよう勧められた。
ただ、今回はミーナが珍しく強く言わなかった。
「蓮様。少しだけこちらへ」
呼ばれて廊下へ出ると、彼女は窓際の小さな休憩席へ案内してくれた。
外はすっかり暗い。
街の明かりが窓ガラスに映っている。
「何かあった?」
「いえ。ただ、ずっと画面をご覧になっておられましたので」
ミーナは隣の椅子へ腰を下ろした。
「少しだけ、別のものをご覧になった方がよろしいかと思いました」
「確かに」
俺は窓の外を見る。
車が走っている。
コンビニの明かりが見える。
向こうから歩いてきた会社員らしい人が、スマートフォンを見ながら信号を待っていた。
世界の危機とは何の関係もない、普通の夜。
「……あの人たち、まさか別の地球が二つあるなんて思ってないだろうな」
「そうですね」
「まして、片方のゲームでNPCの人格が消えそうになってるなんて」
ミーナは少し考えてから、静かに答えた。
「ですが、あちらのアサギ様にとっては、ご自身の人生なのですよね」
「うん」
「でしたら、世界がいくつあるかよりも、その方が明日も生きられるかどうかの方が大切なのかもしれません」
俺は彼女を見る。
ゲーム時代から、ずっと身近にいた侍女。
三百年以上の時間を経て、地球へ帰ってきた女性。
俺が王様でなくてもいい家を作り、普通の食事を大切にしてくれる人。
ミーナは大きなことを言わない。
でも、いつも一番大切なところを見ている気がする。
「ありがとう」
「何がでしょう?」
「ちょっと、落ち着いた」
ミーナは微笑んだ。
「それでしたら、よかったです」
俺たちは少しだけ窓の外を眺めた。
その間にも、向こうの世界では時間が進んでいる。
でも。
今はもう、俺一人で全部を背負おうとは思わなかった。
◇
連絡が来たのは、その十分後だった。
ノアからだった。
「蓮。来た」
「修復の件?」
「うん」
俺たちはすぐ会議室へ戻った。
大型画面には、EARTH/Bから転送された運営側の通知が表示されていた。
《アカウント保全措置――受付完了》
《対象:REGNA》
《状態:一時利用停止》
《自動修復予約:保留》
俺は画面を見た。
一度。
二度。
何度も。
「……止まった?」
ノアが頷く。
「運営側の通知では」
「WORLD COREは?」
「向こうでも確認してる」
続けて届いていた記録を開く。
EARTH/B側のWORLD COREによる状態確認。
《外部人格統合命令――実行待機解除》
《独立経験領域――維持》
《人格継続状態――正常》
その下。
《アサギ――存在確認》
俺は、ようやく大きく息を吐いた。
「……よかった」
完全に解決したわけではない。
アカウントの一時停止は、修復処理を保留しただけだ。
運営側が今後どう判断するかも分からない。
サービス終了までの時間は、向こうではまだ残っている。
それでも。
少なくとも今日。
アサギが修復処理によって消される危険は、いったん回避できた。
リゼルが静かに目を閉じる。
セレフィナはすぐに保留条件と解除手続きを確認し始めた。ノアも技術的な監視項目を整理している。
ミーナは、俺の隣で少しだけ微笑んでいた。
「蓮様」
「うん」
「アサギ様は、明日も朝食を召し上がれそうですね」
「……そうだな」
俺も笑った。
「少なくとも、今日のところは」
◇
しかし、向こうの話はそこで終わらなかった。
アカウントの一時停止が完了してから、EARTH/Bの如月蓮から最後の通信が届いた。
どうやら停止処理が反映される前に、こちらへ送る準備をしていたらしい。
《アカウントの一時停止が承認されました。》
《しばらくゲームにはログインできません。》
《でも、アサギと四人には全部話しました。》
《俺がいない間、アステリアを頼むと。》
俺は静かに頷いた。
向こうの蓮は、自分の国を誰かへ任せた。
命令ではなく。
頼んだ。
その違いは大きいと思った。
《アサギからは、こう返されました。》
《「今までだって、お前がいない間は俺たちでやってきた」》
その一文で、俺は笑ってしまった。
「頼もしいな」
リゼルも微笑む。
「はい。とても」
文章は続く。
《「だから、心配するな。ただし、お前の仕事まで全部引き受けるつもりはない。地球での生活は自分でやれ」》
「そこまで言われたの?」
思わず声に出してしまった。
ノアが横から言う。
「正しい」
「正しいけど、結構厳しいな」
「蓮にも言いたい」
「今のは俺じゃない方だからね?」
セレフィナまで笑っていた。
けれど、その笑いはすぐに静まった。
文章の最後に、向こうの蓮が書いた言葉があったからだ。
《不思議な気分です。》
《十五年間、アステリアを自分の国だと思っていました。》
《だから、ログインできなくなるのが怖かった。》
《でも今は、少し違います。》
《俺がログインできなくても、アステリアにはアサギがいて、リゼルたちがいて、国民がいます。》
《国は、俺のログインを待つためだけに存在しているわけじゃない。》
《そのことを、今ようやく分かった気がします。》
俺はしばらく画面を見つめた。
七年前。
サービス終了の夜。
俺は「もう俺の命令を待たなくていい」と言った。
でも、それを本当に理解したのは、三百年以上後のアステリアと再会してからだった。
向こうの蓮は、今そのことを知った。
だから。
きっと。
俺とは違う未来を選べる。
◇
「これで、ひとまず今日は終わりかな」
俺が言うと、セレフィナが頷いた。
「修復予約については、いったん停止が確認されました。今後の保全措置については、向こうの運営側と技術担当者の判断を待つ必要がございます」
「アステリアの自律維持率は?」
「向こうで改革が続いておりますが、まだ大きな変化は確認されておりません」
「そっちは、これからか」
「はい。ですが、時間を得ることができました」
その言葉に、少しだけ安心する。
時間。
今まで足りなかったもの。
それが少し増えた。
「ノアも休んでいいよ」
「あと一個」
「また?」
「本当に一個」
ノアは解析端末を開いた。
そこには、EARTH/Bの運営が発行したアカウント保全通知の詳細が残っていた。
「修復予約が止まったことは確認できた。でも気になるものがある」
「何?」
「保全措置の理由」
俺は画面を見る。
普通なら、
《プレイヤーデータの異議申立て》
とか、
《アカウント調査》
といった項目が入るはずだ。
実際、その二つも記載されている。
けれど。
その下に。
別の受付番号があった。
《関連異議申立て――一件》
「……もう一件?」
水城さんが確認する。
「EARTH/Bの如月さんが出したものとは別の申立てでしょうか」
「そうみたい」
ノアが答える。
「送信元が違う」
「誰?」
俺が尋ねる。
ノアは付随情報を開いた。
《申立て区分――修復対象からの異議》
「修復対象……?」
嫌な予感ではなかった。
むしろ。
何かが胸の奥で引っ掛かった。
続く。
《申立て名義――アサギ》
俺は画面へ近づいた。
「……本人?」
「まだ分からない。でも署名はある」
ノアが表示を拡大する。
《識別子――REGNA》
《自己申告名――ASAGI》
《送信経路――ELGRAND WORLD SYSTEM》
アサギは、地球側のプレイヤーではない。
ゲーム会社のアカウントも持っていない。
それなのに。
向こうのゲームシステムを通して。
修復を行おうとしている運営へ。
自分自身の名前で。
異議を申し立てていた。
「……どうやって?」
俺が聞くと、ノアは少し考え込んだ。
「WORLD CORE経由かもしれない。でも、こっちからは断定できない」
元運営担当者も資料を確認する。
「少なくとも、通常のNPC行動としては想定されていない通信です。ゲーム内の住民が、運営側の修復処理へ直接異議を申し立てる仕組みはありませんでした」
セレフィナが静かに言った。
「では、向こうの方々が独自に方法を見つけられたのかもしれませんね」
俺はもう一度、画面を見る。
その異議申立てには、短い本文も添えられていた。
日本語ではなかった。
WORLD COREが変換したらしい文章。
ただし、意味は十分に伝わった。
《私は、修復対象として指定された人格です。》
《十一年間、この世界で生活してきました。》
《私には、私の記憶があります。》
《私が選んだ名前があります。》
《私を修復する前に、私の話を聞いてください。》
俺は何も言えなかった。
さっきまで。
俺たちはアサギを助けようとしていた。
元部下たちが動いた。
日本政府の技術者が動いた。
ゲームの元運営担当者まで動いた。
でも。
その間に。
アサギ本人も、何もせず待っていたわけではなかった。
自分の国の人間と相談し。
世界の仕組みを調べ。
地球側の運営へ届く方法を見つけ。
自分自身の言葉で。
消さないでほしいと伝えていた。
「……すごいな」
俺は思わず呟いた。
セレフィナが頷く。
「はい。とても」
リゼルも、どこか誇らしそうな顔をしていた。
「私たちが守ろうとしていた方は、ご自分でも戦っておられたのですね」
「うん」
その通りだった。
俺たちが全部を解決する必要なんて、最初からなかったのかもしれない。
向こうには。
向こうの人間たちがいる。
アサギという名前を選んだ、一人の男がいる。
そして。
自分たちの世界を自分たちで守ろうとしている。
俺はようやく、少しだけ肩の力を抜いた。
ところが。
「待って」
ノアが小さく声を上げた。
「どうした?」
「この異議申立て、まだ続きがある」
画面の下へ、新しい項目が表示される。
《運営側回答――本人確認を要求》
「本人確認?」
俺が聞く。
ノアが頷く。
「運営が、申立てを無視しなかったみたい」
水城さんが身を乗り出した。
「ゲーム内から送られてきた異議申立てに対して、正式に回答したということですか?」
「うん」
画面に、その返答が表示された。
《当該申立てについて、通常のプレイヤーアカウントとの対応関係を確認できません。》
《修復対象ご本人であると主張される場合、直接確認可能な通信方法をご提示ください。》
俺は何度も読み返した。
ゲーム運営は、まだアサギを人間だと認めたわけではない。
恐らく、不可解な不具合か、誰かの悪戯だと考えているのだろう。
それでも。
少なくとも。
向こうの運営は、アサギから届いた文章を読んだ。
そして、返事をした。
「……これって」
俺が言いかけると、ノアが頷いた。
「うん」
彼女の目が、研究者らしい輝きを取り戻している。
「向こうの運営が、初めて世界の中にいる人と話すかもしれない」
七年前。
俺たちの地球では、そんなことは起きなかった。
ゲームは終わった。
運営は、世界の中に人が生きていると知らなかった。
でも。
向こうでは。
まだサービスが続いている。
運営会社がある。
担当者がいる。
そして今。
一人のアサギという男が。
自分は不具合ではないと訴えている。
俺は画面を見つめた。
次に必要なのは、修復を止めることだけではない。
ゲーム会社と。
ゲームだと思われていた世界の住民が。
初めて本当に話をすることなのかもしれない。
そして、その時だった。
王権端末へ新しい通知が届いた。
送信元は、EARTH/BのWORLD CORE。
内容は、たった二行だった。
《ASAGI REQUESTED DIRECT CONTACT》
《運営側からの返答を受信しました》
続いて。
もう一行。
《接続方法について、相談があります》
俺は四人を見た。
全員が頷いていた。
今度は、俺たちだけが何かを教える番ではない。
アサギたちが、自分たちで新しい道を見つけようとしている。
そのために必要なことがあるなら、一緒に考えればいい。
「……聞こうか」
俺はそう言って、王権端末を開いた。
サービス終了したゲームの世界から帰ってきた元部下たち。
その三百年後の国が、今度は別の世界の住民を助けようとしている。
しかも、助けられる側の住民たちは。
自分たちの力で。
初めて。
ゲーム運営へ直接、話しかけようとしていた。




