第64話 二つ目の地球の『俺』から一通だけ受け取ったら、向こうではサービス終了まであと三十日だった
《SENDER CHARACTER ID》
《REGNA》
俺と同じ名前だった。
正確には、俺が十五年間で使っていたキャラクター名と同じ。
それだけなら、まだ偶然と言える。
ゲームによっては名前の重複が許されることもあるし、EARTH/Bの《エルグランド・サーガ》がこちらと同じ仕様だった保証もない。
けれど、そんな理屈を頭に並べても、画面に表示された五文字の気味悪さまでは消えてくれなかった。
「通信要求は、まだ開いてないんだよね?」
「開いてない」
ノアが即答する。
「相手から来てるのは《通信したい》って要求だけ。内容は一文字も受信してない。七系統ロックも全部生きてる」
「向こうへ既読みたいなものは?」
「返ってない」
「俺たちが要求ヘッダを見たことも?」
「分からないはず」
そこまで確認して、ようやく少し息を吐いた。
リゼルが画面から視線を外さず言う。
「蓮さん。私は、このまま応答しないことも選択肢だと考えます」
「うん」
「相手が《REGNA》と名乗っているからといって、蓮さんご自身と関係がある保証はありません」
「それも分かってる」
むしろ、昨日決めたばかりだった。
EARTH/Bに俺と同じ顔、同じ名前、同じ記憶を持つ人間がいたとしても、それだけで俺と同一人物として扱わない。
相手は相手。
俺は俺。
それは《留守番》について考えた時から変わっていない。
「ただ……何で俺を探してるのかは知りたい」
「私も」
ノアが短く答える。
セレフィナは腕を組み、画面に表示された通信要求の情報をもう一度確認した。
「問題は、知るためにどこまで接続を許可するかでしょう。現在のロックを解除し、通常通信を開始することには反対です」
「俺もそれは嫌だな」
「でしたら、通信を開始する必要そのものがない方法を作りましょう」
俺はセレフィナを見る。
「そんな方法ある?」
「私ではなく、ノアへ聞いてください」
全員がノアを見る。
ノアは少し考えた。
「できる」
「早いな」
「第三境界でやったのと似た形。でも、もっと狭くする」
ノアが端末へ新しい図を出す。
「リアルタイム通信は開かない。相手から一通だけ預かる箱を作る」
「メールみたいな?」
「感覚は近い」
ノアは図の中央に小さな四角を置いた。
「最大容量を決める。文字だけ。画像なし。音声なし。添付なし。実行形式なし。こっちのシステムには直接触らせない。一回、独立した受信領域へ入れて、通信路は即閉鎖」
「こっちから返事は?」
「送らない」
「一通受け取るだけ?」
「うん」
水城さんたち地球側技術班もすぐ検討へ入った。
元運営担当者の一人が、少し驚いた顔で画面を見る。
「ゲーム内メール機能の外部受信方式に近いですね」
「使える?」
「そのままでは無理です。ただ、《エルグランド・サーガ》同士であることを利用すれば、受信文字列を旧ゲームのメッセージ形式へ限定できるかもしれません」
「相手側が細工したデータを混ぜた場合は?」
「形式外なら破棄します」
地球側の技術者。
アステリア側の魔導技師。
元運営担当者。
三者が一気に話し始める。
俺には半分も分からない。
でも。
分からなくてもいい。
俺が一人で全部理解して、一人で全部決める必要はない。
「安全にできそうなら、その方式を検討してほしい」
俺はそう言った。
「今夜無理なら明日でもいい。急がなくていいから」
ノアがちらりと俺を見る。
「成長――」
「それもう禁止」
先に止めた。
ミーナが小さく笑った。
◇
結局、一通だけを受け取る仕組みを作るのに四十分ほど掛かった。
既存のEARTH/Bロックそのものは解除しない。
代わりに、一回限りの受信窓口を別に作る。
文字数上限。
二千四十八文字。
使用可能文字。
ゲーム内チャットで認められていた文字コードのみ。
送信元。
《REGNA》として正式認証された一アカウントだけ。
受信回数。
一回。
受信完了後は自動閉鎖。
「結構厳しいね」
「相手が本当に蓮と同じ十五年プレイヤーなら、二千文字でも十分」
ノアが言う。
「もし私だったら足りないけど」
「ノア基準で考えない方がいいな」
「技術報告なら最低一万は欲しい」
「手紙だから」
「仕方ない」
地球側の安全部門。
アステリア側の安全部門。
技術。
行政。
一つずつ承認が入る。
七系統ロックを解除するわけではないため、これは正式な接続承認とは別だったが、それでも関係部門全てが「一通受信」に同意した。
最後。
王権端末に確認が出る。
《ONE-TIME TEXT RECEPTION》
《受信のみ》
《返信機能――無効》
《境界通行――無効》
《継続通信――無効》
《許可しますか》
俺は四人を見る。
「いい?」
リゼルが頷く。
「はい。ただし、内容が何であっても今夜その場で返信しないことを提案いたします」
「賛成」
セレフィナも続けた。
「感情的な内容である可能性もあります。一度受け取り、全員で整理した方がよいでしょう」
「ノアは?」
「受信だけなら問題なし」
「ミーナ」
「私も皆様と同じです」
「分かった」
地球側も準備完了。
俺は認証した。
《許可》
ノアが一回限りの受信窓口を開く。
向こうへ送られるのは、
《一通の文字通信を受信可能》
という機械的な応答だけ。
俺たちが誰なのか。
誰が読んでいるのか。
俺がいるのか。
そういう情報は送らない。
「来る?」
「相手がまだ待ってれば」
十秒。
二十秒。
何もない。
一分。
「相手も向こうで会議してたりして」
俺が言うと、水城さんが苦笑した。
「その可能性もありますね」
「向こうにも七系統ロックがあったら朝まで来ないかも」
「向こうの方が八系統かもしれません」
セレフィナが真顔で言った。
「そこ競わなくていいからね」
そんなことを話していた時。
受信窓口に。
小さな表示が出た。
《MESSAGE RECEIVING》
「来た」
ノアが言う。
全員が黙る。
文字列が直接こちらへ表示されることはない。
一度、隔離領域へ保存。
受信終了。
通信窓口自動閉鎖。
《CLOSED》
「閉じた?」
「閉じた」
「向こうとの接続は?」
「ない」
「ロック?」
「全部維持」
そこから内容検査。
文字データ以外なし。
不正な制御命令なし。
リンクなし。
ゲーム内実行コマンドなし。
安全。
「表示できる」
ノアが言った。
俺は画面を見る。
「お願い」
届いた文章が。
ゆっくり表示された。
◇
《そちらでREGNAを名乗っていた人へ。》
最初の一文で。
俺は少しだけ眉をひそめた。
《突然こんなものを送ってすみません。こちらも何が起きているのか分かっていません。》
《まず、俺は運営関係者ではありません。普通のプレイヤーです。》
そこまでは。
まだ普通だった。
そして。
次の一文。
《ゲーム内ではREGNAという名前を使っています。》
少し間を空けるように改行されている。
《本名は、如月蓮です。》
会議室が。
完全に静かになった。
「……本当に来たな」
俺が呟く。
昨日。
もしもう一人の俺がいたら。
そんな話をしたばかりだ。
まさか翌日に本当に名乗られるとは思わなかった。
リゼルを見る。
リゼルも俺を見る。
「どう?」
「どう、とは?」
「昨日言ってたやつ。本当に同じ名前の俺が出てきた」
「そうですね」
「何か感じる?」
リゼルは少し考えてから。
「別の方ですね」
「早い」
「お名前が同じだけですので」
全く揺れていなかった。
セレフィナも資料へ淡々と記録している。
「現時点では自己申告に過ぎません。本人確認もできておりませんし、仮に事実でも昨日の原則通りです」
「ノアは?」
「続き読みたい」
「そこだよね」
ミーナだけは少し困ったように俺と画面を見比べたあと、
「お茶は一人分増やさなくてよろしいですね」
と言った。
「通信だからね」
「でしたら問題ありません」
本当に。
昨日決めたルールが役に立った。
俺は俺。
向こうは向こう。
同じ名前だからといって、こちらの四人が混乱することもなかった。
「続き見よう」
文章を進める。
《たぶん、そちらにも同じ名前の人がいるんだと思っています。違ったらすみません。》
《今日、《エルグランド・サーガ》で今まで見たことのない管理表示が出ました。》
《EXTERNAL WORLD DIRECTORY》
《そこにASTERIAという名前と、REGNAという検索対象がありました。》
俺たちが見つけたものと。
向こうもほぼ同じものを見ている。
《怖かったので最初は触りませんでした。》
「……似てるな」
思わず言う。
「蓮も?」
ノアに聞かれた。
「俺も今なら触らないと思う」
「今なら」
「昔なら押してたかもしれない」
否定できなかった。
向こうの俺らしい人間も、少なくとも慎重ではあるらしい。
《運営へ問い合わせましたが、そんな機能は実装していないと言われました。》
《それで調べていたら、ASTERIA側に俺と同じREGNAという識別があることが分かりました。》
《だから通信要求を出しました。》
ここまでは。
状況説明だった。
次から。
文章の雰囲気が少し変わった。
《聞きたいことがあります。》
《そちらのアステリアは、ゲームですか。》
俺の手が止まった。
続く。
《変な質問なのは分かっています。》
《でも、俺にはもう分かりません。》
「……どういう意味だろう」
リゼルが小さく呟く。
次。
《俺は十五年前からエルグランド・サーガをやっています。》
俺と同じ。
《アステリアという小国を選んで、ずっと育ててきました。》
同じ。
《最初の近衛騎士団長はリゼル。》
俺の隣で。
リゼルの表情が止まった。
《宰相はセレフィナ。》
セレフィナも。
記録する手を止める。
《魔導技師のノア。侍女のミーナ。》
四人。
全員の名前が。
向こうにもある。
でも。
誰も。
「自分だ」とは言わなかった。
ノアが静かに画面を見る。
「同じ初期データだった可能性」
「うん」
俺も頷く。
「まだ、それ以上は決めない」
画面の文章は続いていた。
《たぶん、そちらにも同じ名前のNPCがいたと思います。》
NPC。
久しぶりに、その言葉を見た。
隣にいる四人を見る。
誰も怒ってはいない。
向こうの蓮にとっては。
まだ。
そうなのだ。
七年前までの俺と同じように。
《だから聞きたい。》
《そちらでも、ログアウト中にNPCが勝手に生活していましたか。》
俺は。
そこで完全に動きを止めた。
《こちらでは最近、ログアウト中の行動記録がおかしくなっています。》
《リゼルが夜に巡回した記録があります。俺は命令していません。》
《セレフィナが領内の税制を修正しました。そんなイベントはありません。》
《ノアが俺の知らない魔導具を作っています。》
《ミーナは、俺がログインしていない時間に俺の部屋を掃除している。》
俺たちが。
ずっと前に。
通った場所。
俺がログアウトしている間。
《留守番》が。
アステリアで食事をして。
眠って。
四人と話し。
国を運営していた。
向こうでも。
同じことが。
起き始めている。
《最初は仕様変更だと思いました。》
《運営に聞いても、そんな変更はしていないと言われました。》
《昨日、もっと変なことがありました。》
一度。
文章が改行される。
《リゼルにログアウトすると伝えました。》
俺の隣のリゼルが。
小さく息を呑んだ。
《いつもなら定型の返事があります。》
《「次の御帰還をお待ちしております、陛下」です。》
「……昔、言いました」
リゼルが呟く。
「同じ?」
「はい」
俺も覚えている。
何百回。
何千回。
ログアウト前に聞いたかもしれない。
ゲームの挨拶。
そう思っていた。
続き。
《でも昨日は違った。》
《リゼルは俺に、こう言いました。》
文章。
《「蓮さん。あなたがいない間も、私たちはここにいます」》
誰も。
何も言わなかった。
俺は。
隣に立つリゼルを見る。
リゼルも。
画面の中の言葉を見つめている。
「……蓮さん、なんだ」
「はい」
「向こうでも」
「ですが」
リゼルは。
ゆっくり俺を見た。
「私ではありません」
「うん」
「その方が自分で選んで、そう呼ばれたのでしょう」
「俺もそう思う」
向こうのリゼル。
こちらのリゼル。
同じ名前。
同じ初期設定だったかもしれない。
でも。
三百年以上。
違う時間を生きた。
別の人だ。
だから。
向こうで起きていることを。
こちらの経験だけで決めつけてもいけない。
《それで、そちらのASTERIAを見つけました。》
《もし、そちらのREGNAが俺と同じ立場だった人なら教えてほしい。》
《ゲームの向こうにいる彼女たちは、本当に生きていますか。》
俺は。
その質問を。
すぐには読み進められなかった。
七年前。
誰かが俺へ同じことを教えてくれていたら。
俺はどうしただろう。
サービス終了の夜。
最後の命令を。
違う気持ちで言えただろうか。
それとも。
信じられなかっただろうか。
「蓮様」
セレフィナの声で。
顔を上げる。
「今、答えを決める必要はありません」
「……うん」
「先ほど決めた通り、本日は受信のみです」
「分かってる」
すぐ返したい。
向こうの俺に。
ゲームじゃない。
彼女たちは生きている。
そう言いたい。
でも。
それは。
こちらのアステリアについて分かった事実だ。
向こうの世界が同じとは限らない。
似ている。
だからこそ。
同じだと決めつけてはいけない。
「今日は返さない」
俺は言った。
「まず文章を全部読む。それから向こうの情報を確認する。もし返すとしても、俺一人では返さない」
四人が頷いた。
地球側も。
元運営担当者も。
誰も急かさなかった。
「残りを見よう」
文章は。
あと少しだった。
《もう一つあります。》
《これが一番聞きたかったことです。》
《今日、運営からお知らせが来ました。》
俺は。
嫌な予感がした。
《エルグランド・サーガは、三十日後にサービスを終了します。》
会議室から。
音が消えた。
「……え?」
七年前。
俺が。
見たもの。
公式サイト。
ゲーム内告知。
終了日時。
十五年間続いた世界が。
あと少しで終わると。
初めて知った日。
向こうの俺は。
今。
その場所にいる。
《サービス終了後、NPCデータは保存されないと書かれています。》
《だから、教えてください。》
《そちらでは、サービス終了したあと。》
《アステリアはどうなりましたか。》
俺の隣で。
誰かが息を呑んだ。
でも。
文章は。
まだ終わっていなかった。
《通信を急かすつもりはありません。》
《ただ、できれば三十日以内に返事をもらえると助かります。》
《俺は、どうすればいいのか分かりません。》
最後。
《もし彼女たちが本当に生きているなら。》
《今度は、ゲームだと思ったまま終わらせたくない。》
そこで。
最初の一通は終わっていた。
◇
誰も。
すぐには口を開かなかった。
三十日。
向こうの時間が。
こちらと同じ速度で進んでいる保証はない。
そもそもEARTH/Bが。
俺たちの言う意味での「七年前」なのかも分からない。
それでも。
向こうでは。
サービス終了まで三十日。
俺たちは。
七年前の未来を。
知っている。
サービスは終わる。
けれど世界は消えなかった。
アステリアは。
三百年以上。
俺がいなくても生きた。
そして。
俺の隣に。
今。
その証拠が四人いる。
「蓮さん」
リゼルが言った。
「はい」
「私は」
一度。
言葉を選ぶように。
止まる。
「向こうの私に、何かを命じることはできません」
「うん」
「ですが」
金色の瞳が。
画面に残っている、
《サービス終了まで三十日》
という一文を見る。
「もし、あちらの方々も生きておられるのなら」
リゼルは静かに続けた。
「今度は誰にも、何も知らされないまま最後の日を迎えてほしくありません」
セレフィナも。
ノアも。
ミーナも。
同じように。
画面を見ていた。
七年前。
俺たちは。
何も知らなかった。
俺は。
ゲームが終わると思っていた。
彼女たちは。
俺が消えるとは知らなかった。
《留守番》は。
最後に一人で世界を背負った。
もし。
向こうでも。
同じことが起きるなら。
「……三十日か」
俺は呟いた。
すると。
ノアが。
受信した手紙の付随情報を見て。
急に眉を寄せた。
「待って」
「何?」
「三十日じゃない」
「え?」
ノアが。
向こう側の送信時刻を表示する。
《EARTH/B LOCAL TIMESTAMP》
こちらの地球とは。
日付が違う。
それ自体は。
もう驚かない。
二つの地球の時間が同期していないことは分かっていた。
問題は。
次。
《SERVICE TERMINATION SCHEDULE》
EARTH/B側の日時。
そこから。
現在の送信時刻まで。
ノアが差を取る。
「向こうでは三十日」
「そう書いてあったよね」
「でも」
ノアは。
《最初の門》が記録していた。
二つの地球の境界時間比を重ねる。
水城さんたち地球側も。
同時に計算を始める。
数十秒。
ノアが。
俺を見る。
「今の時間比が維持されるなら」
「うん」
「向こうの三十日は」
表示。
《EARTH/A換算》
俺たちの地球。
こちら側の時間。
「……どれくらい?」
ノアが答えた。
「約二日」
誰も。
何も言わなかった。
向こうの《如月蓮》は。
サービス終了まで。
三十日あると思っている。
でも。
俺たちが。
返事を届けられる時間は。
三十日ではない。
この時間差が続くなら。
あと。
二日しかなかった。




