第62話 二つ目の地球からこちらを見られていたので遮断しようとしたら、向こうも『エルグランド・サーガ』を知っていた
《REMOTE OBSERVATION DETECTED》
「EARTH/B側から、こっちを見てる」
ノアにそう言われても、最初は意味が分からなかった。
見ている。
その言葉だけなら、頭に浮かぶのは監視カメラみたいなものだ。会議室の様子が向こうへ映っているとか、俺たちの会話を盗み聞きされているとか、そういう嫌な想像が先に来る。
俺が反射的に周囲を見回すと、ノアがすぐ首を横に振った。
「違う。たぶん、蓮が思ってる『見る』じゃない」
「じゃあ、どんな見る?」
「今調べる。でも映像も音声も流れてない。生体情報も取られてない」
「それ先に言って」
「今分かったから」
ノアは画面へ向き直り、地球側の技術者も同時に観測記録を開く。
リゼルは念のためなのか、俺の隣へ一歩近づいた。セレフィナは既に先ほど決めたEARTH/B関連の操作凍結について担当部署へ連絡を始め、ミーナだけが俺たちの会話を聞きながら、途中まで確認していた俺の冷蔵庫の話をまだ忘れていなかった。
「蓮様。卵のほかには何がございますか?」
「今それ聞く?」
「帰宅後のお食事も重要です」
「世界がもう一個こっち見てるかもしれないんだけど」
「見られていても、お腹は空きますので」
第三世界を見つけた時にも似たことを言われた気がする。
世界がいくつ増えても、ミーナの優先順位には食事が残るらしい。
「冷凍ご飯はある。あと多分、野菜」
「では何とかなりますね」
「何の確認だったの?」
「安心しました」
それで終わった。
少しだけ緊張が抜ける。
ノアが解析結果を出したのは、その数分後だった。
「分かった」
「何を見られてた?」
「存在」
「存在?」
大型画面へ新しい項目が表示される。
《REMOTE DESTINATION CHECK》
《REQUESTED DATA》
《BOUNDARY STATUS》
《LINK AVAILABILITY》
《WORLD IDENTIFICATION HASH》
「……読んでもよく分からない」
「向こうから確認されたのは、この世界が今もあるか、接続先として有効か、それと世界を区別するための識別値だけ」
「人は?」
「見てない。というより、この機能じゃ見られない」
ノアが指で画面を示す。
「地球で言うなら、住所が実在するか確認してる感じに近い。家の中を覗いてるわけじゃない」
水城さんも地球側の解析結果を確認して頷いた。
「こちらでも同じ結論です。少なくとも現時点で、EARTH/B側が人物情報や地球側の通信へアクセスした形跡はありません」
「じゃあ『見られてる』より、『こっちがあるか確認された』?」
「その表現の方が正確です」
「ノア」
「何」
「最初からそう言って」
「短い方が早い」
「怖さが全然違うんだよ」
本人は納得していない顔だった。
ただ、安全だと分かったわけではない。
EARTH/B側から何らかの操作が行われたこと自体は変わらない。
「こっちが調べたから、向こうにも通知が行った?」
俺が聞くと、ノアは首を横に振った。
「それも調べた。私たちがやったのは《最初の門》に保存されてる登録情報を読むだけ。EARTH/Bへ信号は送ってない」
「じゃあ偶然?」
「分からない」
WORLD COREにも確認する。
「こっちの比較処理が、EARTH/Bへ何か送った?」
《いいえ》
「じゃあEARTH/Bは、俺たちが調べたことを知らない?」
《通常仕様上は》
《はい》
通常仕様上。
最近、この但し書きにも慣れてきた。
「それなのに同じタイミングで確認してきた?」
《はい》
偶然。
あるいは。
向こうでも何かが起きていた。
現時点では、それ以上決められない。
「通信は?」
セレフィナが尋ねた。
「EARTH/B側から何らかのメッセージは届いているのでしょうか」
「ない」
ノアが答える。
「接続要求もない。通信要求もない。ただ状態確認を一回しただけ」
「今も続いておりますか?」
「もう止まってる」
それを聞いて、リゼルの肩から僅かに力が抜けた。
「であれば、こちらから応答する必要はありませんね」
「俺もそう思う」
誰も反対しなかった。
存在を確認された。
だからこちらも挨拶しよう。
そんな軽い話ではない。
四百年以上前にEARTH/Bへ行った人物は、帰還後に《私ではない私が住んでいた》と証言している。
さらに、もっと後の誰かが《帰る先が、同じ地球とは限らない》と警告まで残していた。
今。
俺たちはその接続先を見つけた。
向こうもこちらの存在を確認した。
ここで勢いに任せて扉を開ける理由は一つもない。
「じゃあ、さっき決めた凍結をそのまま実行しよう」
俺が言うと、セレフィナが頷いた。
「既に準備は進めております」
「早いね」
「蓮様へ確認する必要がある部分以外は、先に進められますので」
その言葉が、少し嬉しかった。
俺の許可を待って何もしないのではない。
自分たちで進められるところは進める。
必要な時だけ、俺も一人の判断者として加わる。
三百年後のアステリアにとって、それが普通になっている。
◇
EARTH/B関連の操作凍結は、思っていたより大掛かりだった。
単に一つのボタンを押して終わりではない。
アステリア側の技術部門。
安全保障部門。
行政部門。
地球側も同じ三部門。
最後に俺。
合計七系統の承認が揃わなければ、今後EARTH/Bへの接続操作はできない。
しかもセレフィナは、本当に八つ目を増やそうとしていた。
「歴史保全局も加えるべきではないでしょうか」
「まだ言ってるの?」
「古代設備ですので、技術・安全・行政だけで判断することにも問題があります」
「理由がちゃんとしてるから止めにくいな……」
水城さんが資料を見ながら苦笑する。
「日本側でも法務担当を追加した方がよいという意見は出ています」
「そっちまで増やさないでください」
「私はまだ増やすとは言っていません」
「顔が増やしたそうなんですよ」
「気のせいです」
国家同士で安全装置の人数を競わないでほしい。
結局、今回は当初決めた七系統で運用を開始し、必要があれば制度自体を見直すことになった。
ノアが最終設定を行う。
《EARTH/B ACTIVE CONNECTION》
《LOCKED》
《COMMUNICATION》
《LOCKED》
《TRANSFER》
《LOCKED》
表示が三つ並ぶ。
「観測されるのも止められる?」
「完全には無理」
「どうして?」
「住所があること自体を隠すには、《最初の門》の世界識別機能まで止めないといけない。その場合、今使ってるEARTH/Aとの安全確認にも影響が出る」
「じゃあ向こうから『存在してるか』くらいは分かる?」
「うん。でもそれ以上は渡さないようにした」
「十分」
向こうからこちらが存在していると確認できる。
こちらからも向こうが存在していることだけは分かる。
その状態で止める。
ちょうどいい距離に思えた。
「もし向こうから通信が来たら?」
「受信だけなら別」
ノアが答える。
「今の設定だと、低帯域の通信要求までは検知できる。でも内容を受け取るかは、その時また決める」
「勝手に画面へ出たりは?」
「しない」
「門が開いたりは?」
「しない」
「俺一人で解除は?」
「できない」
「完璧」
思わず言うと、セレフィナが少しだけ得意そうな顔をした。
「ですから、もう一部署加えればさらに――」
「増やさなくていい」
危ないところだった。
◇
そこで会議を終えてもよかった。
実際、EARTH/Bについて今夜できる安全対策は終わっている。
だが水城さんが、帰る前に一つ確認しておきたいことがあると言った。
「先ほどの古い帰還記録についてです」
《私ではない私が住んでいた》
あの記録だ。
「EARTH/Bが何なのかはまだ判断できません。ただ、今後の接触可能性を考えるなら、人物同一性について先に最低限の原則を作っておいた方がよいと思います」
「人物同一性?」
「仮にですよ」
水城さんは慎重に前置きした。
「EARTH/Bに、私たちと同じ名前、同じ外見、あるいは非常に近い記憶を持つ人物が存在した場合です」
会議室が少し静かになった。
俺にも意味が分かった。
「……もう一人の俺とか?」
「可能性を示す証拠はありません。ただし、四百年以上前の帰還者が《私ではない私》を見たと申告している以上、対応だけは考えておく価値があります」
証拠はない。
だから「もう一人の俺がいる」と決めつける話ではない。
それでも。
もし。
EARTH/Bが今いる地球とほぼ同じ世界なら。
如月蓮がいる可能性だって、完全には否定できない。
「……それ、ややこしいな」
「非常に」
セレフィナが真面目な顔で頷いた。
「地球側の戸籍だけでも困難でしょう。氏名、生年月日、指紋、遺伝情報まで同一だった場合、従来の本人確認制度では対応できません」
「そこまで同じ可能性ある?」
「分かりません。ですから先に決めるのは制度ではなく、原則だけでよいかと」
「どんな?」
「似ているからといって、同一人物として扱わないことです」
それなら分かりやすい。
俺と留守番だってそうだった。
REGNAは俺と99.7パーセント近い人格だった。
俺のログアウト中に俺として生き、俺の記憶に近いものを持ち、最後には世界を救った。
それでも。
俺は留守番がやったことを、自分がやったことにはしなかった。
近いから同じ。
顔が同じなら同じ。
記憶が同じなら同じ。
そういう扱いはしない。
「賛成」
俺が答える。
「もし向こうに俺そっくりの人がいても、その人はその人。俺じゃない」
言ってから。
なんとなく四人を見る。
リゼル。
セレフィナ。
ノア。
ミーナ。
全員と目が合った。
「何?」
「いや……」
ちょっと気になった。
「もし本当に向こうに俺がいたら、みんなはどうするのかなって」
「どうする、とは?」
リゼルが首を傾げる。
「例えば、顔も同じ。声も同じ。記憶まで似てる。向こうでもレグナとして十五年ゲームしてたとか」
言葉にすると、かなり嫌な想像だった。
「そっちの俺が、俺よりちゃんとしてたら?」
「関係ございません」
リゼルが即答した。
速かった。
「もう少し考えてもいいよ?」
「必要がありません」
「でも同じ俺かもしれないよ?」
「先ほど蓮さんご自身が、別人として扱うと仰ったではありませんか」
「そうだけど」
「でしたら別の方です」
簡単だった。
セレフィナも頷く。
「能力や記憶の優劣で人間の同一性を決めるのであれば、社会制度が成立しません。それに、私たちが蓮様を蓮様として認識している理由は、能力値の高さではありませんので」
「そうなんだ」
「むしろ地球側では普通の会社員であることを、何度もご本人から念押しされています」
「そこ強調しなくていい」
ノアは少し考えてから言った。
「同じ顔でも、蓮じゃなかったら蓮じゃない」
「説明になってる?」
「なってる」
「本人の中ではなってるんだろうな」
最後にミーナを見る。
ミーナは困ったように笑った。
「もしその方がこちらへいらしたら、お客様としてお茶はお出しいたします」
「うん」
「ですが、蓮様のお部屋へ勝手にお通ししたりはいたしません」
「現実的」
「もし『自分も蓮だから入れてほしい』と仰った場合は、本人確認が終わるまで玄関でお待ちいただきます」
「俺と同じ顔が玄関で止められるの、ちょっと見てみたいな」
「蓮様も鍵をお忘れになればお待ちいただきます」
「平等だった」
水城さんが横で笑っている。
想像の話なのに。
少しだけ安心した。
顔が同じでも。
記憶が似ていても。
もっと立派でも。
それだけで誰かの代わりにはならない。
俺と留守番について、長い時間をかけて考えてきたことが。
ここでも役に立っている。
「じゃあ、それを原則にしよう」
俺が言う。
「EARTH/Bに誰がいても、見た目や記録だけでこっちの人間と同一扱いしない。向こうの本人として扱う」
「異議ありません」
セレフィナが正式に記録へ残した。
まさか国家間の安全会議で、
《もう一人の俺が来ても俺扱いしない》
というルールを決める日が来るとは思わなかった。
◇
「今度こそ帰ろう」
午後十時十一分。
俺が立ち上がると、ミーナも満足そうに頷いた。
「帰宅後、卵を使われますか?」
「まだ覚えてたの?」
「もちろんです」
「簡単な炒め物にするよ」
「野菜も召し上がってください」
「はい」
リゼルたちも今日は地球側の宿舎へ戻るらしい。
ノアが解析端末を閉じるところまで確認し、俺たちは会議室を出ようとした。
その時。
水城さんの部下が、少し慌てた様子で入ってきた。
「すみません。一点だけ」
嫌な言い方だった。
最近の俺は、
《一点だけ》
《最後に一つ》
《追加情報があります》
という言葉を信用しなくなっている。
「緊急ですか?」
先に聞く。
「接続や通信に異常はありません。操作凍結も維持されています。ただ、先ほどのREMOTE OBSERVATIONについて、送信元の付随情報が復元できました」
ノアが閉じたばかりの端末を開く。
「付随情報?」
「はい。観測要求そのものは古い境界規格なのですが、その要求を発行した装置側に、識別用の名称が付いていました」
水城さんが足を止めた。
「EARTH/B側の装置名ですか?」
「正確には、境界観測要求を生成した外部システムの識別名です」
「……見せて」
ノアが言う。
大型画面が再び点く。
俺は座り直さず、立ったまま表示を見た。
《REMOTE OBSERVER METADATA》
《SOURCE WORLD:EARTH/B》
《PROTOCOL:BOUNDARY OBSERVATION》
《EXTERNAL CLIENT IDENTIFIER:》
そこで文字列が壊れている。
最初は記号の羅列だった。
地球側の解析プログラムが文字コード候補を一つずつ当てはめていく。
「英数字?」
「みたい」
ノアが画面へ近づく。
一文字。
また一文字。
読める形へ変わっていく。
《E》
《L》
《G》
俺は。
その三文字でもう嫌な予感がした。
続く。
《R》
《A》
《N》
《D》
誰も声を出さない。
最後まで復元される。
《ELGRAND_SAGA》
「……待って」
俺が言った。
「これ」
十五年間。
毎日のように見ていた名前。
サービス終了から七年経っても忘れるはずがない。
《エルグランド・サーガ》
「偶然同じ名前とか……」
言いかける。
でも。
さらに項目があった。
《OBSERVATION TARGET LABEL》
向こう側のシステムが。
何を探していたのか。
そこに入っていた文字列。
《ASTERIA》
アステリア。
俺たちの国。
「向こうも……知ってる?」
誰もすぐには答えない。
そして。
最後。
もう一つだけ。
《SEARCH KEY》
検索に使われた識別名。
短い。
たった五文字。
《REGNA》
レグナ。
俺が十五年間。
ゲームの中で使っていた名前。
EARTH/Bは。
偶然こちらの存在に気づいたのではなかった。
《エルグランド・サーガ》という名前を知っていた。
アステリアを知っていた。
そして。
二つ目の地球の誰かは。
世界を越えて。
最初から。
俺――《レグナ》を探していた。




